社内報のHPのお悔やみ欄を見て驚きました。新聞社に同期で入社したMさんの名前が載っていたからです。78歳でした。「まだ早いやん」と思わず声が出ました。
全共闘世代でMさんが在学していた東京大経済学部は全学スト、私が在学していた横浜国大も全学ストのあおりで、Mさんは1970年5月卒業、私は6月卒業でした。
同じ東京大でも法学部などは授業・卒論日程を繰り上げ、3月卒業とし、4月入社に間に合わせる措置を取りました。繰り下げ卒業となったのはMさんと私の二人だけでした。そんなこともあり、入社前に二人で新宿で飲んだこともありました。
Mさんと知り合ったのは69年秋の無線電話講習でした。携帯電話がなかった54年前のことです。電話のないところでの通信手段は無線電話でした。重さ2キロの無線電話を背負って現場に駆け付けるのは新人記者の役目でした。
東京本社であった無線電話講習に参加したのは18人。全員男性でした。東京大法学部が6人、東京大の経済部・理学部は3人、早稲田大政経学部が6人、慶応大、東京外国語大各一人、そして私でした。
そのうち、60歳の定年前に亡くなったのが5人、定年後は1人。Mさんが加わり、7人があの世に旅立ちました。
「24時間戦えますか」とあおられたモーレツ世代でした。無線講習の同期生の4割が死亡したことに衝撃を受けています。いずれも私よりぐんと優秀な記者ばかりでした。