鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】活動の好き嫌い

2016-07-31 03:11:07 | 考察

昨年の末頃に日記帳を購入してほとんど欠かさずに日記をつけている。

取るに足らない些細な不満・印象深い出来事・死活問題・今後の課題・書かずにはいられないこと…などなど、容易に認知できるほど潜在意識の表面近くで感じられるものは、筆を走らせる労力が続く限りはほとんど漏れなく日記帳に書いている。

少し考えれば、こうしてキーボードを10本の指で叩いてブログに書くほうがよっぽど効率的というのは言うまでもないが、やはり誰にも見せる気のない或いは見られる危険性の低い媒体といえば紙なのだ。いまやインターネットは当たり前のものとなり、平均的な人々の意識ではセキュリティソフトをいれていようが情報が漏洩する可能性は一定を下回っていない。ネットを介してしまえばいくらでも、そしてどこからでも情報は巡ってしまうものだということ。それに対し、手元の紙にペンで記すという情報の保存方法は物理的な方法以外ではアクセスのしようがない。家宅捜索か不法侵入、時代が時代であれば、ドローンによる空撮でデスク上の無防備に置かれたメモ用紙の内容程度は盗み見ることは法律その他を度外視すれば可能かもしれないが。

機密管理についての話は置いておいて。今回の本題は、こうした執筆活動という行為についてだ。

執筆活動に至るまでには、いつも似たような過程がある。まず出来事があり、疑問があり、好奇心があり、感動があり、調査がある。順番はおそらくいつもばらばら。

調査のあとに執筆することもあれば、感動のあとに執筆することもあるし、執筆のあとに調査することもある。

執筆するうちに新たに疑問を抱くこともあるし、疑問を解消しないまま執筆するうちに新しい発見をすることもある。

新たな疑問や新たな好奇心は、外界に対する感性のフィルターに多くの多様性を生む。例えば「嘘としぐさについて」の知識を深めたなら家族友人同僚すれ違う人々向かいの席の他人の一挙一動が以前よりもかなり目につくようになる。「天体観測」の本を読んだなら帰路で視界に入った夜空の見え方が変わる。流通や運送関係の仕事をしてるのなら高速道路から見下ろせる市場や港や倉庫に興味が湧く。

俺の場合は、生物や進化や遺伝や心理や脳や認知の本ばかり読んでいるから環境による影響や淘汰についてだったり単純な相手のリアクションだったりによく注意が向いてしまう。

おっと、そんなことはどうでもいい。

最近は仕事が忙しいせいか、こうした活動があまりできていない。ゲームに熱中したり、ネットサーフィンしたり、飲み会したり、友人と外食に出かけたり、外で遊んだりも無論悪いものじゃないけど、不思議とこうした活動のほうが満足するのだ。少し大げさかもしれないが、創作活動と呼ぶようなものをしないと落ち着かないのだ。

それは思ったこと感じたことを書くといった行為に限らず、芸術家なら絵だったり作家なら劇や本や映画や曲だったり。何かを生み出すという行為を、それが物理的な質量の有無に限らず総じて創作活動と呼ぶのであれば、ペンで紙に書く作業も、キーボードでネット上のデータとして残す作業も、演出家がしぐさや空気を考えるのも同じと言えないだろうか

うーん、わからない。創作活動の意義もわからないし、創作活動に熱中するべきかどうかもわからないし、創作活動の定義もわからない。

けれども、なかなかどうして、熱中してしまうのだよなぁ。
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