団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

「アキラさんは、いいなあ、歌があって」

2019-04-15 09:36:31 | 健康・病気

80歳のマイトガイ、小林旭のコンサートを聞いてきました。映画の絶頂期に日活映画のスターになり、その斜陽・衰退期から歌手としての公演活動を本格化したアキラは映画の時勢の移り変わりを体験しました。

コンサートでは、自らの経験と重ね合わせながら、数々のヒット曲を、あの高音で歌い上げました。映画が娯楽の王様だった昭和30年代、アキラは「渡り鳥」「流れ者」「旋風児」シリーズに主演しました。「タイトルは変わっても、悪役の親分は金子信夫さん、用心棒は宍戸錠、恋人は浅丘ルリ子と同じメンバー。これはどの映画を撮っているの、とよく言い合いました」

画の全盛期、どの映画にも観客が詰めかけたといいます。旭さんは当時を振り返り、「四国の映画館では200人収容のところに1000人以上が押し寄せ、人波で柱や壁が広がり、トタンの屋根が落ちたことがあった。スクリーンを落ちてきたトタン屋根がさえぎってしまった。当時の観客はやさしいね。『映画が見えないぞ』と声が上がっただけ。今だったら大問題になるよ」と話しました。

東京五輪が終わり、テレビが家庭に普及した40年代に入ると、映画は斜陽期に入り、撮影所は次々と閉鎖されました。大部屋俳優といわれ、役も付かないし、タイトルに名前も載らない人たちは職を次々と失っていきました。

そういう人たちを、旭さんは自宅に招いて、よく酒を飲んだそうです。旭さんも映画の出演が減り、歌手として地方の公演活動に力を入れていました。大部屋俳優の男たちは酔うと、こういったそうです。「アキラさんは、いいなあ、歌があって」

ついでですが、旭さんは東京児童劇団に入っていて、NHKのラジオドラマ「三太物語」に出演していました。ドラマが始まる「おらー、三太だ」の声は「私の声」と旭さん。私も子どものころ、何度も聞いた「おらー、三太だ」の甲高い声が小林旭さんだったと初めて知りました。

 

 

 

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