大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年01月06日 | 写詩・写歌・写俳

<856> 大和の歌碑・句碑・詩碑  (54)

       [碑文1]       窺良布 跡見山 雪之灼然 戀者妹名人 將知可聞                          詠人未詳

       [碑文2]       うかねらふ 跡見山 雪のいちしろく 恋ひば妹が名 人知らむかも                          同  

 碑文1の歌は『万葉集』巻十の相聞の項の「雪に寄す」の中に見える2346番の一首で、原文表記によるものである。碑文2の歌は碑文1の原文を語訳したもので、碑文1の歌碑は桜井市桜井の等彌神社の奥の鳥見山(とみやま・二四五メートル)の山中に建てられ、碑文2の歌碑は宇陀市榛原の鳥見山(とみやま・とりみやま・七三四メートル)の鳥見山(とりみやま)自然公園の中に建てられている。

  ともに『日本書紀』の神武天皇紀に登場する鳥見霊畤(とみのれいじ)伝承地として名乗りを上げているところで、歌に見える「跡見山」(とみやま)を鳥見山と見て、鳥見霊畤と共通する場所の認識によって建てられていることがうかがえる。

  鳥見霊畤伝承地については、奈良市石木町の登彌神社辺り、奈良市中町の大倭神宮辺り、天理市滝本町の大国見山(四九八メートル)、宇陀郡東吉野村萩原の丹生川上神社中社の北の山中、これに前述の二箇所を加え、六箇所が名乗りを上げ、それぞれに由緒の地としている。

 鳥見霊畤というのは『日本書紀』巻三の神武天皇紀に、----四年の春二月の壬戌の朔(ついたち)甲申に、詔して曰はく、「我が皇祖の霊、天より降り鑒(み)て、朕が躬(み)を光(てら)し助けたまへり。今諸(もろもろ)の虜(あたども)已(すで)に平けて、海内事無し。以て天神を郊祀(まつ)りて、用(も)て大孝を申(の)べたまふべし」とのたまふ。乃(すなは)ち霊畤(まつりのには)を鳥見山(とみのやま)の中に立てて、其地を号(なづ)けて、上小野榛原・下小野榛原と曰ふ。用て皇祖天神を祭りたまふ。----とある。

 所謂、神武天皇が東征し、熊野から吉野、宇陀を平定して大和に入り、橿原宮に即位して初代天皇になり、その四年後、この平定の戦勝を皇祖天神のお陰とし、天神を祀るため、鳥見山の山中に霊畤、つまり、神を祀る場所を造り、その地を上小野榛原、下小野榛原と名づけたという次第である。この「上」と「下」は伊勢神宮の内宮と外宮の関係に相当するものと思われる。

                           

  で、この鳥見山が何処の山かということが、問われるところとなり、その地形とか地名などから、それぞれの理由によって名乗りを上げたのが前述の六箇所ということになるわけである。だが、霊畤は神話によるもので、その神話からは場所の特定は出来ず、ゆえに、伝承地として六箇所に及んでいる次第である。

 ここで、この跡見山が登場する『万葉集』の2346番の歌が思われて来るところとなる。まず、この歌を見るに、「窺良布」は「窺狙(うかねら)ふ」と読まれ、窺い狙う意で、次の「跡見」にかかる枕詞として用いられ、歌は跡見山までが雪を導く序としてあり、その意は「跡見山の雪のように、はっきりと人目につくような恋の振る舞いをしたなら、人々は我が恋人の名を知ってしまうだろう」というものである。

 この恋の万葉歌は、霊畤とは全く関係ないが、この特異な場所の名を示すことによって恋の情の強さを言っているとわかる。で、歌は霊畤への意識をもって詠まれているのがうかがえるわけで、『日本書紀』と『万葉集』がほぼ同時代に出来たことを考えると、当時、この霊畤の山はよく知られていたことが考えられる。そして、歌の内容から、この跡見山は冬になるとよく雪の降り積もる山で、その雪を被った姿が周囲の風景に比べて印象的でなくてはならないことが思われて来る次第である。

  そこで、この万葉歌の跡見山と霊畤の鳥見山が同じ山であるとするならば、鳥見霊畤伝承地はこの万葉の恋歌中に見える「雪」の条件もその考察の一端に加えて然るべきではないかということが思われて来る。ただ、この「雪」というのは、雪を被った山の全体的な風景として捉えたものか、それとも積もった雪の雪質を言っているものか、この「雪」の捉え方によって霊畤伝承地の見方も影響されると言ってよかろうかと思われる。

  写真は左の二枚が桜井市の鳥見山の霊畤の石碑と万葉歌碑。中の二枚は宇陀市鳥見山自然公園の鳥見山中霊畤趾の石碑と万葉歌碑。万葉歌碑が見られるのはこの二箇所の伝承地のみ。なお、右の二枚は東吉野村山中の鳥見霊畤の石碑と山口誓子の 「 日の神が 青嶺の平 照らします 」の句碑。  宇陀吉野辺りの山は雪模様