今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

総社大神宮(福井県越前市京町1丁目4番35号)

2024年08月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月29日

総社大神宮
総社とは大化改新の結果、越前国にも国府が置かれ、国司は管内の官社をはじめ、国内神名帳所載の諸社を巡拝することになっていた
やがて巡拝の労を少くする為や、急を要する祈願や祭礼のために、国司所祭の神霊を一ヶ所に合祀して総社が建てられた

鳥居
長徳2年(996年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向
もしかしたら、父とともに総社を参拝していたかも知れない
『源氏物語』の浮舟の巻には
「武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参り来なむを…」 とあるそうだ
宇治から帰京する浮舟の母が
「たとえあなたが、遠い武生の国府のような所へ行ってしまったとしても、こっそりとお伺いしましょう…」



狛犬1






鳥居
鳥居の額には「總社大神」



正面に社殿が見える



手水舎



狛犬2









拝殿
鎌倉・室町時代の争乱により社殿は焼失し衰退した
前田利家が府中在城の時、本殿及び拝殿を寄進



現在の社殿は大正15年(1926年)6月に造営された
本殿は流造り、拝殿は入母屋造りで、千鳥破風を乗せ唐破風の向拝がついている



額には「總社」
拡大すると「海軍大臣 海軍大将 岡田啓介 謹書」とある
調べて見ると連合艦隊司令長官、昭和9年(1934年)には福井県初の内閣総理大臣に






本殿
祭神:大己貴命(大国主命)
   越前国中官社 百二十六座 (越前国延喜式内社126座)
*奈良時代の天平11年(739年)には、聖武天皇の勅願で諸国の総社に大己貴命を併せて祀る事になった



神馬






神楽蔵



忠魂堂






征清祈念碑



天満宮










国分寺
偶然、国分寺の案内板が視界に入ってきた
いくつかの国分寺巡りをしていたので嬉しい発見であった



本堂






堂内の様子






撮影訪問日 令和6年5月29日

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