大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年10月07日 | 写詩・写歌・写俳

<1382> コスモス

         コスモスの ひ弱に見えて 勁きこと

 多くの草木に言えることであるが、一見ひ弱そうに見えて、案外強いということが花を求めて歩いていると実感されることがある。増水すれば濁流に曝されるような渓流沿いの岩場のわずかな隙間に生えたりするアワモリショウマというユキノシタ科の多年草があるが、このアワモリショウマがよい例で、細くてしなやかな茎は一見すると実にひ弱そうに見えるが、針金のような強さが具わっており、激しい濁流に弄ばれながらもその茎は切れることなく花を守っている姿が見られる。どのくらい強いか、一度試したことがあるが、素手では痛くて切れなかった。

 この間のコスモスにも言える。爆弾低気圧の通過によって台風並みの強風が吹き荒れ、ほぼ満開に近かったコスモスが一面に倒れ、今年の花はもう駄目かと思われるほどの状態に陥った。ところが、ここ四、五日の間に倒れた状態から力を振り絞るように花芽を立て次々に花を咲かせている。元通りとはいかないが、また、花がついて何とか見られるように回復して来た。

       

 これはコスモスの生命力によるところで、花を取り戻したということである。コスモスはメキシコが原産地のキク科の一年草で、風のよく通る高地の草原に生える。その環境に適合しているからだろう。茎は細くしなやかで風をやり過ごすことが出来る。この間のような強風には煽られて倒れはするが、枯死するまでには至らない。このようにコスモスは高地の環境に鍛えられ、その長い間に培われて来た力によってあの強烈な爆弾低気圧の強風にも耐え忍ぶことが出来たのだと思う。

 写真は左が爆弾低気圧の通過する前のほぼ満開になった一面のコスモス。中は爆弾低気圧の強風のため倒れて花もほとんどが失われたコスモス。右は倒れた中から花茎を立て花を回復させて来たコスモス(斑鳩の里で、後方は藤ノ木古墳)。 生きて行くということは生きる力の実践である。然るに、倒れたコスモスが花を咲かせるということは、コスモスの生きる力の実践が示されていることになる。