今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

武蔵の里(岡山県美作市宮本)

2022年09月13日 | 名所・旧跡
訪問日 令和4年6月2日

武蔵の里
宮本武蔵生誕伝承地
宮本武蔵ゆかりという伝承があるとされる旧跡、名所、顕彰施設などがある

吉川英治文学祈念碑
剣聖宮本武蔵は天正12年(1584年)宮本村(現 美作市宮本)に生まれた
文武両道の達人で郷土の誇りとして語り伝えられてきた
昭和に入り、朝日新聞連載小説「宮本武蔵」によって、一躍日本の、いや世界の宮本武蔵になった



武蔵の生家
父は平田無二斎、祖父平田将監は十手術の達人で、武蔵は幼少の頃から武術にたけていた
13歳の時、新当流の有馬喜兵衛に勝利し生家を出て生涯戻ることはなかった









昭和17年(1942年)火災にて焼失し現在の家になる
大黒柱の位置は昔と変わっていないという



奥に見える家は武蔵の姉の嫁ぎ先の西尾家



武蔵の幼名は辨助(べんのすけ)
大好きな武蔵坊弁慶名前をもらって「武蔵(たけぞう)」と名乗っていた




こちらは武蔵の姉が嫁いだ家



西尾家も新免家もその子孫が引き継いでいる



武蔵神社
昭和46年(1971年)全国1300余名の浄財により建立












狛犬






拝殿






宮本武蔵肖像を模した奉納額






彫書芸術の創始者 彫無季(本名 河野省三)謹作書






本殿



著書『五輪書』の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗っている






武蔵の墓



武蔵の墓の前で観光協会の人に声をかけられ歴史について説明して頂いた
大河ドラマで武蔵が放映されていた時は毎日20台以上の観光バスが来ていたという
今はコロナの影響もありほとんどの施設は閉鎖されたそうだ



平田無二斉夫婦のものとされる墓の隣に建立された



武蔵の墓
武蔵の養子・宮本伊織の手により熊本から分骨したものとされる



「賢正院玄信二天居士 」と刻まれている



私と同じように武蔵観は吉川英治だという観光協会の人
話しが面白くもう一度本を読みたくなってきた
彼がいなければ武蔵の里も味気ないものになっていただけに嬉しい(感謝)



讃甘神社(さのもじんじゃ)
観光協会の人に案内された



額には社号の「讃甘神社」(さのもじんじゃ)と読めなかった



武蔵が、神社神主の太鼓を鳴らすバチ捌きにヒントを得て、二天一流を編み出したと伝わる



拝殿と奉納額












武蔵は魅力的な人物で映画やドラマを視たり、小説も読んできた
吉岡一門と戦った後に潜んでいた東寺の横にある観智院、五輪書を書いた霊巌洞も訪れた
幼少期に過ごしたこの場の空気も吸うことができた



撮影日 令和4年6月2日

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