株式日記と経済展望

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植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。

2018年11月01日 | その他

植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけ
できればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。


2018年11月1日 木曜日

外国語学習について 10月31日 内田樹

今は英語教育にとりわけ中等教育では教育資源が偏ってきています。他の教科はいいから、とにかく英語をやれという圧力が強まっています。別にそれは英語の教員たちが望んだことではないのだけれど、教育資源が英語に偏っている。特に、オーラル・コミュニケーション能力の開発に偏っている。何でこんなに急激にオーラルに偏ってきたかというと、やはりこれは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。

「グローバル・コミュニケーション」と言っても、オーラルだけが重視されて、読む力、特に複雑なテクストを読む能力はないがしろにされている。これは植民地の言語教育の基本です。

植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。読み書きはいい。文法も要らない。古典を読む必要もない。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。

理由は簡単です。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有するからです。100%ネイティヴが勝つ。「勝つ」というのは変な言い方ですけれども、オーラル・コミュニケーションの場では、ネイティヴにはノン・ネイティヴの話を遮断し、その発言をリジェクトする権利が与えられています。

ノン・ネイティヴがどれほど真剣に、情理を尽くして話していても、ネイティヴはその話の腰を折って「その単語はそんなふうには発音しない」「われわれはそういう言い方をしない」と言って、話し相手の知的劣位性を思い知らせることができる

逆に、植民地的言語教育では、原住民の子どもたちにはテクストを読む力はできるだけ付けさせないようにする。うっかり読む力が身に着くと、植民地の賢い子どもたちは、宗主国の植民地官僚が読まないような古典を読み、彼らが理解できないような知識や教養を身に付ける「リスク」があるからです。

植民地の子どもが無教養な宗主国の大人に向かってすらすらとシェークスピアを引用したりして、宗主国民の知的優越性を脅かすということは何があっても避けなければならない。だから、読む力はつねに話す力よりも劣位に置かれる。

「難しい英語の本なんか読めても仕方がない。それより日常会話だ」というようなことを平然と言い放つ人がいますけれど、これは骨の髄まで「植民地人根性」がしみこんだ人間の言い草です。


「本を読む」というのはその国の文化的な本質を理解する上では最も効率的で確実な方法です。でも、植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。 だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。

今の日本の英語教育がオーラルに偏って、英語の古典、哲学や文学や歴史の書物を読む力を全く求めなくなった理由の一つは「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。

だから、アメリカ人は日本人が英語がぺらぺら話せるようになることは強く求めていますけれど、日本の子どもたちがアメリカの歴史を学んだり、アメリカの政治構造を理解したり、アメリカの文学に精通したりすること、それによってアメリカ人が何を考えているのか、何を欲望し、何を恐れているのかを知ることはまったく望んでいません。

(以下略)

「原住民には法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない」ということを英語教育について書いたら、国語教育でも同じことをしようとしているということを知らされた。

まことに情けない国に成り下がったものである。



(私のコメント)(再掲載)

言葉は自分の考えの表現方法の手段であり、口で話す手段と文章にして表現する方法がある。頭の中で考えるにしても言葉と言う形で思考しているのであり、非言語的な表現手段も例外的にありますが、写真や絵画的なものは表現手段であっても思考手段にはならない。だから思考力を伸ばすには文章表現力を鍛えなければならないだろう。
 
日記をつけるのも、その日に何があってどのように感じたかを書く事でも思考力を鍛える手段になる。しかし作文は一枚の原稿用紙を埋めるのも大変な作業だ。ならば携帯などのメールも文章だからプラスになるかと言うと、文字数の制限などがあり挨拶文などように定型化してしまって思考を固定化させてしまう。
 
テレビなどの討論番組でも、時間的な制約があり、「朝から生テレビ」のような3時間番組でも、10人近くの人が討論するから、一人の人が話せる量は限られる。しかしネットのブログなどは書く量が無制限に書けるし、全世界の人に読んでもらえる。しかしながら日本語は世界の公用語とはなってはおらず、英語が事実上の公用語のようになってしまっている。
 
だから作家なども、英語の小説家がベストセラーを書けば10年はその印税で食べていけますが、日本語だとベストセラーを書いても1,2年程度しか稼げない。村上春樹のように外国語に翻訳されれば世界中から印税が入ってきますが、日本語では国内からしか印税は入ってこない。だから英語を学べというのでしょうが、日本人がいくら勉強をしても英語で小説が書けるわけではない。
 
学術論文なら書けるでしょうが、小説となると文章表現力の問題だから、英語ネイティブ国民でないと難しい。カズオイシグロ氏も英国のベストセラー小説家ですが英語ネイティブであり日本語は話せない。英語は一つの単語が様々な意味を持つから使い方が難しい。27文字のアルファベットでは単語を作るにも制約があるが、漢字を使う日本語は文字数が無限大だから一つの単語に多くの意味を持たせる必要が無い。
 
物を勘定するにも、英語ならワン、ツー、スリーだが、日本語だと数え方が多様になる。例えば「私は自動車を三つ持っています」では意味は通じても日本語にならない。英語を学ぶには英国の文化から学び直さなければなりませんが、英語教育では英国史などは教えない。英語にしてもドイツ語にしても近代言語になったのは16世紀の聖書の翻訳がきっかけとなっており、それ以前には「カンタベリー物語」などの口承伝説くらいしか文学作品らしいものは無い。なぜならば11世紀以来フランス語が公用語だったからだ。
 
英語が事実上の世界の公用語のようになったのは、大英帝国とアメリカ帝国と覇権が英語国が続いたからですが、言語と覇権とは関係があるのだろうか? 英語を学ばなければ高度な近代科学を学ぶ事はできないのだろうか? 最近ではフランス人もドイツ人も英語で国際会議で話すようになり、新興国もエリートは英米に留学した人たちばかりだから、日本の代表だけが英語を話せず壁の花になってしまっている。
 
だから文部省は取り付かれたように英語教育に夢中ですが、成果は上がってはいない。なぜ日本の大学生は英語が話せないのだろうか? 英語が話せなくても近代科学が学べるからですが、ヨーロッパでは翻訳するよりも英語を学んでしまったほうが手っ取り早い。ドイツでも医者は英語が話せますが、英語が分からなければ最新の医療情報が分からないからだ。しかし日本人は英語を学ぶのは難しく翻訳書の需要が高い。
 
つまり専門分野を学ぶ事と英語を学ぶ事は別の次元の問題であり、医学にしても工学にしても物理学にしても社会科学にしても、ある程度専門分野をマスターしてから英語論文を読まないと英語の専門用語が理解できない。日常英会話がペラペラな人でも医学書や工学の技術論文が読めるわけではない。ところが新興国の人は専門分野を自国語で学ぶ事ができない。だから最初から専門用語を覚えなければならない。
 
つまり日本語の専門書を読むことが出来ないような人が英語を学んで日常会話が出来ても、医者や科学者のような専門家になることは難しいだろう。内田氏は、『むかしの子どもが何年もかかって英語の小説を読んだり、英語の映画を見たり、英語の音楽を歌ったりしながら、じわじわと身につけた英語力と比べたときに、その厚みや深みにおいて比較にならない。「英語ができるといいことがある」というアナウンスが始まってから英語力が劇的に低下したことの説明はこれでつく。』と言うのは、英語を理解するには映画や音楽などの文化を通じて学ばないと英語が身につかないと言う事だ。
 
学校で教える英語は教科書英語であり、受験英語であり、だから身につかない。日本語の新聞ですら読まないような人が、英語の新聞が読めるはずが無い。つまり文部省のやっている事は本末転倒であり、内田氏は、『「熟達した日本語の遣い手」というものがありうること、長期にわたる集中的な努力なしには、そのような境位に至り得ないことを人々は認めたがらない。』と指摘していますが、母国語ですら熟達した使い手になれないのに英語が出来るはずがない。
 

言語も一種のイデオロギーであり、英国ではスコットランドもウェールズもアイルランドも固有の言語があったが今では駆逐されて英語が日常言語として使われている。英語は極めて侵略的な言語であり他の弱小言語を駆逐してきた。おそらくフランス語もドイツ語も英語に駆逐されていくのだろう。なぜそうなるのかは内田樹氏が言うようにイノベーション力であり、フィリピンやインドや南アフリカのような二重言語国家はイノベーションに問題が生じる。


小学生の途中で留学したが、英語運用能力が大学入学レベルに達せず、一方日本語では祖父母と会話ができない「セミ・リンガル」になるケースが多い。 2014年9月15日 月曜日 株式日記

大学サイドから見ると、新入生の英語力は年々劣化を続けていることは手に取るようにわかる。子どもたちの国語運用力も同時に低下している。 2013年3月20日 水曜日 株式日記

(English)

In colonies, children are not required to have skills to read and write. If they can speak then it is fine. No needs for writing and reading, No needs for understanding the classics.

 

Thursday, November 1, 2018

(My comment)

 

Words are a way of expressing own thoughts and ideas, and there are two ways; speaking and writing.

We are using words when thinking in the head. Of course there are some non-verbal expressions; however, pictures or images are way of expression but not a way of thinking. To develop the ability of thinking, we must refine their ability of sentence expression.

 

Writing a diary is one of the methods to train the ability of thinking by writing down what happened the day and what they thought about it. If you try to fill an A4 paper, it is probably tough. What about writing emails via cellphone? There are some limits for the number of characters, so the sentence would be more likely stylized, which makes us stop thinking.

 

Even in discussion programs on TV, there are also restrictions of time. For examples, in three-hour programs such as 'Live TV from the morning', because there are nearly ten participants in the discussion, the amount of time that individual can speak is limited. However, if it is an online blog, we can write as much as we want, and everyone on the Earth can read, but unfortunately, Japanese language is not an official language of the world. English became an official language in nature.

 

That is why if English novelists become bestseller authors, they can eat with those royalties for at least ten years. If it was in Japanese, they can only eat for one or two years. If the book is translated into other languages such as Haruki Murakami, royalties will come from all over the world, but if not, then the royalty only comes from Japan. That is why people say “Study English.” But no matter how Japanese people study English, they are not able to write novels in English.

 

Maybe if it is an academic paper, we can. But in case of novels, it is all about the ability of sentence expression, so it is hard for non-native English speaker. Mr. Kazuo Ishiguro is a British best-selling novelist, but his native language is English and he cannot speak Japanese. English is difficult to use because one word has various meanings. With the 27 letters of alphabet, there are restrictions on making a word, but Japanese, which uses kanji has infinite number of characters, so there is no need to give one word much meaning.

 

When we count things, if it is in English, it will be simply one, two and three. However; there are so many different ways of counting depends on the subjects to be counted in Japanese. For example, if we count three cars, we say “San (means three)-dai”, and when count three dogs, we say “San (means three)-biki”. We have numerous rules of counting in Japanese. In order to learn English, we also have to learn British culture, but English education does not teach British history.

 

Whether it is English or German, it became a modern language when the Bible was translated in the 16th century. Before that, there were no such things like literary except for colloquial legend such as "Canterbury Tales" because French was the official language since the 11th century.

 

English became the official language of the world because of the continuing hegemony of the British Empire and the American Empire. Is there a relationship between language and hegemony? Can we not learn advanced modern science without learning English? Recently both French and German use English at international forum, and only people who studied abroad can be elite in developing countries. Thus, Japanese representative is the only one who cannot speak English and becomes a flower of the wall.

 

That is why the Ministry of Education is obsessed with English education, but it does not go well. Why Japanese university students cannot speak English? It is because they can learn modern science without English. In Europe, it is quicker to learn English than wait for translation. In Germany, doctors can speak English, but it is because if they do not understand English, they are not able to know the latest medical information. However, in Japan, it is hard to learn English and demand for translation is high.

 

In other words, learning specialized fields and learning English is in different dimension. Whether medical, engineering, physics or social sciences, people need to master the field first. Otherwise, even they read English paper; they do not understand the jargons in English. Even people who are fluent in English conversation, they cannot read medical papers and engineering technical papers. However, people in emerging countries cannot learn specialized fields in their own languages, so they must learn technical terms from the beginning.

 

It will be difficult for a person who can speak English but cannot read the Japanese professional book to become an expert like a doctor or a scientist. Mr. Uchida said, "You cannot compared the level of English in terms of depth with children who took long time to read English novels, to watch English movies or to sing English songs. Ever since people start saying, “If you learn English, there is a merit”, the English ability has dramatically declined, and it is all explainable.” It means that to truly understand English, we have to go through its culture such as movies and music.

 

English taught at school is English for textbook or for examination, so we cannot truly learn it. People who cannot even read Japanese newspapers cannot read English newspapers. In other words, what the Ministry of Education is doing is totally wrong. Mr. Uchida said, "There is a someone called proficient Japanese expert. Without intensive efforts over the long period of time, people cannot reach to that level, but people do not want to accept the fact”. If a person cannot become a proficient expert of their mother tongue, how come they can use English?

Language is a kind of ideology. In the United Kingdom, Scotland, Wales and Ireland used to have unique languages but now they are being expelled and English is used as a daily language. English is a very invasive language and has driven down other weak languages. Perhaps French and German will be driven out to English in future. The reason is the innovation power as Mr. Uchida said. Double linguistic countries like the Philippines, India and South Africa will have issues with innovation.

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