団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

昭和39年、洋食屋さんは商店街になかったなあ!

2017-04-25 09:48:36 | 健康・病気

NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」を見ていたら、主人公の谷田部みね子のお父さんが昭和39年秋、出稼ぎ先の東京から稲刈りのために帰る途中、洋食屋に立ち寄り、ハヤシライスを生まれて初めて食べるシーンがありました。ナレーションで「東京では当時、洋食屋は珍しいものでした」という内容が流れました。

「そうだったかな」と思いながら、東京五輪の年、高校2年だった私が住んでいた東京・下町の商店街の店舗をひとつづつ思い起こしました。理容店の隣は駄菓子屋、その隣は文房具店といった具合です。

飲食店を思い出しながら、頭の底に眠っている記憶を呼び起こしましたが、そば屋、ラーメン店、すし店はありましたが、洋食屋は出てきません。

そういえば、我が家では、外食することは滅多にありませんでした。私の外食が唯一認められていたのは、テレビが自宅になかった小学生時代、土曜日の夜、そば屋のテレビを見るためでした。洋服職人の両親は仕事のため、私一人が午後6時ごろ、一杯20円のかけそばか、かけうどんを注文し、午後9時10分から始まるサスペンスドラマ「日真名氏飛び出す」を見終わると、帰りました。

小学校高学年になると、5歳下の妹がテレビ目的のそば屋の外食に加わりました。家族での外食は年に1、2回です。ラーメン屋さんか、そば屋さんです。それでも、外食の夜はうれしくて、そのとき食べたラーメンやそばはことさらおいしく感じました。

ただ、洋食でもカレーライスはそば屋でもラーメン屋でも売っていました。それ以外の洋食というと、私にも、縁遠い食べ物でした。

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2 コメント

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鯨屋とソースとボール (Unknown)
2017-04-25 11:44:13
高校の側にクジラ屋という店、唐揚げとサラシ酢味噌。後者はオバケの略でオバと言ってました。その側にトルコ松島。出来たばかりの江東楽天地、映画館の奥には所謂AV舘とストリップ劇場、タケちゃんは行ってないだろうなあ!!
洋食と言えば駅ビル横にスパゲッティ屋、ミートソース、とミートボールのみ。注文はソースか、ボールと言えば良い。私は歓楽街の中の「憩い」という雀荘に入り浸り。馬券売り場も近かった。懐かしく、もの悲しい。
Unknown (タケちゃん)
2017-04-25 12:14:30
江東楽天地わきには、高校同級生のY君の洋食屋があったなあ。カレーライスにソースをかけたら、Y君がすごく怒ったのを思い出します。

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