栃木県真岡市の銃砲店を革命左派の活動家が襲い、猟銃10丁、銃弾2300発などを奪った事件が起こった翌日の1971年2月18日の朝刊を見て、たまげました。一面に尾崎康夫君(横浜国大生)ら2人が逮捕された写真と記事が載っていたからです。
尾崎君と私は66年入学の同級生で、サッカー部で一緒でした。長身の彼のポジションはキーパーでした。私はサッカーの才能がないので1年でやめてしまいましたが、彼はその後も続けたはずです。
彼は当時流行のアイビースタイルで決めた普通の学生でした。体育会系の言動をするタイプで、私は「右派」とみていましたから、逮捕の記事を読んでびっくりしました。
週刊新潮の記事で、彼が「大学3年のとき、東京大安田講堂事件を見て共感するまでノンポリでした。その後は、毛沢東の本を多数読み、毛沢東シンパになった」と語っているのを知りました。革命左派は毛沢東の思想を信じたグループですから、思想的に共鳴したようです。
彼は京都刑務所で9年間、服役し、現在は父が残したテニスコートの管理人をしているといいます。ちなみに、彼の弟は東京都医師会長の尾崎治夫さん(71)です。コロナ対策で医師会の立場から積極的に発言しています。
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