大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年06月06日 | 写詩・写歌・写俳

<3791> 野鳥百態(51) 夏雲雀

      生きる身は

             何を欲して

             已まざるか

             まづは安心

             なるが挙げらる

 夏の季語に「練雲雀」がある。「繁殖期のあと、夏の換羽期のひばり。云々」と手持ちの歳時記に見える。「夏雲雀」ともある。麦秋のころのヒバリを指すのであろう。春の空高く揚がって天下に向かって囀るヒバリとは趣を異にする。この「練雲雀」を撮影したいと思い、トラックターが入って田植え準備の田起こしがそこここで行なわれる大和平野の広々とした田園に出向いた。

   奈良盆地の底に当たる一帯。ほとんどの田圃が冬場休耕している広々とした田園風景。ヒバリは簡単に撮影出来ると思い、カメラに望遠レンズをセットして眺望のよい田圃の畦に立った。遠くからオオヨシキリの囀る声が聞こえ、田圃を見渡すと、嘴が黄色のケリの姿が目に入った。だが、鳥の姿はこのケリのみで、目標のヒバリの姿はなかった。

                                         

   ということで、ケリを撮影し、場所を変えようと思い、田圃の畦を辿ってケリに近づいて行ったとき、行く先の田圃から一羽の鳥が飛び立った。ヒバリである。茶褐色の斑な体の色模様がそっくりな田圃に紛れていたのである。これは一種の保護色で、全く気づかなかった。

 ヒバリは広い見通しのよい田園地帯を生活圏にし、餌なども田圃や草叢などの地上でものにする。この日常における安心は目立たずにいることがか弱い小鳥のヒバリには得策で、保護色の擬態の方法によっている。スズメやホオジロもエサを地上に求めることが多い小鳥で、やはりヒバリに似て、同じことが言えるように思える。

                               

   保護色と言えば、ライチョウが有名で、冬と夏の姿にはっきりとした違いが現われるのはよく知られる。その違いは季節によって異なる風景にあって、その風景に紛れ、気づかれないようにするためにある。身近ではアマガエルやバッタがよく知られる。緑の葉の上では緑色になり、褐色の枝ではその枝に似た色に体の色を変える。アマガエルやバッタには色の変化が感知出来るのだろう。

   こうして見てみると、か弱い小動物ほどこの保護色による擬態が機能しているように思える。色だけでなく、形を似せて紛らわすというものも昆虫類に多い。枝に化けるナナフシやカマキリはその典型であろう。周りに気づかれない効用によって生を展開している。

   これは人間さまにも言えることで、なるべく相手に気づかれないようにする工夫に迷彩や擬態によるカムフラージュの方法を用いる。戦いにおける兵士の迷彩服がよい例である。標的にされないように紛らわす。野鳥の撮影に当たるカメラマンは野鳥に警戒心を抱かせないように自分の服装やカメラに迷彩を施すことが結構励行されている。

   話を戻せば、広々とした見通しのよい田畑で日々の暮らしを立てているか弱い小鳥のヒバリにとって目立つ姿は好ましくない。殊に子育て中の巣は知られたくない。で、その一心のため、直接巣に降りることを避け、離れた場所に一旦降りて、紛らわし、歩いて巣に向かうということをする。所謂、安心のためである。

 突然、足元から飛び立ち、向かいの畦道近くの田面に降りたヒバリは距離にして三十メートルほどのところ。目を離さず、四百ミリレンズによって撮ることが出来たのであったが、ヒバリは田圃に紛れ、見づらかった。この体の色模様でヒバリは一つの安心を得て暮らしているということが思われたのであった。 上段の写真は田圃のヒバリ(左)とケリ(右)。下段の写真は畑のスズメ(中)。

 


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2022年06月04日 | 写詩・写歌・写俳

<3789> 野鳥百態(50) 水上池のコアジサシ

               

    鰺刺のダイブ時には失敗す

 この間、奈良市の水上池に出かけたらカモたちが去って久しい水面で四羽のコアジサシ(小鰺刺)が池面を占有して思い思いに飛び回り、小魚の採餌に勤しむ姿が目撃された。ハト大であるが、ハトよりスマートで、全身が白く、頭部に黒い帽子を被った感じである。仲間には北極から南極に飛翔するものもいる。ツバメ返しのツバメと競わせたらどちらに軍配があがるだろうか想像が膨らむ。

   池の上空5~10メートルほどをゆっくりと飛び、それはのんびりとして見えたが、その瞬時、中空で止まり、羽を翻したかと思うと、水面めがけて一直線、激しく頭から突っ込み、水飛沫を上げて小魚を嘴にして飛び上った。見事な狩りである。

    小魚は体長10センチばかり。アユをよく捕るのでアユタカ(鮎鷹)の異名でも知られるアジサシであるが、水上池にアユの話は聞かないし、生息する環境にもない。果たして如何なる小魚か。その漁の様子は見ていて飽きない。

   持参したカメラに望遠レンズをセットして撮影に入ったが、上空を飛ぶ姿を追ってピントを合わせる難儀の末、何コマか撮った。何回もダイブするということはときに失敗することもあることにほかならず、そこにはコアジサシのそれなりの努力が認められる。

   ときに池の中の棒杭で羽を休め、また、捕食の漁を始める。営巣地は砂礫地で、別の場所にあり、小魚が豊富な水上池に通って来るのだろう。『大切にしたい奈良県の野生動植物』(奈良県版レッドデータブック2016改訂版)によると、大和地方(奈良県域)では絶滅危惧種で、環境省でも絶滅危惧Ⅱ類に指定しているので全国的に少なくなっている野鳥の一つということになる。

   アジサシについて、この改訂版には「小型のアジサシ類で、日本には夏鳥として渡来し、本州、四国、九州で繁殖する。海岸、河川、湖沼などの水辺に生息し、水中にダイビングして小型魚類を採餌し、砂礫地を利用して繁殖する」と見える。水上池の近辺では近年少数の繁殖が確認されていると言われている。

   写真は水上池で小魚の採餌に当たるコアジサシ。左から小魚を狙う水面へのダイブの瞬間、小魚を嘴にして飛ぶ姿、池中の棒杭で羽を休めた後、また採餌に飛び立つ姿(いずれも水上池)。

 


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2022年06月02日 | 写詩・写歌・写俳

<3787> 余聞 余話「生における出会いの不可思議」

    接触は花野の真昼蝶に蝶の我が身に我が身の営みがあり

 この世に「おぎゃー」と生まれてこの方、連綿と途切れることのない様々な出会いの展開。これをもって生の趣というのであろう。もちろんのこと、ここでいう出会いは人様のみにあらず、森羅万象のすべてにおけるところ。意識、無意識に関わらず、自分という一個の人間としての外界との接触を意味する。

  出会ひとは生の不可思議生きてゐるゆゑの証の今日の一日も                        一日(ひとひ)

 そして、その出会いによる関わりは、よしにつけ悪しきにつけ、思いとしての自分への影響に及ぶ。そういう生の数多の存在が互いに絡まり合う形によってこの世は成り立ち、この世の生の風景を成している。で、その輻湊する自分を中心にした関係性が、言わば、この世を形作っている。

                    

  生は出会ひその連綿の積み重ね出会ひはそして数多に及ぶ

 しかし、出会いは、出会わない(出会えない)もののもっと限りもあらず多いことを示していることでもあり、この無限の無知、不明に私たちは憧れとか不安な思いを抱き、また、あきらめを覚えたりする。

       春より夏花野の蝶の営みにこの身の思ひ触れて来にけり

   ということで、とにかく、生における出会いのことは不可思議で、縁(えにし)などという言葉によったりして辻褄を合わせ、理解しようとしたりする。つまり、生は出会いの連綿なる積み重ねにおいて成り立ち得ているということが言える。  写真は歩きに出かけて見かけたモンキチョウのカップルの姿。(花はヨーロッパ原産の帰化植物で繁茂が著しいナヨクサフジ)。

 


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2022年05月21日 | 写詩・写歌・写俳

<3775> 余聞 余話 「夢想(2022年5月)」

    大の字になりて乾坤一体の夢想こよなき緑の五月

 最近のニュースに触れるところ、人間の英智は欲望に負け、英智の先鋒であるべき科学が真理に及べないまま十分に働かず、人間世界のそこここで悪戦苦闘しているように思えてならない。もちろん、科学の進展が人間世界を豊かにし、利便、快適、安心といった項目において進歩のバロメーターの数値を高め、その風景において一定の評価を得ている。これは間違いないところであろう。

   しかし、その反面、欲望が英智の邪魔建てをし、我がもの顔に、その方途を妨げ、科学を私たちにとって正常でない方へ導き、そして傾斜させ、或るは私たちの生命をも脅かすという状況に至らしめている。例えば、核の問題がある。これなんかは典型例としてあげられるに違いない。

   言うまでもなく、核兵器は先の対戦において使用され、その破壊力は証明済みで、二度と用いてはならないという教訓を示したが、人間の良心に基く英智は欲望の制御に及べず、核兵器の保有を許し、大国を中心に拡散して現在に至り、なお、核兵器を持ちたがっている国も見られるのが現状である。

   もちろん、核の問題は一例に過ぎず、英智と欲望の葛藤の表面化は、諸相において見られ、私たちの意識にまで及んで、深刻化を示している。これもまた間違いないところで、地球温暖化や海洋汚染などの地球環境(自然)の異変、或いはその影響の広がりなども加えられる。

   人間の限りない欲望、この欲望に引きずられ、私たちの精神の基にある英智、その先鋒でなくてはならない科学が、言わば人間の能力としての至らなさによって制御し難く、欲望の側に傾斜して、その影響による歪がいよいよ深刻化し、表面化するところまで来ているというのが、人間世界の諸相に見え隠れし、言わば、人類の課題として顕現して来たということである。

   人間は目先きの欲望を叶えんとして夢中になり、夢中は決して悪いことではないが、夢中ゆえに科学の逆作用による難儀な状況に至るそうした問題点などには意識が行かず、目もくれないで突き進むといった仕儀に陥り傷口をより深くしているのが今日的と言えるように思える。この欲望優先の人間世界の趨勢に間違いないことは、すべてとは言わないまでも、そこここに認められると思う。

   人間の英智、即ち精神力がいま少し深化すれば、欲望が適度に抑えられ、多少この状況に好転が見られるようになるだろう。だが、欲望は限りもあらず、したたかである。で、その難儀に気づいて人間の行ないを変えようと声を上げ、行動に出ている人々も広い世界には見られるようになって来たが、こうした難儀への対処は、緒に就いたばかりで、制止の利かない底の知れない欲望の強さによって妨げられ、一向に進まないというのが、人間世界の有りさまとして見えるように思える。

   「人間というものは持った経験のないものは持たないでいても平気でいられるものです。けれども一度それが当然の権利として彼のもの――いいえ彼女のものと思い込み始めたときになって、それなしで暮らすのはひどく辛いものです」というウエブスターの『あしながおじさん』(松本恵子訳)の言葉が思い起こされる。情けないというか、不甲斐ないというか、一旦獲得した欲望を満たす暮らしを見直すということはなかなかもって難しく、出来ないということである。

                               

   ロシアのウクライナへの軍事侵攻を考えても、人間の英智が欲望に負け、英智の先鋒たる科学がその欲望によって不正に曲げられ、プーチン大統領の広言などをニュースで知るほどに考えさせられる。その発言には大量破壊兵器である核兵器の脅しと、使用されるのではないかという恐怖が纏う。核兵器が一旦用いられれば、十万或いは百万単位の死傷者を出す。

   この核兵器を大量に保有しているプーチン大統領の独裁国ロシアがこの度のウクライナへの軍事侵攻で使用をほのめかし、脅しに用いた。大戦後、多くの国、殊に大国が保有する核兵器には英智による歯止めの「核抑止」という一致した考え方が定着していた。で、広島、長崎以後、核爆弾として実戦で用いられたことはない。これは人間の英智が欲望に勝る状況にある一つの証左と思えるが、ロシアのウクライナに対する暴挙の中において、プーチン大統領の野望は狂ったとしか思えない言動の中で、核兵器の使用をちらつかせたのである。

   所謂、プーチン大統領のこの点における言葉は、核を有することによって戦争を抑止するという英智の方法論を台無しにするもので、核使用への可能性を限りなく高めたと言わざるを得ない。その脅しの限りない無気味さに世界は曝され、その独裁の野望(欲望)は英智の意志を衝き崩しにかかって来たのである。ということで、前置きが長くなったが、ここからが人間の英智に貢献すべき科学における我が夢想が展開するということになる。

   漫画「ドラえもん」の四次元ポケットの発想ではないが、科学によって科学を制するで、人間の英智に従って核兵器を無用の長物にするというものである。現在の科学は核兵器を搭載したミサイルに対し、迎撃ミサイルによってこれを迎え撃ち、核兵器が飛行中に撃ち落とす、或いは、それをすり抜けさせて目的を果たすという能力の攻防が展開されている。そして、この攻防の展開は、まさに欲望の仕儀そのもので、いたちごっこのようにエスカレートして止むことがない。

   私の夢想は、こんな無駄な費用と神経をすり減らす競争などせず、発想の転換を研究者に促すというものである。どういうことかと言えば、それは最も安心出来、それに加え、相手の脅威に及ぶ防衛システムの構築を成すということである。そのシステムとは如何なる核兵器を搭載した優れもののミサイルでも、その防衛システムによって国土の領域に入らせず、その寸前で感知し、感知したミサイルはその途端、核爆弾を搭載したまま、ブーメランのようにそのミサイルを飛ばした側にUターンさせ、撃ったところに戻し、そこで爆発を起こさせるというものである。

   この防衛システムが行き届けば、核兵器を用いた攻撃国は自分の核兵器によって自分の国を攻めることになるので、どこに文句を言うことも出来ず、自業自得状態に至る。言ってみれば、この防衛システムが出来れば、核兵器は無用の長物なる。科学の限りない進展は、未来においてこのくらいのことはやれると思える。人間の英智がまともに働いて欲望を制御出来ることが先決ではあるが、わが夢想はドラえもんの四次元ポケットの発想に等しく、理想に基くところ、科学に期待するところである。 写真は核兵器の使用をちらつかせるプーチン大統領(中央・テレビの映像による)。

 


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2022年05月15日 | 写詩・写歌・写俳

<3769> 野鳥百態(49) 愛鳥週間に寄せて

     日々の身に日々の営み日々の生それぞれにあり日々の存在

     鳥たちもそれぞれにありそれぞれに生き営めり翼にあって

     初夏のバードウイーク鳥たちは愛されるべく耳目を訪へる

 五月十日から愛鳥週間(バードウイーク)で、前後のこの時期、野鳥たちには繁殖期に当たり、それぞれに活発な動きがその営みの中に見られる。ということで、ここではその一端をイワツバメ、ウグイス、キジ、スズメ、カイツブリ、コサメビタキといった鳥たちに見てみたいと思う。

                           

                         (1)                 (2)                 (3)

 イワツバメの巣作り――イワツバメはツバメと同じ夏の渡り鳥で、三月のはじめごろ姿を見せ、岩壁などにみんなで巣を作り、子育てをする集団営巣に取りかかる。最近では橋脚のコンクリート壁などにも営巣し、嘴で泥土を運び、コンクリートの壁に貼りつけながら積み上げて巣を作る様子がうかがえる。作り始めから完成まで五日とかからない。写真(1)は嘴に泥土を咥え、巣を作るイワツバメ(三月十五日の撮影。五月の今は繁殖期の真っ最中で、親鳥たちは活発に飛び回っている)。

 ウグイスの美声――「ウメにウグイス」とは昔からよく言われる言葉だが、大和地方でウグイスの美声が本格的に聞かれるようになるのは陽気が一段と増す四月に入ってから。この時期になると、そこここで聞かれるようになる。この美声は囀りで、オスによる縄張りの主張、或いはメスへのアピールと言われる。ほかにも美声の持主は結構多く、繁殖期のこの時期に集中する。写真(2)は繁る梢で美声を聞かせるウグイスのオス(四月十六日の撮影。声はすれども姿は見えずという状況下、撮りづらいところがあった)。

 キジの肉垂美――真っ赤な頭頸部、目の周りに配置された肉の垂れた塊がキジのオスに見られる。これを肉垂(にくすい、にくたれ)という。よく目立ち、大きく鮮やかなほど立派な肉垂で、メスへのアピールになる。ということで、繁殖期のこの時期になると、オスはこの赤い肉垂の目立つ頭頸部を高く上げて見せ、遠くまで聞こえる声で鳴き、翼を広げてばたつかせる母衣打ちという行為に出る。写真(3)は繁殖期のキジのオス(四月二十二日の撮影。鮮やかな赤色の肉垂が印象に残る)。

                          

          (4)               (5)                  (6)

 スズメの交尾――白昼、それも車が行き交う道路上。スズメが二羽、大胆にも絡み合い、もつれ合って羽をばたつかせていた。高校生が三人自転車から目線を向けて通り過ぎて行った。二羽はなお離れず、暫くくっ付いていた。写真(4)はスズメの交尾(五月五日の撮影。車の窓から望遠レンズを取り付けたカメラで撮った。羽を広げている方がオスであろう)。

 カイツブリの抱卵――溜池の隅の枯枝や枯葉で作った浮巣にカイツブリが乗っかって卵が一つ見えた。写真(5)は卵が見える浮巣(五月四日の撮影。メスとオスが交代で卵を温めているのが確認出来た。卵は巣の陰に隠れて見えないものがあるのかも知れない。大きさは遠目で見るにニワトリの卵ほど。風が強く、高い波の日もあったが、後日、無事に孵って二羽のヒナが見られた)。

 コサメビタキの子育て――馬見丘陵公園でのこと。公園の一角のエノキを愛鳥家の人たちが取り囲んでカメラの放列が出来ていた。そのエノキの太い枝の股にコサメビタキのお椀のようなウメノキゴケで作った巣があり、親鳥とヒナが見られた。近くに凶暴なカラスがヒナを狙っているので親のどちらかが巣にいてヒナを守らなければならない状態だった。写真(6)は大きな口を開けてエサを待つヒナたちと親鳥(五月十二日の撮影。エサを運ぶオスの親鳥は痩せ細っていた)。

 ほかにもホオジロやコゲラなどによく繁殖期の様子がうかがえるが、とにかく、愛鳥週間(バードウイーク)前後のこの時期、野鳥たちには活発な動きが見られる。