肺がんで「余命半年」と診断されたMさんの妻は毎日、30種類の食材を用意し、その中からMさんが「食べたい」という料理をこしらえました。二人でなんでも相談しながらこれまで生きてきましたから、闘病生活でも同じでした。
子どもや親類、友人、知人に余計な心配をさせたくないと考え、一切連絡しませんでした。典型的な理系人間のMさんはやりたかったことをやってから死にたいといい、体と相談しながらという前提でリストづくりをしました。
その一つが長期のヨーロッパ旅行でした。妻も大賛成。1カ月にわたって欧州各国を巡ってきました。
食事療法と意欲的な生き方が効果があったのか、肺がんの進行は医師の診立てよりずっとゆっくりでした。抗がん剤の投与が始まったのは3年後。副作用で髪が抜けてきたため、娘と息子、そして親類などにも伝えました。
妻は活発なタイプで老人会の世話役として飛び回っていました。妻に内緒で新車を購入し、亡くなる直前に贈りました。
ゴルフ仲間である息子の嫁の父親と1か月前にグリーンを回りました。学者に嫁いだ娘には3日前に大学の給料だけでは大変だろうと株式投資の手ほどきをしてから、亡くなったそうです。
こんな終活は私にはとうていできそうにありません。