大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年11月25日 | 写詩・写歌・写俳

<450> 初 冬 を 歩 く

       冬晴れや 国中大和の 広さかな

  二十五日の大和は晴れ渡った天気になり、凛とした大気感があって、歩きたくなり、夫婦で葛城市の當麻の里に出かけた。二上山の麓の道の駅「ふたかみパーク當麻」まで車を走らせ、道の駅から當麻寺までの往復を歩いた。當麻の里は大和平野の西端に当たるところで、東に向って平野がずっと広がり、青垣の山が遠く垣根になって連なる景色が晴れ渡った空の下に見られ、肌に心地のよい大気感とともに清々しい気持ちで歩くことが出来た。

  三連休の最後の日に天気が回復し、みんな出かける気になったのではなかろうか。道の駅は車が入り切れないほどの盛況で、一時は待機の車が列をなすほどに連なった。道の駅からは二上山に登る人も多い。今日は紅葉が真っ盛りで、山は最高だろうという気がした。私たちは里を歩くのが目的だったので、当麻寺の本堂を目指した。歩くのに主眼を置いていたので、途中寄り道をせず、寒ボタンには少し早いということもあって、石光寺も門を潜ることなく、歩き通し、里の初冬を味わった。

                                                               

  二時間ほど歩いて、道の駅まで引き返し、そこで昼食にした。このところよく外食をする。この間も大宇陀の道の駅で昼食にした。道の駅は地元の産品を並べているのが特徴で、食堂を併設し、メニューにもその土地の特色が出るように工夫されているところがある。この地産地消の工夫が道の駅の盛況に繋がっているようで、「ふたかみパーク當麻」でも、奈良だけでなく、大阪方面から足を運ぶ行楽客が多いように見受けられる。

  とにかく、今日はいい天気に恵まれ、気持ちのよい歩きが出来た。  写真は紅葉真っ盛りの二上山と當麻の集落。(山は高い方が雄岳で、低い方が雌岳)。右の写真は石に刻まれた道標。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小箱集

2012年11月24日 | 写詩・写歌・写俳

<449> 落 葉

        落葉敷く 虫には新たな 衾なり

  この時期、山道を歩くと、落葉がびっしりと散り敷いた場所に行き遇うことがある。まだ、誰も歩いていないようなところでは新しさがあって温もりさえ感じられたりする。足を踏み入れてそこを歩くと、弾力があってかさこそと音がし、心地のよいものが伝わって来る。虫たちには驚かせることになるだろう。そういうところもあるが、この落葉の道はとにかく心地のよいところがある。

 落葉は主に落葉樹が冬に向う前に葉を落とすもので、紅葉(黄葉)して、その後に散り落ち、時が経つと茶色くなって色褪せ、遂には土に帰る。すっかり葉を落とした木々は裸木となり、日差しがよく通るようになって落葉が散り敷く地上にも及び、明るく暖かなところが目立ち、山道などでは見通しがよくなって、風景も一変する。

 冬の間、この落葉の散り敷いたところは、小さな生きものたちにとって、重なり合う落葉が衾になって、寒さから命を守る役目を果たし、落葉は次第に朽ちて土に還る。落葉の衾に馴染んでいる間に冬を越し、暖かな春が来るという具合で、自然というのはよく出来ているということが出来る。

 私は、この落葉して見通しのよくなった山道を歩くのが好きで、ときどき出かける。天気のよい日は歩きがいっそう楽しめる。これからがその落葉した里山の絶好の時期である。夏だったら一キロも歩かないうちに汗を掻いてしまうが、この時期はタオルが必要にないほどで、この点も歩くのに適していると言ってよい。

                          

 ところで、「落葉」という言葉について、和歌の世界ではほとんど用いられておらず、「明日香河もみち葉流る葛城の山の木の葉は今し散るらむ」(『万葉集』巻十秋雑歌2210 詠人未詳)と詠まれているように、木の葉の散る様子に関心が持たれ、散り敷いた落葉にはあまり意識の及んでいないのがわかる。

 例えば、「枯れはつる落葉がうへの夕時雨そめし名残の色や忘れぬ」(『玉葉和歌集』巻六冬 864 前参議忠定)というような例も見られなくはないが、それはわずかで、俳句の使用頻度に比べると、少ないのが見て取れる。この「落葉」という言葉が、和歌に比べ俳句に多く見られることについては、「おそらく和歌と俳諧との性格の相違で、より短い詩型において簡潔な熟語、体言への欲求が、暗黙のうちに強まった」(『日本大歳時記』「冬」山本健吉)からではないかという見解がある。言われてみると、そのようにも思えるが、落葉自身に意識が及んでいなかったということがやはり気になるところである。では、「落葉」の例句を『日本大歳時記』に見てみよう。

    拾得は 焚き 寒山は掃く 落葉                芥川龍之介                                       

    わが歩む 落葉の音の あるばかり                 杉 田 久 女

   


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2012年11月23日 | 祭り

<448> 吐山の太鼓踊り

       蜜柑売る 店いっぱいの 蜜柑色

 二十三日は奈良市東部の都祁吐山町で、雨乞い踊りの一種である太鼓踊りが行なわれ、その踊りを見学に出かけた。途中、袋詰めにしたミカンをいっぱい並べて売る店の前を通った。昔ならば、買ったかもしれないが、今は夫婦二人だけの生活で、食生活の見直しもある。で、ミカンもそれほどには食べなくなった。しかし、みかんがいっぱい並ぶ店先を見ていると昔が思い出されたりして気分は動くことになる。いや、これは余談である。結局、正月には早いし、家内の意向も聞く必要があるので、気分は動いたが買わず、目的の場所に向かった。

 今日の目的は吐山の太鼓踊りである。いつもは地区内の下部(おりべ)神社の境内で行なわれるが、今日は朝から冷たい雨模様で、太鼓を濡らすことは出来ないということで、近くの吐山小学校の体育館に会場を移して行なわれた。

                                             

 この踊りは水不足に悩まされていた昔、岳(だけ)に登って天神(龍神と思われる)に雨を降らせてもらうように太鼓を打ち鳴らして踊ったのが始まりであると言われ、雨が降らず困っているときに行なわれたので、いつといった決めている日はなく、不定期に行なわれて来た踊りであるが、潅漑が行き届いた近年は雨乞いをすることもなくなったことから、新嘗祭の日に当たる勤労感謝の十一月二十三日に行なわれるようになったという。

 今日は旧吐山村の九垣内(地区)を代表して五基の太鼓が持ち出され、青と赤の大きな垂(しで)が振られ、囃し手の音頭に合わせて次々に太鼓踊りが披露された。男衆を中心に、吐山小学校の児童や都祁中学校の生徒たちが加わり、踊るように太鼓を打ち鳴らした。天気がよければ、近くの下部神社で奉納という段取りだったが、今日は体育館で行なわれ、披露の形になった。

                                              

 踊りが始まると、館内に太鼓の音が響き渡り、岳に登って太鼓を打ち鳴らし踊って天神を驚かせ雨を降らせたという昔が思われた。江戸時代には既に行なわれていたようで、岳信仰の一つの形ではなかろうかと思われる。踊りは徐々に変化し、一時は中断もあったようであるが、復活して昔の面影を今に引き継ぎ、貴重な伝統の行事として奈良県の無形民俗文化財に指定されている。ところで、この太鼓踊りも、最近は参加する若い衆が少なくなり、七基の太鼓が今年は五基の登場になった。

 昔は大人ばかりでやっていたが、最近は踊り手が少なくなるのにともない保存会を立ち上げ、小学生にも参加を求め、今年からは中学生も加わり、女子の踊り手も見られるようになり、町ではこの伝統行事を絶やさないように努めているのがうかがえる。言わば、この山間の都祁吐山町にとって、太鼓踊りは単なる昔の行事ではなく、地域の絆に大きく関わっていることが言えるようである。

 


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2012年11月22日 | 写詩・写歌・写俳

<447> 電車図書館

       着くまでの 四十五分間今日も 電車図書館 異郷への旅

 この歌は私が勤めをしていた二十年ほど前に作ったもので、通勤は電車で一時間ほどかかったが、その車中での状況を詠んだものである。電車では新聞に目を通す人、雑誌をめくる人、参考書に見入る人、文庫本に釘付けの人、中には分厚い単行本を膝に置いて読んでいる人もいるといった具合で、それはさながら「電車図書館」と呼んでよいような光景だった。

 私も電車の中ではよく本を読んだもので、読みながらよく思いの中に逸れて、ときには本を仲立ちに異郷への旅を試みたりした。その旅はいつも中途半端に終わったが、旅を試みる「電車図書館」のひとときは楽しいものだった。疲れているときは、読む気力がなく、異郷への旅も中止して寝たりしたが、ほどよい電車の揺れが眠りを誘い、心地のよいものがあった。

 この「電車図書館」がこのところ様相を変えて来た。電子図書化も進んでいるようであるけれども、電車の中の光景が変わって来たのである。それは、本や雑誌や新聞の代わりにインターネットと連動した多機能型携帯電話のスマートフォンなどに見入っている乗客が極めて多くなったことである。

 これは通信機器の発達とデジタル化の影響するところであるが、この光景はほかでも見られる。例えば、携帯電話は写真の機能を有し、誰もがいつも肌身離さず持っているので、これは総カメラマン化と言ってよく、祭りの雑踏などでも、見物する人たちがみなカメラマン化しているのがわかる。そして、撮った写真はパソコンとインターネットの機能によってすぐに目的のところへ伝達出来るようになっている。

                                                         

 この間も秋祭りを見物に行ったら、テレビのカメラが何台も見えるので、放送局が取材に来ているのかと思っていたら、それはみんなアマチユアだった。要は、それを趣味にして遊んでいる連中だったというわけである。多分、インターネットの専用サイトなどに祭りの映像を乗せるのが目的なのではないか。そのほかにも、カメラ代わりの携帯電話を手にかざして見物する人たちがみんな撮っていた。昔では考えられない光景である。

  電車の中でスマートフォンを操る乗客の光景もこのような祭り会場に見られる総カメラマン化の状況も、これはデジタル化とインターネットという情報ネットの進展によるもので、この技術における影響力は産業革命にも匹敵するものと言ってよかろうと思う。この小さな掌中のメカをみんな当たり前のように使っている。このメカが文明を変えつつあることは確かなことである。

 このような状況に至っては「電車図書館」の光景を詠んだ歌は昔語りで、今日では通用しないと言わざるを得ない。が、敢えてこの古い歌を紹介したのは、アナログの時代からデジタルの時代への転換期に身を置き、やって来た証として示して置きたいという気持ちがあったからである。と同時に、この技術的革新の基には喜びを喜びとし、悲しみを悲しみと見る普遍の人間性というものがあることを忘れてはならないという思いが一方にあるからである。

  これは、写真がフィルムレスの時代になったのと軌を一にするものと言ってよく、アナログ時代のエースであった古老たちも見えた「電車図書館」の光景の中に一つの自負と愛着があって、技術に追いやられたその過去に思いを致す気持ちがあったからである。時にメカの安易に流されるような場面に出会ったりすると、アナログ時代の懸命な共同作業などが思い起こされ、熱いものが湧いて来る。そのようなとき、「電車図書館」の光景はふっと心の中に点るのである。

 


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2012年11月21日 | 写詩・写歌・写俳

<446> 二つの便り

       生はそれぞれ 我が生も その生の それぞれとともにある 一つの生である

       この我が生は みんなの それぞれの生と それぞれに 繋がりを持ってある

 昨日、二つの便りが届いた。一つは高齢者の作品展で、写真の部門に出品した八十歳に近い知人が夫婦して入選を果たし、その喜びの報告をして来たものであり、今一つは私と同年代の夫君を亡くした奥様からの賀状欠礼の挨拶状である。二つはまさしく明暗を分けた内容であるが、齢を重ねて今に至る我が年齢における関わりとして受け止め得る人生の一端が思われたのであった。

 写真展入賞の方は、産品を並べた農家の店先で撮った奥様の方の「笑顔」の写真が最優秀賞に選ばれ、そうめん流しに興じる子供たちを撮った知人の「孫の夏休み」が優秀賞に選ばれたということで仲良く展示されている写真付きであった。

 一方、訃報の方は、まだ亡くなるには早い年齢であるからびっくりであった。賀状欠礼の挨拶状は毎年、二、三枚は届くけれども「夫」が当事者というのは初めてである。言わば、私もその年齢になったということである。人のことなど言えた義理ではない。私も心筋梗塞で手術を受けた身。命が危なかったことを思うと身につまされる。

                                         

 この明暗二つの便りを手にしたとき、人生がそれぞれであると思うのと同時に、それぞれの人生がそれぞれにあってこの世の光景は展開しているとも思われたのであった。そして、それぞれはそれぞれにあって関わりを持っているということが感じられた。夫君を亡くした奥様は悲しみに暮れながらも、夫君の始末をきっちりとこなしている。仲良く受賞した老夫婦も夫婦の姿であれば、夫君を亡くした奥様に見る夫婦も一つの夫婦であり、夫婦像というものが感じられたことではあった。

 以上のごとく、二つの異なる便りを手にして思うことではあったが、我が年齢にして夫婦というものに思いがいった次第である。生はそれぞれで、一人一人異なっているものであるが、そのそれぞれがみんな何らかの形で繋がっている。その最たる関係が夫婦というものであろう。歳が行くとそれが殊更に思えて来るということであろう。

 二つは明暗を異にする便りであったが、そこには夫婦の夫婦たる形が滲み出ていて一種心を動かされるところとなり、ここに紹介した次第である。写真は左が夫君の逝去を知らせる奥様からの賀状欠礼の挨拶状。右は高齢者文化作品展に入賞した知人からの報告の便りである。