何が困るかと言えば、ロクロで使う水があまりにも冷たすぎること。
頭の中に浮かんでいた壷のデザイン、その都度傍らにある紙に描き、
改めてキッチリと全体像と寸法を決め、思い描いていた形とそっくりに、
忠実に真っ白の紙に描き写した。
ロクロ場はきれいに掃除してあるし、いつでもロクロに向かうことが出来る。
ただ、自分自身の気分が乗ってこないとロクロに向かっても作品が作れない。
この頃、ようやく気分も高揚してきてロクロに向かう気になってきた。
壷のデザインを描いた紙をロクロの前に貼り付け、
いつでも壷を作れるように準備を整えた。
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氷柱・つらら |
粘土を手で揉み、さあロクロをまわそうと水に手を入れた途端、
あまりにもの冷たさに、手の動きが止まってしまった。
工房の外にある水道管は凍り付いているが、工房の中の水道は水が出た。
きっと大丈夫だろうと思ってロクロを始めたことが大間違いだった。
これでは手がかじかんで(しびれて)、ロクロを回すどころではない、
早速お湯を沸すことにした。
ここ数日、雪はチラホラと舞う程度、
積もることは無いが、積もっていた雪がとけはじめ氷柱が延びてきた。
氷柱が60センチ成長するほどの寒さ、水道水も冷たいのは当たり前、
気分が乗っている内に作品の制作をせねばと、お湯を用意した。
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南天 |
二十歳前後、窯元でロクロ修業をしていた頃、
年配のロクロ師たちは素焼きで作った火鉢に鉄鍋をかけ、
炭の穏やかな温かさで鉄鍋のお湯を調節しながらロクロを回していた。
私は別の場所を与えられ、ひたすら壷作りの練習ばかりを行っていた。
では私はお湯を使っていたかな?と記憶を辿っても温かいお湯を使った記憶が無い。
まだ二十歳位の若い私、特に冷たいと感じなかったのかも知れない。
ひたすらに、早くロクロが上達するようにと、そのことばかりを考えてロクロを回していた。
夕方、窯元の仕事が終わって家に帰り、夕飯を食べてまた窯元に出かけ、
とにかくロクロにしがみ付いていた、その記憶だけが強く残っている。
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南天 |
今ロクロの前に貼り付けてある作品のデザイン、
観賞するにはバランスよく、美しい形をしている。
けれどロクロで作り上げるには物凄く技術を必要とする形である。
作品を心込めて作り上げるには、かなりの心構えがいる。
少し作ってはロクロから離れ、また座ってロクロをまわす、それを何度も繰り返した。
特に上部あたりが細い作品は気をつかう。微妙な太さで作品の雰囲気が変わってしまう。
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チコリア |
急いで作るとつぶれてしまうし、気分を休める為に工房の外に出てみた。
朝から氷柱=つららの長さに変化は無い。
その代わり軒下に植わっている南天、雪の帽子をかぶっていて美しい。
こんなに冷え込んで寒いのに、真っ赤に熟れ白との対象が素晴らしい。
作りかけの壷はロクロの上でゆっくりと回っている。 焦って仕上げるとと失敗する。
粘土が落ち着くまでしばらくそのままにして、寒く冷たいが庭を見て回った。
前庭の畑、全く手入れしていなかったチコリア、株が小さいが成長を続けていた。
採取するにはまだ小さく、もう少し大きくなってからサラダに使うことにしよう。
などと家の周りを観察し、再度工房に入ってロクロに向かった。