大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年02月18日 | 写詩・写歌・写俳

<899> マスメディアに関する百の断章 (1)

        厳しかる 日々連綿の 思惟にして ありける言葉 明晰であれ

 思うところがあって約四半世紀前に報道を基軸とするマスメディアに関する百の断章を試みたが、ここに一部を変更して紹介する。このほど、自称耳の聞こえない作曲家が偽であったということが露見して、騒動になっている件に、NHKをはじめとするマスメディアが大きく関わっている由々しさが思われ、マスメディアの猛省を促す意味もあって、この百の断章を発表する気になった。

  何故十八年間も偽が見破れず、その偽作曲家は活動出来たのか。信頼されているNHKがその偽作曲家の特集番組を制作し、放映したこと。この点が、実に深刻な問題点を孕んでいること。そこが思われる次第で、ドキュメントとしての番組制作において脚色されたところはなかったのかというような点も含め、番組の検証が必要ではないかというようなことが思われ、百の断章を述べることにしたわけである。写真はソチ冬季五輪のノルディックジャンプ男子団体で銅メダルを獲得した日本選手の表情を伝える今日二月十八日の夕刊(左)と昭和十六年十二月の太平洋戦争開戦時の朝刊(右)。新聞が時事によって作られ、世相を反映しているのがよくわかる。では、百の断章を以下に記す。

                                        

         新聞・・・・・・・・・・世の鏡。日々を映す。

     テレビ・・・・・・・・・現代人の孤独に寄り添う第一人者。だが、その地位はスマートフォンに奪われつつある。

     記事・・・・・・・・・・記者が目指すもの。理想は詩と同じ意義を持たねばならない。

     ニューズ・・・・・・・すぐに色褪せる宿命としてある情報。

     記者・・・・・・・・・・観察力と分析力と認識力と理解力と判断力と表現力。加えて、信頼力。

     コラムニスト・・・・常識論に衒学の衣を纏わせて論を展開するインテリゲンチャ―。

     写真記者・・・・・・今という時を写し込まなければならないという研ぎ澄まされた感覚。

     報道写真・・・・・・記録性のみならず象徴性も重要な要素である。常にインパクトが求められる。

     編集者・・・・・・・・ニューズの価値評価そのものたる自尊心の持ち主。

     宣伝・CM・・・・・・イメージをよくするための魂胆。

     事件・・・・・・・・・・世間の規範、常識を逸脱した人に関わる異常な出来事。

     見出し・・・・・・・・・把握力と修辞力の結晶。

     談話・・・・・・・・・・記事の論または信憑性を補うための方途。または、記事の権威付け。

     雁首・顔写真・・・主役と道化。または、栄誉と憎悪と同情の対象。

     やらせ・・・・・・・・御都合主義。

     特ダネ・・・・・・・・特オチの悲哀の側面を生じさせる記者の喜びの一端。

     被害者・・・・・・・・同情の眼によって俎上に置かれる相対者。

     加害者・・・・・・・・被害の認識が生じるとき見られる相対者。

     現場・・・・・・・・・・当面して真実を探る記者たちの苦闘の場。

     表現の自由・・・・責任の伴うことを忘れるな。

     醜聞・・・・・・・・・・血を見ずして人を殺める言葉の刃物。滑らかなるを常とする。

     プライバシー・・・すべての人格が秘かに所有して負うところの内実。

     ファッション・・・・・美しく誇示しようとする欲望の表現。

     思想・・・・・・・・・・例えば、我が清潔な掌にある。

     世の中・・・・・・・・例えば、赤橙黄緑青藍紫。赤外と紫外も連想せよ。

     推理・・・・・・・・・・崩せない砦に向かって逞しくする想像。

     客観性・・・・・・・・同病あい哀れむものの間においては決して発展しない属性。

     主観性・・・・・・・・これを捨てて人は十分に生きることは出来ない。

     硬派・・・・・・・・・・知性に訴える形の記事。

     軟派・・・・・・・・・・情感に訴える形の記事。

     スポーツ・・・・・・・肉体的見地。如何に精神のことを言えども。

                                                                                       ~次回に続く~

  

 


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2014年02月17日 | 写詩・写歌・写俳

<898> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (61)

       [碑文1]      足引きの山かも高き巻向の岸の小松にみ雪降りけり                                        柿本人麻呂歌集

        [碑文2]      纏向之桧原もいまだ雲ゐねば子松が梢ゆ沫雪流る                                                    同

 この碑文1、2の短歌は、『万葉集』巻十の冬の雑歌の項の2313番と2314番に見える『柿本人麻呂歌集』の歌で、原文では碑文1の2313番の歌が「足曳之 山鴨高 卷向之 木志乃子松二 三雪落來」とあり、碑文2の2314の歌が「卷向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流」と表記されている。

  ともに叙景歌で、2313番の歌は「足曳之」が「山」にかかる枕詞で、「卷向」は纏向(卷向)川ではなく、卷向山と見るのがよかろうか。ここに詠まれている「岸」は、川岸というよりも、山裾が切り立って見える状態のところをいうものという見解がある。当地を歩くと、後者のように思われる。

                                                                     

  2314番の歌は、歌碑に「纏向」と見えるが、原文は「卷向」とあり、これは纏向遺跡などとも言われ、この一帯を示す地名で、「纏向」も「巻向」も同じと見ていることによる。「檜原毛未 雲居者」は「桧原もいまだ雲ゐねば」と読まれ、この「ねば」は逆説の既定条件を表し、「ないのに」というほどの意になる。また、両歌に見える「子松」は「小松」とも語訳されているが、この「子松」は小さい松というよりも、老木でなく、大きくとも枝葉の瑞々しい若木の松をいうものではないかと思われる。

 碑文1の2313番の歌は、「高い巻向山がある。その麓の急斜面になったところに生える松に雪が降って来るなあ」というほどの意になる。一方、碑文2の2314番の歌は、「巻向の桧の原には未だ雲がかからないのに、子松の枝先を沫雪が流れるように降っていることだ」という意に取れる。

  碑文1の歌碑は、数学者岡潔の揮毫によるもので、JR桜井線(万葉まほろば線)巻向駅から東へ向かい、国道一六九号を越えて、県道五〇号(大和高田桜井線)を十数分歩くと山の辺の道と出合うが、そこから少し行った箸中車谷の纏向(巻向)川に近い民家の傍に建てられている。道なりにずっと先へ進んで行くと、纏向(巻向)川の三輪山と穴師山の谷筋に入り、その奥に巻向山があって、川沿いの県道は大和高原の笠に抜ける。歌碑は雪の日に訪れたため綿帽子をすっぽりと被ったような姿に見えた。

 碑文2の歌碑は、国文学者山本健吉の筆によるもので、笠に抜ける県道から山の辺の道を北に向かい、穴師の里に入って、穴師坐大兵主神社(あなしにますだいひょうずじんじゃ)を目指して坂道を登り、山裾の鳥居を潜ると、相撲発祥の人物として知られる野見宿彌(のみのすくね)を祀る相撲神社があり、その神社の境内に建てられている。

  ここは、垂仁天皇の御前で野見宿彌(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)が初の天覧相撲を取ったという伝承地で、その跡とされるところには注連縄が廻らされているが、そのすぐ傍にこの歌碑は見える。碑文1の歌碑と同じく、この歌碑も雪の日に訪れたので雪を積んでいるのが見られた。

  柿本人麻呂には檜原から巻向辺りの歌が多く、十数首にのぼる。これについては、人麻呂がこの辺りに住んでいたか、あるいは、妻が住んでいて足繁く通っていたためかと言われる。果たしてどうであったか。とにかく、この一帯には人麻呂の歌碑がやたらに多い。今回はその歌碑の中で、雪を詠んだ二首の歌碑を採りあげた次第である。

             

  それにしても、人麻呂のほとんどの目線、意識の先が巻向や檜原に向けられ、見晴らしのよい国原、つまり、西方の金剛・葛城・二上、それに信貴・生駒の山並の方に向けられていないことが指摘出来る。当地に立って思うにこれは何とも不思議なことである。

  上段の写真は左が雪に埋もれた碑文1の歌碑。右が相撲神社境内の歌碑。下段の写真は左が井寺池の上池を手前にして望む三輪山(右)と巻向山(左奥)。この辺りに松が多く見られたのだろうが、今は皆無の状態である。右は檜原付近から望む大和平野(手前は纏向遺跡の一帯。後方は二上山)。   巻向も 檜原も雪に 歌碑 埋もる

 


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2014年02月16日 | 写詩・写歌・写俳

<897> 所 感

          移りゆくのが 世の常だ

     継がれ 継がれて

     みんなゆき

     今を生きいる ものがいて

         この世のすべては

     成り立っている

     見よ 生れ来るものたちを

     見よ 老いて逝くものたちを

     どちらも この世の真実だ

     どちらも 自然の現れだ

     この世は つまり 時の旅

 芭蕉は『奥の細道』の冒頭に、この旅の決意を「漂泊の思ひ」と題して述べているが、その末尾に「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家 」の一句を掲げている。この句は、住んでいる草庵を人に譲って旅立つことを言っているものであるが、移り代わるのが世の常であるという思い、言わば、生に対する諦観を詠んでいると知れる。

 時の流れ、時代の移り変わりは何処にもあって、「住替る代」はいつの時代にも言えることで、この言葉は普遍性をもってあることが言える。私が今住んでいる住宅地でも、十年前と今とでは住む人も年を取るだけでなく、随分様変わりした。高齢者は一人二人と姿を消し、住む人の代わった家も見られるかと思えば、誰も住まない家も現われるという様変わりが見られるに至っている。だが、それも遠くなく、建てかえるかどうかしてまた新しい人がそこには住むようになるのであろうと思われたりする。

                  

 花はいつまでも花にあらず、果実を結び、次に繋げて行く。生きとし生けるもの、その姿に違いはあってもこの世の時の流れる中において生き行く姿は概して同じようなものであることが言える。花も斯くあれば、人もまた斯くありで、人の世にもその生の変遷の姿が見られるところであり、芭蕉が庵に掛け置いて旅立った発句の表すところも同じくあることが思われる。これはみな私たちが時の旅人であるからで、芭蕉は『奥の細道』の旅にこの人生の姿を実地に感得すべく旅立ったのだと思う。

 今日の大和は久しぶりに陽光の溢れる一日になったが、昨日、雪の中に冬の花である蝋梅の香りのよい花を見、猫柳の類が花芽を見せ、冷たさの中にも春を告げる姿に、この時の流れの非情なれども公平さをもってあることが、人の世の営みに重ねて思われたのであった。

 今、開かれている冬季五輪でも言える。若い世代の台頭、メダルラッシュが報じられ、こういうところにも時の流れがあって、代替わりが進んでいると感じられる。これが時の流れ、時代の移り変わりというものであろう。どんな人生にも輝かしい頂点の時があり、その頂点がどの年代で発揮されるかは個々それぞれであるが、人生に時の流れはつきもので、その時は刻々と過ぎて行く。この点が雪の中で思われて来たのだった。

 輝くものに乾杯を。去り行くものに労いの言葉を。そして、また、来るものに温かな励ましを。時の流れにあるところ、この時の流れこそがすべての生における真実であり、自然の現われであると思うことではある。 写真は雪を被って咲く蝋梅の花(左)と寒さの中で花芽を連ねる猫柳の類の枝(いずれも、桜井市穴師で、十五日写す)。

 


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2014年02月15日 | 写詩・写歌・写俳

<896> 雪 景 色

        雪もよし 大和 国中 奈良盆地

 今日もどんよりとした日差しのない冷たい日で、昨日積もった雪はほとんど融けることなく残って、奈良盆地の大和国中(やまとくんなか)は終日雪景色だった。珍しいことで、来週末にはまた降るかも知れないという。昨日は雪の斑鳩三塔巡りで歩いたが、今日は桜井市三輪の檜原から穴師付近を歩いた。いつもは車を使うが、今日は雪道のリスクを避け、JRの万葉まほろば線を利用して出かけた。

             

  卷向駅で下車し、穴師から檜原の辺りを一周した。春になると山の辺の道などを歩く人たちの乗降も見られるのだろうが、今日は雪とあって、中高生や主婦など地元の利用者がほとんどだった。二両編成のワンマン電車で、巻向駅は無人駅だった。駅から檜原辺りまで歩くと大和平野が開けて一望出来るが、今日は一面雪景色で、冒頭の句を得た。では、今一句。  写真は屋根に積もった雪と雪景色の奈良盆地の平野部。後方は信貴生駒山系の信貴山辺り(桜井市穴師から写す)。   雪敷いて 大和 国中 盆の底   


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2014年02月14日 | 写詩・写歌・写俳

<895> 雪の斑鳩三塔巡り

       雪の朝 斑鳩三塔 またの景

 大和地方は十四日未明から降り出した雪がほとんど止むことなく降り続き、積雪量は深いところで二十センチ前後に達する記録的な大雪になった。スリップによる車やオートバイの事故が起き、怪我をする人も見られたようで、ニュースになった。大和平野の雪は、大体、午前中に止み、午後には融け出すことがほとんどであるが、今日の雪は本格的で、積もり続け、融けて消えることはなかった。奈良では珍しく大雪警報が出され、小、中学校では午後から休校になった。

      

 このように、今日は大雪ということで、ひたすら歩き、雪の斑鳩三塔巡りを試みた。まず、法隆寺。二月は人出の少ない時期であるが、今日は一段と少なく、雪の撮影のため訪れている人が目についた。中門の仁王の阿吽像だけは、降る雪にも変ることなく、睨みを利かせて立っていた。風がないためか、塔の先端の相輪にも雪の積もっているのが見られた。

 八角堂の夢殿を見て、天満池方面から法輪寺に向った。雪は止むことなく、法輪寺も降りしきる雪にすっぽりと被われ、普段とは違った塔の姿が見られた。お寺の周りを歩いて、東西から塔を入れた雪景色をカメラに収めた。そこから東へ約一キロの法起寺に向った。高浜虚子の『斑鳩物語』では一面に黄色い菜の花畑が広がる風景だが、今日は一面真っ白な雪の世界である。

  雪は全く止みそうになく、ときに激しく降ることもあった。雪が一面に積もった田んぼを前景に法起寺の塔を撮る人が何人か訪れていた。この塔は他の二塔と違って、開けた田んぼの傍にあるので、田舎らしさがあり、雪景色にも田舎の塔という感じがあった。復路は別の道を選んで、法隆寺まで帰った。約三時間の歩きだった。 写真は斑鳩三塔。左から法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔。 

    雪の日や塔の眺めも雪のなか   雪の日や子らの声する懐かしく    雪の日や家々潜みゐるごとし   雪の日や雪は静かに降るがよし