今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

高田山 専修寺 その2(三重県津市一身田町)

2020年10月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月15日

「太子堂」



前回訪れた時、寺の行事の一つである「納骨堂法会」開催日と重なり、入ることができなかった場所に向かう



厳かな雰囲気の建物が並ぶ



広場があったので歩いて遠くから建物正面を眺める



御廟唐門(重要文化財)



正面は平入りの唐門






扉の隅々まで装飾彫刻で埋めつくし、工芸品のような美しさを見せている



透塀(重要文化財)
瑞垣は唐門の両脇から東西に長くつらなっている



「透塀と唐門(重文)」






拝堂(重要文化財)
屋根の正面と背面に大きな千鳥破風、正面の軒に唐破風をつける



唐門、瑞垣、拝堂とも幕末の建造であって、拝堂の瓦に安政5年(1858年)の銘がある



外観は見事な彫刻で装飾されているが、内部は構造材を露出させている






拝堂の横を通り奥を眺めると石造の橋があり、その奥に「御廟」がある



「御廟」
築地塀に囲まれた区域が「親鸞聖人」と歴代上人の御廟である



更に奥があるようで、女性が写真を撮っているのが見える



鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。手を叩くと餌を貰いに寄ってくる
口を開けてパクパクしていたところを撮った



池周辺の景色






「納骨堂」



「御廟や納骨堂」がある場所だけに、鬱蒼とした樹森があって、静寂を漂わせている



普段は風景など興味も無く撮らないのだが……



「如来堂(国宝)」のある場所に戻ってきた



その横には「御影堂(国宝)」






茶所(重要文化財)
湯茶の接待所も重文に指定されていた






鐘楼(重要文化財)
1間4方で、入母屋造の屋根をのせている



棟瓦から正徳3年(1713年)の刻銘が発見、そのころ再建されたものと思われる



「銅鐘」
専修寺第15世住持「堯朝上人」の夫人高松院が、堯朝の7回忌を迎えるにあたって、慶安5年(1652年)に鋳造させたもの
高松院は津初代藩主「藤堂高虎の長女」
堯朝上人は、江戸幕府より「親鸞自筆の文書」を将軍家光へ献上せよとの働きかけに抵抗
正保3年(1646年)江戸で切腹したといわれている。その時堯朝上人は32歳の若さであった



鐘楼から見た御影堂



大玄関(重要文化財)
寛政2年(1790年)の再建



明治11年(1878年)に現在の位置に移築された
この移築も明治13年(1880年)の天皇行幸に備えたものと思われる



御対面所(重要文化財)
5室ずつ3列の座敷からなる建物
大正初年までこの第5室に法主が座を設けて、ここから第3室以下の門信徒に対面していた



進納所(重要文化財)
院號・法名を下げて頂く場所で、高田本山へ参詣者が御懇志を納めるところ






御影堂壁面を歩く



「山門(重文)」を後にして駐車場に戻る



壁の線からも寺の格式が高いことが分かる



帰りには唐門の扉が開いていた
奥に見えるのは「如来堂(国宝)」



撮影 令和2年9月15日

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