大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年12月27日 | 写詩・写歌・写俳

<846> 神 仏

          一日過ぎ また一日過ぎ 一年の 過ぎしを重ね 古稀を迎へぬ

 いよいよ今年も残すところわずかになった。今日は神棚と仏壇の掃除をし、ささやかながら迎春の準備を済ませた。昔はどこの家でもほとんどの家に神棚と仏壇があって、この時期になると、煤祓いをし、新年を迎える用意をした。大家族制であった昔は家長を中心にして家が重んじられ、家の存続することが願われ、男の子がいない家では養子をもらって家を継いで行くというような風があった。このため、各家にはその家を守る神さまを祀る神棚があり、先祖代々の位牌が納められた仏壇があった。

 それが、戦後、欧米化による個人主義への傾斜と経済優先の政策による産業構造の変革にともなう人口の都市集中によって、核家族化がなされ、大家族制の家の崩壊が進み、神仏を大切にして来たそれまでの精神は徐々に薄れ、家から神棚や仏壇が消えて行くということになった。殊に人口が集中する都会地でその傾向が強く現われるに至った。

                                              

 この傾向は昨今いよいよ進み、家族の崩壊すらも見え始めている。言わば、家、即ち、家族とともに自分の人生というものがあった昔は、その人間関係において絆というものがそこには確立されていた。そして、そういう大家族の家が何軒か集まって集落をつくり、そこでも一つのまとまりが生まれ、家単位の絆というものが自然に見られた。

 これらが、家の崩壊によって失われて行き、現在に及んでいるわけである。最近の事情を見ていると、一人暮らしで亡くなって行く人が増えている。これは人生を自助努力によって生きなければならないことを示すもので、大家族制の時代には考えられなかった状況と言ってよい。この状況は、殊に戦後の人口移動の際、田舎から都会地に出て来て、欧米化の波に飲み込まれていった人たちに多く見られるように思われる。

 私などもその一人かも知れないと言ってよいが、どのように対策すればよいか。七十代は、日々の生活もさることながら、テーマは難題を含んでいるように思われる。この問題は、神棚と仏壇の光景に繋がるところで、掃除をしながら思われたことではあった。どちらにしても、昔の大家族制の時代と違い、今は自助努力が求められる時代である。写真は迎春準備が整った我が家の神棚と仏壇。