大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年03月18日 | 写詩・写歌・写俳

<1290> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (98)

          [碑文1]      春の野にすみれ採みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜宿にける                                 山部赤人

        [碑文2]      山吹の咲きたる野辺のつぼすみれこの春の雨にさかりなりけり                                   高田女王

 大和は東大寺二月堂のお水取りも終わり、いよいよ春本番へ駈け足である。なお、寒の戻りはあると予報は告げるが、庭の草花も随分花がついて来た。野山にもこれから四月、五月にかけて草花がわっと咲き出す。そんな中にすみれの可憐な花が見られる。今回はこの春を代表するすみれを詠んだ『万葉集』の二首の歌碑を見てみたいと思う。冒頭に掲出した碑文1と碑文2の歌がそれで、両歌とも巻八の「春の雑歌」の項に見える歌である。

 まず、碑文1の歌(1424)について、これは「山部宿彌赤人の歌四首」の詞書をもって見える中の一首で、原文では 「春野尒 須美礼採尒等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来」 とある。四首目の歌(1427)に 「明日よりは春菜(わかな)採まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」 とも詠んでいるように、詠まれたすみれは花を摘んで愛でるというものではなく、当時は食用にするために摘んだ。その用途のすみれを詠んだものと知れる。

 当時の摘み草というのは老若男女、貴賎を問わず行なわれていたことが『万葉集』等に見て取れるが、巻十の(1879)歌に 「春日野に煙立つ見ゆをとめらし春野の菟芽子(うはぎ)採みて煮らしも」 (詠人未詳)と詠まれているように、当時は春になるとみんなが野に出て摘み草をしていたことが風物詩のごとくうかがえるところがある。

  そして、その摘み草は和気藹藹と行なわれていたことが想像出来る。こうした春の野を懐かしく思い、赤人は一宿したという。すみれを女性に擬えた解釈もあり、そのようにも受け取れなくはないが、この歌が相聞ではなく、雑歌に分類されていることをして言えば、男女間の歌ではないと見て鑑賞するのがよいように思われる。

 なお、山部赤人は聖武天皇のころの宮廷歌人で、史書にその名が見えないので位など詳らかでない下級官人だったと見られている。『万葉集』には長短歌合わせて五十首が見え、叙景歌に優れていると言われるが、このすみれの歌のように比喩歌として解される叙景歌も見られることからその詩質が論議されるに至っている。

  巻六の長歌の反歌(924)の 「み吉野の象山の際の木末にはここだもさわく鳥の声かも」 や(925)の 「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」 という歌も単なる叙景ではなく、吉野離宮を訪れた行幸の人々を比喩して詠んだものとする説が出ている。この碑文1の歌碑は奈良市古市町のケアハウス和楽園の門の脇に平成十二年に建てられたものである。

     

 一方、碑文2の歌(1444)は「高田女王の歌一首」の詞書によって見える歌で、原文では 「山振之 咲有野辺乃 都保須美礼 此春之雨尒 盛奈里鶏利」 とある。「山振」は山吹の枝が細く叢生し、微風にも揺れる意によるもので、「山振」は山吹ということになる。即ち、「山吹の咲いた野辺のつぼすみれが春の雨の中に咲き盛っている」という意の叙景歌ということになる。高田女王は伊予守などを歴任し正四位下まで昇り、大伴家持とも親交があったと見られる大原真人の姓を賜った高安王の娘とされているが、詳らかな経歴は不明の女性である。『万葉集』にはこの歌を含め七首が採られている。

 この碑文2の歌碑は奈良市富美ヶ丘の松伯美術館の玄関脇に河辺東人の 「春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ」 (巻八・1440)の碑と並べられている。松伯美術館は提供された日本画家の上村松園、松篁、淳之三代にわたる作品や資料を、近鉄が出資して、保存、展示している私設の美術館で、三代の画業の紹介や特別展、公募展などを開いて若手画家の育成などに当たっている。この碑は花鳥画を得意とし、万葉の花も手がけた松篁筆によって平成十三年に建てられたものである。

 なお、すみれにはいろんな種類が見られ、変種を含めると、日本でも百種以上にのぼる。万葉のすみれは「すみれ」が二首と「つぼすみれ」が二首の長短歌四首に見られるが、現在でいうどのすみれに当たるのか。植物学者の牧野富太郎は万葉の「つぼすみれ」は現在の淡紫色の花をつけるタチツボスミレだろうと言っている。 写真左は碑文1の赤人の歌碑、次は野辺に咲くタチツボスミレ。右は東人の歌碑と並べられた碑文2の女王の歌碑。  思ひ見ぬ やはり野に置け すみれ草