今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金刀比羅宮 その2(香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1)

2022年08月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月28日

金刀比羅宮 その2

賢木門(さかきもん)
「賢木門」(さかきもん)はその昔「逆木門」と書いた
長曽我部元親により献納されたが、建築の際に一本の柱が逆さまに取り付けられてしまい、「逆木門」(さかきもん)と名付けられた
賢木門から御本宮まであと143段



明治12年(1879年)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになった
「賢木門」の扁額は、有栖川宮熾仁親王殿下の筆



遙拝所



遙拝所は、伊勢神宮や皇陵を遙拝する所。神籬殿と拝殿からなる
遙拝所から御本宮までまであと132段



鳥居をくぐると二つの道に分かれる
右に進む階段は一方通行で御本宮へと続く



真須賀神社



八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話に登場する勇武絶倫の神様で、大国主神の御祖神
真須賀神社から御本宮まであと133段



御前四段坂
御前四段坂は、133段の石段
各数十段の4段階になっている



石段左横に「あと少し。御本宮まであと133段! 登って幸せ。福が来る!」
多くの参拝者はこの言葉を口ずさみ登って行く



社殿が見えているのに実際登ってみるとなかなか足が進まない
年齢と運動不足を感じさせる石段だ(汗)



御年神社






事知神社






所要時間約30分が普通だそうだが、倍御本宮以上の時間をかけて登ってきた



御本宮
御本宮は、石段785段目、海抜251mに鎮座



祭神:大物主神と崇徳天皇
古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として仰がれている



ベンチで休憩し重い腰をあげる



神饌殿
本殿の向かって右、入母屋造・檜皮葺。神饌を調進する所
*本宮の神饌殿の右の北透垣の奥にある鳥居が本宮エリアから山頂への上り口



神饌殿と拝殿をつなぐ回廊(北渡殿)



本殿は、明治11年(1878年)の再建。桧皮葺・大社関棟造






本殿内は撮影禁止のため、ここまで
「第60回掃海殉職者追悼式」に参列していた多くの自衛官も参拝していた



レンズキャップを落とした際、制服組の上官が素早く拾ってくれた
この日、私は海上自衛隊の帽子を被っていた



展望台
御本宮の前の広場は展望台になっている
讃岐平野の向こうに瀬戸大橋や讃岐富士などを一望できる






神木の楠から御本宮を見る



南渡殿、直所、本殿、拝殿



南渡殿は、本宮と三穂津姫社をつなぐ約40mの回廊



三穂津姫社



拝殿は、檜皮葺・大社関棟造



「三穂津姫社」の額



本殿は、明治9年(1876年)の造営。檜皮葺・王子造
祭神:三穂津姫神



御炊舎
明治7年(1874年)建立



神楽殿



下向道(一方通行)



急石段で注意を要する



大山祇神社






旭社(重要文化財)
本宮を参拝した後に参拝するのが習わしだという



清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられる「森の石松」は、
あまりの豪華さに本殿へ行かず、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる



神仏分離以前は「金堂」であり薬師如来と十二神将を金毘羅大権現として鎮座していた












正面



扁額には「旭社」



楼上の額「降神観」は清朝の書家 王文治の筆



屋根裏の装飾も凄い



参拝者には若者の姿が多い



表書院(重要文化財)



重文の表書院内は円山応挙の障壁画で飾られている(拝観料800円)
90面は重要文化財に指定されている(保護ガラス越しの拝観)



神馬(月琴号)












こんぴら狗
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていたが、神仏への参拝の場合はその限りでなかった
「お伊勢参り」と並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントだった
当時、東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって代理で参拝に行くことがあり、これを「代参」といった



実は、代参をしたのは“人”だけではなかった
「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあった
袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていた
犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いた






撮影日 令和4年5月28日
コメント
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