大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年11月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1172> 米国と中国、そして、日本 (6)

       国家とは果たして我に存在す つかず離れず そして 思ふに

 日本は極東の小さな島国であり、ほぼ単一民族の国である。人口は一億三千万人弱で、中国の約十分の一、米国の約三分の一である。この多民族国家である両大国に比べると日本は小国寡民の国と言ってよい。老子は小国寡民を国の形の理想として見たが、この考えは当を得ているように思われる。治政が行き届き、国がよくまとまるからである。老子が小と寡の基準をどの程度に置いたかは定かでないが、当時の中国において慮った言葉であろう。なので、日本の現状に合致するかどうかはわからないけれど、大国米中に比べれば、日本は小国寡民に違いない。

 それゆえ、大国米中は国土を細分化して共和国の形を採っている。その政治体制を見ると、米国は自由民主主義の公選による大統領制であり、中国は共産党一極が支配する社会主義の階級制により、日本は欧米に倣う自由民主主義を標榜する国であるが、天皇制による立憲君主国の色合いが強く、官僚支配体制にある。これは、英国やオランダ、北欧の国々、アジアではタイといった国に等しく、政治はもっぱら首相に権限を委ねる形で行なわれている。

 このような日本で、今、少子高齢化と過疎化が進み、世代間格差や地域格差、職域格差が問題になっている。敗戦後の私たちが子供のころは、戦争で多くの若い男子を失い、国が疲弊状況に陥ったため、産めよ増やせよで、一家族に子供五人というような家はざらで、三人はまず普通だった。私の郷里は瀬戸内の片田舎で、四十人一クラスの組が二クラスもあるほどだったが、今は学校が維持出来ないほど子供の数が減少し、町中の学校に統合されてしまった。話を元に戻すと、その人口は増え続け、一億人を突破し、人口抑制の対策が言われるようになるのであるが、産業変革の動向に合わせ、核家族の方針を採るに従って少子化が見られるようになり、結果、少子高齢化の著しい時代を迎えるに至った。

                                     

 日本はほぼ温帯に属する好緯度に位置し、四季に恵まれ、豊饒な山野に豊富な水が得られ、稲作を中心とする農耕民族としての歩みを進め、周辺を海に囲まれている関係で、昔から漁業が盛んに行われ、動物性タンパク質は主に魚によって摂取して来た。また、一方、災害の多い国で、これへの対処も必要な国である。こうした風土に基づき、欧米文化の導入がなされた明治時代以降、その影響によって変化が見られるようになって行き、敗戦後は第二次産業の工業化が進められ、工業製品の輸出によって外貨を稼ぐ道を選ぶに至った。結果、前述したごとく人口の都市部への移行が行なわれ、東京一極集中と地方の過疎化による疲弊が生じて来たのであった。

  このような状況下、日本への欧米の影響はいよいよ顕著になり、食生活にも変化を来たし、米のみでなく、小麦を材とするパン食が幅を利かせて来るようになった。また、肉も魚に匹敵するような状況を呈し、今日に至っている。そして、近年、中国やインド、韓国といった国々が先進国の仲間入りをし、急激に生産性を伸ばし、国力とそれに基づく競争力をつけて来たため、輸出に活路を開いていた日本には大きく影響を受けるところとなり、その圧迫によって思うに任せない経済状況が生まれているというのが現況と言える。そして、輸入圧力によって、農業も岐路に立たされる状況になっているのである。

 こうした外圧に曝されている政治的、または経済的状況の中、前述した国民を安心に導く六項目の課題が思われるわけであるが、六項目の何れを見ても安定し、堅実にあるものは一つだになく、国民には不安な要素ばかりが意識されるのが昨今の状況と言える。利便と物質的豊かさは幸せの条件に関わっているが、それ以上に安心ということが私たちの生活には求められる。この安心こそが国民の幸せの条件としてあげ得る。で、最初に述べた米国におけるデカルト的理性主義と中国における孔子の教えが脳裡を過るわけであるが、では、日本はどういう考えで取り組むのがよいのであろうか。現況は米国追随のやり方を採っているが、そこに日本の独特な試行錯誤の政策が見られ、常に不安と戦っている様相が見られ、一面には問われるところとなっているのがわかる。

 一例をあげれば、東日本大震災による津波の被害とそれにともなう東電の福島第一原発の事故の波紋がある。理性ある人間のやることに間違いはないとするデカルト的理性主義に基づく科学の信奉に裏づけられた原発の安全神話は福島の事故で大きく失墜し、米国が採って来たこの理性主義による物質優先の文明に疑問が発せられることになった。現在も事故処理は続けられ、四苦八苦しているが、日本という国は、このような状況を繰り返しながら試行錯誤して、自国の文化を作り上げて来た経緯がある。そして、そこには他国以上の知恵が要求されるところとなり、その知恵は自らの経験と他からの導入により、常に進化するものであることが思われる。

 社寺の多い土地柄の大和に住まいしているからでもないが、私には日本が多神教の国であることが大いなる特徴としてあることが思われる。この多神教の状況は日本人をよく表し、長い歴史の間に導入して来た外来の文化と元にある文化の和合折衷に通じるものとしてあり、排除の論理にはなく、共存の道を選んで来たことを物語るものと言える。これは日本人の謙虚な気持ちをもってある人間性の現れで、一神教の国とは異なる精神性の国であるということが言える。「以和為貴」は聖徳太子の十七条の憲法の言葉であるが、この言葉も日本人の精神の中に通じてあるもので、同じように捉えることが出来る。

 このように考えると、欧米、殊に米国のデカルト的理性主義の考え方も、中国の孔子の教えに基づく考え方も、日本はみんな取り入れ、これを自分のものにすべく、その精神性において知恵を働かせ、対処して来たように思われる。言わば、これは多神教や排除の方法は採らない和合折衷の姿に重なるところである。日本の歴史上には時に自らを奮い立たせて他国を攻める覇権主義に傾いたことも何度かあるが、その戦略は、白村江(はくすきのえ)の戦をはじめとし、ことごとく失敗し、国勢を衰弱させた。近代戦においても、日清、日露戦争には勝ったが、結局は太平洋戦争に至って敗れている。日本人にはこの教訓を知恵として考慮する必要があると思える。

 日本は昔も今も決して大国ではなく、極東の小さな島国で、海外との交流なしにはやって行けない国である。この事実を踏まえ、和合と共存の精神をして、どこの国とも親和関係を保つ努力がなされるべきで、平和の実績を有する現憲法を蔑ろにし、戦争の出来るような国にすることは、過去の歴史的事実を振り返って見てもすべきでないことが言える。それは、人間が如何に理性的であるとしても完璧ではないからである。  写真左はオバマ大統領と握手を交わす安倍首相。右は習国家主席と握手する安倍首相 (いずれもテレビ映像による)。  ~ 終わり ~

 


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2014年11月19日 | 写詩・写歌・写俳

<1171> 米国と中国、そして、日本 (5)

       国家とはおぎゃーと生まれ出づるより関わりとなるそれぞれにして

 中国の遠心における今一つの特徴は中国から世界各地に赴いている華僑の存在がある。これは異国を目指す決意によるもので、いろんな事情によることが思われるが、そこには中国人のバイタリティーが潜んでいる。そして、このバイタリティーにより成功者を出す。これは米国の移民や移民が抱くアメリカンドリームを思わせるが。米国は受け入れ側に当たり、中国は送り出す側にあって、そこには遠心と求心の違いがある。

 世界各国に見られるチャイナタウンや中華街の存在は、アメリカ村と呼ばれる街区とはその形態からして異なり、そこには中国人がいて中国人のバイタリティーが感じられる。華僑で最もよく知られるのはシンガポールであり、ベトナムやマレーシアなどにも見受けられる。この中国の遠心の現れは最近のアフリカ諸国などの開発途上国における中国進出の形に見えるところがある。

 この中国人の進出に言える特徴は、資本の導入のみでなく、現地に中国人を送り込んで、中国人の一団によって事業を展開するというやり方である。これは華僑に同じく、遠心のケースであり、求心の米国には見られないやり方であることが言える。このやり方は増え続ける人口に関わりがあるとも受け取れる。世界の七十二億人中、漢民族と呼ばれる中国人は、中国国内に約十三億人、国外に約四億人いて、計十七億人が存在すると言われる。これは世界人口の二十パーセント以上に及ぶもので、世界で一番多い民族と言われている。

 この数字は、如何に中国人が多く、如何に世界に散らばって存在しているかを物語るもので、中国の遠心の構図がよくわかる現象である。言わば、中国人の国外への移住は、多数に上る民族の生きて行く方策の一つに違いなく、国が意志する遠心の働きによると言って差支えなかろう。これは少子化に悩む日本とは正反対の状況で、一人っ子政策というような方法も打ち出されているほどである。

 だが、この政策に不満を抱く国民も現れ、国外で出産するケースが最近増えているという。その国外に米国を選ぶというのが流行っていると言われる。これは米国で生まれた子供が米国籍を取得出来るからで、この出産のケースは遠心的な中国と求心的な米国の事情による出入りの関係がぴったり一致することによって成り立っているのがわかる。

                             

 以上、米中両大国の国のあり方にはっきりとした違いのあることに気づくが、ここで、少し両国の現状について見てみたいと思う。国というのは国民の安心・安泰、即ち、幸せをもってまとまることを理想とするのであろうが、そこに近づけるためには幾つかの課題がある。それは実生活における国民の希求を叶えることにあると言える。で、基本的なものを幾つかあげることが出来る。

 即ち、(1)食糧、(2)エネルギー、(3)金融・経済・雇用、(4)安全保障・防衛、(5)福祉・社会保障、(6)環境など、これらの課題。果して十分に行き届き、国民を満足させているか、米中両国を眺めてみるに、(1)の場合はともに農業国の側面があり、輸出している点がうかがえる。(2)については、ともに十分確保出来ているのであろう。米国にはシェ―ルガスの採取は大きい。(3)については、市場原理主義によって米国の優位が見られ、中国は米国支配の金融システムに対抗すべく、別の枠組み作りを模索している。(4)については米国にはイスラム国への対応が緊急を要するところであるが、今のところ自国に直接大きく関わることのない問題である。(5)、(6)については、貧富の差の問題や温暖化の問題、中国では大気汚染など公害が深刻化していることが思われる。

 国として、これらの課題に応ずるには情報の入手が大切で、この情報如何によって民意にも影響し、混乱にも繋がる。よって、情報は為政者に必要かつ重要なことで、両国ともに情報収集に力を注いでいるのがうかがえる。貧富の差や温暖化、公害の問題は、科学優先の物質文明、即ち、デカルトの理性主義の反映の側面と見なすことも出来るわけで、問われるところでもある。また、中国の発展途上国への進出に翳りが見えると言われるのは、遠心の基になっている中華思想の問われるところと言えなくもないことが思われる。

 日本は、こうした事情にある米中の大国に対し、どのように向かい合えばよいのだろうか、最後に、日本という国とその立場について触れてみたいと思う。 写真は北京におけるAPECの首脳会談で顔を合わせるオバマ大統領と習国家主席(テレビ映像による)。 ~ 続く ~

 


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2014年11月18日 | 写詩・写歌・写俳

<1170> 米国と中国、そして、日本 (4)

       国家とは国民個々を由らしむる意識のうちの御旗のやうに

 では、次に中国という国の遠心ということについて触れてみたいと思う。中国の遠心には前述した中華思想が大きく関わっていることが考えられる。そこで、まず、この中華思想について見てみたいと思う。この中華思想には日本にも影響を及ぼしている重要性を含んでいることがうかがえる。現在の中国人に中華思想はなく、この思想が反映されている状況などないという見解もうかがわれるが、私には、日本の神仏と同じく、一見国民の普段の生活には反映されていないように思われるが、それはそうではなく、中国人の根底に今も中華思想は精神的土壌として存在し、何かのきっかけをもってこの中国人にとって誇り高い思想は現れ出て影響を及ぼすように思われる。

 中華は中原とも言われ、国名の中国にも通じる言葉で、これは中国の春秋戦国時代、華夏族(漢民族・以後漢民族と表記)が黄河流域の穀倉地帯に定住し、その一帯を中心に一族の周が王朝を築き、都を置いたことによると言われる。その後、春秋戦国時代を経て、紀元前二二一年に秦の始皇帝が全土を統一し、その次の漢の時代に、漢字の発明などによる高度な文明がもたらされるに至り、他の民族も加えた漢民族の支配するところとなって国の繁栄を見、世界はこの中原(中国)を中心にあると見なすようになった。これが、所謂、中華思想である。

 以後、中国は南北朝、随、唐、宋、元、明、清、中華民国等を経て、現在の中華人民共和国に至るわけであるが、周の時代に現れた思想家孔子(紀元前五五一年から紀元前四七九年)が教えるところの「仁」を最高の徳とし、その徳の持ち主たる君子の為政をして理想の国とした。この教えによって治める天子(帝)の為政の国を世界の中心とする考えが生まれ、黄河流域に当たる中原(中国)を中心に世界は存在するという考えが行き渡るようになった。この考え方は、道教や仏教とともにそこに定住する漢民族に迎えられ、文明の発達を見る漢の時代以降、大いに称賛され、中国の国づくりに影響するところとなった。で、孔子の教えである儒教は評価を得、以後、中国では国教のごとく崇められ、道教や仏教と補完関係を保ちながら中華思想の遠心的特徴の支えとなって行ったのである。

 こうして道教や仏教の思想と補完し合う孔子の教えに影響された中華思想は中国の為政における考えとなり、この中原(中国)を中心とする世界(宇宙)の構図の中で、中央ほど優れ、周辺に向かうほど劣るという見方によって四辺の辺境の地を東夷、西戎、南蛮、北狄と呼び、その地の輩はみな野蛮な未開人と見なし、位階(差別)をもって位置付けたのであった。日本は日出る国とは言われたものの、この思想による中国では東夷の位置づけにある国で、未開、即ち、低級な種族という見方があった。

     

 中国というのは王朝が変わる度に、その勢力が微妙に変化し、四辺の辺境地はあまり問題にされず、曖昧であった。だが、その辺境の地はすべて中国に属するものという考えがあり、海洋においてはどこまでも中国のものとする認識がまかり通っていたことが想像される。中国最後の王朝である清は二度のアヘン戦争によって英国に敗れ、衰退の一途を辿ることになるが、清はこの憂慮すべき敗戦にも中華思想の考えによって敗れたのは辺境の南蛮であって、北京を中心とする王朝には影響しないと考えた。この経緯は王朝時代の中国における中華思想によるものの考え方をよく示す例としてあげることが出来る。

 その清王朝自身はと言えば、中央に位置するものながら、主流ではない満州族による王朝であるという皮肉な存在にあり、中華思想を掲げながらも国の安定性に欠けるところがあったと見られる。言わば、中華思想の認識はあったものの、こうした王朝の弱点は辺境の地から中央へと露呈して行き、王朝の崩壊に繋がった。清王朝の次に近代国家体制の萌芽として、辛亥革命の後、中華民国が生まれたのであったが、まとまることが出来ず、世界の大きな情勢のうねりに巻き込まれ、中国は第二次世界大戦の戦場と化し、混乱を来たすことになった。この大戦は近代化に向かう中国の難産とも言え、結果、毛沢東の率いる共産主義勢力による統一がなされ、現在の中華人民共和国が建国された。

 これよって、孔子の教えも中華思想も影を潜めるところとなったかに思われるが、中国の誇りを自認する孔子の教えをはじめとする道教や仏教は中華思想とともに変わることなく、共産主義体制においても、中国人の意識の中に受け継がれ、底流として現在も隠然とその精神は汲み取られ、影響していることが言える。日本を悩ませている尖閣諸島の問題にしても、中華思想における辺境の地、つまり、国境線を定かにしない領有の認識が中国にあるのがわかる。そこの心理を日本が国有化という手段によって刺激したため、中国は反発に出たのである。

 中国の反発は、まさに中華思想による遠心の現れで、辺境人の勝手は許さないとするものの考え方、つまり、中華思想の顕現と見なせる。現代における国際的常識における法やものの捉え方に依ろうが、依るまいが、この中華思想に照らしてこの尖閣諸島領有の中国の主張はなされているわけで、この点を日本が如何に理不尽この上もない主張だと怒っても、中国の言い分は変わることがないと言わざるを得ない。中国が国力を増すほどに、また、あの一帯が中国にとって有効なところと見なす評価がなされればなされるほど尖閣諸島における中国の国境に対する主張は強固なものになることが思われる。

 この中国における辺境の地のトラブルは、遠い昔から日本のみでなく、中国に接する四辺の国々で起きていることである。中島敦の漢の時代の武将を描いた小説『李陵』の物語もその一つであり、現在も南沙諸島のフィリピンや西沙諸島のベトナムなどとも領有権争いのトラブルが起きている。中国におけるこれら辺境の地、国境の問題は、周辺諸国には難儀な問題であるが、この中華思想からなる遠心の作用と見なせる。

  こうした中国の国境の状況は、メキシコから密入国して来るヒスパニック系の移住者とのトラブルを抱える米国とは対照的で、両国の求心と遠心の違いが如実に現れていることを示す。求心と遠心がわかり難いならば、吸引、吐出と言ってみてもよいかも知れない。米国も中国もともに共和国(合衆国)を標榜する多民族国家であるが、この求心と遠心からみると、国の成り立ちに根本的な違いがあるのに気づく。

 写真はイメージで、左は国境を定かにしない中華思想から来る考え方を写真で表現したもの。左は握手している首脳会談時の安倍首相と習国家主席(この握手の感触は二人以外には誰にもわからないところがある。テレビ映像による)。  ~ 続く ~


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2014年11月17日 | 写詩・写歌・写俳

<1169> 米国と中国、そして、日本 (3)

       国家とは掴みどころのない そして 無数の縛りによりてあるもの

 その後、世界が近代化に向かう中で、人種差別は問われるところとなり、奴隷を重要な労働源にしていた南部と奴隷制を嫌忌する北部の対立が表面化し、南北戦争(一八六一年から一八六五年)が戦わされた。結果、リンカーン率いる北軍が勝利して奴隷制の廃止が決まった。リンカーンは暗殺されるが、結果は米国の良心の勝利として高く評価され、この戦争を経て米国は一つにまとまって国の体制を固めて行くことになった。だが、デカルトの理性主義に基づく求心の国としての考え方は変わることなく、国内での差別意識は根強く続いた。

 こうした国の成り立ちの経緯からしてもわかるように、米国は主に白人と黒人の移民、移住者と原住民とからなる国としてスタートし、外からの移住者(移民)を受け入れる国としての特徴を有し、人種や民族に関わりなく、受け入れるという態勢で国の運営を行なって来た。所謂、これは国が求心的体質を有することで、米国を称して人種の坩堝とは言われる所以ともなっているわけである。米国を考えるとき、この移民の意味は極めて大きく、求心的体質にあるということは重要なキーワードであることが言えるのである。

                                                

 この求心のよい例がアメリカンドリームの標榜で、この標榜は米国のイメージを高め、求心に役立つ一つとして活用されていると言ってよい。他国の優れた人材を受け入れるために破格の費用を費やすやり方はデカルトの理性主義の実践に適う。例えば、大リーグの選手集めがよい例で、日本人の優秀なプレイヤーが破格の契約金で渡米する姿などはまさにこれを物語るもので、日本人プレイヤーにアメリカンドリームを重ねさせる。この手法は、つまり、理性主義に基づく求心的方法として有効的であることが思われる。

 ほかの分野でも金に糸目をつけず、優秀な人材を集めることを米国は率先して行なって来た。言ってみれば、このようなやり方は、米国の求心の最たる姿と見てよかろう。こうして全世界をその求心力によって米国に靡かせるというのが米国におけるやり方の特徴で、靡かず反発するものには容赦ない戦略的対応をし、ときには武力によって制裁を加えるということをやって来た。

 という次第で、米国の求心の基になっているのはデカルトの理性主義に基づくところであり、移民の掲げる自由主義や民主主義といった精神とともにあるもので、これは、つまり、建国の経緯から来ていることがうかがえる。加えて、自由な経済活動を基本にする資本主義の導入があり、今では世界の金融、経済をリードし、国を優位に導く方策の一つになっている市場原理主義に傾斜していることがわかる。で、このような考え方ややり方に与さない国に対し、米国は容赦なく挑み、世界大戦に参戦して勝利したのであった。

 結果、デカルトの理性主義によるやり方を採る欧米、殊に米国は自信をつけ、いよいよ人間本意の合理主義と科学の信奉に基づく物質文明の発展を期し、軍事力を増強して世界に君臨し、世界の警察国家の異名で呼ばれるほど強大な権力国家になって行った。しかし、世界のすべてが米国に靡くわけはなく、大戦後はソ連を中心とする社会主義体制国の共産圏と対峙するに至り、世界を二分する東西冷戦の時代に入った。日本は自由主義国側、即ち、米国側に与し、日米安保条約の締結とともに米国の傘の中に納まり、紆余曲折を経て今日に至っているわけである。

 大戦後も米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争等々大きな戦争に参戦し、その間も自国への求心を促して来たのである。一九九一年、対立していたソ連の崩壊があり、世界の勢力地図が微妙に塗り替えられる中、求心の国米国は、力をつけて来た遠心の国中国と向き合うところとなり、現在の状況に至るわけである。

 覇権主義の道を選んだ資源の乏しい日本は第二次世界大戦で米国並びにその同盟国と覇権を戦ったが、結局、原爆二発を落とされ、完璧に打ちのめされて敗戦し、米国の後方につくことになった。現在の日本はその結果によるものであるが、米国の強力な求心の力によってデカルトの理性主義的欧米の色に染められて行き、自由の利かないほどの政治的状況に陥っているというのが現状と見てよい。この米国の求心に日本国民は多少気づいているに違いないが、歯痒くも思うに任せない政治的状況がのしかかっている。防衛に関わる米軍の基地問題などはこのよい例と言ってよかろう。 写真は米中の個別会談後、記者会見場で握手を交わすオバマ大統領と習国家主席(テレビ映像による)。 ~続く~

 


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2014年11月16日 | 写詩・写歌・写俳

<1168> 米国と中国、そして、日本 (2)

          国家とは個々の対極なるにあり 制度を纏ひ鎧ふにありて

  では、まず、最初に米国の求心ということについて見てみたいと思う。その前に、デカルトの理性主義の考え方について私の理解に及ぶ範囲において今少し解りやすく米国の立場に当てはめて述べてみたいと思う。理性主義は、自我を有する人間を一番と考え、神、あるいは自然を真理とする考えには与さず、人間の理性をもって真理とし、理性をもった人間が作り出す物質に価値を認め、理性の実証に働く科学及び科学技術に信を置いて、そこに私たちの営みを展開し、科学優先の物質文明を築き育んで行くことが人類の幸せに通じると考える。

  言わば、何ごとにおいても、人間の能力によって開かれる科学に解決を求める。この理性的人間が作り出す物質によって豊かな人間社会が展開して行き、その展開には止まることや行き詰まることのない永遠性が秘められていると考える。これが理性主義の示すところで、一つには死を忘却してかかる思想性にあると言われる。これが米国の採って来た考えであり、殊に理性に優れた欧米人をして優秀者と見なし、他の人種や民族とは違うという考えのもとに国を成り立たせて来た。

  このよい例が植民地による支配であり、奴隷制であったが、人間の理性を真理と見なすこの欧米の考えは、神を真理とするイスラム圏の国々とは相いれず、衝突するところとなり、現在においても敵対しているのである。これはキリストとマホメットによる宗教的な対立というよりも、デカルト的ものの考えとイスラム教のものの考えの哲学的対立と考える方が当たっているように思われる。

                         

  神と言えば、日本も神の国で、この欧米とイスラムの敵対現象は、第二次世界大戦で戦った日本に対し、「日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく異なった行動と思想を考慮の中に置く必要に迫られたことは、今までにないことであった」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)と米国に言わせた「天皇万歳」と叫んで死んで行った兵士らの行動を彷彿させるもので、「アラ―の神は永遠なり」と言って自爆するイスラム教の信者をデカルトの理性主義の立場に立つ欧米人、即ち、米国の理解出来ないところを示すものと言えるのである。

  このデカルトの理性主義に則る欧米諸国とアラ―の神を絶対とするイスラム教を信じる中東の国々がしっくり行かないのは当然と言ってよいわけであるが、しかし、誰でもそうであるように、同調する者には寛大で、米国にもこれは当てはまり、米国のものの考え方に協調する国や人に対し、米国はこれを受け入れ、協調せず、反発する国や人に対しては敵視をもって対応するということが通例になって今日に至っているのである。この米国の考え方は移民によって成り立っている国ということもあって、国の求心という特徴に働くことになるわけである。

  では、ここで米国が受け入れる求心的移民の国であることについて触れてみたいと思う。米国は一四九二年(室町時代)の帆船メイフラワー号によるコロンブスの新大陸発見をきっかけに生まれたどちらかと言えば新しい国である。その後、欧州各地からこの新天地のアメリカ大陸を目指して来た。この移住して来た移民が原住民を退ける形で植民地化を進め、その結果、一七七五年(江戸時代後期)、移住者による独立戦争の勝利によって一七八三年、英国から独立して米国は誕生した。

 以後も、この新大陸には夢を抱いて世界各地から人々がやって来ることになるが、その初期は欧州方面からの移民が相次ぎ、綿花の栽培を主とする労働力の確保のため、奴隷貿易によってアフリカ大陸から強制的に黒人を移住させ、原住民とともに人種差別による搾取を行なって国の繁栄を目指した。西部劇映画で馴染み深い西部開拓がまさにその時代を象徴している。

 で、国が掲げる自由、民主の精神と移民たちが標榜して来たフロンティア精神、あるいはアメリカンドリームといった言葉があるように米国は希望の国として飛躍を遂げて行くことになるわけである。この時点でも、先に触れたデカルトの理性主義の考え方が働きとなったことは確かで、米国における国の求心的な姿は常識のものになって行ったのである。 写真は米中の個別会談でオバマ大統領を迎える習国家主席(テレビ映像による)。 ~ 続く ~