江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

ネトウヨと言われる人たち

2017-07-13 | 随想
「オレ達にも表現の自由があるんだ!」
と、ヘイトスピーチやネットへのえげつない書き込みを繰り返す人たちがいます。

客観的な立場で見ていても気分が悪くなるものですが、直接自分が当事者となった時などえも言われぬ気持ちになります。
時には怒り心頭に達したり、心臓の鼓動が高まることさえあります。
ヘイトを発する人たちからすると、それがねらいでしょう。

時には「ザケンナ! この野郎!」
なんて、声を出してしまう自分の低レベルさに気が付いて笑ってしまうこともありますが、しょっちゅうヘイトに晒されている人の身になれば笑って済ませる問題ではないでしょう。

ある意味で、言葉の暴力の方が肉体的暴力よりも人を傷つける場合があるかもしれません。


これらネトウヨや街頭ヘイト集団の特徴は、その表現に用いる語彙や言葉の使い方がえげつないのと表現内容の脱知性&脱論理にあります。
比べるのもどうかとは思いますが、昔の右翼と言われる人たちはそれなりに勉強しただろうと思わせるものがありました。
いや、それどころか思想的にもキラッと輝くものも見られました。

その意味では、今のネトウヨと言われる皆さんは本当の右翼(この表現は曖昧だが)ではなく、私たちやメディアが勝手にそう呼んでいるだけの話かもしれません。
同列に並べるのは、それこそ脱知性と言われてしまうかもしれませんね。

そういう枠付けやグルーピングに意味を見出す作業も面白そうですが、彼らのような人々が今の日本社会に一定数存在して日々発信している事実は重いものがあります。
何故なら、現政権の存立基盤の一端をある側面から荷なっているからです。
俗に言うところの政権サポーターであったり、実動部隊として活動することも少なくありません。

安倍政権の誕生が潜在的なサポーターを掘り起こし、SNSの発達と相俟って雪だるま式に膨れ上がったとも言えます。
歴代自民党政権は、少なからず右翼によって支えらてきた部分もありますが、むしろ勝手連的な関係性にあったと思います。
しかし、安倍政権においては、言ってみれば彼らは市民権を得て堂々と表舞台へ進出してきました。


安倍政権の位置づけは視点によって異なるものの、政治思想的には極右と見る目が一般的です。
特に、外国のジャーナリストは自国の価値基準に合わせて判断しますから、日本の首相は極右だと思われても不思議ではありません。

ここで私たち自身も留意すべきは「レッテル張り」です。
先の文言を使えば「枠づけ」です。
レッテルを張ることによって中身は深く吟味せず片づける・・・。
これは、ある意味で合理的ですが、立場を変えて見ると真実を見ずして切り捨てることにもなります。

それを予防するのは知的感性と関係性の構築です。
ある時は対話であり、ある時は学習・分析が必要です。

右翼だから悪いとか間違っているわけではありません。
何故、極右と言われ避けられたり批判されたりするのか、その理由こそ肝心なものです。

例に挙げるのが適当ではないかもしれませんが、あの北一輝を右翼だと決めつけて避けていては日本の近代以降の思想が理解できないばかりか、混迷を深める今日の思想状況を切り開くことができません。

要するに、国の政治家だったら自分の幸せだけではなく国民の幸せを保障する政治を行うことです。
全ての人々の人権を守り生活を豊かなものにする政策を、民主主義の原則に従って実践すべきです。
そういうことが担保される政治思想であるのか?ないのか?
そこが問われるわです。


さて、それでは、ネトウヨと言われる人たちや街頭ヘイト集団をレッテル張りしないで対話したり共に学習したりできるでしょうか?
SNSでは、それを試みている人々は少なくありません。
何とか関係性を確立して討論しようとする真摯な姿勢が見られますが、残念なことに大半は討論になりません。
話の前提になる事実問題さえスルーしたり誤認を押し付けてきたりするため、そこから先には進まず結果的に彼らは相手を罵倒して終わる流れが多いようです。

安倍首相が秋葉原の演説で、「あのような人たちには負けるわけにはいきません!」と言いました。
私は、それを聞いてネトウヨと似ているなぁと思いました。
何故自分が批判されているかを考えないばかりか、批判を聞く耳を持たず一方的に相手を決めつけて罵倒するからです。
「みなさん、誹謗と中傷からは何も生まれません!」と発言した言葉をそのまま首相に返してあげたい気持ちです。

国家権力という強大な権力を持つ人間に対しては、攻撃的な言葉や未熟な表現で対抗するのはありです。
むしろ、そうすることによって気付いてもらうしかないことがあります。
権力によって抑圧される国民は、抵抗権を行使して立ち向かうしかないのです。
ネトウヨたちに対するのとはわけが違うのです。

トランプ現象以降、「反知性主義」という言葉が日本でも広がりその意味するところを巡った論争もありますが、Anti-intellectualismという表記のみから受け取る印象では、知性主義に反対する思想あるいは知性そのものに反対若しくは反する主義主張の何れかということになるでしょう。
そこはおいておくにしても、「知性」をキーワードにするなら、ネトウヨたちは知性主義に反対している様には見えませんし、かと言って知性に反発している様にも見えません。
ただただ左翼とかリベラルに対する反発、あるいは難癖をつけているに過ぎません。
その意味では、討論もできない知性に欠ける人々と定義されても仕方ないでしょう。

それと符合するかのように、昨今の国会における安倍政権の人々がその実態を示してくれています。
私たちはネトウヨと言って軽視するのではなく、現政権と一体になった政治勢力として批判・追及していくべきでしょう。
これは彼らに対する最大限の賛辞ではありますが……。


<アベは辞めろ!>







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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-07-13 18:09:56
朝鮮人とか、部落の方々とかは、差別されていると被害妄想を持ったまま、共産党員と一緒になって、駄々をこねて利権を蓄積してきたわけだから、嫌われるのはしょうがないよね。もっとも、ネトウヨというのは、在特会の方々とちょっと違うと言うか、普通の無党派層のような人が、左翼の嘘に気付いてしまい結果として安倍総理とか自民党擁護になってるだけで、それを極右と呼ぶのはどうかと思う。フランスの大統領選挙でルペンが極右と紹介されるのに、メランションが極左でなく急進左派と紹介されるのをテレビで見て大爆笑したなあ。見る人の視点の問題か。
差別される側の歴史を教えられないこと自体が差別の証 (油かすを料理に入れるとおいしいよ)
2017-09-16 09:52:25
「差別をされていると被害妄想をもったまま」とありますが、差別は「被害妄想」ではありません。現実社会の問題です。就職差別、結婚差別をご存知でしょうか。また、これだけ毎日マスコミで「北朝鮮のミサイル」のことがニュースで報道される中、子どもたちの中にもふざけて「北朝鮮」と何もわからず口にする子も出てきています。在日朝鮮人の子どもたちがどんな思いでいるか考えてみて欲しいと思います。子どもたちには何の罪もありません。在日朝鮮人の子どもたちの学習権は日本の子どもたち同様認められるべきですし、在日朝鮮人の民族教育を政府は認める義務があると私は考えます。そもそも、なぜ朝鮮学校ができたのか。なぜ朝鮮半島が分断されたのか。その歴史を学ぶことぬきに現在を語るのは、理不尽です。
朝鮮学校に通う子どもたちだけが、高校無償化から排除されていることは、国による差別にほかなりません。石川一雄さんという部落の青年が、殺人事件の犯人にされて、30年以上獄中に入れられて、その後も無実の証拠がたくさんあるのに、今も再審が開始されていないことも部落差別があるからです。差別問題に関して無知であること、差別される側の歴史が教育の場でしっかり教えられていないこと自体が、今の社会が差別構造の上に成り立っていることの証です。それでよしとするのかどうかが一人一人に問われているのです。
「共産党員と一緒になって、駄々をこねて利権を蓄積してきた」とは具体的に何をさしていっているのでしょうか。「朝鮮人や部落民は嫌われるのはしょうがない」というのは、差別です。朝鮮人であることや部落出身であるだけでなぜ嫌われてもしょうがない存在であるかのように言われないといけないのでしょうか。
Unknown (Unknown)
2017-09-27 16:51:59
部落問題なんてまったくない場所で生まれ育って、学校で「部落問題、同和問題」とかいう言葉を習うと、そこから差別意識が生まれるわけで、差別された歴史を教えないほうが、自然となくなるんじゃないかな。
でも、そもそも、「差別はいけない」って、憲法9条と同じで、誰かが勝手に決めた押し付け理論だからね。  
「寝た子を起こすな」はおかしい (歴史から学ぼう)
2018-02-11 09:33:57


「差別はいけない」という言葉だけ言われても、押し付けと感じる人もいるでしょう。
なぜ差別はいけないか、考える必要があります。差別され虐げられた当事者の話を聞くのが一番だと思いますが、それができないなら、本などを通じて学ぶこともできます。
一人一人が差別されてきた人たちの歴史に学ぶことでしか自分と関係あることとして差別の問題を考えることはできないのではないでしょうか。差別されてきた側の歴史を知ること、差別によってどんな思いをしてきたのかを想像すること、差別されてきた人たちが生み出してきた文化や生活を知ること、差別を許さない闘いの歴史を知ること、これらのことが、差別をなくすことにつながると思います。
そして、為政者が、民衆を分断して支配するのに差別・排外主義が用いられることに留意する必要があります。労働現場でも労働者の全体的な労働条件を引き下げるのに、差別が利用されます。
部落問題が全くない場所なんてありませんよ。インターネット上では差別があふれています。インターネットが普及している今、差別はどこにいても追いかけてくる暴力なのではないかと思います。だからこそ、差別を見抜く感性をみがき、差別を許さない取り組みが必要なのではないでしょうか。
なぜ差別はいけないか。無実の部落民・石川一雄さんの獄中記をお読みください。(『石川一雄獄中日記』)無実の人が30年以上身柄を拘束されるということがあってよいと思われますか。石川一雄さんは未だに見えない手錠をかけられたままです。結婚差別をされた方の手記をお読みください。(『愛が引き裂かれたとき』『沈黙せず 手記・結婚差別』など)差別によって小学校に通えず、文字を奪われた方々が、大人になってから識字学級で文字を学んで書いた作文をお読みください。(各地域の人権センターや公共図書館に相談して探せば入手できると思います。映像資料もあります)
2016年に成立した「部落差別の解消の推進に関する法律」をご存知ですか。この法律にも、「この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落
差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保 障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこ れを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定 め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等につい て定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現するこ とを目的とする。」とあります。部落差別があるということは争いようのない事実です。『全国のあいつぐ差別事件』という本が毎年出版されているので、ご参照ください。どんな差別があるかや差別事件にどう対応しているかが書かれた本です。現に差別があるのに、「寝た子を起こすな」なんて言っていたら、差別は野放しになり、差別によって追い込まれる人を増やすだけです。
多くの部落民が差別によって自死に追い込まれてきました。差別によって苦しむ人がいない社会、差別によって命を奪われることのない社会を目指しましょう。

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