鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

ポケモンカードとワンピースカードで遊んでみた

2024-01-12 00:10:10 | 日記
スタートデッキ¥550〜1100ほどのものを知人の分も含めそれぞれ何種類か購入して遊んでみた。

子供時代にはこれほど画期的かつ手頃な値段で遊べるカードゲームは無かった。コストパフォーマンスだとかタイパという言葉を多用することには抵抗があるが、このスタートデッキはコスパが非常に高い。下手をすればちょっとしたボードゲームよりもよっぽど安く済む。ボドゲに比べて楽しさが長続きするかは別としても、楽しみ方を工夫できる大人の手にかかればなんてことはない。

スタートデッキ同士で対戦するのであれば、カードパワーの均衡がそれなりに保たれている。プレイングと運で埋まる程度のデッキポテンシャルなので、たった2種類のスタートデッキでもやりごたえがある。

しかし、ギャザリングや遊戯王で育った身としては、ゲームデザインの粗さに注目してしまう。せっかく洗練されたカードゲームが存在していて見習えばいいというのに、なぜあのような不親切なテキストが綴られているのか。任意なのか、強制なのか、対象はどれで、何を指しているのかがこんなにわかりづらく、不明なものは随時ネット検索で補正しなければならない煩わしさを感じた。慣れてしまえと言えば簡単だし、ネットがある時代なのだからその程度の手間は惜しむなと言われればそれまでなのだが、検索を前提にしていたり、慣れるまで我慢しろというのはクリエイターやデザイナーとしては消費者に対してさすがに甘えすぎだと思わざるを得ない。

とはいえ、ポケカやワンピースカードに関してはターゲット層が幅広く設定されているように感じるので、目を瞑れないほどではない。文章が易しく、少し曖昧なニュアンスになってしまうのは、国語力に優れた大人に対してというよりかは子供に対し受け取りやすくするためなのだろう。

せっかくこうしてブログに投稿しようと思ったので不満な部分も一応ある程度文字にしてみただけで、実際のところそこまで気にしてはいない。手頃なお金しか消費してないし、そこまで勝敗にこだわっているわけでもないからである。今やこの2種類のカードに関しては転売厨の餌食になっており、ブースターパックが入手困難になっている。自分好みのデッキを作りたい場合は、カードショップやオンラインショップにて1枚づつ欲しいカードを選択して入手するほかない。パックを剥いてみて獲得できたカードを組み合わせてデッキを作るという遊びは叶わない。シークレットレアやかっこいいデザイン可愛いデザインのカードは瞬く間に値段が高騰して、転売かコレクション目的の人間に渡ってしまう。

つまり、スタートデッキのみで遊ぶのが最もコスパの高い方法なのである。

転売厨がおらず、シングルカードの価値が高騰せず、カードショップがそこそこ近場にあってブースターパックが気軽に入手できるなら自分好みのデッキを作るのはとても楽しい行為なのだが、ポケカの闇だとかワンピースカードの闇だとかの検索結果を見ている限り、そんな時代が訪れる気配はまるで無いだろうね。

割と若者がとっついてそうなワードの記事なので変なコメントが来そうだが、自己満足でやってるブログなので悪しからず。

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【独り言】誰も彼も自分の楽園を探している

2023-09-11 16:00:10 | 日記
少子化、エネルギー問題、腐敗政治、不景気、上がらない賃金、上昇し続ける物価、緊張が高まる一方の領土問題、洗国。

日本人の人口は支配され、極めてその数を減らされるか或いは滅ぼされる。日本の美しい文化や土地も消滅するかもしれない。長い人類史の中で蹂躙された民族は沢山ある。滅ぼされた文化も沢山ある。そのうちの一つになるかもしれない。

少子化は止まらない。高齢者が票を握るだけでなく、各地に潜む統一教会の信者が自民党を必ず支持するよう立ち回る。悪政は止まらない。一方的な利益の搾取を望む者いわゆる悪者に対して、助け合い思いやり合える人々はどれだけ抗えるのか。

それでも日本には素敵なものが溢れている。美しさや楽しさや喜びのために、創造を求めて止まない人たちがいる。ひとたびインターネットにつながれば、まるでこの世界が悪い方へ進んでいるなんて嘘だと思いたくなるほど楽しい世界や美しい世界に触れることができる。

日本はきっと一番楽園に近づいた国なんじゃないかと思った。治水や治安の良さ、識字率の高さ、高い民度、思いやり、謙虚さ。地理的な理由を除くことはできないけれど、楽園だったからこそつけこまれてしまった。人々が略奪を警戒しなくなるほどの楽園なら、つけこむのは容易かっただろう。

そんなことを考えても、一個人にはどうにもならない。バッドニュースに何度憂いたところで今の日本の未来を明るくすることはとても難しい。膨れ上がった悪はとてつもなく強大で、それでも抵抗する人たちはきっと少なくはない。けれど、敗北して誰の目にもとまらず退場した戦士がどれほどいただろうか。Bad is stronger than good.

こんなにも世界が憂いで満たされているのに、日本人が作り出す物語や音楽や映像や工芸やモノ、日本人に深く根付いている信条の思いやりと察し、それら全てが愛おしくてひたすらに輝かしい。

前向きに考えよう。どの国よりも先に楽園で近づいてしまった日本は、どの国よりも一足さきに滅びることになる。それはもう止められない。けれど、ひたむきな人たちの営みも止まらない。最後の灯火が消えるまで、その輝きは尚も増していく。

滅びゆくフェーズの中で、目を背けたくなるような惨劇が沢山起こるだろう。悲しみや悔しさが沢山生まれるだろう。けれど日本はいつまでも輝かしくあり続ける。


負の側面を受け入れて、ならば最期の時まで美しい輝かしいと感じるものに包まれていたい触れていようと望む。ここは一つの楽園。憂うだけで行動できない弱者の楽園。ただ、愛する心を忘れていないのであれば誰にでもそこへ繋がる扉が開く。自分だけが得をしようとするものには固く閉ざされている扉。

今ぶつかっているのは正義と正義ではない。
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残酷な空想、無慈悲な現実

2022-08-17 00:58:29 | 日記
善良な人間はいる。完璧で聖人のような人間はいなくとも、思いやりに溢れた尊い人がいる。争いや盗みや独り占めや騙すことを良しとせず、安心や笑顔のために日々頑張る人がいる。

音楽や踊りや絵や物語の全てがそうとは言わないが、その殆どが誰かの心を打ち、挫けそうな誰かの糧となり、未熟な人間を導く光になる。日本でなければ生み出されることがなかった"形"は数えきれない。そのどれもがたまらなく尊い。作り出した彼らのうち一体誰が、争いや奪い合いを望んだというのだろうか。彼らは時代の荒波にも負けず、ただひたむきに自分の情熱に寄り添っただけだというのに。「それらがもしかしたら遠くない未来に消失するかもしれない」そんな風に憂い、それが杞憂ではなさそうなこの時代に、それでも創ることをやめない人たちがいる。

どこで間違えたのか。何がいけなかったのか。

戦争、災害、ウィルス、不況。明治も昭和も平成も、全く平和だったとは言えないかもしれないし、どこを切り取っても歴史の節目だったかもしれないが、令和はあらゆる課題がネットの普及によって史上最も浮き彫りになっている。

どんな時でも、思いやりに溢れた人の味方でありたい。そしてそれと同じ熱量で、嘘や盗みで独り占めしようとする人を憎みたい。

これから大人になる子供たちと、今を眺める大人とでどちらが辛いだろうか。

俺は無力だ。ただただ、祈るしかできない。

人の世に世界平和という理想は存在しなくとも「争いや奪い合いなんて興味がない。ただ最高の音楽を、最高の物語を、最高の踊りを、最高の芸術を、最高の料理を、最高の絵を」そういう人間がいる。それは日本に限った話ではないが、日本にはたくさんいる。彼ら情熱の人々の尊い営みが奪うのは、どうかやめていただきたい。見るだけで心が締め付けられるようなニュースを見聞きするたびに、俺は祈るしかできない。
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【考え事ぉぅ】デザインのためのスキル

2019-03-28 06:17:08 | 日記

絵師・イラストレーターの絵を描く能力を筆頭に、絵に限らず「デザインする能力」って万能だよなぁ…というよりかは、スマートフォンによる綺麗な映像が当たり前になった現代においては、そうした「魅せる能力」が多くの局面において必要とされており、習得していることが強みであり、未習得であることが弱みになると普段から強く思わざるを得ない。

ゲームデザインをする過程でも、ビジュアルがプレイ感に及ぼす影響は非常に強い。例えば、とあるカードの絵は見事な画力で描かれているが、テキストやそのカードの強さがヘンテコだったり面白おかしいものであれば遊んでいて退屈しないことだろう。カードをめくるたびに期待を持って過ごすことができる。

とあるイラストレーターによる自分好みのイラストがあったとする。その人が描いたキャラクターの絵はたったの一枚で静止画だ。構図や姿勢は決まっていてそのキャラクターが動く姿は想像の中にしかない。あんな口調で喋ってこんなふうに走ったり戦ったりしたらかっこいいだろうなと思ったところで、そのイラストレーターが新たに描くような状況にならなければ、実物をお目にかかる機会はおそらく訪れない。

しかし、もし自分にそのキャラクターを一定の精度で模写できる能力があったとしたら?

鳥山明のドラゴンボールや荒木飛呂彦のジョジョは数えきれないほど多くの漫画家やイラストレーターにとって定番のお題になっている。もちろん著作権を侵害しない範疇で、編集社の企画だったりというものである。自分がキャラクターへの愛情ゆえに模写する場合はそのほとんどが自己満足や承認欲求を満たすためのものになるだろう。好きなキャラクターを生み出してくれた作者への感謝でもある。

俺は好きになるキャラクターが人より偏っていて、認知度が低かったり人気が少なかったりするキャラクターを好きになる傾向がある。なのでそのキャラクターが動画になったりゲームになったり漫画になったり、という機会に恵まれないことが多々ある。

そうした時に、もし自分に画力があれば!と何度思ったことだろう。

画力に限らず、動画編集・MMD・MAD・プログラミング・作曲・etc・・・。

能力の有無はともかく、自分はそうした創作活動によって得られる喜びが多い側の人間なのだろうと思う。何かに感動したあと「自分でもやってみたい」と思ったりするタイプなのだ。そう書いていた瞬間思ったことなのだが、それはつまり創作物に対して惜しいところを感じたり、もっと多くの可能性があると感じることができる能力なのでは?と思った。それだけなら誰しも持っていることだろうが、そこから延々と想像や妄想を繰り返すことがとても好きだという人間はまた絞られてくるだろう。

自己完結な日記になってしまったが、とにもかくにも、創作活動というのは本当に良いものだなぁとつくづく感じたのであった。

おわり

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【日記】「人間」

2018-09-14 01:39:20 | 日記

2018年。現代人の生活は、大きな転換期の真っ只中にある。終戦〜高度経済成長期から高度情報社会へと移ろい、人類史の中において最も目まぐるしい時期である。

過去の投稿で何度か書いていることだが、「古い価値観と新しい価値観の衝突」について改めて書いていこうと思う。数ある衝突の中で自分が多く目にするものは
・労働観
・倫理やモラル
・メディア
に関するものだ。

技術の進歩が目まぐるしい現代。結論から言えば、技術進歩のスピードに対して人々の統率の順応が追いつかない或いはついていけない印象が強い。それは国家という大型船が、突如迫った脅威(進歩の早い技術)に対し旋回が間に合わないようである。

人々の衣食住や安全安心を支えるインフラを維持管理改善するためには膨大な税収が必要である。納税が必須ということに誰も異論はないとしても、税金の配分は果たして最適解に近いものだろうかという疑問を、半分以上の国民が常に抱いている。政治に不満があるもので旬なものと言えば、東京オリンピックのボランティア問題。そもそも開催自体に日本にとってメリットがないという超根本的かつ致命的な問題が存在しているというのに、加えてサマータイム導入可否問題まである。識者が良策と言っているところを一度もお目にかかったことがないサマータイム導入については、調べてみればどうやら発案者や支持者は頭がおかしいとしか思えない。

俺は日々、頭がおかしい人たちのその数の多さに驚いている。暴走族や暴力団のような反社会的組織に関しては議論するまでもない。ただ、暴走族や暴力団のような類ではないが「いやこいつを自由にしておくべきではない」という人がかなり多いように感じる。すぐ思いつく限りでざっと挙げてみよう。
・歩きタバコ
・走行中の車の窓から灰皿の中身ドバ捨て
・列の横入り
・馬鹿なクレーマー
・ながらスマホ
・煽り運転
・線路への投身
・刺青禁止施設に訪れる刺青が入った人
・店やで酩酊する馬鹿
・酩酊して電車に乗る馬鹿
・アクセルとブレーキを間違える脳みそで免許を返納しない馬鹿
・高速道路で逆走したり停車する馬鹿
・制限速度60km/hで時速60kmで走行中の車に対し「ちんたら云々」でキレるど短気ドライバー
・動物をボウガンで射つ馬鹿
・横断歩道がない広い車道を横断する老人
・他者に迷惑がかかる可能性が高い場所で幼児を放置する親
・歴史的残酷な殺人事件の加害者を擁護する親

職場では評判が良くて、人相も良くて、仕事もばりばりこなして、帰ったら家事の手伝いをしたり、子供と一緒に遊んであげたり、仲の良い友達が何人もいて健全に遊んだり、etc。そうした健全な側面をいくつも持っている人だというのに、意外にも致命的で看過できない一面を持っていることがある。そしてそれは全く珍しいことではなく、意識して見てみればそうした景色が日常には溢れている。

正直言って俺は絶望している。一歩自室から外に出れば、そうした危険な一面を秘めている人間が外までいかなくとも家族の中にいることだってある。外に出れば徒歩で目的地へ向かう最中だろうが車で移動する道中だろうが、目的地である飲食店やスーパーだろうが、そこらじゅうに危険が潜んでいる。その遭遇率は土砂崩れ地震家事落石落雷突風アナフィラキシーショックエイズ津波洪水よりも極めて高い。即時に重大な状況につながるわけではなく、長い導火線が火薬に着火するまでの間でどうにかできる可能性は十分に高いが、導火線の本数や爆弾の個数は数え切れないほど存在しているように思う。

なので、俺はあるときから滅多に外へでたがらなくなった。神経質なのが悪いとは常日頃から思っているが、鈍感な人や楽観的な人が正常性バイアスに囚われているだけという可能性を考慮するならば、危機管理能力が高いということで自分が異常だとは毛ほども思わない。

独りよがりの正義感をかざして悪を捌きたいなどとは思わないが、デスノートがあれば話は別だろう。キラやリュークの話は置いといて。何が悪いかといえば、根本的には悪い人間その人自身なのだが、その人間が悪くなってしまった原因を排除していくためにはどうすればよいのか、よく考えさせられる。

大きく括るのであれば一言で「教育」に尽きるだろう。体罰問題がニュースを騒がせること今時珍しくない。教育現場では、教職員の在り方が定まっていない。汚職という言葉から連想される職業はその多くが公務員である。キャリアや権力や教職員個人の生活やプライバシーや人格という問題まで、それは本当に深刻デリケート且つシビアで最も注力が求められる問題だというのに、未だ解決しそうな気配や良いアイディアが無いという状況である。

教育機関に限らず、親と子の問題も忘れてはならない。若すぎる結婚と早すぎる離婚。ネグレクトやDV。不十分なネットリテラシー。超高齢化社会日本の未来を握る子供達は、危険な親と危険なインターネットに晒され続け、なんとか大人になったかと思えば高齢者の面倒や腐敗した社会システムの後始末といった泥舟運営を引き継がなければいけない。賢い若者は母国だろうがなんだろうがオワコン大国日本を早々と見切って英語や中国語を学びこの監獄から脱出していく。愚者と高齢者しかいなくなった日本というアホ丸出しなギリギリ霊長類限定動物園は若者という飼育員を失ってあっという間に廃業する。

高度な医療技術は百害あって一利なしな悪い老人の悪行サービスを延長させた。健全で優しいピンコロ老人は良いとしても、自身の保身や快適のためだけに他者の自由を奪い不快を撒き散らすだけのうんこ老人の人権を守る国家は果たして優秀と言えるだろうか?俺にはわからない。人命や人権が大事だという事実には一つの異論もない。しかし、他者にはなるべく迷惑をかけないよう努め、困っている人がいたら理由などなくとも助けて、明るく喜びの多い日々を過ごすために頑張る人々がなぜ"愚かで悪い人"によって浪費されなければいけないのか、俺には少しも理解できない。それが明らかな犯罪や傷害行為でなくとも、自分の気分一つで他者や周囲を嫌な気持ちにさせる人たちがのうのうと過ごすこの世界が正しいとは俺には思えない。

病人や高齢者の介護が大変だというのは今時誰もが知っていることだが、高度医療によってかつてないほど平均寿命が高い現代では、介護によって発生した問題は全く新しいものであって、それに関連する倫理的な問題に対して解決方法が存在していないということである。

罪のない人が罪人のために死ぬ、といったような事件でなくとも、悪い人は良い人の精神や体力を日々浪費する。不健康な人を健康な人が支え、強者が弱者を助けるのは倫理的にも人道的にも当然だ。だがしかし…不健康な人や悪い人や馬鹿な人や弱者の数に対して、優秀な人・強い人・健康な人が圧倒的に足りていないのだ。「悪い奴を減らせ。悪い奴は勝手に死ね。他者を巻き込まず、独りで死ね。悪い奴どうしで死ね。」そういう思いが多くの人に抱かれていても仕方の無いことであり当然のことでありおかしくないことになってしまっている。

想像力が欠けていて、思慮が浅く、短絡的で感情的、快楽至上主義で唯我独尊、酒と金と異性にまみれて、気に入らないものに対して躊躇なく攻撃する。そうした人間に振り回されて疲れ切った人が自殺をする。自殺までいかなくても一生を棒にふる。バラ色じゃなくても充実した日々を過ごせたかもしれないというのに。そうだというのに、一方で愚かな人間はそうしたお人好しな人がいなくなったそばから次を探す。愚かな人間はお人好しを取り合う。愚かな人間はお人好しの苦労を全く気にとめずに今日も明日もお人好しを消費し続ける。そして美味い物を食べ、魅力的な異性と交わり、多くの快楽に身を任せ、大きくてふかふかのベッドで深い眠りにつく。

こんな世の中はすでに殆ど世紀末。右も左も蛮族だらけ。お人好しなお隣さんは壁の向こうで蛮族に四肢をもぎとられているところ。あちらのお人好しなおばさんは、鞭を打たれて死ぬまで働かされているところ。暇なので出かけようと思ったら、急いだところで数分しか短縮できないのに煽ってくる野蛮な人たちばかりで帰宅したころにはもうぐったり。

嫌な行動ばかりする人たちをどうにかできる合法的な方法があればいいんだけど。機関や法律はあてにできないし、自分は非力だからこうして外界とのつながりを可能な限り遮断して過ごすしかない。
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