マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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勝頼の血を受け継ぐ者

2017-12-30 20:56:38 | 短編小説(歴史含む)
武田家は織田信長により甲州征伐によりどんどん追い詰められていった。
木曽義昌や穴山信君らが造反・・・・仁科盛信らの戦死・・・・

武田家を支えた武将がどんどん死んで行った。

武田勝頼「別行動じゃと・・・・」

松姫「はい・・・私たちは別行動を取ります。後で、合流しましょう。」

武田勝頼「そうだな・・・後で会おう。」

武田信玄の娘松姫は勝頼と別れ盛信の娘である小督姫や勝頼の娘貞ら3人の姫を連れて相模へ落ちのびようとしていた。
このままなんとか逃げられる・・・松姫はそう思った。

武蔵八王子まで落ちびる途中相武国境にて休息を取っていた時・・・・・

「殿が・・・・小山田越前守様が造反・・・・天目山田野にて・・・一族と共に御自害・・・・」

松姫「えっ・・・・・」

兄勝頼の死を知る・・・・・
松姫は・・・・涙を流し勝頼の死を悲しむ・・・・・・・
小督姫の後ろに隠れる一人の幼子が泣き崩れる松姫を見る・・・・

彼女こそが武田勝頼の娘・・・・・貞である・・・・
北条氏康の娘との間に生まれた・・・・勝頼の忘れ形見である・・・・・

                   【1600年代初頭】
関ヶ原の戦いで石田三成・毛利輝元ら西軍に勝利した徳川家康は関白に九条兼孝を入れ、秋田へ移った佐竹義宣の代わりに五男武田信吉を入れる工作を行い。
時の天皇.後陽成天皇から征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命され江戸幕府を設立する。

その時に一人の夫婦が誕生しようとしていた。

宮原義久「兄上(義照)が亡くなって私が宮原の家を継いで、上様の命令である方の娘御を正室を迎え入れる事になったが・・・・・・どんな方なのだろうか。気になるな~」

徳川家家臣宮原義久。
古河足利家の血筋であり、設立したばかりの江戸幕府において高家と言われる家柄の一族宮原家の当主である。

 
◆宮原家系図
足利高基ー上杉憲寛ー義勝ー宮原義照=宮原義久(義勝次男)


兄義照が子なく亡くなられ、家を継ぐ事になったが・・・・
ある家から娘を正室に迎え入れる事になる・・・・

「殿・・・・来ましたぞ!」

宮原義久「来た?まさか・・・・」

「正室になられまする、貞姫様でございます。」

義久の屋敷に正室になる貞姫と呼ばれる女性が来た。
一体どんな方なのか、義久は気になって貞姫に会いに行く。
きつい性格か・・・大人しい性格なのか・・・・義久は気になってしょうがなかった。

貞姫「貞でございます。」

宮原義久「わしが宮原勘五郎義久だ、よく来たな。会いたかったぞ!」

貞姫「会いたかっ・・・・・・・・・」

宮原義久「さぁさぁここではなんだから話そう。」

貞姫の姿を見た義久は喜び、客間に案内する。
それからいろいろと話すると段々と仲良くなった。

宮原義久「父上は武田勝頼殿か・・・・・」

貞姫「はい、母は北条家の娘でした。私は伯母上に連れられ生き延びる事ができましたが・・・・父上と母上.兄上はなくなり・・・・生き残った家族は僧になった勝親のみでございます。」

宮原義久「そうか・・・・苦労したんだな。」

話の中で出た貞姫の出自。
貞姫の出自は甲斐武田家の一族で、父は実質的に最後の当主武田勝頼である。
新府城から父と母と共に脱したが、松姫と勝頼が別行動を取り貞は松姫に従う。

その結果、父は小山田信茂に裏切られ母や伯父葛山信貞などの一族などと共に自害する事になる。

宮原義久「辛くはないのか?」

貞姫「御冗談を・・・・既に20年あまり昔の事・・・・あの頃は子供で泣きましたが・・・・今は子供ではありません・・・いつまでも悲しんでいたら自害した父上と母上や兄上が悲しみますだから私は強くありたい・・・だからあなた様に最後までついていきたいです。」

貞姫は武田家滅亡と言う悲劇を経験し内気な性格かと思われたが・・・・
大人になった貞は父や母や兄が思うように生きられなかった無念を感じとっており。
その分、強く強く生きていこうと誓った。

宮原義久「そうか・・・・・・そなたの覚悟・・・・見事・・・・それでこそ私の妻になる女・・・・これから頼むぞ!」

貞姫「はい」

貞姫の覚悟を聞いた義久はこれから共に人生を迎える事を楽しみになった。
流石は甲斐源氏嫡流で戦国最強武田家の女と・・・・・・・・・・

それから間もなく義久と貞姫は結婚する事になる。
結婚して間もなくの事。

義久は時の将軍徳川家康に来るように言われ出頭する。

徳川家康「義久よ、お主を呼んだのは他でもない。貞姫との子だが・・・・・嫡子が産まれたら宮原姓を庶子が生まれたら穴山を名乗ってくれまいか?」

宮原義久「嫡子が宮原で庶子が生まれたら穴山でございますか?」

徳川家康「うむ。」

嫡子は宮原姓・・・・庶子は穴山・・・・
こう名乗るように家康に言われる。
一体何故そのように言われているのかは、良く分からない。

ただ当時武田家の生き残りで大物であった武田信道・武田信正父子や武田義清など大勢の武田一族が残っている・・・・・・・・

果たして真相はいかに・・・・・・・・・

宮原義久「上様にこのように言われたか・・・確かに貞と子を儲けねばな・・・・・」

家康に上記の事を言われた義久、なんとか子供が生まれればいいと思った・・・・・
それから数年後・・・・

貞姫「お前様・・・・産まれましたよ・・・・嫡男が・・・・」

宮原義久「おぉぉ生まれたか!!でかしたぞ貞!」

1606年、義久と貞の間に子が生まれる。
宮原右京進晴克、義久と貞との間に生まれた嫡男である。
亡くなるまで彼しかいなかったが、その後も貞を通じて勝頼の血を後世に伝える事になる。
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