今日も、縁起がいいねえ

ベビーマッサージの資格取得。ママ、赤ちゃんが、ますます幸せになりますように。その祈りとともに日々の気づきをつづります。

恐れ

2017-02-27 09:43:06 | 日記
こうやって、ブログを書かせていただいて、読んでみると
きゃー、なんて偉そうなのかしら?
昨日だって、それはダメだろう!ってな失敗をしてしまって
とほほ・・・だったんだけど

できている、できていないという行為にとらわれて、恐れがでてきているのだな

私個人が、書いているわけではない
言葉が出てくる
不思議な感じ
そして、それは、特別なことではなくて
全ての人も、動植物も、生きとし生けるすべてがそう

とほほなことするのも、
偉そうなこと言ってるって思うのも
いいことしてるって思うのも
いつもいつも、受容してくれている意識があるから

安心して、ゆだねていきたい。
安心できないとき、そこには恐れがあるからで
その恐れを、しっかり見てあげる
見るだけでいい。
向き合えば、気づけば
恐れはシューっと消えていく。

大切なのは、できたできないではなく
その起きてくる土台・意識
それは、見ることも、触ることも聞くこともできない
永遠不滅
いつも、今、ここにある

あるべき場所

2017-02-26 23:24:10 | 日記
今日は、3年ぶりにお雛様を飾った。
カビがはえていないかなあと、ちょっと、心配もよぎったが、何とか大丈夫(笑)

3年前に、今の家に引っ越してきて、初めてだしてあげた。
どの部屋に飾るか、どの場所に飾るか
全体を見て、あるべきところ
調和のとれるところを探す。

お雛様の居心地のよい場所、そして、ここという場所
そこに、ぴったり、しっくりくると、わたしも心地よい。

そういう感覚を大切に、意識的にしていくと

電車を待つとき、どこでまつか
座るとき、どこに座るか?
お友達とあって、おしゃべりするとき、どこに座ったら、みんなが楽しいか?
みんなの話が、循環するか?
それは、自分のことしか見えないと、何もわからないけれど
全体をみて、身の置き所を決めるのって
ゲーム感覚でやってみると、とっても楽しい。

うまくいかないことも、しょっちゅうだけど(笑)
自分というこの身体の役割、あるべきところを知る練習にもなる気がする。
そして、そこが、わかるようになると
自分も、周囲も、みんなが心地よい。

それは、もっというと、心地よい場所を意識していくのだから
危険を察知したり、回避できることにもつながるなあと思う。

難しく考えることもなくて
今、ここにあれば、ピタッと決まる。

目の前のお雛様と、しっかり向き合う、目をあわせると
共通の意識の場がある(赤ちゃんと、お母さんもそう、全てがそう)
お雛様って、一なる意識の場にある世界の、型示し(ひな形)なのかも

ほんとうの自信

2017-02-26 00:12:06 | 日記
自信を持つということ
日本人は、謙虚であることを美徳とする国民だから
自信家というか偉そうなやつは、批判されたり、白い眼でみられることも多い。
そして、その批判したり、白い目で見る人は、自分自身にも厳しく、自己を否定する。
かくいう私も、いろんなことができない劣るということにばかり目がいって
自分を否定ばかりしてきた気がする。

だけど、はたして、自信とは、そういうことなのだろうか?
自らを信じると書いて、自信
この体を作ったのは誰か?    私個人ではない。
この体を生かしているのは誰か?   よく見てみれば私個人ではない。
私個人では、呼吸ひとつできないのである。
呼吸は、呼吸するぞと、毎回毎回思ってしているわけではない。
私個人では、空気をつくることも、酸素をつくることもできない。
起きてくる。

この体を生かし続けているもの
何者なのか?

計り知れない、全てを生かしている
生かされている、そこを信じること
弱いところだらけだけど、できないこともいっぱいだけど

生かされている
許されている
愛されている
受容されている
そこを、信じ続けることこそが
自信を持つということ

ふきのとう

2017-02-24 18:58:27 | 日記
きょう、庭にでてみたら
何と、ふきのとうが4つ
ワーイ!!!
顔がニマニマしてしまう。うれしいなあ
暑かったり、寒かったり、1日のうちでも、寒暖差が激しいけど
冬なのか、春なのか・・・
でも、もう、春なんだねー

そういえば、依然買ったスイセン、
一かい枯れて、球根になったのを、そのままおいていたら
鉢の下から、根が出て、ちっちゃなスイセンが咲いた。

そういえば、たんぽぽも
そういえば、小さい紫の花も

今年は、乾燥して、殺風景だったお庭にも、ちゃんと、春が来ている。

もう少しして、緑が増えてきたら
我が家は、極力、雑草を抜きたくないので、ジャングルのようになっていく。
(ちょっと、大げさか・・・)
私は、なかなか気に入っているのだけれどっていうか

誰が、雑草って決めたの?
いろんな植物が、支え合って、そこに虫さんがいて鳥がいて
小さな生態系があるのだから、ほんとは、そのままにしておきたいなあ

でも、ご近所の人にも、私と同じように、それぞれの考え方があって、
押し付けるのも違うなあと思うし、
いつも、悩みどころなんだけど

人間社会が反映されているのだなあと思う。

そうそう、奇跡のリンゴって、映画があったけど
無農薬で、リンゴを作るのは、本当に難しくて、うまくいかなくて
木村さんとういう主人公は、最後は食べていけなくなるところまで追いつめられていくのだけれど
野生のリンゴをみて
雑草を抜いたのがいけなかったんだと気づく
いい映画だったなあ

最近知ったのだけれど
こんな都会でも、自然農法で、畑を作っている人がいて驚いた。
雑草とか抜かずに、野菜を育てるのだ。
先週は、稲城市でも、そんな取組をしている人たちがいるって聞いた。

どんな考え方が正しいなんてないけど
そんな人たちが増えてきていることが、とっても嬉しいなあ
応援したいなあと思う。


存在しているだけで素晴らしい

2017-02-23 18:21:20 | 日記
人は、なぜ、存在しているだけで素晴らしいって、わかっているのに
抵抗するのだろう?
こんなに、何の努力もいらなく、楽ちんで、幸せなことを受け入れられないんだろう?

だって、
でも
みんなはそうだけど、私は
これもできないし、あれも持っていないし
ああなりたい、こうなりたい

存在しているだけで素晴らしいって思えないエゴがある。
小さい時から、学校や、周り、情報のなかで、
たえず、教え込まれ、体中の細胞に刻み込まれているものがある気がする。

全宇宙の中で、たった一つのこの体を持ち、声を持ち
いま、ここに座ることができ、目が見え、手が動き、言葉が浮かび
呼吸ができ、空気があり、酸素があり、植物が酸素を出してくれているからで
土があり、地球があるお蔭で、太陽があるお蔭で、太陽系があるお蔭で・・・・・
そうやって考えていくと、どれだけのお陰様の上に、この命があるのか
計り知れなさ過ぎて、言葉がなくなるようだ。
この大地のお蔭、あの月のお蔭で生きている。

生きていると思っているけど、生かされているとしか言えない。

それほどの奇跡の連続のうえにある命
誰が生かしているのか?
すごく、ちっぽけなことで、アリどころか、のみよりちっぽけなことで
自分というありもしない存在を否定して
苦しみを、創造してきたなと思う。

もう、嫌だな
いいことも悪いことも、50%・50%
そして、いいとか悪いとか決めるのも、私の自由
与えられたこの人生
与えられなかったことにスポットあてるより
与えられたことに感謝して生きていきたい。

だって、それが、私の心地よいことであり、みんなの心地よいことだから。