大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年09月29日 | 写詩・写歌・写俳

<757> 所 感  (1)

          来し方を もっていまある この身とは 行く末を指し ゆく身でもある

 私たちはみな住処を拠点に日々を営んでいる。そして、自分を中心にした方位をもって存在している。普段はあまり気に止めないが、私たちは常にこの東西南北という方位を有して存在している。いくら移動してもこの方位というのは必ずついて回り、どこにおいても東西南北をもってあり、あらねばならない。これを逆に言えば、私たちはみな東西南北の方位に統べられながら存在しているということになる。これは、私たちがどんなに動き回って移動し、どこに位置しても、この地球上にある限り、東西南北の方位から逃れることは出来ないことになっていることを物語るものである。

  このことを思うとき、今一つの道理を思い描くことが出来る。言わば、地球上では、いまここに位置しているものが東に向かえば、いまある位置は西になり、さらにずっと東に向かえば、いまの位置は東になり、さらに向かえば、いまの位置(もとの位置)に戻ることになる。反対に西に向かえば、いまある位置は東になり、さらにずっと西に向かえば、いまの位置は西になり、さらにずっと向かえば、いまの位置(もとの位置)に戻ることになる。

  これは地球が丸いからで、南北にも言えることはもちろんのこと。西が東に、東が西になるのは地球を半周したときだが、私たちはこのことに案外気づかずにいる。私たちにとって地球があまりにも大きく、普段意識することなく過しているからにほかならない。また、私とあなたの位置関係においてあなたから私が東にあれば、私からあなたは西にある道理で、そういう二人の位置関係というものがこの地球上にはいたるところに輻輳してあることもまた考えられるところである。

                                                                             

  冒頭の短歌から、この方位について、一つの思いに至った。方位に対するあこがれというのは、彼岸(理想郷)への思いに似ている。例えば、東にあこがれ、東に向かったとする。すると、元の位置は西になり、移動したそこにはなお東があり、その状況はどこに移動しても生じる。そして、移動をずっと東に続けて行けば、ついには元の位置に戻るわけで、地球上というのはそういう仕組みになっている。反対に西に向かえば、元の場所は東になり、以下は東に向う状況と同じことが言える。東西南北どの方角を目指してもこのことははっきりしている。

  つまり、地球上のどこに位置していても東西南北(方位)三百六十度の気を有して私たちは存在している。彼岸とは今(現在)にあって、時の彼方に夢見る理想郷と言ってよいが、方位へのあこがれがこの彼岸への思いに似ているというのは、彼岸が彼岸に達したと思う瞬間に此岸(現実)になり、彼岸はなおその先にある道理の永遠性にあるからで、どこまで行っても東西南北の方位というものはあって、更にその先にもこの状態はあるということ、このことを示しているということになる。言ってみれば、人生は時の旅で、私たちは彼岸に悲願を込めるように、東西南北の彼方にまた同じく夢を抱く次第である。

  これらのことを踏まえて、冒頭の短歌に戻ると、来し方をもってある私たちは行く末をもって今ここにあり、来し方にあったときも東西南北を有し、東西南北に統べられながらあったように、これからも東西南北に関わりながらあらねばならないことが思われるわけである。そして、それは、いつどこにあっても地球上では東西南北の方位から逃れることが出来ないことを言うももで、受け入れざるを得ない仕組みになっているということである。

  それは、今の位置がよくないと認識していずこかへ移動しても、なお東西南北の気に支配されているのであるから、その影響を免れずあることを示唆するものである。このことは今の位置で精一杯に生きることの大切さを物語るものと言ってよく、あこがれの気持ちを持つことは生きる目標として大切ではあるが、今の時と所が基本にあって過去も未来も成り立つことを思えば、今の時と所が大切なことが道理として言えるわけである。

  また、彼岸については、時空間の彼方にあるものと思われがちであるが、これはむしろ自分自身の心のうちにある思いと見た方がよく、常にそこが出発点になっていると考えるべきである。例えば、チルチルミチルの青い鳥の話がある。幸せの青い鳥はどこに行けば見つけることが出来るのだろうと、チルチルとミチルは東へ行ったり西へ行ったり探し回ったけれど、どこにも見当たらず、自分の家に帰って気づくのである。幸せの青い鳥は自分の家にいたという次第である。写真はイメージ。  ~次回に続く~

 

 


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