大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年01月03日 | 写詩・写歌・写俳

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           撓ふその 勁さをもって 冬の竹

 昨年の初夢は叶うべくもなく、沖縄には気の毒な状況が続きそうな気配であるが、今年の新年は特定秘密保護法の成立に懸念の思いが纏うところ、東アジアの状況の新展開に妄想のシミュレーションをここに少し発してみようかと思う。これは大胆なる展開の予想であるが、あながち荒唐無稽でもないような気がする。しかし、妄想であれば、適当に聞き流してもらってもよかろうかとも思うところである。

 特定秘密保護法の成立は何を物語るか。それは、具体的なことがらで言えば、現政権が次に狙いとしている集団的自衛権の行使が出来るようにして、自衛隊を軍隊に仕立て上げ、戦争が行なえるようにすることである。この法はその第一歩としてその道筋をつけたと見て差し支えない。成立を急いだのはこの理由のほかにはないと言ってよい。

 集団的自衛権というのは、自国のみでなく、国連や同盟国の要請によって自衛隊を武力として戦地に派遣することが出来るというものである。憲法は第九条によって戦争を禁じているけれども、集団的自衛権は自衛という概念を拡大解釈して他国に自衛隊員を派遣して戦わせることが出来るようにするというものである。言わば、憲法九条の縛りを巧みに解釈して、日本を戦争の出来る国にして行くという第一歩を印すものである。

  日本の同盟国と言えば、即ち、米国で、米国と我が国の関係は対等でなく、米国の要求に従わなくてはならない状況下にあり、この状況下において集団的自衛権を行使しなくてはならないということがこの集団的自衛権にはあるわけである。国連の公平な観点においてのみ集団的自衛権の行使が行なわれるものであるならば、国際情勢の現状からして致し方ないとも言えるけれども、対等でない米国のような同盟国間に当てはめられて行使されることには大きな懸念が生じて来るわけである。

                

  以上のような基本点を踏まえて、ここに近未来の妄想というものが展開されることになる。思うに、日本において集団的自衛権の行使が行なえるようになり、日本が武力として人員を戦場に派遣出来るようになるとすると、北と南による朝鮮戦争が勃発することになるという想定が出来るということである。で、日本に対し、米国は米国の肩代わりとして日本に応援の要請をし、自衛隊が戦場に繰り出されることになるということになる。

  朝鮮戦争では、南に米国が、北に中国及びロシアが加担して武器を提供し、短い期間では収拾がつかず、その間も中国は尖閣諸島へのちょっかいを欠かさず、日本を刺激して来る。日本はいよいよ右傾化してゆくことになるが、自衛隊から隊員離れが進み、国による強制が行なわれる事態に新展開を見せる。こうして、隣国の戦争に日本も巻き込まれて行くということになる。

  かつて、日本は朝鮮戦争で稼ぎ、ベトナム戦争で景気をよくした事例がある。しかし、それは、戦争に直接加担しなかったことによることが大きかったわけで、戦場に戦闘要員を派遣することになれば、話は別になる。民意も黙ってはいないだろうことは想像に難くない。米国と中国の大国同士が直接に対決することはあり得ないことで、そのバランスの構図の中で、戦争は仕組まれて行くと見てよい。

  第二次大戦後の戦争というのは、侵略的戦争はなく、冷戦時代の大国同士の思惑の間で小さな国が二つに分裂して行なわれる戦争が多く見られた。朝鮮戦争もベトナム戦争も然りである。次に、独裁政権の弱体化につけ込まれて、これも他国の介入によって内乱が起こり、戦場と化す戦争が見られる。これは中東、即ちアラブ諸国に多く見られる現象で、その善し悪しは別にして、国内は戦場と化し、滅茶苦茶になる。

  北朝鮮では、その兆しが見られたが、独裁政権はそれに気づき、首謀者の粛清を図り、体制固めを行ない、締め付けを厳しくして、軍部の力をより強固にした。ここで、考えられるのが、戦争をしたくてたまらない米国と中国の関係である。米国と中国の関係が成り立っているならば、北朝鮮への締め付けは今後厳しくなり、それに耐えかねた北朝鮮が南に対して、戦争を仕掛けて行くという構図が成り立って来るわけである。

  そうして、日本の情況というのは前述したように運ぶことになる。安倍首相が靖国神社に参拝した件で、米国が遺憾の意を表明したのは、被害者意識による中国や韓国とは異なり、自国のシミュレーション上、具合が悪いからにほかならない。言わば、なるべく自国の兵士を戦場に出したくない米国には日本と韓国が仲違いしてもらっては困るわけである。これが政治の思惑で、国連の韓国軍に日本が弾丸の供与を行い、世論の反発に見舞われたことは一つの事例として見ることが出来る。この事例には同盟国としての米国の政治的思惑が絡んでいると見てよいが、日本、韓国ともにこういう外交の問題については政治と民意がかみ合わず、米国の近未来シミュレーションは簡単にことが運ばないということがうかがえるわけである。ここで思われるのが、政治には民意の封殺乃至はコントロールが必要となるわけで、特定秘密保護法が政治的役割を担うということになる。

  だが、しかし、いくら日本が右傾化し、軍備を拡張充実させても、中国にはどうということはない。それだけの武力をあの大きな国は既に持っている。いざ、本格的な戦争になったとしたら、昔のような戦争では済まない。東京一極集中のような日本はその防衛能力で太刀打ち出来るものではない。そういうことも念頭に置いて軍備などは行なうべきで、刺激することは決してプラスには働かない。米国のターゲットは北朝鮮に向けられているとしても、そこには中国が絡んでいる。このややこしさの中で、戦争が起きるとすれば、日本への影響は必至である。特定秘密保護法や集団的自衛権というのは実にそういうところを孕んでいると見るべきである。思うに、集団的自衛権は引き鉄のような存在である。