株式日記と経済展望

株式をはじめ政治経済外交文化歴史などの論評です。

奥山篤信(著)「キリスト教を世に問う!」 欧米の白人のキリスト教とは、恐ろしい宗教なのだ。

2017年05月06日 | 歴史

奥山篤信(著)「キリスト教を世に問う!」 欧米の白人のキリスト教とは、
異教徒や有色人種を人間とみなさないことができる恐ろしい宗教なのだ。


2017年5月6日 土曜日

キリスト教を世に問う! 奥山篤信(著)

 


キリスト教を世に問う、マザー・テレサの仮面を剥ぐ 平成29年3月22日 西村真悟

 畏友の奥山篤信さんが
「キリスト教を世に問う!~マザー・テレサの仮面を剥ぐ」
という本を近く展転社から刊行する。

奥山篤信さんは、
京都大学工学部と東京大学経済学部を卒業し、
三菱商事に勤務してニューヨークで活躍し、
退職後の六十歳の還暦を過ぎてから、
上智大学大学院神学研究科に入学して神学修士号を取得し、
次いでフランスのパリ・カトリック大学に一年間留学した。
実に、昔の武者修行の如き求道である。
但し、その間、フランスの美味美女への求道も怠りなかった。
これが奥山さんの幅の広さである。

上智大学においても、パリ・カトリック大学においても、
奥山さんの同級生は四十歳ほど年下であった。
そして、カトリック大学での留学を終えて、奥山さんは、
これが実に面白いのだが、
完全なる無神論者となってパリから帰国し、
しばらく美味と美酒を求めてウロウロしながら、
キリスト教の偽善と欺瞞を暴いて、
西洋的なものとキリスト教的なものを
未だに盲目的に尊重し、ありがたがり、素直に受け入れる日本に警告を発し、
日本人は堂々と教育勅語の精神を守れという結語を以て締めくくる本書を執筆したのだ。

一四九二年、コロンブスが西に向かってアメリカ大陸の西インド諸島に到着し、
同時期、バスコ・ダ・ガマが東に向かってインドに到着してから
欧米列強が、東と西から開国した我が国周辺に現れるまで、
約三百五十年を要した。
その三百五十年の間に、アジア・アフリカそして南北アメリカは、
ほぼ、欧州のキリスト教国の植民地となっていた。
キリスト教諸国は、激しい植民地獲得競争をしながら支配圏を拡大したのだ。
一四九四年のトルデシリャス条約と一五二九年のサラゴサ条約は、
スペインとポルトガルが、ローマ教皇の承認の下に、非ヨーロッパ世界、
つまり、アジア、アフリカ、南北アメリカを
如何に分配するかを勝手に取り決めたものである。
そして、その彼らの剥き出しの物欲と支配欲を
カモフラージュして覆い隠す「大義」は、
アジア、アフリカそして南北アメリカの有色人種つまり未開人を
文明化しキリスト教徒にするという
「マニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)」であった。
このマニフェスト・デスティニーに包まれた白人の剥き出しの物欲連合と
十九世紀の半ばに開国した我が国は遭遇し対峙した。
そして我が国は、二十世紀の半ばまで独立自尊を守るために戦い続けることになった。

この彼らキリスト教徒が掲げるマニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)、
即ち、キリスト教とは何か、が分からなければ、
我が国は、歴史戦という文明の戦いを克服できないし
自国の歴史と歩みを説明できない。

例えば、
欧米諸国による植民地支配と、
我が国による朝鮮や台湾の支配や戦時中のジャワ支配は如何に違うのか。
実は、この違いは、天と地の違いである。
しかし、キリスト教が分からなければ、我が国は、欧米との違いを弁明できない。
そして、この違いこそ、キリスト教の本質に由来するのだ。

欧米の白人のキリスト教とは、
異教徒や有色人種を人間とみなさないことができる恐ろしい宗教なのだ。
従って、欧米人は現地の植民地の民を人間とみないで支配した。
しかし、日本人は、現地人を同じ日本国民として支配したのだ。
相手を人間とみるか人間とみないか、
これ、天地の違いではないか。
また、
ナチスドイツのユダヤ人虐待と大量殺戮と同じことを
我が国もしたと言われたときに、
キリスト教の偽善と欺瞞を見抜いて隠された本質を知っておれば、
ナチスドイツのユダヤ人虐殺は、
旧約聖書にも記載されており、
キリスト教徒がかつて十字軍や宗教戦争でしていたことであるが、
我が国の精神世界には
そのような神の意志に基づく虐殺はあり得ないと言えるのである。

以上の通り、
我々は、今こそ、キリスト教の本質を知るべきである。
そうでなければ、我々は、
キリスト教を禁教にして日本を救った秀吉の慧眼も、
開国以来のキリスト教列強を相手とした
我が国の苦闘の歩みも実感し理解することもできない。

次に、奥山篤信さんの新書
「キリスト教を世に問う!~マザー・テレサの仮面を剥ぐ~」
に掲載される私の推薦の辞を掲載して、諸兄姉の一読を乞う。

 二十世紀初頭の現代史を大観すれば、ユーラシアの西端の欧州を本拠地とする白人が、
数世紀におよぶ植民地獲得競争の果てに、
アジア、アフリカそして南北アメリカのほぼ全域を支配し、
ただ、ユーラシアの東端の極東にある日本のみが、その植民地支配を受けず、
欧州列強と肩を並べて独立自尊を貫くために苦闘していた。
 では、数世紀にわたって膨張し、遂に極東に迫って我が国最大の脅威となった欧州列強が、
剥き出しの物欲と支配欲を覆うために掲げたものは何か。
それは、未開人である有色人種を文明化し、キリスト教徒にするという
「神から与えられた摂理」(マニフェスト・デスティニー)の実現である。
即ち、キリスト教は、
白人が有色人種を支配することを正当化する宗教として機能し世界史を動かしてきたのだ。
 そうであれば、さらに、
アジア・アフリカそして南北アメリカにおける白人の「キリスト教による支配」の実態は何かを問わねばならない。
それは、端的に言って、異教徒や有色人種を、人間とみなさないことができる支配である。
つまり、キリスト教とは異教徒を人間とみなさない恐るべき宗教として数百年にわたって非ヨーロッパ世界に君臨したのである。
白人キリスト教徒は、アジア・アフリカにおいて、
原住民を「家畜」として売買し、キツネやウサギの狩りを楽しむように「原住民」の狩りを楽しむことができた。我々は、オーストラリア政府が、オーストラリアの原住民であるアボリジニを「人間」とみなして人口統計に入れたのは、実に一九七六年(昭和五十一年)の憲法改正以降であったことを記憶すべきである。また、キリスト教徒は、欧州においても千年にわたって、
隣人を「魔女」や「異端」と決めつけて火あぶりにして殺戮(リンチ・テロ)してきた。
再び言うが、このような恐ろしい宗教があろうか。
 以上の通り概観すれば、ローマ帝国が三九二年に、
キリスト教を国教としてローマ帝国の支配圏に広げたことは、
二十世紀に至る人類の大惨害の発端であったと言わざるを得ない。
その上で、我が国が、このキリスト教による惨害を免れたことは、
ひとえに、キリスト教の本質を直ちに見抜いて禁令の措置を執った秀吉の決断によるものであることを思い、秀吉の慧眼に感謝し、この時にこの指導者をもった歴史に誇りをもつべきである。
当時、非欧州世界の指導者は、スペイン・ポルトガルの植民地化の尖兵で工作員であるキリシタン宣教師のもたらす利益に籠絡されてきた。
我が国の「キリシタン大名」もそうである。
しかし、秀吉だけは違ったのだ。
彼はキリシタンの口先の偽善と欺瞞に怒り、我が国の国柄すなわち國體を護った。
もし秀吉がいなければ、今、日本は日本ではない。
 そこで、本書「キリスト教を世に問う!」の著者である奥山篤信氏は、
何のために「世に問う」のか。
それは、まさに十六世紀後半の秀吉の慧眼を、
現在に甦らせて、日本を護るために「世に問う」ているのである。
奥山氏は、京都大学工学部と東京大学経済学部を卒業して、
欧米のキリスト教圏において実業の世界で活躍し、
還暦を過ぎてから上智大学神学部に入学し大学院で神学修士号を得た後、
さらにフランスのパリ・カトリック大学院で一年間学んだ。
六十を過ぎてからのパリにおけるキリスト教神学との格闘、まさに傑物だ。
そして、その格闘の末に、
秀吉と同じように偽善と欺瞞に怒り、警告の書である本書を執筆した。
それ故、本書は、荒々しく旧来からの偽善と欺瞞を誤魔化すキリスト教の美辞麗句に感心して素直に従っている戦後の風潮を殴打する。
そして、最後を、日本人は堂々と教育勅語の精神に戻れと結んでいる。
まことに、本書は、
千数百年のキリスト教文明の偽善と欺瞞を破り、
日本の伝統と文化を甦らせて将来を拓く愛国救国の書碑である。



(私のコメント)

一昨日は、キリスト教がなぜ日本人に受け入れられないかを少し書きましたが、確かにキリストの教えは立派だが、キリスト教徒が南米やアフリカやアジアでしてきたことを見れば、キリスト教がいかに恐ろしい宗教であるかがわかるはずだ。神の名のもとにキリスト教徒たちは原住民を大虐殺してきた。

キリスト教徒はその事だけでも反省すべきなのですが、日本人に対してもキリスト教徒は日本人を奴隷として海外に売りさばいてきた実績がある。その事は秀吉のバテレン追放令にも書かれていることであり、十条に日本人を南蛮に売り渡すことを禁止する条項がある。高山右近などが神社仏閣などを破壊したことも秀吉を怒らせた。

西村真悟氏の記事にもあるように、オーストラリアでは1976年まで原住民のアボリジニを「人間」として人口統計に加えられなかった。まさにキリスト教はカルト宗教よりも恐ろしい宗教であり、異教徒や有色人種は人間としてみなされてこなかった。だからこそアメリカは神の名のもとに広島や長崎に原爆を落とすことができたのだ。

このようなキリスト教の勝手な振る舞いは、批判されるべきであり、キリスト教信者からも批判されるようになりましたが、キリスト教は人種差別を正当化する道具にも使われてきた。このような事をキリスト教信者に問うても仕方のないことであり、歴史的事実は消しようがない。キリスト教は宣教師を世界各地に送り布教に努めてきましたが、宣教師の次に送り込んでくるのは恐ろしい支配者なのだ。

秀吉はその事に気がついたからこそバテレン追放令を発したのでしょうが、スペインやポルトガルなどの軍隊を寄せ付けない武力を持っていたからできたことだ。本来ならばキリシタン弾圧を根拠にスペインやポルトガルは軍隊を送り込んで植民地にしてきた。秀吉や家康がもう一歩、天下統一が遅ければ日本もどうなっていたかわからない。

日本こそが唯一、白人のキリスト教支配に抵抗してきた歴史が有り、大東亜戦争もその歴史の流れの一つと捉えればわかりやすい。大東亜戦争は白人キリスト教国と非白人非キリスト教国との宗教戦争でもあった。その結果日本は戦争には負けてしまいましたが、白人による植民地支配と人種差別の不当性が明らかとなり、歴史の流れは大きく変わった。

戦争に勝ったアメリカですら、60年代には公民権法案が成立して黒人の人権が認められるようになりました。そしてアメリカは近い将来は、非白人が多数派の国家となり、ヨーロッパにも非白人の移民が押し寄せて、それを最近ではグローバル化と言っているようですが、16世紀から今までの反動が一気に押し寄せているような気がする。

キリスト教にしても、今まで行ってきた蛮行があまりにもひどいので、批判を浴びて衰退して行くのではないだろうか。もちろんキリスト教も近代化して洗練されたものとなってはいますが、ヨーロッパの衰退とともにキリスト教も衰退していくのではないだろうか。ヨーロッパの跡を継いだアメリカも非白人国家となり、キリスト教も変化していくのではないだろうか。

「神から与えられた摂理」(マニフェスト・デスティニー)とは、白人による人種差別を正当化するために使われてきた。イエス・キリストはユダヤ人であり中東系の人間であったはずなのですが、映画や絵画などに描かれるイエス・キリストは金髪碧眼の典型的な白人の姿をしている。

戦争に宗教が絡むと凄惨なことになりますが、宗教は個人的なものであり国家的イデオロギーに利用されると暴走してしまう。西村氏が言うように異端裁判とか魔女狩りなど残虐なことになってしまう。近代とは政治と宗教が分離した社会であり、日本は16世紀の戦国時代に分離したが、ヨーロッパでは政治と宗教が分離したのは18世紀のフランス革命以来であり、共和制に変わった。

ジャンル:
文化
コメント (58)   トラックバック (3)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 中国韓国は、前近代国家だと... | トップ | 日本人のできることは、韓国... »
最近の画像もっと見る

58 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひとえにできないキリスト教、ユダヤ教、キリスト(米国、韓国、日本)統一教(会)原理主義など (鳩ポッポチーム)
2017-05-06 11:21:31
世界の歴史と今とこれからの時代を考えてみると

キリスト教、ユダヤ教、キリスト統一教(会)原理主義などをよく調べてみることが必要不可欠です

ちなみに八坂鳩ポッポチームの米帝奴隷ポチ政権打倒の主張理論は現在までの日本の政治政権の変遷の流れを考えても明らかですが、、、与党も野党もなんらかのキリスト教、ユダヤ教、キリスト教原理主義、統一教会、中国帝国共産主義、ロシア帝国社会主義、イスラム国テロリズムなどの侵食傀儡化(奴隷ポチ化)を受けているポチポッポチームだよ

今の安倍政権も公明党も民進党も共産党も全部どこかの侵食傀儡ポチポッポチームじゃね👋😃

何から何まで駄目だこりゃ~~😭八坂鳩ポッポチームでしたとさ😱お後がよろしいようで🙇
Unknown (奥山篤信/アツノブ 1948/昭和23生)
2017-05-06 11:30:10
奥山 篤信 - 平河総合戦略研究所
www.hirakawa-i.org/profile/sub_okuyama.html
(おくやま あつのぶ) 代表理事 所長. 兵庫県出身 昭和45年京都大学工学部建築学科卒 昭和47年東京大学経済学部卒 三菱商事本社入社 一貫して海外畑を担当した国際派 6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て ...
ようやく気がついた (余震堂主人)
2017-05-06 12:49:50
日本はキリスト教文明ではない。西洋かぶれした戦後の日本人はキリスト教の本質は理解せずその学問だけを吸収してきた。日本人の本質は自然教であり、キリスト教のコンフィサンと
コンチリサンは同意、理解できないのだ。奥山氏の著作はまだ読んでいないがたぶん氏の結論も同じだろう。不干斎ハビアンのキリスト教との格闘を改めて知るべきだろうし、山本七平氏の日本教徒であることの指摘や最近死んだ先輩、渡辺昇一氏の隠れカトリック教徒の
和魂洋才、見事な日本教徒ぶりに哀悼の意を
表します。彼は決して日本教徒キリスト派ではなく、見事な日本教徒であった。
Unknown (それでも消費税は上がるらしい)
2017-05-06 13:10:32
2015年の米映画にクーデターという映画があるが
内容は東南アジアの某国(ラオスと思われる)に仕事で赴任してきた白人一家が
現地で反体制側のクーデターに巻き込まれ、命からがら隣国ベトナムに逃れる脱出劇だ
白人一家や彼らの脱出を所々で手助けするピアース・ブロスナン演じる白人男性は善役
一方クーデター側は悪役のように表現されているが
劇中で白人男性はエコノミック・ヒットマンであることが示唆されている
エコノミック・ヒットマンとは大国(アメリカ)の経済侵略の尖兵で
ターゲットにした途上国の政府に資金を提供し、インフラ整備を促す
貸せるだけ貸して、相手が債務不履行になると国有・公有事業や
資源の所有権の譲渡を迫り、構造改革を要求し、都合のいいようにターゲット国を作り替え食い物にする
クーデター側はそれに反発してクーデターを起こし、在留外国人を追い詰めていたのだ
エコノミック・ヒットマンとは要するに昔で云う所の宣教師だ
そして安倍晋三や小泉の倅は現在のキリシタン大名と言った所ではないだろうか
信教の自由は認めても政治に宗教は持ち込むな (う~ん、、、)
2017-05-06 13:29:03
>ヨーロッパでは政治と宗教が分離したのは18世紀のフランス革命以来であり、共和制に変わった。

ヨーロッパは、未だに、政教分離は成し終えていないよ。。。

それどころか、バチカンは、今でもヨーロッパ全土を裏で支配していることぐらいは、昔から世間の常識であり、ヒトラーをかくまい南米へ逃亡させたのは、当時のローマ法王ですよ。。。

イギリスのMI6もアメリカのCIAも、皆、旧制ローマ帝国を護持するための諜報部隊であり、裏でイタリアンマフィア=ファシスト財閥も操っている。。。

実質的なヨーロッパの影の支配者がバチカンであることは誰の目から観ても明らかだ。。。

フランスも表立っては政教分離だけどサルコジあたりはフランス系フリーメーソンを雇っていたよ。

今の日本も、政教分離は成し終えていない。ほとんどが朝鮮カルトの票に支配されているし、不正選挙もやりたい放題やっている。。。

西洋を否定して東洋思想にもどるのは宜しいが、

「国家神道だけは、絶対にNO!!!だ!!!」

国家神道=キリスト教至上主義を剽窃した明治近代化中央集権化の為に急いで創り上げた贋作宗教観であり、明治維新で唯一の負の遺産である。。。

これが私の考えに考え貫いた末の結論だ!!!

絶対にこの主張だけは、曲げない!!!
キリスト教の偽善と欺瞞 (Unknown)
2017-05-06 13:54:35
これについては、「神は死んだ」で有名なニーチェが、すでに指摘している。

■ニーチェ『道徳の系譜』を解読する
 https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/
Unknown (Unknown)
2017-05-06 14:18:50
>欧米の白人のキリスト教とは、異教徒や有色人種を人間とみなさないことができる恐ろしい宗教なのだ。

イスラム教やユダヤ教も同じだけどね。
Unknown (仏大統領選決選投票6/7日)
2017-05-06 15:06:41
マクロン氏陣営「サイバー攻撃受けた」 大量の文書流出
vs
最後のテレビ討論会はマクロン氏に軍配:産経 5/5(金)
vs
ルペン氏に偽ニュース流布疑惑 検察当局は疑惑の調査に着手した:ロイター 5/5(金)

>5/3 最後のテレビ討論、ユーロ・テロで真っ向対立、マクロン氏に軍配 -- 

最も厳しく対立したのが、欧州連合(EU)とユーロ問題。

ルペン氏は「ユーロは銀行家のカネだ」と述べ、国内で通貨フランの流通を復活させる持論を展開。マクロン氏は「そんなことをすれば通貨が切り下げられ物価が上がる」と反論した。

 「ルペンさんは、国の競争力を弱めようとしている。ユーロ圏にとどまって、フランスの利益を守るのが私の目標だ」

 「マクロンさんはドイツの言いなりだ」

 「ルペンさんは不安をまき散らすだけだ」

 「マクロンさんは(ドイツの)メルケル首相のご機嫌取りですから」

双方互いに譲らず、批判応酬した。

 外交面でルペン氏は「私はロシア、米国と等しく距離をとれる。ロシアと冷戦を構える必要は毛頭ない」と述べ、対露関係の修復を強調。マクロン氏は対米関係の重要性を指摘した上で、「ルペンさんはプーチン露大統領に服従しようとしている」と評した。

 テロやイスラム過激派対策について、ルペン氏は「あなたはイスラム原理主義に甘い。私が政権に就いたら、国境検問をただちに復活する」と強硬論を展開。マクロン氏は「テロを生んでいるのはまさにあなた方だ。国民を分断し、憎しみを植え付け、内戦のような状態を作り出そうとしている」と反論した。

 ルペン氏は討論で、しばしば微笑や冷笑であしらう態度を見せたのに対し、マクロン氏は終始厳しい表情で、時に言葉を荒らげた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170505-00000047-san-eurp
・国民戦線のマリー・ルペン党首(48)
・独立系候補者のマクロン前経済相(39)
山本七平の問題意識、「日本にはなぜキリスト教が定着しないのか」 (アマゾン・レビューから)
2017-05-06 15:32:41
この本の大きなテーマになっているのは「日本教」だ。「日本教」とは何であるのか、その説明は難しい。聖書の中でイエスが「神の国」をたとえ話やエピソードを通じて語るように、著者も「日本教」をたとえ話やエピソードを通して間接的に描き出していく。例えば次のような具合だ。

・天皇は「日本教」の大祭司である。
・「理外の理」という共通の思考の基盤がある。
・「法外の法」が重んじられ、決議が100%人を拘束することはない。
・「言外の言」にこそ真実がある。真理は言外にあり、もっとも大切なことは行間に込められている。
・基本となるのは「人間」や「人間性」だが、それは実際の人間のことを意味していない。
・「日本教」に人間学はあっても神学はない。
・日本の新聞も「法外の法」に従っている。
・日本人とは「日本教徒」であって、日本人を「日本教」から改宗させることは不可能。
・日本人クリスチャンは「日本教徒キリスト派」である。
・西郷隆盛は「日本教」の聖者であり殉教者。
・夏目漱石の小説「草枕」は「日本教」の創世記である。そこには「人の世を作ったのは人だ」と書かれている。
・日本教徒キリスト派は聖書を用いて禅問答をする。
・日本教徒キリスト派は「ことば(ロゴス)」より、「ことば」の行間を読む。
・日本人は宗教的に潔癖でないのではなく、「日本教」に従順なのだ。
・日本人(日本教徒)にとって憲法とは、「日本教」の宗教的律法である。
・日本教徒理解には「氷川清話」を読むとよい。西郷隆盛と勝海舟は同じ「日本教徒」として互いに信頼し合っていた。
・日本教徒が読めば、聖書も「日本教」の経典になってしまう。
局、キリスト教の輸入を阻む強固な何かがあるからだ。日本にもキリスト教徒がいないわけではないが、そうした人たち(山本七平を含む)は海外のキリスト教信徒と何かが違う。日本で語られているキリスト教は、本来のキリスト教を離れて別のものに変質してしまった。これはキリスト教に限らず、仏教にしろ儒教にしろ、外来の思想は何らかの形で日本流にアレンジされない限り、日本人には受け付けられない。ではそのアレンジの基準は何か?

~「日本人とユダヤ人」今なお読むべき「日本人論」の古典/投稿者服部弘一郎/ベスト500レビュアー2016年4月19日
『日本人的発想と政治文化』山本七平  (引用)
2017-05-06 15:45:27
『日本教の社会学』の「仮面をかぶった民主主義」でも小室直樹との対話・・

 言葉なき思想の自己増殖

その新聞は昨春から「戦後民主主義を問う」といった連載を企画しその取材に来たのであった。そのとき記者が、「一体これをどう思われますか」と言いつつ話した一つの例話がある。

 ある小学校のあるクラスで、その一人を懲罰としてすっ裸にしてさらし者にした。そして教師は、クラスの多数決によってきまったのだから、完全に民主的・自治的な制裁であると言ったという――聞いているうちに私は少々暗潅たる気持となった。民主主義について哲学的思索を次々に積み重ね、三権分立、議会民主制という一つの結論に到達するまでのさまざまな思想家を思い、その人たちがこの話を聞いたら、マルクスや社会主義者以上に、それは私とは関係ないと言っただろうと思ったからである。
 これはかっての「村八分」的な「さらし者」や、切支丹弾圧時の俵につめて首だけ出して河原にさらすという行き方、またかつての軍隊における私的制裁や収容者の集団リンチと基本的には変わりはない行き方である。すなわち「言葉なき思想」のある面の異状な「自己増殖」であり、これとバランスをとる歯止めが外来思想で”刈り取られた”悲しむべき状態であり、その状態を輸入の思想の名で正当化しているにすぎないからである。

 もちろんこれは「民主主義」そのものの責任ではない。私はその記者にそれは「民主主義」とは無関係の行為であると言った。民主主義――その発生の原点を探れば、それをヘレニズムに遡ろうとヘブライズムに遡ろうと、その基本にあるものは前者は「法」、後者は「律法」の絶対化の意識である。この二つは発想が違うが、いずれも「公示された法」を個人の上におき、個人または集団による恣意的処罰は絶対に許さないのがその原則である。
 彼らは人間の恣意的な発想や決議に絶対性を置かず、それを二重、三重にチェックし、その上でなお基本的な原則――それが憲法と呼ばれようと神の律法と呼ばれようと――に照らして違法がない場合にのみ、新たなる「法」として告示した。そしてその告示前の行為は、たとえその「法」に違反していても罰されないのが原則である。
 以上の観点から、「生徒を丸裸にしてさらし者にした」という行為を見てみれば、たとえ生徒の多数決を尊重するにせよ、まず事前に、「これこれの行為をした者は裸にした上でさらし者にする」という規定が多数決で決定され、同時にそれが校則に違反なく、さらに教育基本法にも違反していないことが論証されねばならない。もしそれを論証し得たならば、それが公示され徹底されればならず、それ以前の行為はたとえその罰則に該当しても、これには適用してはならない。
 同時にその「法」はある個人に恣意的に適用されるのでなく、少なくともそれを決議した全員に等しく適用されねばならない――これは言うまでもないことだが、少なくともこの教師の言う「民主主義」とは、このような考え方を基本としている思想ではなかったことは事実である。したがってこれは民主主義でなく、前述の「自己増殖」を民主主義という外来の思想で呼んでいるにすぎないわけである。

 思想には思想を
ではこの教師が「民主主義」と呼んだ発想の背後にあるものは、何であろうか? 言うまでもなくあらゆる思想のもつ命題の一つは、前述のように、個と全体との合理性をどのような関係におくかにある。そして「主義」とはその関係の置き方が主題のはずで、この場合に教師のとった処置は、「全体の恣意的な意志に対する個の滅却」であり、個人の尊厳の無視であり、法に基づく個人の抗議・抵抗の権利の否定である。いわば個を認めず無条件で全体を絶対としている立派な全体主義であり、それを一集団に限定している点では集団主義以外の何ものでもない。
 そして彼はこの全体主義を民主主義と呼んでいるにすぎないのである。
(中略)
 ・・・ とはいえ、多数決という名の外なる「虚構の合理性」に無条件で屈服し、丸裸のさらし者にされても、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ」という形で、みずからの内なる合理性を圧殺し、これを自己の心理的問題として内心で処理すれば、それは社会的には何の解決ももたらさず、両者とも、みずからの社会を耐えがたい対象とするだけであろう。(この本は1979年出版です) 
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-3e1a.html

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事

3 トラックバック

16世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係~~その1 (しばやんの日々)
昨年にこのブログで、「400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと」というタイトルで、16世紀の後半の約50年間に大量の日本奴隷が海外に売られていったことを......
日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その2 (しばやんの日々)
前回は15世紀末から始まるインディオの悲劇のことを主に書いたが、北アメリカにもアフリカにも同様な悲劇があったことは言うまでもない。 カリブ海地域から拡がった地球規模の奴......
日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3 (しばやんの日々)
前回は、大航海時代以降に西洋諸国が世界各地を侵略し地球規模で奴隷貿易を開始したのは、ローマ教皇の教書に則った活動であることを書いた。 インカ帝国が滅亡した事例で、キリ......