<867> 芸術の本然について
人一人 一国一城営まば 内憂のこと 外患のこと
内憂とは、生、老、病、死、これらに対する不安。例えば、晩年に及ぶ思い。衣、食、住、これらに対する不十分さ。例えば、隣の芝は美しく見える感じ方、等々。外患とは、パスカル流に言えば、人間たる私たちは、すべてが自分に向かっているから生まれつきにして不正であり、それは、互いが互いの自分に向かっているもの同士において起きる精神的負の一面。例えば、政治の世界。派閥の領袖。対立の構図に見え隠れする気分の現われ、等々。
ということで、内憂も外患も生きるものの宿命としてあるもので、人一人においても、一国一城においても、同様で、生の営みを持つとき、必ずそこには内憂が生まれ、外患が生じて来る。ここで夏目漱石の言葉が思われるところとなる。
漱石は山路を登りながら考えた。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と。あまりにも有名な『草枕』の一節であるが、ここでこの言葉は完成しているわけではなく、なお続きがあって、その後の言葉を読まないでは、漱石の真意には至れない。
即ち、漱石は次のように言葉を継いでいる。「住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画が出来る。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう」と。
そして、なお、続けて、「越す事のならぬ世が住みにくければ住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくさせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるは音楽と彫刻である」と。
内憂も外患も、まずは、諦観すべきこと。そして、なお、そのうえに、知恵のあるものは知恵を出して楽しみを見い出してゆくこと。それが、一つには芸術で、漱石の言葉もあるわけである。この世にあって、生は本来的に厳しさを有するもので、その厳しさの中で、幾らかでも楽しみをもって暮らして行ければよいわけで、ここに芸術の本然を語るこの漱石の一文もあるということになる。 写真はイメージで、郡山城址の櫓と石垣。
短歌とはときに思はる 惨憺としてありし夜は悲しき玩具
岸に立つ詩人の中の烈風記 鴎の懸命翼(よく)に見えゐつ
詩の意志は何処を指すか 月光は遍く照らし冴えわたりけり