<1031> 反 戦 の 歌
H二十六年七月一日に 引鉄引きし汝等のあり
今日七月一日、自衛のため以外はいかなる場合も他国と戦いをしないという日本国憲法、所謂、平和憲法の解釈を自民、公明の現政権は国民にその意思を問うことなく変更し、戦争の出来る国にする「集団的自衛権行使の容認」を閣議決定した。憲法を改めるにせよ、憲法の解釈を変えるにせよ、憲法に関わることは決められた手続きによってなされなければならない。これが立憲民主国の姿である。それを一政権の都合によって決めることは出来ない話であるが、強引に決めてしまった。これは独裁的政治に近く、立憲民主国の立場を日本が放棄するに等しいと言ってよい。これは、大統領の任期を変えたプーチン政権や北朝鮮の独裁政治などとそれほど変わるものでない強権の姿であり、立憲国からすれば、政治の暴挙と言わざるを得ない。我が国の政治史上における汚点として後世にも語り継がれるだろう。
この閣議決定は、政治家というものが、現況に執着して未来が見通せないところで政治をしていることを示すもので、国民の行末よりも自身の保身を優先していることがうかがえる。平和の党を理念に掲げている公明党の行動がそれをよく物語るところであるが、それ以上に安倍首相自身の行動が保身の権化に私には見える。戦後レジームからの脱却を謳い文句にしているが、我が国の戦後レジームは米国の影響によってなされて来た。首相が戦後レジームからの脱却を言うのであるならば、安倍政権は米国との関係を見直してかかるべきであるが、それが出来ないどころか、一層、米国に近づいて、米国の尻尾につくようなところを見せている。これは戦後レジームからの脱却ではなく、むしろ、戦後レジームの深化を目指しているというべきである。
それに今一つ思えるのは、安倍首相には短命であった第一次安倍内閣の「美しい日本」というお題目におけるやり方の失敗を学習した自らの保身がそこには見え隠れしていることである。言わば、日本の政治を左右しているのは官僚プラス米政権によるところで、政治家はそれに乗っかっているだけのことである。今回の件においても、一見安倍首相の信念のように見えるが、それは彼の政治的信念に基づくものではなく、保身、つまり、政権の長命を保つやり方をとっているに過ぎない。短命だった当時に保身の術を学んだという次第が現在の姿にはありありと見て取れる。
よって、米国が待ち望む集団的自衛権行使の容認は決まったも同然で、自衛隊(国民)を戦地に送り出す策謀はなった。国民の意思を蔑にするようなやり方はほかにも見られる。国内では言っていないことを、海外に出て口にし、それを帰国後の口実に話を進めて行く。外国と約束したことだから変更は利かないというやり方で国民を説得する政治手法である。今回の閣議決定もその類に属す。「美しい日本」という理念はどこに行ってしまったのか。もともとそのような理念などなかった人とも言える。国民の声を聞かず、このような重要な政策を一政権が勝手に決めることは他人に耳を貸さない美徳のなさの現われにほかならず、美徳のない美しさなどないから、これはやはり、批判されて然るべきだと言える。
少しきついように思えるかも知れないが、この程度のことは、この際、言って置いた方がよかろう。どちらにしても、評価は端倪を許さない時が審判を下すだろう。思うに、この閣議決定は憲法違反の可能性が大いにあるから、司法の場に提起して裁判にもって行くのも一つの方法である。これは研究に値する。無謀なようにも思えるが、無謀には無謀なくらいのことで対処しなくてはならないところである。閣議決定でことが納まるような質の問題ではないのであって、国民はもっと意見を発して行かなくてはならない。それくらいこの問題は国民にとって重要な問題なのである。この問題は将来徴兵制の復活に繋がることを見通さなくてはならないことを含んでいる国民には由々しきことなのである。自分の子息を戦場に赴かせてもよいのかということもこの集団的自衛権行使の容認の問題は含んでいることを考えに置かなくてはならない。
少し前書が長くなってしまったが、閣議決定された集団的自衛権行使容認という憲法解釈に反対して、以下に、これまで、ときに触れて詠んで来た我が反戦の歌を紹介したいと思う。 写真は集団的自衛権行使容認の憲法解釈を閣議決定後、記者会見する安倍晋三首相(官邸の記者会見場で、テレビ中継による)。
疑問符を付して世界を眺むれば人間醜悪説に傾く 現在を歩めるものとして問はむ正しきところに向かひてゐるか
現代の文明のみが正しきかたとへば核といふ傘の中 (うち) 作るもの売るもそして使ふもの同じ構図の上に武器あり
空爆に廃墟と化せし国日本「空襲」は死語と言へるかどうか 大義とはあるは横暴なりしこと例へばありて戦火はありぬ
国連の連に連なる一日本平和の主張貫くがよし 実戦は思考を越ゆる悲しくも汝の命の重さにおいて
一人の死一人の重さかくはあり同じ重さを万民よ知れ 戦ひがまた始まると誰か言ふ蠢くものの闇を撃つべし
論陣の拠点における平和主義すべてのものが武器を捨てよ 殺られてはたまらぬものの側に立つ戦争肯定論に叛旗の
一切の武器を持たざるものとして思惟の力を恃む声あり 武器により守られゐたる平和には武器を頼みとするものの声
平和とは正反対の武力にて守られ行くか戯画のごとなり それぞれが国を定めてゐる不思議地球は一つの球体にして
一人の死千を重ねて千人の死となる一人一人のその死 すぐ武器を持たねばならぬものたちがゐる累々と歯痒き世界
如何にせよ戦ひなどは止せとこそ人の殺し合ひなる不毛 人を殺め何の論なる血の飛沫聖戦戦捷戦果を言へど
中東に危機深まるといふニュ-ス叫べ反戦 鳳仙花咲く 武器を捨て戦ひを止めそこよりの半歩即ち次代へ夢
軽々と人を殺める銃口の引鉄を引く指を思へよ 大義とは何に寄り寄る大義にや人を殺めていかなる大義
如何なるが進歩か兵器思ふとき反比例して世界は暗し 戦勝も戦果も要らぬ人にして人を殺むるものにしあれば
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