フランシスコの花束

 詩・韻文(短歌、俳句)

防衛省汚職、それは山県有朋以来の伝統

2007-12-06 10:56:23 | エセー・評論・クリティーク
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンTM

Just MyShop(ジャストシステム)

HMVジャパン

●防衛省の汚職は、明治の山県有朋以来の伝統●

 守屋武昌前防衛相事務次官の汚職が次々と明らかになっている。その実態は、家族揃っての山田洋行へのおんぶにだっこ、まったくの「たかり」である。
 「たかり」と言えば、太田房江大阪府知事の講演料名目の「たかり」も明らかになっている。太田房江氏も、旧通産省の官僚出身である。官僚には、どうやら業者への「たかり」が当たり前のように感じられるらしい。旧厚生省も著作料名目でたっぷりと業者からバック・マージンをいただいている。

 それはさておき、ここでは、明治の軍務関係汚職以来の伝統を振り返ってみよう。
 防衛庁時代の官僚汚職も、防衛施設庁の官製談合が記憶に新しいが、その始まりは明治にはじまる。

 ◆「山城屋事件」という無茶苦茶なたかりから始まった◆

 明治新政府が発足してまだ数年、それは新しい政府の骨組みもまだできあがらなかった明治5年(1872年)のことである。
 山城屋は、当時山県有朋が率いていた陸軍省の御用達商人であった。その山城屋の当主、山城屋和助に、山県有朋は陸軍省の公金を無断で勝手に貸し付けた。その見返りに山県有朋以下、陸軍省の官僚たちがよってたかって山城屋の金に群がったという事件である。ほとんどが飲む・買うなどの豪遊のために費消されたらしいが、いったいいくらたかったのか、その内訳もまるで不明という有様であっただけでなく、当時の明治新政府の歳入の約1%にも当たる65万円もの金額を貸し付けていたとされている。
 その実態が不明なのは、いよいよその無断借金が判明するに及んで、当の山城屋和助が、陸軍省内で割腹自殺をとげたからである。そのとき、あらゆる証文・証書のたぐいを焼却してしまったために、一切が闇に葬られたのである。つまり、政府の大汚職、疑獄のたびにくり返される当事者の自殺の伝統も、この時にはじまったのである。

 ばれたら、死ぬ。
 一切を闇に葬って死ぬ。

 というわけである。
 その伝統が、先の松岡利勝元農水相の自殺にまでつながっているのである。

 もっともこの山城屋和助の陸軍省内での自死は、あるいはいよいや立場のまずくなった山県有朋らの無理強いであったかも知れず、もっと勘ぐれば、自死ということにして殺されたのかも知れない。
 この失脚の危機を逃れた山県有朋が、これにすっかり味をしめてその後、自分の権力や影響力の及ぶ陸軍だけでなく、政界全体の黒幕としてどれほど賄賂で汚れたかは、歴史の知るところである。大正11年(1922年)2月、山県有朋がついに亡くなったとき、当時『東洋新報』の記者であった石橋湛山は、こう評したという。
 「死もまた、社会奉仕なり」
 どれほど、民衆に忌み嫌われていたがが知られよう。多くの陰謀に荷担し、陰険で欲深であった。

 山県有朋のことはともかく、明治新政府がはじめて汚職にまみれたとき、それが陸軍省であったことは、その後の軍部の汚職体質を如実に物語っていると言える。

 ◆「陸軍機密費横領問題」と「ジーメンス事件」◆

 山県有朋が築いた伝統は、彼の死後にも着々と、賄賂や横領にまみれた軍部を構成した。
 大正14年(1925年)には、陸軍大将であった田中義一が立憲政友会に入るときに、その持参金として300万円の大金(現在の数十億円)を立憲政友会に差し出したが、その金額の出所が実はシベリア出兵のときの陸軍「軍事機密費」から横領したものではないかとされた事件である。
 このときは、田中義一は生き延びて、これを追及していた石田基検事が、1926年10月に鉄橋下で変死体となって見つかり、事件はうやむやのまま葬られることとなった。

 時代は前後するが、海軍でも汚職事件が起きている。
 大正3年(1914年)それは発覚した。ドイツのジーメンス社による海軍の贈収賄事件である。これはドイツの恐喝未遂事件の公判の過程で明らかにされたもので、ジーメンス社の機密文書中に、同社が日本海軍の高級将校にリベートを送ったことが明記されていたことに端を発する。これを知った日本国内で、海軍上層部が追及された事件である。
 さらに、その追及の過程で、三井物産が海軍に、ドイツのヴィッカース社から海軍艦艇「金剛」(巡洋戦艦)を購入させる目的で、海軍将校たちに賄賂を送ったことも発覚した。

 こうして、日本の軍部の汚職体質、横領体質、たかり体質は、戦後も続き、ついに、汚れた官僚たちが次々に時代の表面に灰汁のように浮かび上がってきたのである。
 いったい「文民統制」とは何だったのか?
 つまりは、「文民の賄賂と横領」のための文民権力だったのであろうか? かつて将官たちが受け取った賄賂を、文民たちが受け取っているというだけのこではないか。

 ◆日本に軍隊が必要なのかどうか◆

 日本の自衛隊は、戦争をしない軍隊である。
 戦争をしてはいけない軍隊である。
 それはつまり、軍隊であることの自己矛盾である。そのような状態で、軍事的に国を守る存在ではないのに、賄賂は受け取る、官製談合はやる、では、もう日本という国に害をなすだけである。
 自衛隊の現在の活躍の場は、災害救助、災害復旧がすべてである。その国内での欲求不満をはらすために、海外の紛争地へ自衛隊を派遣しているようなものである。紛争地へ派遣できるのは陸上自衛隊と航空自衛隊だけであるので、海上行動で、海上自衛隊にも海外派遣の道を開いたのが、先ほど終了した海上補給活動である。これで公海上で、海上自衛隊が軍事行動を起こすための実績ができたと思っている自衛隊上層部や政府、官僚が多かろう。
 つまり、日本の自衛隊は、海外活動でしか使い道がないのである。
 海外派遣するほか、その軍事的能力の使いようがない。国内では不要である。政府・官僚が戒厳令でも発布するつもりでいるなら別であるが、それは日本の国を軍事力で支配することである。
 逆に言えば、軍事力としての自衛隊を日本人が抱えていることは、ミャンマーなどの例のように、あるいは天安門事件の中国のように、軍事力が国民を抑え込み、国民を殺戮するために使われるという危険を抱えることである。

 となると、われわれ日本人は自分たちに向けられるかもしれない刃を、高い税金を支払ってまで、養っておくいわれはない。
 だから、自衛隊から危険な刃を抜いてしまう。
 それが、目下の最大の善策である。
 刃を抜いてしまった自衛隊は、国土保全隊である。国土復旧隊である。そして、海外派遣も、民生復興支援部隊でなければならない。緊急災害救助隊でなければならない。日本が世界に対して軍事貢献する必要はない。いや、むしろ、平和憲法の日本であるからこそ、民生貢献に徹すべきである。

 
◆平和憲法にふさわしい新しい組織を!◆


 日本は憲法前文と第九条の国である。
 世界に類のない平和憲法の国である。


 そのような国として、世界に貢献する道はいくらでもある。災害復旧、民生復興のために、日本という国家をあげて、世界のあらゆるところに出かけていくシステムをつくるべきである。自衛隊の装備にかける費用の大半を、日本だけでない多くの世界の地で、災害復旧と民生復興のために費やしても惜しくはない。それが日本という国家の利益になるからである。
 「情けは人のためならず」は、けっして人間どうしの間だけの真理ではない。国家間、世界においてもそれは同じである。
 愛をかけよう。
 憐憫を、熱い同情をもとう。
 災害の、瓦礫の下の、飢餓の貧困の世界を救うための部隊を日本につくろう。自衛隊にかわって、国際民生救済部隊をつくろう。

 それによって、長き汚職にまみれたシステムを、日本から排除しよう。
 高い理念、高邁な理想をもつこと。そのことだけが、日本の汚れたシステムを、使命と希望とに満ちたシステムに劇的に変えるのである。

 
自衛隊の廃棄を。防衛省の廃棄を。
 そして、国際救難部隊、国際民生復興部隊の創設を。そのための役所の創設を。

アフィリエイト リンクシェア ブログ 携帯対応 成果報酬 広告 テンプレート ブログパーツ

Just MyShop(ジャストシステム)

Sony Style(ソニースタイル)


最新の画像もっと見る