大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年03月16日 | 写詩・写歌・写俳

<1538> 縁 (えにし)

     人生は 縁の何ものにもあらず よしあしあれど すべては縁

 このほど、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑が建てられている斑鳩の里、法隆寺境内の鏡池の傍にツバキの苗木が植えられた。子規の出身地である松山市と法隆寺の所在地である斑鳩町がこの句を元に交流し、先月、法隆寺において「観光・文化交流都市協定」を結んだのがきっかけで、松山市がツバキの苗木四株を法隆寺に贈ったことによる。

                             

 ツバキは松山市の市花で、法隆寺を創建した聖徳太子が伊予に行啓したとき、道後の湯(道後温泉)の地にツバキが多く見られ、みごとだったことに感嘆したという逸話が伝えられ、道後のツバキはその昔からよく知られ、『伊予風土記』にも登場を見ると言われる花木である。子規もツバキには心惹かれるものがあったようで、「順礼の杓に汲みたる椿かな」とか「いもうとの袂探れば椿哉」といった句など、多くのツバキを詠んだ句が遺されているといった具合である。

 つまり、松山市と斑鳩町が交流を深めるきっかけになったのは、子規と太子の縁(えにし)によるもので、これにカキが関わり、ツバキが関わっているということになる。そして、その背景に名高い道後温泉と法隆寺があるわけで、言わば、道後温泉と法隆寺とによる縁とも言えるわけである。

 来年は子規生誕一五〇年に当たり、一方の法隆寺は五年後の太子一四〇〇年御遠忌を控え、より連携を密にしてともに発展したいという意気込みが、今回の協定の趣旨にはあるようで、この両者による「観光・文化交流都市協定」も、やはり、上述するところの縁が言えるように思われる。

  植えられたツバキの苗木は人の腰高くらいであるが、既に花をつけている株も見られ、月日を経て、伊予の子規椿とでも名づけられ、句碑に花を添えることになるのだろう。 写真は法隆寺境内の鏡池の傍らに建てられた「柿食へばー」の句碑(左・後方の石灯篭の傍にツバキの苗木は植えられている)と句碑の近くに植えられた松山市から贈呈のツバキの苗木(右)。

 


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