今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

大日山 日龍峰寺(岐阜県関市下之保)

2022年06月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

大日山 日龍峰寺(別称:高澤観音)
高野山真言宗の寺院
海抜283m高沢山の中腹に位置している
寺伝によると仁徳天皇の時代、飛騨の国に両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた
『高沢の山脈に池あり、神龍住みて近郷の村人に危害を及ぼす』と聞き、神龍を退散させこの峰に寺を開創したという



仁王門
亨保3年(1718年)の建立



*実際には仁王門は最後に回ったのだが、脚に自信の無い人は門の前に駐車スペースがあるので
仁王門と像、天井画を観た後に第1駐車場に向かうことを勧める




金剛力士像
典型的な江戸様式阿吽の金剛力士像だという












江戸時代の天井画



鐘楼
昭和11年(1936年)の再建
参拝者は、いつでも鐘を撞くことができる



薬師堂
貞亨5年(1688年)の建立



薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩が安置されている






金比羅堂
文政3年(1820年)の建立



豆千代家先祖の寄進



多宝塔(重要文化財)
鎌倉尼将軍(北条政子)の御代天下大いに旱して五穀稔らず尼公或夜の夢想に何処からともなく神龍飛来
『日龍峯寺に池あり法華経を書写し供養して彼の池に入れば多雨たちまち降りなん』と云って池に飛入するを見て夢さめり
尼公は道運と云へる沙門に命じ法華経十部を書写し供養して池に入れ祈り給ふ、
即忽にして霊雨あり五穀実るとその謝礼として将軍家より荒廃しつつある七堂伽藍残りなく再興され寺領として八拾町歩の所領を給ふ



室町時代、応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失した
この多宝塔は将軍家建立になる唯一の建造物









参道沿いの少し高い所に建っている



霊木千本檜
両面宿儺(りょうめんすくな)が登山の折杖として使用された檜杖
千本の枝葉群立し往時の面影を偲ぶ霊木
左横の人物と比較するとその高さが分かる



左が本堂、右が籠堂(こもりどう)



籠堂(岐阜県指定文化財)
文化3年(1806年)の建立
籠堂とは、信者や行者等がこもって祈願、修行する堂



本堂(岐阜県指定文化財)
鎌倉尼将軍北条政子寄進の本堂は惜しくも応仁文明の乱により焼失
現在のものは、江戸時代前期の寛文10年(1670年)建立
五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩山に建つ



前方は舞台づくりで京都の清水寺によく似ており、「美濃清水」の異名で世に知られている



階段で上がる



本堂から籠堂へ移動する
建物の老朽化による軋みに高所恐怖症も加わり長居はできなかった



本堂前の様子



明治時代の奉納額









天女



大黒天



本堂奥にある「みたらしの霊水」



撮影日 令和4年5月14日

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