マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。最近の政治的問題や最近の出来事も更新します。

武田氏・一族名簿

2018-01-08 20:53:44 | 日記


★日章旗
今では日本の国旗で知られる日章旗。
後冷泉天皇から与えられたの御旗は楯無の鎧と共に並ぶ武田家の家宝である。
なお現存する日章旗では最古の物である。

甲斐武田家
清和源氏源義光流武田信義を祖とする一族。
平安末期、以仁王の令旨に従い決起。
源頼朝・木曽義仲と並ぶ源氏最大の一族となる。

しかし

勢力の大きさ故に恐れた鎌倉幕府により勢力を粛清され・・一御家人に転落する。
その後・・・承久の乱で戦功をあげ武田政綱が甲斐を、武田信時が安芸を継承した。
鎌倉時代末期、決起した後醍醐院討伐のため幕府軍に参加したが後に寝返り建武政権に参加。
足利尊氏派の武田信武が南朝派の武田政義を滅ぼし実権を握り、室町時代は甲斐守護大名になる。

だが不幸が訪れ。
鎌倉府と対立した上杉氏憲(禅秀)と親戚であり武田信満は上杉禅秀の乱に巻き込まれ自害に追い込まれ一度滅亡する。

一度滅亡したが鎌倉府が幕府と対立した事と信満の遺児武田信重が結城合戦で活躍した事により再興される。

戦国時代になると一族同士の争いなどがあり混乱し衰退するが、武田信昌が言う事を聞かなくなった跡部氏を排除。
孫の武田信虎の代で統一、子武田晴信(信玄)に続き勢力を拡大し。
戦国最強の異名を持つ大名家になる。

織田包囲網に呼応し武田信玄が上洛し徳川家康を破り織田信長を脅かすようになるが途中病死。

後を継いだ武田勝頼が勢力拡大に努めるが、長篠の戦いで大敗北。
その後、かなりの失策と家臣の独断行動が目立ち・・・・
最終的に朝敵され、家臣木曽義昌の造反がきっかけに織田家の総攻撃に遭い武田家は滅亡する。

穴山武田家
勝頼・信勝父子が自害し、武田一族であり寝返った穴山信君の子信治を武田家当主にした。
信治が早世し、徳川家康の5男信吉を当主にした。
関ヶ原の戦いの後、水戸に移るが信吉が子なくなくなり断絶する。

高家武田家
武田信玄の次男海野信親の遺児信道が織田家による残党狩りから逃れ徳川家康の家臣になる。
大久保長安事件に巻き込まれて島流しになるが、子信正の代で許され。
柳沢吉保の計らいで幕臣になり、高家になる。

現在の武田家の嫡流はこの高家武田家の一族である。

河窪武田家
武田信玄の弟で河窪姓を名乗った信実を祖とする一族。
信実は長篠の戦いで戦死するが、子信俊が徳川家の家臣になり。
信俊の子の信貞の代で武田姓に復した。

安芸武田家
甲斐武田家が承久の乱の功績で得た土地から得た一族。
ただ、前者は諸事情で後安芸武田家について解説する。
若狭武田家の一族武田元綱が兄武田信賢から独立した事により生まれる。
大内氏などと組んでかなり暴れまわったが、大内氏の依頼を受けた毛利元就に滅ぼされる。
生き残りは抵抗するも鎮圧され、遺児らは毛利家に属した。
毛利家外交僧安国寺恵瓊はその一人で、唯一一族で有名な人物。
江戸時代に徳川家に仕えた医師武田道安はこの流れで。
幕末に活躍する高杉晋作もいる。

若狭武田家
武田信繁の嫡男である武田信栄が足利義教の命で一色義貫を誅殺した功績で立てた家。
足利将軍家や細川家からの信任が厚く、甲斐武田本家よりも嫡流扱いされていた。
応仁の乱まではかなり強力であったが、どんどん弱体化し。
武田義統の頃には家督争いがあったりして更に弱体化。

足利義昭を保護するが、見限られ越前の朝倉を頼る事になる。
朝倉氏の若狭侵攻で領土を失い9代武田元明は朝倉の保護下に入る。
滅亡後、織田家に仕えるが領土復帰できず。
本能寺の変で領土復帰を願い明智光秀につくが敗退。
羽柴秀吉により自害させられる事になる。

遺児義勝は津川姓を名乗り京極家に仕える。

蠣崎氏/松前氏
若狭武田家一族の武田信広が蝦夷地に渡って立てた一族。
以後、明治時代まで蝦夷地を統治する事になるが、アイヌ民族と激しくぶつかる。
なお幕末の時は空気みたいな扱いされる。

武野氏
若狭武田一族の武田信久が武田が下野した意味で名乗った一族。
武野紹鴎は高名な茶人として知られ千利休、津田宗及、今井宗久に影響を与える。

地下家・武田家
昇殿が許されない廷臣として武田信繁の後裔がいる。

京都武田家
甲斐武田家一族武田薩摩守公信を祖とする一族。
歴代当主が奉公衆四番として足利歴代将軍に直接仕えていた。
武田藤信の代に三好家と将軍家が争い、その戦いで藤信が命を落とす。
遺児彦五郎が徳川家康に仕えている。
分家に中務大輔家がいる。

庁南武田家
武田信満の子・武田信長が足利成氏から上総国の所有を認められた事から始まる。
跡を継いだ信高の死後、庁南城を所有した一族が上総武田家の本家になる。
北条家に従い、1590年では反豊臣路線を貫き最後の当主武田豊信が自害している。
遺児氏信は家臣に守られ、帰農し現在もその血筋が残っている。

真里谷武田家
真里谷城に本拠を構えた上総武田家の分家。
真里谷信清は上総管領と言われる程の勢力を築いたが、分裂し。
北条家や里見家に翻弄され両勢力の傘下に入る。
現在、この家系の血筋は不明である。

因幡武田家
若狭武田家の庶流の流れを組む一族で、守護大名山名氏に仕えた。
武田国信と高信父子は野心家で山名氏を倒そうとする。
高信は山名豊成を毒殺し、完全に山名氏に敵対するが敗れ敗死する。
残された高信の子助信は村岡藩主となった山名豊国に召抱えられる事になる。

常陸武田家
★剣術家
武田家12代目当主武田信春の息子信久が常陸国に住んだ事に始まる。
末裔は水戸藩に仕え、北辰一刀流剣術、鹿島新当流、天真正伝香取神道流を修め武田輔長の伝えた。
剣術を極めた武田輔長はこれを武田新当流として確立、現代までその剣術の流派を伝えている。

★尊皇派
武田耕雲斎と呼ばれる人物が水戸徳川家に仕えていた。
上記の一族とは違い元々跡部氏の一族であり、この姓を嫌った耕雲斎が徳川斉昭に願い出て復姓した。
藤田小四郎の願いで天狗党になり、幕府と戦うが降伏。
簡単な取り調べの末、斬首され家族もろとも処断される。
この時、天狗党の首領とされた時、彼は既に死を覚悟していたらしい。
家族は靖国神社に合祀された。

米沢武田家
武田信玄の末の子武田義清を祖としており。
武田家滅亡の折、上杉景勝に嫁いだ菊姫を頼り上杉家の家臣になる。
、大久保長安事件で江戸幕府から嫌疑を受けるも、事実無しとされ以後も米沢藩士としてかつての宿敵の家を支える。

その他
★岩間武田家
武田義信の遺児武田正成を祖とする。
★板垣氏
武田信義の子板垣兼信を祖とする一族で、戦国時代に信玄に仕えた板垣信方と自由民権運動の板垣退助がいる。
★甘利氏
一条信長の末裔、主に甘利虎泰と甘利明などの人物が有名。
★穴山氏
穴山義武を祖とする一族、主に穴山信友と穴山信君が有名。
★源姓仁科氏
仁科盛信の遺児らの一族、複数の家が存在する。
★一条氏
武田信義の子一条忠頼を祖とする、一条信龍の代で滅亡。
★柳沢氏
一条氏の末裔、主な人物として徳川綱吉の側近で大名になる柳沢吉保

他にもいろいろ一族いる。
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