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「天皇のロザリオ」皇太子をクリスチャンに仕上げ、将来の日本をキリスト教国化

2006年07月22日 | 歴史

「天皇のロザリオ」 皇太子をクリスチャンに仕上げ、将来の日本
のキリスト教国化を確実にしようという遠大な計画の一つであった。


2006年7月22日 土曜日


天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀 (単行本) 鬼塚英昭(著)

かくて、皇太子はキリスト教徒になった

渡部悌治は『ユダヤは日本に何をしたか』(私家版『摸夷の流れ』)の中で、貞明皇太后について書いている。

《 日本覆減の方策として、キリスト教・フリーメイソンらの立てた方策に、皇室にキリスト教を入れて日本国家を転覆させるという企てがあった。それには皇室内の関係者になるべく多くのカトリック信者をつくり、四囲をかためて貞明皇后様を入信させるという陰謀であった。宮中をキリスト教で乗っとる策謀である。 》

貞明皇后(昭和天皇の母、後に皇太后)は、戦前からキリスト教に深い理解を示していた。敗戦後しばらくして、宮内省の職員が「宮中内部もこれから変わるだろう」と、遠回しに貞明皇太后に伝えたことがあった。皇太后は言った。

「それでは、要するにご維新前と同じことになると考えればいいのですね」

貞明皇太后は明治の時代をよく知っていた。貞明皇太后の若かりし頃、周囲はキリスト人脈で溢れていた。

明治の元老の伊藤博文はドイツでキリスト教に改宗し、キリスト教を模して神聖国家日本の基礎を作った。「昔に返るだけのこと」とは意味深長である。幕末までは、天皇家は仏教中心せんゆうじの生活を送っていた。天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺である。泉涌寺は天皇家の死者を、仏式により葬った。また、供養をした。天皇家は仏教儀礼の中で生き続けてきた。

宮廷記者を長らく務めた高橋紘は、『天皇家の仕事』の中で次のように書いている。.

《 太平洋戦争に至る過程、終戦をめぐって、あるいは戦後の宮中改革、皇族の臣籍降下、宮中祭祀の変更など、皇太后のところにすべて相談があり、報告が上がっていた。昭和天皇はいつも、皇太后をたてていたようすが、側近の日記などからありありと分かる。 》

賀川豊彦は後の章で詳しく書く。現代史上、最高のキリスト者である。戦後、賀川はアメリカの記者に次のように語っている。当時、賀川は東久通内閣の参与であった。

天皇は立派な人物である。なぜなら、キリスト教に興味をもっている皇太后の影響を受けているからである。

この会見の報道にアメリカ中が湧く。後章で詳述する。天皇がマツカーサーとの第一回の会見で、私は天皇が「キリスト教徒になりましょう」と言ったと思う、と書いた。この点から見ても間違いのないところである。

保阪正康の『秩父宮と天皇』を見る。

《 秩父官には明らかにキリスト教の影響があって「天国の安らかな眠り」につく死者にはそれなりの態度で遇することが必要だという考えをはっきり打ち出していた。こうした文章を読んだ読者は、秩父宮はつい二年ほど前に終わった米英との戦争に決して賛成ではなかったと判る。秩父宮が、太平洋戦争に少しも関与しなかったために、その主張はいっそう重さを増した。 》

保阪は次のようにも書いている。三笠宮は大正天皇の四男である。長兄は裕仁(昭和天皇)、二男秩父宮、三男高松宮である。

《 天皇家のキリスト教に対する許容量が広くなったのは、三笠宮が日本旧約学会の会員になり、ヘブライ語の研究を続けたことからも明らかである。秩父宮が、英国を「範」にする論調の文を書いたのは、英国社会に根付いているキリスト教のモラルに対する関心が底辺にあったからである。 》

三男の高松官は、後述するが、キリスト教に深く帰依していた。天皇家は全員がキリスト教に深く帰依していた様子を読者は知ったはずである。天皇とキリスト教を結びつける人脈で、忘れてはならない二人の女性がいる。一人は植村環であり、もう一人は皇太子の家庭教師となったE・G・ヴァイニング夫人である。 (中略)(P439-P441)

では、もう一人のキリスト者のヴァイニング夫人について書くことにする。

一九四六年三月五日。米国教育使節団は天皇と会見した。天皇は突然に(使節団にそう思えただけで、天皇は側近たちとの熟慮のうえの決断であった)、皇太子の家庭教師の件を持ち出した。そして四つの条件を付けたのである。

米国婦人であること、クリスチャンが望ましいが狂信的ではないこと、「日本ずれ」していないこと、年齢は五十歳前後であること、この四つの条件であった。

この使節団の来日は、マツカーサーが一九四六年一月四日にワシントンの陸軍省宛に電報で教育使節団を送るよう要請したことに始まる。陸軍省はこの使節団の中に、カトリツクとプロテスタントの代表をわざわざ選考し、加えていた。団長のジョージ・口・ストツダートは当時ニューヨーク州教育委員長であり、名門イリノイ大学の総長に選出されたばかりであった。しかも、クエーカー教徒であった。

天皇が自ら、クリスチャンの家庭教師を皇太子につけようとしたことの意味は深い。天皇自身のみならず、皇太子もキリスト教を学んでいるという姿勢をアメリカに見せて、天皇教の存続を図ろうとしたのである。しかも、将来の天皇がクリスチャンに仕上げられることも承知のうえであったろう(今上天皇が現在もクリスチャンであることは後の章で検証する)。

かくて、未来の天皇である皇太子は、天皇教の危機を救うための「人身御供」の役割を背負わされることになったのである。

天皇はこの時期、東京裁判を控え、ワシントンでは決定済みであった「天皇免責」についての正確な情報を入手していなかった。それゆえ、「天皇独白録」を作成したり、マッカーサーの副官フェラーズエ作をしたり、GHQの高官を接待して女を提供しようとしたり、側近たちと孤軍奮闘の最中であった。この家庭教師の件も、そういう状況の中から出てきた作戦の一つであり、マッカーサーさえ全く知らなかったのである。

この家庭教師の件を天皇に注進したのは、山梨勝之進だといわれている。彼は洗礼こそ受けていないがキリスト教信者であり、学習院の院長であった。その当時の皇太子の英語教師R・H・プライスの忠告を受け入れたという説もある。

また、当時の吉田外相もこの件で動いた。クリスチャン人脈が天皇の危機の中で、皇太子をクリスチャンに仕上げ、将来の日本のキリスト教国化を確実にしようという遠大な計画の一つであったといって童言い過ぎではないだろう。

「人間宣言」づくりに一役買ったプライスは、山梨に「天皇は従来の神道だけでなく、キリスト教を積極的に受け入れるべきである」と主張していた。そして、そういう気持ちで皇太子に英語を教えていたから、すでに皇太子はクリスチャンになる可能性は十分にあった。

天皇をキリスト者にしようと動いた主流は内村鑑三、新渡戸稲造に連なるコネクションであり、関屋貞三郎元宮内次官、南原繁、矢内原忠雄、後の最高裁長官の田中耕太郎らであった。彼らの工作により、皇太子は美しい異国のクエー力ーの家庭教師(当時人気のあった女優イングリッド・バーグマンによく似ていた)から、英語とともにキリスト教を教え込まれるのである。

このような美しい女性から少年がキリスト教を教え込まれて、もし信者にならなかったら、その少年はきっと精神の不具者にちがいなかろう。もしも、キリスト教信者にならないようなことがあるのなら、それはきっと奇跡だ。

ヴァイニング夫人は一九四六年十月初めに来日し、一九五〇年の晩秋に帰国した。十二歳の皇太子はそのとき、十七歳の青年になっていた。帰国後、彼女は一九五三年に『皇太子の窓』をアメリカで出版し、当時のベストセラーになった。

日本の学者はヴァイニング夫人のことにほとんど触れない。もし、触れたとしても、その選考過程を書くだけである。彼女も全く無視された存在である。ここにもキリスト教軽視が見られるのである。私はこの『皇太子の窓』は戦後史の貴重な資料の一つであると確信している。では、『皇太子の窓」を開けて戦後史を眺望することにしよう。

一九四七年二月のある日のことをヴァイニング夫人は次のように書いている。

《 いつもそうだったが特にその最初の冬は、私が直接交わる範囲以外の多くの人々は、私が何を皇太子殿下にお教えしているのかということに興味をもち、私の成就すべき仕事におおげさな期待を寄せたりした。二月のある午後、日本基督教団の婦人委員会が私のためにお茶の会を開いてくれ、鴛鴛の模様のある美しい手織りの綴錦を一枚贈り物としてくれた。これは、私に皇太子殿下をキリスト教に改宗させてほしいという、多くのキリスト教徒たちの願いを表現したものに他ならなかった。ずっと露骨な言葉で私にその希望を述べる者もいた。 》

ヴァイニング夫人は、彼女たちの願いを受けて、自らの願いを込めて、皇太子がやがてキリスト教徒になられるように祈ったのであった。

《 父なる神よ、いつの日にか大いなる責務を負うべきこの少年〔皇太子〕を祝福したまえ。心と体と霊の能力がその極みにまですくすくと成長することを得さしめたまえ。彼が心の中なる汝の光を知り、かつこれに信頼し、彼の同胞の中にも存在する汝の光を尊敬することをかれに学ばしたまえ。彼の教師と侍従一同に知恵と勇気を与え、一切の私利私欲をなげうって、ただ、彼の最善攻る成長のために心をささげたまえ。子らをその周囲に集めたまいしキリストの御名によりて、アーメン 》

かのときのヴァイニング夫人の祈りは、皇太子がキリスト教徒になってほしいと願うものであった。そしてその祈りは現実のものとなった。年少のときに神を受け入れた者は、ほとんど一部の例外を除いてクリスチャンの道を一生歩むのである。この時から、弟宮の義宮もクリスチャンとなっていった。 (P445-P448)

エリザベス・グレイ・ヴァイニング


<昭和天皇>靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも

「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。

 ■A級戦犯の遺族
 「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」――A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。

 正氏は昭和天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯合祀とは無関係だとの立場を崩さない。「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、陛下はその後参拝できなくなったのだと私は思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は、陛下の参拝が止まった後のことだ」と話す。その上で「(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」と言った。

 同様にA級戦犯として合祀される東条英機元首相の二男輝雄氏(91)=元三菱自動車工業社長=は「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」と繰り返した。「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」とコメントを避けた。
(毎日新聞) - 7月20日14時12分更新


(私のコメント)
富田メモの内容についてはまだ分かりませんが、メモが真実であるならば、「それが私の心だ」と言う言葉でA級戦犯を忌避して靖国神社に参拝されないことが真実である事になる。天皇自身も「参拝」と言う言葉を使っていたようだ。

今まで私は天皇が靖国神社に参拝されないのは政治的な配慮によるものと思っていましたが、「A級戦犯」を忌避してのものであるならば、天皇によって「A級戦犯」は裏切られた事になる。しかし東條英機が東京裁判で言っていたように、天皇のご命令に逆らう事は無かったはずである。

しかしながら天皇を訴追させないために「A級戦犯」達の共同謀議とされたのだ。この経緯については記録映画の「東京裁判」でもスポットを当てている。だから「A級戦犯」が天皇に裏切られて処刑されたのであるのならば、天皇の人格を疑わなければならない。

確かに「A級戦犯」達は無能な愚か者であり、戦争のために250万人もの死者を出す結果となった。避けることが出来るものなら避けるべきであった。そして天皇は統帥権を持っており、軍部に対して大権を持っていたのである。だから「中国大陸から兵を引け」と命令すれば戦争は起こさずに済んだはずだ。

天皇の統帥権については「天皇のロザリオ」と言う本にも論じられていますが、天皇の統帥権は二二六事件の時も有効に働いたし、終戦の時も天皇の決断が有効であったように最後まで統帥権は機能していた。しかし東京裁判では東條英機はそれを否定した証言をしたために処刑されたのだ。

だからこそ天皇が靖国神社を参拝されないのは富田メモが出るまでは政治的配慮によるものと思っていた。「天皇のロザリオ」と言う本はどこまで信憑性があるのか分かりませんが多くの資料を基に書かれている。マッカーサーとの会見もいまだに公開されていませんが、天皇は日本をキリスト教国化する事を約束して命を救われたらしい。

皇太子をキリスト教徒にするために、アメリカから美しい家庭教師を招くことも天皇救命工作の一つであり、その他にも侍従を使ってマッカーサーに対して様々な工作をしている。しかしアメリカ本国は最初から天皇の責任は問わない決定をしていた。

それはポツダム宣言受諾の条件だったからであり、だからこそ天皇はマッカーサーに対しても裁けるものなら裁いてみろと肝を据えているべきだった。ポツダム宣言のために天皇を裁けないからこそ連合国は東京裁判で厳しい判決を下して「平和に対する罪で」多くの極刑が下された。ニュールンベルク裁判では「平和に対する罪」ではデーニッツ提督の10年と比べると絞首刑は明らかに重い。

だからこそ今上天皇陛下も靖国神社に参拝されて、昭和天皇の身代わりとなって処刑された「A級戦犯」の霊を慰霊するために参拝されるべきである。しかし富田メモにあるようにA級戦犯をあのように見ていたとするならば、今上天皇も同じように思っていられるのだろう。

昭和天皇は最後まで何も語らずに亡くなられましたが、戦前、戦中、戦後と激動の時代を生き抜くためには巧みに変身する必要があった。何も語らない事も護身術の一つでしょうが、富田メモはその例外となり、「A級戦犯」を「それが私の心だ」と断罪している。

しかし私の倫理観からすると「A級戦犯」が極悪非道の大罪人であったとしても、自分の身代わりとなって処刑されたのは事実なのだから慰霊の参拝はされるべきなのだ。おそらくキリスト教徒に改宗されたから靖国神社には参拝されなかったのだろうか?


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19 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-07-23 01:48:16
 あのう

今上天皇陛下の皇后はクリスチャンなのですが、嫁いでからは神道の儀式をちゃんとこなしています。

 知っていますか?

Unknown (Unknown)
2006-07-23 01:54:52
 知ってますか?

■何故、毎年天皇陛下から今でも勅使が靖國に送られているのか。勅使は宮内庁職員といった国家公務員ではなく、『掌典職という皇室が私費で雇った祭祀専用の職員』がやっている。
■何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
■何故、今上天皇陛下や皇族は、神道の儀式を毎回ちゃんとやっておられるのか?→宮内庁のHPに神道の儀式の日程ややった事が詳しくある。

Unknown (Unknown)
2006-07-23 01:55:00
 知ってますか?

■何故、毎年天皇陛下から今でも勅使が靖國に送られているのか。勅使は宮内庁職員といった国家公務員ではなく、『掌典職という皇室が私費で雇った祭祀専用の職員』がやっている。
■何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
■何故、今上天皇陛下や皇族は、神道の儀式を毎回ちゃんとやっておられるのか?→宮内庁のHPに神道の儀式の日程ややった事が詳しくある。

皇室VS徳川家のお家騒動? (Unknown)
2006-07-23 09:06:24
皇室VS徳川家のお家騒動?

そういえば、高松宮妃(徳川慶喜)も皇室の悪口を言っていたな。



系図



徳川吉宗ー徳川宗尹ー徳川治済ー徳川斉匡ー松平慶永ー松平慶民ー松平永芳(←A級戦犯合祀を決断した元宮司)
Unknown (とおる)
2006-07-23 10:38:18
今回の富田メモと新聞マスコミ報道は、情報操作の一環だと思っています。



仏教が入るまでは、神道が天皇家の宗教だったものが、仏教を擁護する天皇が出たのは、随分前の事です。

キリスト教に改宗する天皇が現れたとしても、今まで通りの天皇家の祭祀を行っていく事も可能と思います。(仏教の代わりとしてキリスト教。)
Unknown (通りすがり)
2006-07-23 14:42:41
まあ、多神教の神道の立場からはキリスト教徒の天皇が現れても影響ないんじゃないですか?多信教であるが故に、いろんな宗教をアドホックにつまみ食いすることも許されるわけですから。絶対主義的ではなく相対主義的にね。



仏教徒の天皇もいたわけですし。しかし、それがいつまでも続いたわけじゃありません。



秋篠宮妃がお世継ぎを出産なさるか、男系護持のために旧宮家から養子を迎えるかしたらキリスト教徒による皇室は終焉を迎えるでしょう。そして元に戻る、と。

けっこう楽観的に考えています。



愛子天皇は少し検討したら不自然ですしね。
もう一つ (通りすがり)
2006-07-23 15:32:53
中韓その他の工作員によって靖国神社=戦争犯罪人を崇め奉る施設

というイメージ操作は世界中に定着してしまっています。



もともと普通選挙と衆議院内の選挙で選ばれるような首相が靖国参拝しても今の程度のような騒ぎで済みますが



天皇陛下が靖国参拝をすると、それこそ皇室の危機を招くと思います。

皇室廃絶派の思う壺ですよ。

戦争極悪人を敬う施設に訪問する天皇は何て人でなしなんだと世界中に印象操作されて皇室が再起不能な程度まで貶められるだけの結果に終わると思います。

スジ論からしたら天皇の靖国参拝はOKなのかもしれませんが、



国際社会の空気を読む観点からは、天皇の靖国参拝は取り返しのつかない結果を招くのではないかと思います。
Unknown (Unknown)
2006-07-23 18:32:56
ブッシュもユダヤ教徒ですが表向きはキリスト教徒です。美智子妃も雅子妃も田園双葉出身、キリスト教の学校です。
Unknown (ブロウバック)
2006-08-11 20:45:53
しかし、歴史をさかのぼれば、織田信長のあの鎧(甲冑)を見れば、たぶん信長もキリスト教徒の手先(イルミナティ・サタニスト?)になったんでしょうね。遠慮なく日本の地生えの宗教勢力を「消去」する。血も涙もない。そうすると、秀吉特に家康はえらいですね。禁教を徹底して鎖国政策をとる。300年も成功しつづけた政策です。いまさらこれが出来るとは思いませんが・・。小泉が信長と自分を重ね合わせて悦に入るそうですが、手先どもの考えることはいつの時代も同じですね。
Unknown (Unknown)
2006-08-21 02:39:24
僕は往年の信長と交流ががあったのですが、

彼はなんというか新し物好きで、

舶来品の鎧がちょっとカッコいいとか、

見栄えする品物を身に付けようとした結果が

あの身なりなのだと思います。

本願寺を焼き討ちした件については、

戦略上の邪魔な要素になったから

排除しただけだと言っていました。

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