人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

何故

2006-02-14 16:52:52 | Weblog
 岡山の一番街を歩いていると鉢植えの色とりどりのチュー
リップがたくさん置いてあった。チューリップは春を代表する
花である。改良に改良を重ねたこの花には、色も形も様々な
ものがある。ここ一番街にもそんなチューリップがたくさん
あった。一方、我が家のチューリップはやっと小さな芽を出
したばかりである。

 さて、日本の三大奇祭とも言われている西大寺の会陽が終わ
ると吉備路の春がやってくる。会陽は裸祭りとも言われている。
この祭りは西大寺の境内に集まった締め込み姿の男衆の中に
香を炊き込めた宝木(しんぎ)が投げ込まれて始まる。男達
は、この宝木を奪おうとして激しくもみ合う。肉体と肉体が
激しくぶつかり合う男の祭りだ。毎年この日だけはどういう
ものか寒い日が多い。しかし、裸の男達にとって寒さなど関係
ないようだ。水を浴びせられると肉弾戦の男達の体からは激し
い湯気が吹き上がる。奈良のお水取りの行事と同じように春を
迎えるための神聖な行事である。
 この日を境にして寒暖の繰り返しはあっても、確実に春の
足音が聞こえるようになる。そう言えば昨日、畑仕事をして
いてウグイスの鳴き声を聞いた。お世辞にも上手とは言え
なかったが力強い声だった。春はすぐそこまで来ているようだ。

さて、イタリアのトリノでは冬季オリンピックが開かれている。
序盤戦とは言いながら出発前の評判は何だったのだろうと思う
ような日本選手団の成績だ。以前から冬季オリンピックの成績
は今ひとつ芳しくないのが通例だった。それにしても日本人の
体力に適した種目もあり、それなりの成績だったように思われ
るのだが、今のところがっかりさせられるような事ばかり続い
ている。やはり世界の壁はそれだけ厚いと言うことだろうか。
それとも勉強不足なのだろうか。そうだとすれば高い遠征費を
払ってまで参加しているのだから、次回に向けての練習にいっ
そう励んで貰いたい。

 話は変わるが街を歩いていてふと考えたことを書いてみたい。
それは自分の存在とは何だろうと言うことだった。あなたは
自分自身の存在について考えたことはないだろうか。自分は
何のためにこの世に生を受け、何のために生きているのだろうと。
 六十億人とも言われる人間は、この地球のあらゆる資源を容赦
なく食いつぶしながら生きている。自分は有用な人間だと言っ
てみても、この地球にとって有用なのかどうか何を持って判断
すれば良いのだろう。人間以外の動物たちにとって見れば人間
の存在ほど迷惑なものはない。自分たちの生存する場所すら
奪われ続けているからだ。その上、石油や石炭の消費によって
地球環境は大きく変化している。動植物にとっては迷惑な話で
ある。
 そんな事を考えていると人間という存在そのものがこの地球
にとって何なのだろう。何の意味があるのだろうと思えてくる。
 その人間どもは時に泣きわめき、喜び笑い転げ、そんな事も
生きている間だけのことであって、たった百年足らずの間には
大抵のものが死んでしまう。死んでしまえばただの土だ。むやみ
やたらに飯を食い、むやみやたらに排泄し、たったそれだけの
ことである。
 何かをやってきた残してきたといっても、それは人間だけの
間に通用することである。いくら威張ってみたってライオンや
虎には通用しないことなのだ。それなのに人間はこの世で一番
などとうそぶいている。何なのだろう。人間って何なのだろう。
人間以外のすべてのものに対して、もっと謙虚であるべきでは
と思うのである。
 そんな独りよがりな人間どもを後目に今年も春がやってきた。
自然はいい。自然は美しい。私自身もこの自然のほんの一部分
であることを自覚して生きていかなければ。

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