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米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」を学びましょう

大東亜戦争で植民地解放の先頭となって戦った日本。戦後アジア・アフリカの独立は日本の力なくしてはなしえなかった。しかし「WGIP」により精神を骨抜きにされ日本だけが独立国となりえなかった。世界に冠たる歴史と伝統を持ちながら洗脳された日本人自らが正しい歴史観を否定することは悲しいことです。全ての子供たちが左派系教育で自虐史観を植えられ、それがそのまま大人になるのだから父母祖父母を敬うことを忘れ、正しい歴史を知らない人が多勢になる。世界中で自虐史観を持っている国なんて他にありませんよ。逆によく日本人の精神が破綻しないで持っていると感心するくらい

これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

WGIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画です。

 はじめに何故、私がWGIPを取りあげたのか、という理由から述べます。WGIPが行われたのは今から約70年前ですが、決して過去の話ではありません。むしろ今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、いわば現在進行中の話なのです。

 WGIPが残した毒は、政、財、官、法律、教育等あらゆる分野で、今も枢要の地位を占める人を含む、多くの日本人の思考を今も縛っています。最近も、戦後70年の首相談話を検討する「21世紀を構想する有識者懇談会」の北岡伸一座長代理が、「総理に侵略だといわせたい」などと、およそ信じがたい発言をされました。自民党の三役の一人が、「慰安婦問題は終わっていない」などと、歴史事実を知りもせず、韓国に媚びた発言をする光景には、あきれ返るばかりです。普通の国では起こりえない、自虐的な発想や、非常識な外交対応などが頻発する背景には教育などさまざまな要因があるでしょう。ですがその源流はWGIPによる洗脳にほかなりません。そしてその洗脳から日本人は解放されていないのです。

このままでは日本は、どうかなってしまうのではないか。諸悪の根源を突きとめ、その元凶を絶つ必要がある。そのために多くの日本人にWGIPについてしっかりとした認識を持って欲しいという思いがありました。

 WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問もあるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペディアにはWGIPについてこう書かれているのです。

《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》

 今や一部では存在すら危ぶまれているのです。現資料が紛れもなく存在することを世の中に示したい。それがWGIPの文書を探し始めた大きな理由でした。

ピンポイントで文書を特定する困難

 そのようなわけで文書を探し始めた私はまず私は国会図書館に足を運びました。検索で資料が出ないか、と試みましたがどうにもうまく進みません。自宅でも検索を重ね、目当ての文書がどうやら明星大学(東京都日野市)戦後教育史研究センターに所蔵されていることがわかりました。早速、明星大学に足を運びましたが、2万5千点もの膨大な資料があって、この中から目当ての文書を特定しなければなりません。全ての文書に目を通すことは到底できないし、絞るにしても目録だけで500ページ近くあって、至難のワザでした。

高橋史朗教授や勝岡寛次氏にもアドバイスをいただき、さらに私なりの“読み”を加えながら、丹念に絞り込んでいきました。そしてようやく目指す文書を手にすることができました。ここにその文書のリスト(表1)を示します。「江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」というウィキペディアの記述が誤りであることがこれで明白になりました。

日本人洗脳工作の構図

 まず、ブロックダイヤグラム(図1)を見て下さい。文書に入る前に、洗脳作戦の全体的構図を説明し、その中でWGIPとは何かを説明します。

 占領下の日本人洗脳作戦において、実際、一番権力を持っていたのは、アメリカ本国の大統領府であり、当時の大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。

 それに比べると、日本に進駐してきた軍人は、進駐当時こそ、JAPとか黄色い猿とか言っていた人も、暫く経つと親日的に変わっていった人が多かったようです。特に、海軍の場合は、海軍同志で、戦前から交流の機会が多く、特にワシントン海軍軍縮交渉で知り合った同志は、終戦直後でも、比較的友好的な交流があったようです。

日本で最高権力者として権勢を誇ったマッカーサーですが、最後はアメリカ大統領には適いませんでした。後に、朝鮮戦争での原爆使用の可否で意見が対立し、トルーマンによって解任されています。

 日本の中での最高権力組織は、もちろんGHQですが、これは正確には、GHQ/SCAPという名称でした。GHQは、General Headquartersの略で、いわゆる総司令部、SCAPは、Supreme Commander for the Allied Powers(連合国総司令官)の略です。マッカーサーは、両方を兼ねています。

 このGHQ/SCAPの下に、WGIPの主役となる、CIE或いはCI&E(民間情報教育局)や、G-2(参謀第2部)、CIS(民間諜報局)或いは、CCD(民間情報検閲支隊)、極東国際軍事法廷(いわゆる東京裁判法廷)などがあり、そして日本政府も、この一翼を担っていたわけです。

 CIEは、日本人を洗脳するために、どのように日本のメディアを操り、どのような情報を流すかを考え実行したわけです。その内容が、私が収集した原資料に繰り返し出てきます。これに対して日本人に知られたくない情報を日本人から隠したのが、焚書(占領軍にとって有害な図書の没収)や、報道の削除や禁止を定めた命令でした。

 しかし、いずれの場合でも、占領軍は、日本の一般人に対しては直接実行する方式ではありませんでした。日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治であったことが、この作戦の巧妙な所であり、多くの日本人は、それらの思想が、占領軍から押し付けられたことに気づかない。日本政府や日本人自らが行ったと錯覚させられてしまう。そういう巧妙な構造のもとで進められました。

WGIPとは何か

 東京裁判と「日本=戦犯国家」という刷り込みは、どのように行われたのでしょう。前段でも触れましたが、WGIPは、占領軍が行った日本人洗脳作戦の中核をなすものです。そして、そのなかで最優先かつ最重要な案件が、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)です。

 そのことは、最初に紹介するCIE文書にも-まだウォーギルトインフォメーションプログラムという言葉はこの時点では使われてはおらず「インフォメーションプラン(Information Plan)」となっていますが-出てきます。

 まず昭和20(1945)年12月21日付で、GHQ/SCAPから出されたものと思われる、CIEの局長あての文書をご覧下さい(写真(1)(2)と英訳)。

 これは、日本の占領初期に出されたものです。非常に基本的ですが、その後の作戦の主要部分の根幹を示す重要な文書です。その3ページ分の英文の全訳を示しました。下記にその趣旨を説明します。

 この文書の原文には、各ページの上下に、極秘(Confidential)と表示されていて、日本人には見せたくない文書であることを示しています。

 WGIPには、積極的に日本人を洗脳する作戦と、アメリカにとって都合の悪いことを糊塗する作戦の二つの側面がありますが、この文書では、積極的に日本人を洗脳する作戦の基本が書かれています。

 この文書は、I、II、IIIの3部からなっており、第I部は、日本の戦争犯罪を定義したものであり、極東国際軍事裁判(東京裁判)における、戦犯訴追の基本をなす、非常に重要なものです。CIE文書の始めに出てくるということは、東京裁判が、WGIPの1丁目1番地であることを示しています。

 ここで述べられた、BおよびCは、それほど不当な内容ではありませんが、Aに書かれていること(いわゆるA級戦犯の訴追原因)は、非常に問題があります。これは、一般に事後法で裁いたと批判されていますが、反論する人は、おそらく1928年のパリ不戦条約(Pact of Paris)、別名ケロッグ=ブリアン条約(Kellogg-Brian Pact)を持ち出してくると思われます。このパリ不戦条約も考慮しながら、このA項を考察、批判してみましょう


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自虐史観で“精神的移民”した日本

過去ブログの再々紹介です(重要につき)。アップした10年前と事情は全く変わっていない。

1945年から今に至るまで日本人は自らの基盤となる国家や先人に対する敬う気持ちを遺棄してしまいました。対米従属・自虐史観を継続することにより日本の先進性・国力を削いできました。以下のブログでは米国に“精神的移民”した日本人を告発しています。

自虐史観で“精神的移民”した日本「アジアの盟主」の座捨てて腑抜けに

今月はアメリカの新聞の書評で『When China Rules the World(中国が世界を支配する時)』(マーティン・ジャック著、ペンギン社刊)が取り上げられていたのを求めて、読み始めた。大著である。 そのなかに、気にかかる一節があった。著者はどうして日本が第2次大戦後、アジア諸国の敬意をかうことがなかったのかと、問うている。そして、日本が19世紀末からアジアの規範であってきたのに、戦後、日本が自国の歴史に対する誇りを失ったために、アジアの人々にとって魅力が失われたと、断じている。

日本は明治維新後、アジアの諸民族にとって手本となって、アジアを西洋の圧制から解放したのに、第2次大戦に敗れてからは、自らを尊ぶことがなくなった。アメリカの従属国となって、物質的な生活を第一として享楽を貪るようになったからだ、というのだ。だから、日本はアジアの大国になれないといわれると、私には返す言葉がない。もっとも、著者は戦後の日本の経済興隆なしには、韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシアなどの “アジアのタイガース” と呼ばれる新興諸国の発展も、中国の目覚ましい経済発展もなかったと、説いている。日本はこの140年あまりのうちに、アジアの解放とアジアの経済発展という、2つの興亜の大業を成し遂げた。それなのに、アジアにおいて敬意を払われることがない。

かつて日本はアジアの民によって、尊敬された。アジアの光であった。ところが、私たちは物質の繁栄と引き換えに、亜流のアメリカ人となって、「アジアの盟主」としての責任を負った貴い歴史と、アジア解放の夢のために生命を捧げた同胞の記憶を捨ててしまった。私はインドや、インドネシアに、多くの親しい友人を持っている。先の大戦を体験した世代は、日本が立ち上がったことによって、西洋による植民地支配から解き放たれたことを知っていて、日本に感謝しているが、若い世代となると、村山談話や、河野官房長官談話をはじめとして、日本が侵略戦争を戦ったとか、非道な行為を働いたとして自国を辱めてきたために、日本に対して暗いイメージをいだくようになっている。

戦勝国のせいにしてはなるまい。独立を回復した後に日本人自身がつくりだした自虐史観が、日本観を歪めてしまった。先人を敬うことなく、歴史を忘れた民は軽んじられる。先月、雑誌に頼まれて、俳優の津川雅彦氏と対談した。津川氏は歴史と文化への洞察力に富む優れた論客だ。そのなかで私はこう述べた。

 「アメリカは移民の国ですよね。ヨーロッパから新天地にわたってきて、アメリカという国をつくったわけだから、その歴史はまだ浅いものでしょう。一方、日本はこれだけ長い歴史を持ちながら、昭和20年8月の敗戦によって、国民が国を捨てたり移民したりすることはなかった。でも、精神的にはアメリカ製の新しい国へ “移民” してしまった。」「その結果、それ以前の歴史にはまったく関心を持たなくなった。だからアメリカと同じようにまったく歴史の浅い国になってしまいましたね。日本でいちばん具合の悪い世代というのは、たしかに団塊の世代、60から上じゃないですかね。その点、いまの20代、30代というのはかなり健全ですよ。昭和20年8月前の歴史を知ろうとしていますからね。」

 どうして、日本はこのような腑抜けの国家になってしまったのだろうか。


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アコースティック哲学 建前

武田先生の守備範囲と思考の奥深さには恐れ入ります。日本が誇る宝と考えています。先生のブログを拝見するのが日課になってから1年超。コロナと時期を同じくするので分かりやすい。先生のブログを見れば既存のマスコミ・政治家・その他著名人の言っていることはあまりに浅薄でお話にならない。「地球温暖化」とか「コロナ恐怖症」、「日本の近現代史」についての間違いに気が付いていない人の発言を見ると速攻その方の知的レベルを判断するようになった。とにかく科学と歴史を中心とする人文科学との複合的な考察には驚かされます。先生のレベルから見るとTVに出てくる医師とか研究者のレベルの判断が素人同然と感じます  

【武田邦彦】ほとんどの日本人がダマされたトランプ大統領の「異常行動」の正体 やはり彼は間違っていなかった…

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コロナからの回復、中国に負けないベトナムの秘密

コロナからの回復、中国に負けないベトナムの秘密

コロナ禍に見舞われた世界経済は、「中国の独り勝ち」といわれている。だが、実はベトナム経済がそれを上回る。

 東南アジア主要6カ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)のなかでプラス成長を果たしたのはベトナムだけ。2020年のGDP成長率は2.9%と、中国の2.3%や台湾の2.5%を上回る世界最高水準を叩き出した。

早期発見と早期隔離でコロナを封じ込める

 その背景には、ベトナムが実施した短期決戦型の新型コロナ感染抑え込みがある。2020年、アジア諸国では旧正月(1月22~29日)の期間中に新型コロナの感染が蔓延したが、ベトナムでは初の症例が認められた1月23日から、いち早く臨戦態勢に入った。

 ベトナム政府は1月30日に、感染予防・管理のための「コロナ感染対策国家管理委員会」と呼ばれる作業部会を設立した。旧正月明けには全国の教育施設を対象に休校措置を採ったほか、2月上旬には南部の最大都市ホーチミンではイベントを禁止、商業ビルではマスク未着用者の入館を禁止するなど、各種措置を矢継ぎ早に実施した。

2月11日に北部のヴィンフック省で11人のコロナ陽性者が確認されると、周辺は封鎖され、1万1000人の村民が隔離された。4月1日からは15日間のソーシャルディスタンス規制が全国展開され、5月10日までのほぼ1カ月の間、新規感染者の確認はゼロとなった。

その後も感染者は出るものの、政府はそのたびに早期発見と早期隔離に着手した。拡大初期の時点で国境を閉鎖し、国外からの入国を厳重に制限したことも奏功した。そうした施策のおかげで、最近では1月下旬まで55日間にわたり「感染者ゼロ」が続いていた。

「不満」はあるが「不安」はない

 コロナ禍のベトナムでは、人々が買い物や外食に行けない生活を強いられた。ベトナムに家族や親戚がいる東京在住のバン・タイさん(仮名)は、ベトナム政府による厳しい措置についてこう語る。

「ベトナムは共産主義国家なので、コロナ禍の中での外出は大きく制限されました。違反者には罰金が科され、再犯時には拘束されてしまいます。けれども、国民はこういうやり方に慣れています。確かに不満はありますが、政府は結果を出していますので不安はありません」

 外出が禁止されたことにより移動の自由は失ったが、その分「安心・安全を手に入れた」と実感するベトナム人は少なくないという

(中略)

ベトナムは、中国と同様に一党独裁の政治体制であり、情報公開の不透明性が高い国家だともいわれている。だが、国連は「ベトナム政府によるリアルタイムで透明性あるコミュニケーションが国民の信頼につながった」と評価している。

SARSを世界で初めて封じ込めた

 振り返ると、2003年に29カ国で流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)を世界で初めて封じ込めた国はベトナムだった。

 2002年11月に、中国の広東省仏山市順徳区で初のSARS患者が確認された。だが、広東省政府は情報を公開せず、WHO(世界保健機関)に通知したのは年明けの2月10日だった。

 ベトナムでの最初の発病者は、2003年2月26日に香港から首都ハノイに入国した米国籍男性だった。その2日後、ベトナムの担当医師が、同地に駐在するWHOの感染症専門家カルロ・ウルバニ氏に連絡する。ウルバニ氏はX線を確認するや、即座に検査検体を日本WHO協会とCDC(アメリカ疾病管理予防センター)、NHE(ハノイ国立衛生疫学研究所)に送ることを提案した。

 3月9日、ベトナム保健相はWHOのベトナム駐在代表と会談し、保健省内に専門家グループを集めた作業部会を立ち上げた。3月11日に24人のSARS感染者が確認されると、感染を遮断するため、感染者を収容した病院を完全に隔離するなどの措置を講じた。

翌日、WHOはすべての国に対し、新たな感染症に対処する措置をとるよう伝えた。こうしてベトナム政府と同国駐在のWHOの連携によって、SARSの危険性と対策の必要性が世界に伝えられた。

 4月28日、WHOは「ベトナムは世界で初めてSARSを封じ込めた国家だ」と報告した。一方、この日に中国・北京市では96人の感染者が確認されている。北京では累計で1199人が感染し59人の死者を出していた。

「共産主義国家の兄貴分」を反面教師に

 未知の感染症の封じ込めに二度成功したベトナムだが、今回のコロナ禍では、多くの国民が失業した。とくに観光業界が大きな打撃を受けた。

 しかしベトナム政府は、「『新型コロナを抑え込んだベトナム』という好印象が近隣諸国との競争を優位にする」として、悲観はしていない。

 また製造業においては、サプライチェーンの中国からのシフトにより、日本企業や中国企業の移転がますます進むとみられる。「コロナ禍にもかかわらず工業団地に空きはなく、工場労働者の求人が高まっている」(バンさん)という。

 2020年12月、対米輸出が急増するベトナムはトランプ政権下の米財務省から「為替操作国」と認定された。だが、今後数年間で輸出はさらに伸びると期待され、世界銀行は2021年のベトナムの経済成長率を6.8%と予測している。

 前出のアウ・ダットさんによれば、「中国は共産主義国家の兄貴分」だという。だがベトナムのコロナ対応は、「隠ぺい」や「情報非公開」に走る中国とは真逆だ。中国を反面教師にして、ベトナムはポストコロナの経済回復を確かなものにしている。




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台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡

台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡『この命、義に捧ぐ』



金門島という島をご存知だろうか? 厦門の東にある小さな島だ。大陸から2 kmと離れていないが、ここは中国領ではない。台湾領の島だ。今回は、この島をめぐる陸軍中将根本博の蒋介石への恩義の物語。

あらすじ

1945年8月15日終戦。
満州国を統治していた関東軍は武装解除し、日本国民はソ連から虐殺や強奪を受け家族が離散するなど、ひどい目にあった。玉音放送を聞いた関東軍は、市民を置いて逃げ帰ったとも伝えられる。

同じ日、内蒙古を統治していた駐蒙軍司令官根本博は、武装解除に応じることなく、そこに住む日本国民4万人を北京まで逃がすことに命を賭ける。敵だったはずの蒋介石は、避難する日本人に暴力を振るうことを認めず、そのおかげもあり内蒙古にいた日本人は、根本を含めほとんどが無事に帰国したと言う。

太平洋戦争終了後の中国は、共産党と国民党の内戦となった。日に日に劣勢となる国民党蒋介石は、上海までも奪われついに台湾まで追い詰められる。このことを聞いた根本は、終戦の時の恩義を返すのは今しかないと考え、台湾への密航を決意するーーーー

日本軍人のイメージが変わった一冊

この本を読んで良かった。
大日本帝国軍人といえば、横暴で身勝手で視野が狭いイメージだった。しかしここに出てくる元陸軍中将根本博は、戦争弱者の一般国民を守り、深謀遠慮の策を講じる、恩義に熱い男だ。メンツや立場ではなく、国体や国民のことを必ず考える軍人であった。

武士の魂を持つ男と言ってもいいかもしれない。根本博は、終戦直後に密航までして台湾に渡る。そして、蒋介石から受けた恩を返すべく、もう後のない金門島での戦い(古寧頭戦役)に顧問として臨み、共産党の大軍相手に大勝利へ導く。

しかし今、台湾の歴史を左右した金門島での戦いに、根本博の名前は出ない。蒋介石亡きあと、「中華民国建国の過程で、日本軍人の力を借りた」とすることを避けているようだ。残念なことだ。


金門島の戦いで台湾を死守した日本人がいた──根本博と「白団」の活躍

国民党政府軍を支援する2つの旧軍人グループ

 以前の連載でふれたが、日本の敗戦後、満州で逃げ遅れた軍人や民間人が共産党軍に「留用」された一方で、自ら国民党に協力して近代軍の創設に協力した旧日本軍将兵の存在もあった。この事実はマスコミなどでは報道されていたが、当時の日本は占領下のため、公式には認められていなかった。だが、1949年の第6回臨時国会で、共産党の細川嘉六(ほそかわかろく)参議院議員が質問趣意書を提出したことに対し、閣議決定された答弁書が出され公的に知られるようになった。

 答弁書では、元陸軍中将根本博(ねもとひろし)氏と、同中佐吉川源三(よしかわげんぞう)氏を調査対象とした結果を伝えている。だが、その時点で根本氏は不在で、根本氏に同行していた吉川氏が帰国したのを機に接触し、調査したとしている。
 その内容によると、吉川氏は1949年1月に中国人の李氏と知人宅で接触し、中国への渡航を勧誘された。李氏の斡旋で根本氏と会い、根本氏など旧帝国陸軍軍人7名は、5月に東京を出発し、宮崎県の延岡沿岸から台湾に向けて出発した。一行は7月10日に基隆(キールン)に到着。8月に根本氏らが福建省に赴き、国民党軍の作戦に参加したが、戦況は共産党軍有利に傾き、吉川氏ほか2名は帰国と記し、「その他調査せしめた結果によれば、日本国内に日本人義勇兵が組織された事実はない」と結論付けている。

 この答弁書で、旧日本軍高官を含む軍人たちが内戦中の中国大陸に渡り、国民党軍に参加していたこと。まだ一部が帰国せず、国民党軍と行動を共にしている可能性が高いことを日本政府が公式に認めたことになる。

 実は、国民党政府がわざわざ日本にまで人を派遣して、旧軍人に誘いをかけてきたのは、この根本中将のルートだけではなかった。もう一つのルートは、前回の連載でもふれたが、国民党軍に降伏した支那派遣軍総司令官岡村寧次(おかむらやすじ)大将を中心とするグループである。このグループは岡村氏を通じて富田直亮(とみたなおすけ)元陸軍少将が団長として加わり、富田氏が名乗っていた中国名の白鴻亮(パイホンリャン)にちなんで「白団」(ぱいだん)と呼ばれていた。白団は1949年から1969年までの20年間、団長以下83名に上る団員が台湾で軍事教官として活動し、国民党軍の基礎作りに参加したのだ。

金門島の戦いを指導し台湾を守った根本博元中将

1949年当時の中国大陸では、日本軍の武装解除後にソ連軍も中国から撤退し、力の空白が生まれていた。その間、蒋介石の率いる国民党軍と、毛沢東配下の共産党軍との内戦がいよいよ正念場を迎え、戦況が共産党軍に有利に働いていたのである。

 当時の日本国内は、敗戦後の猛烈なインフレと大量失業により社会が混乱していた。後に日本三大ミステリーと呼ばれる、下山国鉄総裁が怪死した下山事件、三鷹駅構内で列車が暴走した三鷹事件、福島県松川で列車が脱線した松川事件など、国鉄争議に関する大事件が連続して発生していた。またソ連に抑留されていた人々が帰国した舞鶴港(京都府)では、復員兵たちが国際共産主義労働歌の「インターナショナル」を歌い赤旗を振るなど、日本国中が社会主義に傾倒するかのような雰囲気に包まれていた。

 一方で、中国大陸で共産党軍に圧倒されつつある国民党軍に対し、支援を呼びかける声も日本国内で高まり、これらの勢力は反共勢力と結びつき、国内でも反共活動が活発化していた。また、国民党軍支援を標榜して金品を騙し取る募兵詐欺事件が起こったり、国民党政府が巨額の資金を用意して募兵を始めるというデマが広まっていた。マスコミが日本人による国民党政府軍への義勇軍問題を取り上げ、騒ぎ立てるような日本の雰囲気を察知した国民党政府は、各方面で旧軍人にアプローチして、協力を要請していたのである。

 これには、占領下の日本で高級軍人をはじめとした職業軍人は公職追放され、軍人恩給の支払もおぼつかない状況が絡まっていた。軍人一筋に過ごした人たちは途方に暮れ、それに加えて骨の髄にまで浸みこんだ反共的志向があり、自分たちが敵として戦った国民党軍を正当化したいという思いも、彼らを動かすモチベーションになったと言えるだろう。

 これらの軍人たちの中で、ボランティアとして最初に台湾に渡ったのは根本氏を中心としたグループである。根本氏たちは大陸で作戦に加わった後、国民党軍の台湾への撤退と行動を共にした。しかしその頃、白団招聘を具体化しようとしていた蒋介石は根本氏たち7人とダブルブッキングとなるのを嫌い、根本氏とその秘書役の2人だけを残して5人を帰国させることになった。

 根本氏はこの時から1952年に帰国するまでの間、国民党軍の軍事顧問として多くの作戦指導に当たったが、もっとも効果が大きかったのが、中共軍の金門島(きんもんとう)上陸を阻止した作戦である。

 金門島と馬祖島(ばそとう)は、国民党政府領である。特に金門島は中共軍の支配する中国大陸から2.1キロメートルしか離れておらず、中共からすれば喉元に刺さった魚の小骨のような存在だ。1949年10月25日深夜、中共軍八個連隊は、対岸の厦門(アモイ)からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで金門島を三方向から包囲するようにして迫って来た。これに対する国民党軍は三個師団と保衛一個連隊である。

 根本氏の作戦は、一発も反撃せずに全敵軍を上陸させ、内陸部に誘い込み一挙に撃滅するというものであった。案の定上陸部隊は簡単に上陸を果たしたが、日没後に国民党軍の奇襲部隊が、ジャンクに火を放って86隻を焼いた。これにより補給と退路を断たれた上陸軍は混乱状態に陥り、それに乗じて国民党軍は総反撃に出たのである。

 根本氏の策により、包囲の一方を開けていたが、中共軍は開けてあった海岸への道に雪崩を打つように逃げ込んで行った。国民党軍は島陰で待機していた海軍と協力し、海岸線に逃げた中共軍を、海と陸から挟撃して壊滅的な打撃を与えたのである。

根本元中将と再会した蒋介石(1960年ごろ)。根本は国共内戦で国民党軍が絶体絶命のピンチにあった時に、日本から台湾へ密航。国民党軍を補佐して、金門島の戦いで中共軍を撃滅し、台湾を死守することに成功した。

 私は、中国が台湾総統選挙を妨害する緊張状態の1996年に、取材で金門島を訪れたことがある。金門島には当時の戦場となった集落がそのまま保存され、弾痕が無数にある民家や、砲撃によって焼け焦げた農家の納屋などの生々しい痕跡を見ることができた。島の軍事博物館には、この戦闘の詳細がパネルや蝋人形などで展示してあったが、根本氏の存在を示すものは何もない。中共側の厦門の博物館にも行ったが、展示資料にもないと言うより、金門島の上陸作戦そのものが展示すらされていなかった。中国ではこのような負の歴史的事実は存在しないことになっているのだろう。

 日台関係構築に貢献した白団メンバー富田氏ら3名の白団先遣隊が、台湾に渡ったのは1949年11月である。彼らはその後に大陸に渡って重慶の蒋介石と面会し、大陸での作戦指揮を執る。だが戦況が不利となり、蒋介石一行と共に台湾に渡った。

 その後、台北近郊に開設された軍学校で、旧帝国陸軍の歩兵操典を基礎とした教練や戦術、通信、情報、戦史などを教えると共に、反共の精神教育を徹底して施したとされる。

 さらに軍学校卒業の大佐以上を対象とした高級課程。1952年の米軍の軍事顧問団派遣に伴って実施された高級幕僚課程。1965年から68年までは、軍団長クラスを養成する陸軍指揮参謀大学で教育訓練に携わるなど、台湾軍の基礎固めに大いに貢献した。

 白団メンバーは、日本では密出国などの法を犯したことになるが、台湾では軍中枢部の基礎を作り上げたとして評価され、団長を務めた富田氏は中華民国陸軍上将として遇され、遺骨の半分は台湾新北市にある海明禅寺に安置されているという。

 台湾には、日本の経団連と同じような役割を果たす「行政院国軍退除役官兵輔導委員会(退輔会)」と呼ばれる組織がある。これは民間企業に携わる退役軍人の会で、台湾の実業界に絶大な影響力を持つ。この会のメンバーには白団の教育を受けた者も多く、退輔会の発足そのものも白団が退役する軍人のために尽力した結果とされている。

 白団メンバーは、1972年の日中国交回復により、日本が台湾との国交を断絶した後に発足した「中華民族支援日本委員会」設立員として活躍。彼らは国交断絶後も、台湾の政財界との繋がりが深く、現在までの日台関係構築に貢献したことは間違いないだろう。

 なお、今回の記事内容については、拙著『日本人だけが知らない「終戦」の真実』『「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質』(いずれも、SB新書)でもふれている。あわせてご一読いただきたい。



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日本は出世意欲が最低

出世意欲、自己研鑽意欲も最下位に

 パーソル総合研究所は、日本を含むアジア太平洋地域(APAC)14の国・地域における就業実態・成長意識についてインターネット調査を実施した。対象となったのは、中国、韓国、台湾、香港、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インド、オーストラリア、ニュージーランド、日本の主要都市ではたらく人。

 パーソル総合研究所では、調査の結果をもとにいくつかのトピックについて各国の比較分析を行った。

 まず「上昇志向」について、現在、非管理職である人に聞いたところ、日本は管理職になりたい人の割合が21.4%で、14の国・地域で最も低かった。逆に言えば、日本では積極的な管理職志向がない人は78.6%にものぼる。また、会社で出世したいと答えた人は、5段階尺度の平均値で見ると2.9にとどまり、日本は出世意欲も最も低い国と言える。

 次は「自己研鑽」について。勤務先以外での学習や自己啓発について、日本は「特に何も行っていない」が46.3%で、14の国・地域で最も高くなっている。2位のオーストラリアと比べて24.8ポイントも差があり、断トツで自己研鑽していない国と言える。

 また、「起業・独立志向」はどうか。日本の起業・独立志向は「とてもそう思う」「ややそう思う」の合計が15.5%で最も低くなっている。一方、タイ、インドネシア、インドでは50%を超え、中国、フィリピン、マレーシア、ベトナムで40%を超えている。

 一方、「仕事選び」で重要視する点について、日本の1位は「希望する年収が得られること」、2位「職場の人間関係が良いこと」、3位「休みやすいこと」が挙がっている。「年収」は他国も1位ないし上位だが、「職場の人間関係」や「休みやすさ」は日本のみベスト3に入っており、独自の傾向が見られた。

 続いて、「ダイバーシティ」について見ていくと、日本は「女性上司のもとで働くことに抵抗はない」で最下位となっている。また、「外国人と一緒に働くことに抵抗はない」でも最下位で、「年下上司のもとで働くことに抵抗はない」でワースト2位となっている。

 その他、日本の特徴としては、働き続けたい年齢が63.2歳で最も長く働きたいという意向を持っていることが明らかになった。これに韓国の62.0歳、オーストラリアの60.5歳が続いている。一方、最も働き続けたい年齢が低かったのはマレーシアの53.9歳だった。

 また、日本は勤務先に関する満足度が低く、「会社全体」に満足している人の割合は52.3%、「職場の人間関係」は55.7%、「直属の上司」は50.4%、「仕事内容」は58.2%であり、これらすべて最下位だった。

 今の勤務先で働き続けたい人の割合を見ると、日本は52.4%で最下位。一方で、日本の転職意向は25.1%でこちらも最下位。勤め続けたいとそれほど思っていないが、積極的な転職も考えていないという状況のようだ。

 一方、日本は転職後に年収が上がった人の割合が43.2%と最も低くなっている。しかし、日本以外はいずれも6割以上が年収アップしている。こうした状況が、転職へのためらいを生んでいることも考えられるだろう。

■日本が「一人負け」、日本型雇用の機能不全と国際競争力の低下

 今回の調査結果を踏まえて、パーソル総合研究所では、日本だけが「一人負け」といってよい特異な数字が出た調査結果になったと分析。その理由として、日本型雇用が直面している「機能不全」と切り離すことは極めて難しいと指摘している。

 男性中心で強い同調圧力、自社でしか通用しない業務プロセスの習得を通じた業務遂行能力の長期育成、年功的人材運用――これらが見られる組織において、先輩や上司は20~30代にとって魅力的なロールモデルとなりにくい。

 また、40代以降ではほぼ出世の勝負がついており、逆転人事は期待できない。こうした社会では、自ら学んで力を付けて自らの市場価値を上げ、時には転職をも手段としてキャリアを自ら形成していく意識や行動は現れにくいとしている。


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SDGs優等生の不都合な真実

脱炭素とか地球温暖化、環境問題やSDGsの言葉を見るだけで気持ち悪くなる。そんなに環境が心配なら江戸時代に戻った生活をしてください。それができないならせめて貧乏な暮らしをして預金もしないでください(銀行預金は貸し出され経済を活性化することで脱炭素に繋がらない)。お金を使うほど、預金をするほど二酸化炭素を使います。欧米・中国は口だけで真面目に脱炭素やるのは日本だけ。本当に日本人は騙されやすい。また悪夢の数十年を送ることになる。もうすでに限界でさらに日本の国力は大きくそがれ貧乏な国に転落します。それは現状維持ではなく世界の低所得者として働くことを意味します

SDGs優等生の不都合な真実 「豊かな国が高い持続可能性を維持している」という嘘

<国連が目指す持続可能な開発の指標で、各国の達成度の評価が実情と違い過ぎる。地球上の誰もがスウェーデン並みの消費をすれば、生態系や環境への負荷は現在の3倍になる>

地球と人の未来を守るため、2030年までに達成すべき17の目標を掲げた持続可能な開発目標(SDGs)が国連で採択されてから5年。その実現に向けた「行動の10年」が始まっている。動植物を含めた「生き物の世界」と人間主導のグローバル経済の共存共栄に向けた具体的努力が問われるのだが、そもそも各国は今、どんな位置に着けているのか。

それを知る指標として、よく用いられるのがSDGインデックスだ。米コロンビア大学の経済学者ジェフリー・サックスが考案したもので、SDGsの達成度を国ごとに評価する標準的なツールとして重宝されている。そのランキングを見ると、上位に並ぶのはスウェーデンやデンマーク、フィンランド、フランス、ドイツなどの豊かな欧州諸国。だが、本当にこれらの国はSDGs優等生なのだろうか。

実を言うと、このインデックスは開発の持続可能性を測るものではない。このインデックスで上位に入っている国々の一部は、地球環境への負荷という点から見れば、むしろ最も持続不可能な状況にある。

いい例がスウェーデンだ。SDGインデックスでスウェーデンの評価は84.7点と第1位。しかし世界中の生態学者が以前から指摘しているように、この国の1年間のマテリアルフットプリント(消費する天然資源の総量)はアメリカと同程度で、国民1人当たり約32トンに上る。これは世界でもかなり悪い水準だ。世界平均は現状で1人当たり約12トン。ちなみに持続可能なレベルは1人当たり約7トンとされる。

スウェーデンの現状は持続可能なレベルを5倍近く超えており、もしも地球上の誰もがスウェーデン並みの消費をするようになれば、世界中の資源消費量は年間ざっと2300億トンになる。これは現時点で全人類が消費している資源(言い換えれば地球の生態系や環境に与えている負荷)のおよそ3倍に相当する。

実態は開発優先、環境軽視

SDGインデックスで3位のフィンランドはどうだろう。フィンランドの二酸化炭素排出量は国民1人当たり年間約13トンで、石油大国サウジアラビア並みの水準だ。ちなみに中国の国民1人当たり二酸化炭素排出量は約7トンで、インドは2トンに満たない。世界中がフィンランド並みに化石燃料を消費したら、温暖化で地球は人が住めなくなる。

極端な例ばかりを挙げているのではない。英リーズ大学の科学者が発表したデータによると、SDGインデックスの上位の国々は資源消費量や温暖化ガスの排出量だけでなく、土地利用や窒素などの化学物質の環境への排出量といった点でも、人口比で各国に許容される範囲を大幅に超過している。

全ての国がSDGインデックス上位国のレベルで消費し、環境汚染を続けていくとすれば、地球の生態系は間違いなく、物理的に破壊されてしまう。

つまりSDGインデックスは、エコロジーの観点から見ればつじつまが合わない。それは事実と異なる錯覚を引き起こし、豊かな国は高いレベルの持続可能性を維持しているという間違った印象を与える。

どうしてそうなるのだろうか。SDGインデックスは国連の定めた17の「持続可能な開発目標」によって作られており、それぞれの目標には多くのターゲットが含まれている。点数の算出に当たっては最初にターゲットごとにデータを集めて達成度を評価し、それらの平均を求めて目標ごとの点数を出す(ただし国によっては必要なデータがそろわない場合もある)。そして、目標ごとの点数の平均値が国の点数となる。このプロセスは合理的に見えるが、実はそこに分析上の重大な問題が潜んでいる。

まずは評価項目の比重の問題だ。どの目標も3つの観点から評価されるが、観点ごとに評価項目の数が異なる。具体的にはエコロジカルな負荷(森林破壊や生物多様性の喪失など)、社会的な開発度(教育の充実や飢餓の解消など)、そしてインフラの開発度(交通機関や送電網の整備など)という3つの観点があり、ほとんどの目標はこの3つの組み合わせで評価される。だが現実には、必ずと言っていいほど開発関連の評価項目数がエコロジカルな負荷の評価項目数を上回っている。

例えば目標11(住み続けられるまちづくりを)には4つの評価項目があるが、3つは開発関連で、生態系への影響に関する項目は1つだけだ。つまり開発関連で高い評価を得れば、生態系への負荷が大きくても(つまり持続可能性が低くても)結果として点数は高くなる。

しかも17ある目標のうち、生態系の持続可能性を主眼とするものは4つ(目標12〜15)だけで、あとの13目標は開発に重点を置いている。つまりここでも、たとえ持続可能性の点数が低くても開発関連で点数を稼げば総合点は上がる。だから生態系への負荷という点では劣等生のスウェーデンやドイツ、フィンランドのような国が、SDGインデックスでは上位に来てしまう。

さらに、エコロジカルな負荷に関する評価の大半が国内だけを対象としていて、国境を越えた貿易の影響を考慮していないという問題がある。

例えば目標11の大気汚染に関する項目を見ると、概して富裕国の点数は高い。だが先進諸国は1980年代以降、汚染源となる産業部門の工場を次々と国外に移転させており、結果として汚染も国外に追いやっている。

森林破壊や魚の乱獲についても同じことが言える。こうした問題の多くは貧困国で起きているが、その原因は裕福な国々の過剰消費にある。途上国は先進国から環境破壊を輸入し、結果としてSDGインデックスの順位を下げているわけだ。

国連はSDGsの見直しを

インフラの整備などは、もちろん国内ベースで評価すればいい。しかし国内での消費による環境負荷を正しく評価するには、国外で生じた環境負荷もきちんと計算に入れなければならない。

それをしていないから、富裕国ほどSDGインデックスの点数が高くなり、彼らが国外でもたらしているダメージは見過ごされてしまう。これではいけない。いくら開発面で高い点数を得ても、地球環境に対して及ぼした破壊的な影響をそれで相殺することは許されないはずだ。

実はSDGインデックスの作成者側もこの問題には気付いており、評価手法に関する脚注で(簡単に)触れてはいる。だが結果として算出方法が見直されることはなく、環境負荷の問題は軽視されたままだ。

つまるところ、持続可能な開発の判定は地球規模で行うしかない。SDGインデックスで上位にランクされる国は、生態系の破壊をもたらすことなく実現できる開発のモデルを体現していなければならない。

残念ながら現状はそうなっていない。裕福な国々がSDGsの模範として持ち上げられているが、リーズ大学の研究が示すとおり、現実には彼らこそ問題の一部なのだ。

国連は今こそSDGインデックスを見直すべきだ。まずはエコロジカルな負荷を消費ベースで計算し、国外での発生分も考慮に入れること。そして環境への負荷と開発の成果を別々に評価し、それぞれの実態を正しく把握することだ。

そうすればデンマークやドイツのような国々が開発面で達成したことを正当に評価しつつ、一方で彼らが国外で生態系の破壊を加速している実態を認識できるだろう。

見直しが終わるまで、SDGインデックスなどに頼るのはやめるべきだ。地球環境の危機は深刻だ。いま地球にはどんな負荷がかかっていて、その責任は誰にあるのか。それをもっと正確に、もっと正直に示さないと議論は始まらない。



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グレタ・トゥーンベリよ、世界最大のCO2排出国である中国に行け

グレタ・トゥーンベリよ、気候変動についてに抗議するなら世界最大のCO2排出国である中国に行け

近年、欧米の環境過激派は石油や石炭や天然ガスなどの地球環境に対して負荷の多いエネルギーの使用を批判し、それが支えている生活水準を批判することで先進国全体で注目を集めている。

だが先進国が温室効果ガスの排出量を抑制する努力をしていないかというとそんなことはない。パリ協定が定めたCO2削減目標を達成するには程遠いが、その削減ペースはこの問題に対する人々の意識の高まりを反映していると言っていいだろう。

再生可能エネルギーの悲劇は、その誇張された可能性のせいで、過激派が他の解決策は必要ないと考えている点にある。

そのため彼らは原子力エネルギーに反対し、石炭の代わりに天然ガスを使用することにも反対し、化石燃料の環境負荷を減らす新たな技術の研究開発にも反対するなど、再生エネルギー以外の可能性を一切見ようとしない。

風力や太陽光発電などの再生可能エネルギーの全発電量に占める割合が依然として低いままなのは、既存のエネルギーよりもコストが高いこと、そして再生可能エネルギーを導入できるところではすでに導入してしまっていること以外に、彼らの過激主義がそもそも非現実的であるからだ。

一方で中国は世界のCO2の29%を排出しており、その割合は増加し続けている。中国は現在CO2排出量のピークを「2030年ごろ」としており、それはつまり2030年まで排出量が成長を続けること事を意味する。

中国の石炭消費量は世界の消費量全体の約半分を占めている。

しかし欧米の環境過激派はニューヨーク州が進めている新しい天然ガスのパイプラインに抗議したり、環境問題を訴えるためにロンドンの通勤電車の上によじ登って公共交通機関を麻痺させるなど、CO2排出を削減する余地が少ない場所で世界のCO2排出量に影響を大して与えない問題に対して抗議活動を続けている。

彼らはその政治力を中国のエネルギー改革を加速させるために捧げるべきだ。発展途上国はCO2排出を削減する余地が先進国よりも大きい、彼らはCO2排出量を日々増大させているからだ。

世界が石炭の使用を段階的に廃止し天然ガスに切り替えるだけで温室効果ガスを17%削減することができる。

ではなぜ欧米の環境過激派は中国を批判しないのか?

それは彼らが "発展途上国には生活水準を上げる権利" があり、そのためには "CO2排出量を増やす余地があって然るべき" と考えているからであり、発展途上国がCO2排出を増やし続けることを暗黙のうちに認めているからだ。

エネルギー使用量の増加は生活の質の向上、健康状態の改善、寿命の延長に直接つながる。

欧米の環境過激派が快適な生活を送る先進国に批判を集中させ、世界最大の温室効果ガス排出元を無視している背景にあるのがこれだ。

つまり新興アジアの生活水準の向上/排出量増加に対応するために、先進国の人間に生活水準を落とすように主張しているのだ。

気候変動との戦いは物足りない結果に終わるだろう、その理由がこれだ。

問題に真に立ち向かうためには現実的な解決案に焦点を当てる必要がある。

それは原子力をより活用することであり、石炭の使用を段階的に廃止し天然ガスへと切り替えることであり、化石燃料の効率的な利用/環境負荷を減らした利用を含めたあらゆる形のクリーンなエネルギーへの投資であり、そして世界最大の排出国である中国に圧力をかけることだ。

スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリは、あの「How dare you」を国連本部があるニューヨークではなく北京で言うべきだった。


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実は100年間人口が減らない唯一の都道府県、それが埼玉

人口減少があと半世紀は続くことが確定している日本。東京一極集中は2030年まで続くと言われていました。コロナ前は居住地として人気の高かった埼玉県もさすがに全国的な人口減少の流れを食い止められないと思われ、何と100年も人口増加してきたのが途切れる寸前に至った。そこにコロナ禍でまさかの東京から埼玉への人口流入が始まり、それはしばらくは続きそうです。実感でも家の周りはペースこそ鈍ったもののまだ人口は増えている模様。特に埼玉県南部は子育て世代が分譲マンション・一戸建てを購入しやすい価格帯で、若い世代が多く住環境も東京より良いし、交通至便で通勤も便利。大宮からの新幹線も利用しやすく成田・羽田へのアクセスも高速バスで快適。台風・大雨などの自然災害も少ない(武蔵野台地・大宮台地で地盤も頑丈と言われるが地震だけは分からない)。観光で有名なところは少ないですが、とにかく住みやすいんですね。首都圏なので地方にありがちな封建的なところも皆無で地元出身者でなくても気にしないで済むなど人間関係も良好。大宮・さいたま新都心など商業エリアも充実している。あと意外なところでは坂が少なく近所の移動が楽。神奈川は坂ばかりですし東京も実に坂が多い。もっとも既に住んでいる方から言うならもう人口は増えなくていいかなと思いますが、、、

実は100年間人口が減らない唯一の都道府県、それが埼玉。データで見る知られざる実力

埼玉県と言えば、2019年に映画『翔んで埼玉』の実写化が話題となった。埼玉県民である筆者は、埼玉県民にしか伝わらないような細かいご当地ネタが所々にちりばめられていて非常に楽しく観たが、あの作品で埼玉県について意識した方もいるのではないだろうか。

毎年、ブランド総合研究所が行っている「地域ブランド調査」の2020年版が2020年10月14日に公表されました。7年連続で最下位だった茨城県が過去最高順位の42位と躍進し話題となったが、実は埼玉県も38位と過去最高順位に上昇した。今回はそんな埼玉県について、人口や商業、観光などの状況をみてみる。

1世紀近く人口が減ったことがない

総務省が公表している人口推計の人口増減率をみると、2019年(2018年10月~2019年9月)に人口が増えている都道府県は全国で7都県(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、愛知県、滋賀県、沖縄県)のみとなっているが、実は埼玉県は、国の人口推計では1920年の開始以降、人口が減少していない唯一の県となっている。

堅実な暮らしぶり

さて、そんな人口の増え続けている埼玉県だが、人口と関係の深い商業の動向を見てみよう。商業統計調査(経済産業省)をもとに、小売業の年間商品販売額と、県民1人当たり商品販売額をみてみると、埼玉県は2007年から2012年にかけてはリーマンショックや東日本大震災の影響もあり減少したものの、その後2016年までは順調に増加を続けていた。ただ2019年には、景気後退の影響もあってか微減となった。

なお、首都圏一都三県の中で比較してみると、埼玉県の県民1人当たり商業販売額は最も低いようだ。東京都との所得差や、埼玉県民は買い物と言えば東京に行くとも言われ、その影響も考えられるが、それだけではないかもしれない。

家計調査(総務省)で各都県庁所在地の勤労者世帯(二人以上の世帯)の平均消費性向(可処分所得に対する消費支出の割合)をみてみると、実は埼玉県は、一都三県の中では傾向的に最も低くなっている。埼玉県民の方は、他の都県民の方と比べると、あまりお金を使わず、堅実な暮らしをしているという面もあるかもしれない。

一方で埼玉県では、持ち家比率をみてみると、2000年代に入り千葉県とデッドヒートを繰り広げてはいるものの、直近2018年度では一都三県の中では最高水準にある。埼玉県民は買い物や家賃などにお金をかけるより、家を持つという方も多そうだ。

近場の人気日帰り観光スポット

観光地としてはまだまだ認識されていない埼玉県だが、最近は、大宮や川越・秩父など、テレビの旅番組などで取り上げられることも多くなり、皆さんも一度は目にしたことのあるではないだろうか。次に、そんな埼玉県の観光の状況についてみていきたい。

まず、埼玉県の観光消費額の推移を県が推計している観光入込客統計調査でみてみると、2011年の調査開始以降、2018年までの7年間で、観光消費額は3倍に急増した。2019年は一転、減少となったが、埼玉県内にも大きな被害をもたらした台風19号の被災や景気後退の影響もあるかもしれない。

また、旅行の形態(外国人を含む)を宿泊旅行・県内からの日帰り旅行・県外からの日帰り旅行別にみてみると、県内・県外からの日帰り旅行がほとんどであることがわかる。宿泊旅行についてはまだまだだが、日帰り旅行では県内が5割強を占めており、県民にも近場の日帰り観光スポットとして親しまれているのではないだろうか。

埼玉県内でも観光客数の多い、さいたま市・川越市・秩父市について、市町村観光入込客の推移をみてみると、さいたま市はさいたまスーパーアリーナや鉄道博物館などの人気の施設が複数あることから2011年以降、増加傾向にある。また、川越市についても都内からのアクセスの利便性やここ数年、テレビで取り上げられる回数が増えたことからか増加傾向にある。一方、秩父市については、テレビでも取り上げられているものの、観光客数は2019年は2年連続の減少となっている。

埼玉県と言えば、もしかすると映画『翔んで埼玉』で初めて意識した方もいるかもしれないが、統計データでみてみると、人口は1世紀近くにわたり都道府県で唯一増え続けており、持ち家比率も首都圏一都三県で最も高く、近年は観光消費も急増している。実は知る人ぞ知る埼玉県なのではないだろうか。

最近は新型コロナウイルス感染症の拡大により、住まいを都心から郊外に目を向ける方も増えているようだ。2018年に発表された国立社会保障・人口問題研究所の地域別将来推計人口では、埼玉県の人口も2025年までには減少に転ずる見通しだが、コロナ禍の影響で今後変わることもあるかもしれない。もっとも、埼玉県だけでなく、それぞれの地域に良さがある。単にイメージや認知度だけでなく、データでそれぞれの地域を見ることで、それまで気付かなかった一面も見えてくるのではないだろうか。


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「日本は稼げない国」、優秀な人材はやってこない

「日本は稼げない国」、優秀な人材はやってこない

「優秀なベトナム人は日本には来ません」

 そうはっきり言う在日ベトナム人がいる。日本にやってきて5年目で、現在は東京都内の商社に勤務するフーンさん(27歳)だ。

日本への留学は金さえ払えば簡単にできてしまう

 「ベトナムで最も優秀な学生は欧米に留学していきます。次に人気なのが、オーストラリアやシンガポールといった英語圏。日本ですか? 出稼ぎ以外で行きたい人は少ないですね」

 事実、在日ベトナム人の多くは、実習生や留学生として出稼ぎに来ている若者たちだ。たとえ出稼ぎ目的であろうと、日本への留学は金さえ払えば簡単にできてしまう。低学歴で、現地では仕事が見つからない者ほど日本へ向かいがちだ。そんな国に、本当に優秀なベトナム人が、留学であれ、また就職であれ、わざわざ渡ろうとは考えない。

 フーンさんは数少ない例外と言える。彼女はベトナムでトップクラスの大学を卒業し、日本へと留学した。その後、日本語能力試験で最高レベルの「N1」を取得し、日本で就職した。なぜ、優秀なベトナム人であるフーンさんは「日本」を選んだのか。

 フーンさんはベトナム北部の小さな村の農家に生まれ育った。家は貧しく、村では大学に進学する若者も珍しかった。そんななか、彼女は勉強に励み、首都ハノイにある有名大学へ進学した。
 「大学の同級生は、お金持ちや特権階級の子どもたちばかりでした。まるでネイティブ・スピーカーみたいに英語を話していて、驚きました。親にお金があるので、小さい頃から勉強しているんです」

 フーンさんはよい仕事に就き、家族を助けたかった。しかし、大学卒業時にベトナム特有の「壁」にぶつかることになる。

 彼女は欧米の大学院への留学を望んだ。ベトナムの若者にとっては最高のエリートコースである。だが、国費などの奨学金が割り当てられるのは、政府関係者などの子弟ばかりだった。

 「ベトナムは個人の実力以上に、コネや賄賂がモノを言う国です。いくら努力しても、どうにもならないことがある」

 賄賂の蔓延については、大学時代のアルバイトを通じて目の当たりにしていた。

 アルバイト先は大手の旅行代理店で、政府機関の海外視察なども請け負っていた。経営者はフーンさんをかわいがり、顧客である政府機関担当者への接待にも同行させた。彼女は当時をこう振り返る。

 「接待では、高級なレストランが使われました。そこで賄賂のお金を渡すのです。金額は少ないときで5万円ほど、多いと50万円にもなりました。しかも一度だけではありません。テト(ベトナムの旧正月)のような祝日から相手の奥さんの誕生日まで、何かにつけて接待します。相手によっては1年に10回以上も賄賂を渡していた」

 ベトナムの物価水準は日本よりまだまだ低い。「5万円」でも大金だが、それが年10回にも及べばかなりの額になる。そこまで賄賂を払うのは、契約できれば元が取れるからなのだ。

 ベトナムは社会主義国という事情もあって、国や省などの政府が絶大な力を持っている。幹部になると、自らの裁量で採用できる枠まである。縁故で採用された人材は、当然ながら仕事ができない。それでもコネによって出世し、職権を利用して私服を肥やしていく。フーンさんが海外を目指したのは、そんなコネと賄賂が蔓延るベトナムに嫌気が指したからだった。

第一希望の欧米に行けず、選んだのは日本

 第一希望の欧米に行けなかった彼女が選んだのは日本だった。日本の大手新聞社の奨学生として採用されたのだ。

 「大学の友人たちには『なぜ、日本なんかに行くの?』と驚かれました。だけど私は、どうしてもベトナムから出たかった」

 新聞奨学生として日本語学校に通った後、彼女は現在働く商社に就職した。短期間で取得した日本語能力試験「N1」の語学力が評価されてのことだ。

 仕事は社内で表彰されるほど順調である。しかし、会社に長く留まるつもりはない。

 「日本の人は長時間働きますよね。でも、あまり効率的じゃないように感じます。お互いに陰で悪口を言ったりして、いい雰囲気ではありません。私が外国人だからかもしれませんが、ベトナムにいた頃より人間関係でずっと疲れます」

 独身の彼女は、日本人男性から交際を申し込まれることがある。だが、結婚相手はベトナム人と決めている。

 「やっぱり日本人とは分かり合えません。友だちと呼べる日本人もできないです」

 フーンさんには大学生の妹がいる。姉を追い、彼女も日本への留学を望んでいた。だが、フーンさんは英語圏に行くよう説得したという。

 「日本には素晴らしいところもたくさんあります。ベトナムと違って賄賂もなく、実力で夢がかなえられる。だけど、ずっと住みたい国じゃない。妹も日本に来れば、きっとそう考えるようになったと思います」

 フーンさんはまさに日本が欲する高度人材だ。しかし最近では、あれほど嫌だったベトナムに戻りたいという思いも湧いてきている。

 「ベトナムにはいろんな問題があって、日本よりずっと貧しい国です。それでも皆、楽しく生きている」

 ベトナムに関し、メディアではよく「親日国」だと表現される。だが、何もベトナム人たちは「親日」だから日本に働きに来るわけでない。仕事があって、稼げるからに過ぎないのだ。

 ただし、フーンさんのような高度人材にとって、日本はもはや「「稼げる国」ではない。彼女の年収は350万円程度だ。欧米への留学経験者やベトナムで起業した友人には、軽く1000万円を超す年収を得ている者が珍しくない。フーンさんであれば、ベトナムに戻っても現在の年収程度は簡単に稼げるだろう。

 肝心の親日度にしろ、ベトナムでは急速に低下しつつある。実習生や留学生が日本で都合よく利用され、食い物になっている実態が伝わってのことだ。

 両国の賃金格差が今後さらに縮まったり、日本よりも稼げる国が見つかるながら、ベトナム人たちは遠慮なく、この国から去っていく。高度人材のみならず、実習生のような底辺労働者にしろそうだ。そのとき日本は、不足する労働者をどこから補充するつもりなのだろうか。

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住宅ローンは「生涯払う」時代に 85歳ローン、50年ローンも登場

住宅ローンは「生涯払う」時代に 85歳ローン、50年ローンも登場

現役で稼いでいるうちに住宅ローンを完済して、退職後は年金生活で悠々自適の老後──そんなライフプランはすでに「夢物語」となりつつある。なけなしの年金からローンを払い続けるリタイア生活こそ、現代のスタンダードだ。しかしコロナ禍で給料やボーナスが目減りし、定年後の再雇用も難しくなるなか、年金によるローン返済計画にも不安がつきまとう。人生最大の買い物といわれる「我が家」をめぐるお金の問題は、老後生活のあらゆる面に影響する。

定年時の残債は「1300万円」

「年金をもらいながら働く」高齢者の住宅ローン破産が増えている。北関東に住む元メーカー社員のAさん(66)は40歳のときに新築一戸建てを購入、住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)から3000万円を借りて30年ローンを組んだ。毎月の返済額は14万円だ。

 返済が終わるのは70歳になるが、購入当時は、「定年時に退職金で残債を繰り上げ返済しよう」と考えていた。しかし、退職金が思っていたより少なく、一部しか返済できなかった。

 現在は嘱託社員としての雇用延長期間も終わり、月18万円の年金が収入の柱だが、ローンを払うと生活できないため、食品工場でアルバイトをしながら返済してきた。それも新型コロナで工場が閉鎖されて失業、次のアルバイト先も見つからない。

「貯金も少なく、月14万円近いローンを払い続けるのは無理。返済はあと4年で終わるのに、家を手放すしかないのか」。そう途方に暮れている。

 NPO法人『住宅ローン問題支援ネット』にはAさんのようなケースの相談が増えている。代表理事でファイナンシャルプランナーの高橋愛子氏が語る。

「緊急事態宣言以降に相談が一気に増えました。現在は金融庁の指導で金融機関が住宅ローンの一時返済猶予(最長1年の元金据え置き)などの対応を取っているのでそれほど破綻が表面化していないが、新たな仕事が見つからなければ返済は難しい。Aさんのような破綻予備軍は多い。年明け頃から、限界を迎えて自宅売却など住宅ローン破産に追い込まれる事例がもっと増えてくるでしょう」

その背景にあるのが、住宅ローン返済年齢の高齢化だ。日本経済新聞(10月5日付朝刊)は「住宅ローン 完済年齢上昇 平均73歳、年金生活不安定に」の見出しで、定年退職後も住宅ローンを返済し続ける高齢者が増えていくことを報じた。

 記事は住宅金融支援機構の過去20年分の住宅ローン利用者(約122万人)のデータを分析したもので、完済年齢は20年前(2000年度)の「平均68.3歳」から、現在(2020年度)は「平均73.1歳」へと、なんと5歳も高くなっている。

 理由は、マイホームを購入する年齢が高くなり、借入金額が増え、金利も低下していることで、返済期間が長くなっているからだ。

 日経報道によると、住宅ローンの平均融資額は20年前の1900万円から3100万円へと1.6倍に増えた。借金が増え、返済期間が長くなれば、当然、定年時のローン残債も多くなる。60歳時点の平均残債は20年前の700万円が、現在は1300万円を超える。

 それに対して、大卒の定年退職者の退職金は平均1788万円、この20年で1000万円も減った(厚労省の就労条件総合調査)。

 かつてはローンの残債を払っても余裕があったが、今や手元にはわずかな金額しか残らない。

「年金でローンを払い続ける」のが当たり前の時代になったことが数字からもわかる。

50年ローンも登場

 家は「人生最大の買い物」といわれる。多くの人は前出のAさんのように住宅ローンを組むとき、「残債は退職金で繰り上げ返済し、年金はすべて生活資金にあてる」という定年後の人生設計を思い描いていたはずだ。

“夢のマイホーム”を持ち、現役時代に返済を終え、リタイア後は借金を持たずに年金生活を送る―という“第2の人生”のライフスタイルが理想とされ、「年金で住宅ローンを払う」なんて“人生計画の失敗”という価値観は今もシニア世代に根強い。

 そもそもかつては住宅ローンの完済時の年齢上限が「70歳未満」という条件があった。つまり、貸し手も借り手も70歳過ぎても払い続けることは想定していなかった。

だが、現在は制度的にも「生涯住宅ローンを払う」ことが人生のスタンダードになってきている。この10年ほどで銀行は相次いで完済上限年齢を「80歳未満」に引き上げ、現在はソニー銀行のように「85歳未満」まで住宅ローンを組むことができる金融機関も現われた。返済期間も延び、住宅金融支援機構や民間金融機関の「フラット50」など最長50年のローンが登場した。

 男性の平均寿命は約81歳。「85歳ローン」は“死ぬまで借金を返し続ける”に等しい。ましてや「50年ローン」は成人後の人生の大半をそれに費やすことになる。ファイナンシャルリサーチ代表の深野康彦氏が指摘する。

「不動産会社は“返せるかどうか”ではなく、“借りられるかどうか”で物件を勧める。そうして高い家を買えば、老後も借金が残るという現実を見なければならない。私に寄せられた相談例でも、60代までに住宅ローンを払い終える人は少数派で、70歳超えは当たり前。これまでの常識に捕らわれずに、年金生活と借金生活を両立させることを考えていく時代です」


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日本人の身長が縮んでいる!

日本人の身長が縮んでいる!

調査によると、男女ともに1978~1979年生まれ以降、日本人の平均身長が低くなっている。100年前から約15cmも伸びてきた日本人の身長だが、国立成育医療研究センターの資料によると、日本人の平均身長は1978~1979年の男性171.5㎝、女性158.5㎝をピークに、以降20年間低下し続けているという。栄養状態が悪くなったわけではないのに、これはいったいどういうことだろう。

我々は、さまざまな遺伝情報を持って生まれてくる。その長さは30億塩基対。日本人は身長が低いほうが生存に有利だと考えられるという

日本人は身長を高くする遺伝子が自然淘汰されている!?

2019年9月、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』に理化学研究所等の研究チームによる、ある研究結果が掲載された。それは、身長が高くなるのは遺伝的変異のひとつで、日本人は身長が高くなると何らかの不利な影響があり欧米人より身長が低いらしい、というものだ。その「不利な影響」とは? 東京大学大学院でゲノム解析分野の教授を務めている鎌谷洋一郎氏に聞いた。

「日本人約19万人の遺伝子を調べたところ、とても弱い効果ではありますが身長を高くする遺伝的変異が自然淘汰されている可能性があることがわかりました。これは欧州系集団で検証された結果とは真逆です」(鎌谷洋一郎氏 以下同)

我々は、さまざまな遺伝情報を持って生まれてくる。その長さは30億塩基対で、99.5%以上の部分では人の間では互いに同じだが、残り0.5%は異なる。その0.5%のうち、身長に関わる場所は573箇所(最終的には数千になる可能性も)。その中には身長を高くする遺伝子があるが、日本人はこの遺伝子が自然淘汰されている。つまり、身長が低いほうが生存に有利だと考えられるという。

「身長や体重などのように、遺伝的要因と環境的要因によって個人の違いが生じる特徴は“多因子形質”と呼びます。身長は多因子形質の中でも、遺伝的な影響が強く、8割は遺伝因子の影響だと報告されています。残りの2割が栄養状態や健康状態などの環境要素。日本人がもつ遺伝子プール(遺伝子情報の多様性)が戦後に大きく変化したとは考えづらいので、身長が100年前から15㎝伸びたのは、後者の環境要素によるものでしょう」

◆背が高いほど“がん”に、背が低いほど“循環器疾患”になりやすい

身長が高いと生存に不利。どのように不利なのだろうか。

「今のところ、その理由はわかっていません。一つの仮説として、高身長の人はガンになりやすく、低身長の人は心疾患を起こしやすいというデータがあり、それが関係しているかもしれません」

欧米などの研究でも、成人の身長と死亡リスクは関係があるとされていて、高身長ほどがんによる死亡リスクが高くなり、反対に、脳血管疾患や心疾患などの循環器疾患による死亡リスクが低くなることが報告されている。

日本でも国立がん研究センターが調査したところ、同じ結果が得られた。高身長の人ほど発がんに関するインスリン様成長ホルモンのレベルが高くなること、また高身長の人は肺活量が多いので、それが呼吸疾患に予防的作用をするのではないかと考えられている。身長を高くする遺伝子の一つは、コレステロールや中性脂肪に影響するという説もある。

「もう一つの仮説として、身長が大きいということは、細胞の数が多いということなので、がんを引き起こす細胞が発生しやすいのではないかという仮説もあります。しかもその結果として起こる進化的選択圧が欧州と日本とで違っていたということが示唆されました。

結局のところ、まだなにもわかっていません。身長の大規模な遺伝情報の解析をしているのは、現在のところ、日本と欧米だけですが、今後さまざまな地域の遺伝情報を調べていくと、どの因子が関係しているのか、わかる可能性があります」

◆生まれると同時にDNAデータが解析され、大人になったときの大まかな姿が想定できる。そんな時代が、すぐそこに!?

そもそも鎌谷氏らの研究は、病気になりやすいDNAの配列の特徴を見つけることが目的。アメリカでは心筋梗塞などの予測がそれなりの確率で予測できる状態だという。

「1人の体から600万か所くらいの遺伝子情報をとって、複雑なコンピュータ・プログラムを用いて遺伝的な心筋梗塞発症リスクのスコアを計算し、そのスコアを10段階に分けます。いちばん高いグループは、心筋梗塞の発症率が10%、10人に1人発症する。いちばん低いグループは1%、100人に1人発症するというふうに、発症率に10倍の違いがあるという報告がありました。ただ、だれが発症するかはわからない」

100人に1人のグループに自分がいたとしても、発症するかもしれないし、10人に1人のグループにいても発症しないかもしれない。けれど、発症率が高いと言われれば気をつけることはできる。

「ただし、欧米系集団と日本人集団はゲノム構造に違いがあり、欧米で作成した遺伝的リスク計算手法を用いても、日本人の発症を予測できるかどうかは不定です。今のところこのような予測がうまくいくと思われているのは欧米系の白人だけなので、人種差別的状況が起きていると指摘する声もあります」

今までは原因がわかっていなかった難病も、DNAを解析することでわかることもある。治療にも結びつくかもしれない。それは大きな福音ではないか。

「欧米ではすでに100万人を対象とした遺伝情報の取得と分析を始めようとしていますが、現在、彼らの大目標の一つは、非欧州系集団をより多く含めるように、という多様性の確保です。大規模な遺伝情報取得に関しては、日本も追随する動きがあります」

自分がどのような病気にかかりやすいか、どのくらいの身長になるのか、生まれたとたんにわかってしまう未来がくるかもしれない。うれしいような、怖いような。

「遺伝情報から疾患発症を予測できる可能性があるという状況で、100万人単位の遺伝情報の取得が世界的には進んでいます。生まれた時に疾患発症確率がある程度わかる、という未来は、まだ現実化していませんが、割と早く来る可能性がありえます。

このようなことは国民の合意のもとに進んでいくべきで、多くの人にもっとヒト遺伝学を知っていてもらいたいと思っています。遺伝情報は自分だけのことではなく、自分の子どもたちにも関係する。そういうことを知ってほしいですね」

鎌谷氏が研究を始めた15年前には、100万人の遺伝子情報を調べるなど、考えもしなかった、想像をはるかに超えたスピードで研究が進んでいるという。欧米では遺伝情報で「体形」まで予測できると報告されているという。それをどのように活用していったらいいのか、考える時期にきているのかもしれない。少し前のSF小説に書かれていた世界は、すぐそこまで迫っている。

鎌谷洋一郎 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 複雑形質ゲノム解析分野教授。理化学研究所生命 医科学研究センター ゲノム解析応用研究チーム 客員主管研究員。日本人の身長に関わる遺伝的特徴を解明したほか、日本人のたばこへの依存しやすさと本人の遺伝的な特徴に相関があることも明らかにした。



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就職氷河期世代、51歳男性の絶望

「生きて苦しむより、死んだほうがマシ」就職氷河期世代、51歳男性の絶望

希望しても正社員になれなかった就職氷河期世代をコロナ禍が襲っている。労働経済ジャーナリストの小林美希さんは「政府の対策は10年、20年遅い。不本意にも非正規で働いている氷河期世代は、『このままずっと非正規で働き続けるしかない』とあきらめている」という――。

スキルを身に付けられず中年になった

「コロナの影響でただでさえ仕事が減っているのに、年齢的に不利な私たちがどうやって正社員になれるのだろうか」

小野明美さん(仮名、40歳)は諦め顔だ。2004年に都内の短大を卒業した明美さんは、新卒採用では事務職を希望していた。ところが当時は就職氷河期で事務職が非正規雇用に置き換わり始めた頃で、正社員の枠は少なく、エントリーしても全滅。それでもいったんは消費者金融会社に営業事務として正社員入社した。債務者に取り立て(債権回収)の連絡を入れる業務もあり、それがつらくなって入社2年目で退職した。

「無職でいるわけにはいかない」と、学生時代に経験のあったアパレル販売のアルバイトでしのいだ。一人暮らしの生活費を稼ぐため、シフトがない時は日雇い派遣を入れるうち、本格的な再就職活動ができなくなるジレンマに陥った。そして2008年のリーマンショック。「なんのスキルもない私に正社員は一層とハードルが高くなりました」と明美さんは振り返る。

アパレル店や飲食店で仕事を続けたが、そもそも正社員は店長など限られた人数しかいない。今はコロナでシフトが減り、いよいよ違う業界に目を向けなければ完全に職を失いそうな状況だ。明美さんは「事務職に転職しようにも経験がありません。今さら氷河期世代を支援するといっても、これから資格をとろうにも日々の生活で精いっぱい」と頭を悩ます。

できるか? 3年間に30万人を正社員化

国は就職氷河期の定義を「おおむね1993年卒から2004年卒。大卒でおおおむね37~48歳、高卒で同33~44歳」(2019年4月時点)とし、その中心層を「35~44歳の371万人」としている。同世代は、1991年のバブル崩壊、1997年の金融不安、2001年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックなどの影響を受けてきたうえ、今、コロナショックのさなかにいる。

昨年6月に発表された支援策では、3年間で就職氷河期世代30万人を正社員に移行する目標を立てている。主な支援内容は、ハローワークに専門窓口を設置し、担当者によるキャリアコンサルティングや職業訓練などチームを組んで支援。専門窓口は全国69カ所から82カ所へ、就労・生活支援アドバイザーと就職支援コーディネーターはそれぞれ69人から82人へ、職業相談員は118人から144人体制に強化する。民間ノウハウも活用して正社員への就職につなげるが、どれも過去の施策の寄せ集めとなっている。

目玉施策として厚生労働省がIT、建設、運輸、農業などの業界団体に委託し、「短期資格等習得コース」の講座を開講し、業界で必要な訓練と職場体験を組み合わせて正社員就職を支援する「出口一体型」を行う。建設や農業はもともと人手不足で外国人労働に頼っている業界だ。ほかにも、造船・舶用工業、内航船員、林業、自動車整備業など深刻な人手不足業界に就職氷河期世代を呼び込もうとしている。理想どおりにいけばいいが、中年層になってからのこれらの業界への転身が進むかは疑問が残る。

助成金受給や再就職に厳しいハードル

雇用の受け皿を担ってきた飲食業や観光業が大打撃を受けるなか、国は「地域における観光産業の実務人材確保・育成事業」を掲げ、ポストコロナを見据えたワーク・ライフ・バランスの改善を図る。しかし、たとえコロナが収束したとしても観光業は他国の景気や政治状況にも左右されるため、今までインバウンドに依存してきたこと自体が危うかったと言えないか。

帝国データバンクの「新型コロナウイルス関連倒産」(法人および個人事業主)によれば、2月3日16時現在、全国で985件の関連倒産となっている。業種別の上位は、「飲食店」(158件)、「建設・工事業」(81件)、「ホテル・旅館」(77件)、「アパレル・小売店」(56件)という状況だ。このような厳しい状況を前提とした業界動向や収益構造のなかで正社員雇用ができるのかを問い直さなければ、国の支援策も絵に描いた餅になる。

コロナで在宅ワークが進む中でIT業界への就職支援も強化するが、専門知識が必要だ。その場合は職業訓練を受けることになるが、受講中の収入減がネックになる。落ち着いて勉強して未経験の仕事に就けるよう、国は職業訓練受講給付金を「給付金支給単位期間」(訓練開始から1カ月ごとに区切った期間)ごとに10万円支給するというが、その要件に、①収入が8万円以下であること、②同居または生計を一つにする別居の配偶者、子、父母の世帯の収入が25万円以下であること、③世帯の金融資産が300万円以下であること――などがハードルとなって給付金を受け取りながら職業訓練を受けられないケースもある。

また、人材ニーズがある業界は、シフト制で深夜、土日祝日の勤務があることが少なくない。子育て中はもちろん、就職氷河期世代の親は高齢で介護や日常生活のサポートが必要な場合もあり、不規則な時間帯の勤務や自宅から遠い職場で働けない事情も生じる。就職氷河期世代が中年となった今、こうした生活変化が起きやすくなっている。

国は就職氷河期の「中心層」を35~44歳と強調しているが、それは支援する対象者を少なく見せるもので、実際にはバブル崩壊後に社会に出た45~49歳(2019年時点/1970~1975年生まれ)も多く存在する。就労支援の専門家が「ただでさえ正社員採用は難しい」という45歳以上の存在を覆い隠すようなもので、本来は、より重点的に支援すべき年齢層だ。

切り捨てられた45歳以上

非常勤の公務員として雇用に関する部署で働く池野良太さん(仮名、51歳/2019年は49歳)も氷河期世代に当たり、「40歳くらいまでならチャンスがあるかもしれないが、45歳以降で正社員になるのは厳しい」と切実な思いを語る。

西日本に住む良太さん。県内の正社員の有効求人倍率は1倍台であるものの、「就職氷河期世代を採用しようとする企業は、私が知る限り地元でブラックと呼ばれているところばかり。これでは人が集まるはずがない」という。地元の大手優良企業が募集をかけると、その企業の退職者が手をあげたことで枠がすぐに埋まってしまい、氷河期世代向けの募集は取り消されてしまったという。

自治体に公務員の氷河期世代の採用枠を作ってほしいと打診しても、「予算の都合でできない」という回答しか得られなかった。良太さんは「だったら、広報宣伝に俳優を起用する費用を削ってでも良い企業を開拓する費用に充てればいいのに。これでは、行政が『対策しました』という言い訳のための事業でしかない」と、いら立つ気持ちが抑えられない。

昨年度は、兵庫県宝塚市が就職氷河期世代を対象に正職員の採用試験を行うと、倍率が400倍超えとなって大きな反響を受けた。

「これほど倍率の高い公務員試験になったのは、どれだけ多くの人が困っているのかを如実に表しているのだと思います。当事者としても、就職支援に関する立場としても、もっと公務員枠を増やしてほしい」

2021年度、氷河期世代を対象にした府省の国家公務員の中途採用は157人が予定されている。各自治体でも中途採用がより進むことが期待されるが、地方公務員も年々と非正規雇用が増えているという状況だ。

良太さんがより矛盾を感じるのは、氷河期世代を支援する年齢区分だ。良太さんは「35歳からの支援にすれば、確かに30代後半は救われるチャンスがあるだろう。この年になって畑違いのところで働くのは難しく、40代のうちとりわけ45歳以降は不利なまま取り残されてしまう」と懸念している。良太さん自身、現在の雇用は非常勤で、来年度の更新はない状態だ。正職員の求人募集を見つけては応募しているものの、決まらなければ4月から無職かもしれない。

「昼ごはんはパン2つで出費を180円に抑える生活。明日どうやって生活しようという不安が絶えません。地方での生活には車が必要で、生活保護の申請は難しいと思います。政治はもっと本気で対策してほしい。もし仕事が決まらず路頭に迷えば、生きて苦しむよりも死を選んだほうがいい」

緊急事態宣言下でも一人数万円もかけて会食する政治家に、良太さんら就職氷河期世代の現実は見えているのか。

「非正規」を生まない抜本改革が必要

大卒就職率が史上初の6割を下回った2000年からちょうど20年。

当時、株主至上主義や自己責任論の拡大で若者の雇用問題は軽んじられ、氷河期世代の問題は置き去りにされた。第1次安倍晋三政権(2006年9月~07年8月)で「再チャレンジ」施策が行われたが短命に終わり、2008年にリーマンショックが襲う。少なくとも就職氷河期世代がまだ30歳前後だった10年前にもっと救いの手が差し伸べられていたら、状況は好転していたのではないか。

国が策定した「行動計画」は、既存の就職支援の焼き直しの部分が大半を占め、氷河期世代が中年となった今、通用しない面があることは否めない。コロナの打撃は計り知れず、雇用の受け皿が壊れてしまった今、他業界で働くことも視野に入れなければならない状態で、正社員化の即効性を求めることは難しい。じっくり職業訓練に取り組めるよう、氷河期世代の生活基盤を支えなければならない。

新卒採用も徐々に厳しさを見せるなか、新たな氷河期世代を生まないためには、非正規雇用を生み出す構造そのものを変えなければならない。約20年前、1999年に労働者派遣法が改正され対象業務が拡大。2004年には派遣も含め非正規雇用の「3年ルール」ができて、企業は3年経ったら正社員にするのではなく、多くが雇い止めした。

厚生労働省「労働者派遣事業報告書の集計結果」(2018年度)によれば、派遣労働者約123万人のうち3年が経過する見込みである人は約11万人。直接雇用の申し込みがあったのが約3万人で、実際に雇用されたのは1万4223人にとどまる。

直接雇用を前提とする紹介予定派遣でも、実際に直接雇用されるケースは多くはない。同調査では、2018年度に紹介予定派遣で働いた派遣社員は3万6791人であるのに対し、直接雇用の紹介があった2万8120人のうち実際に直接雇用に結びついたのは1万9214人でしかないことが分かる。

非正規雇用を生み出し、それを容認する制度を許す以上、いくら就労支援を行っても不安定な就労はなくならない。就職氷河期世代の支援は就労支援だけでなく、労働法制そのものを規制強化することが必要なのではないか。


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世界一優秀な「オランダの年金制度」

どうにもならない日本の年金制度。出生数が急減しているのが分かり、将来の年金の財源に期待する方が無理というものです。若い人は未来に悲観するしかなく、恵まれていると言われている高齢者世代ですら老後破産に直面する人も多い。実は恵まれていたのは既に過ぎ去った過去の高齢者であり、今の高齢者には余裕がない人も多い。欧州には日本より優れたシステムを持つ国が多い。日本人は真似るのは得意なはずなのに、どうしてオランダの年金制度や北欧の社会福祉、フランスの少子化対策を学ぼうとしないのか?これらは政治家が解決策を探らないといけない問題ですが、日本人はみずからの生活に直結する政治を語ることがとても下手です。みずからの生活を自分たちで解決しない限り、日本には暗い未来しか残されていないでしょう。

世界一優秀な「オランダの年金制度」日本とはこんなに違う

多くの問題が指摘される日本の年金制度は、海外からの評価も厳しいものだった。では、世界で最も評価されているオランダの年金制度と比べたとき、両者の間にどのような違いがあるのだろうか。

「持続性」が違う

37の国と地域のうち、31位――。アメリカのコンサルティング会社、マーサーがまとめた、各国の年金制度を比較するレポート内での日本の順位である。

マーサーから年に一度発表される「年金制度の国際ランキング」は「十分性」、「持続性」、「健全性」に大別される40以上の項目から各国の年金事情を比較し、順位づけるものだ。
100点満点で評価されるこのランキングにおいて日本は48.3点にとどまった。29位に韓国、30位に中国とアジア諸国は低迷しているが、経済大国とは言えない南米のチリが10位、ペルーも19位であることを考えると、日本の順位はかなりショッキングだ。

このランキングにおいて81点というスコアをおさめ、2年連続で1位に輝いたのがオランダである。人口1718万人、決して大国というわけではないのに、過去11年のうち10年で1位もしくは2位に輝いている。

オランダの年金制度はどこが優れていて、日本より良いのか。マーサーの日本法人に所属する英国アクチュアリー会正会員の北野信太郎氏はこう語る。

「オランダの年金制度において高く評価されているのは『持続性』です。年金制度と国民の生活が維持できるかという観点において、高いスコアが付けられているのです」

実は、日本の年金の評価が低い大きな要因が、この「持続性」だ。オランダなど上位の国々に比べ、日本の制度は将来に向けた安心度がかなり低いというのである。

日本の年金制度は3階建てと言われており、1階部分に相当する国民年金、2階部分に相当する厚生年金、そして3階に当たる企業年金により構成されている。

一方、オランダもこれとほぼ同じ構造であり、公的年金、職域年金、個人年金という3階建ての構造である。

オランダの年金制度において特筆すべき点は3点だ。

まず1つ目の特徴は、資産(年金の基金)が圧倒的に潤沢であるということ。オランダの年金における2階部分である職域年金の資産残高は1兆2476億ユーロ。
日本円にして149兆1880億円となっている。これはオランダのGDPと比べた時に190%に達する極めて高い水準だ。

対して、日本の1~2階部分に相当する国民年金・厚生年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の総資産は1.49兆ドル(約161兆7622億円)。

金額としてはオランダより多くなっているが、対GDP比として見るとわずか30%にとどまるのだ。財政や人口の規模から考えても、いかにオランダの年金が安定しているのかがよく理解できる。

現役時代の70%を保証

2つ目の特徴は、所得代替率が非常に高いという点だ。現役時代の収入に対してどれくらいの年金をもらえるかを示す所得代替率は、日本の場合、61.7%(2019年)。

さらに厚労省はこのまま低成長が続くと、2050年には40%台にまで数値が落ち込むという見通しも立てている。

一方でオランダは、70%という極めて高い水準で所得代替率を維持している。オランダで高い所得代替率を維持できている理由としては、年金保険料が非常に高いことが挙げられる。

月収42万円の単身者をモデルにした場合、日本だと年金保険料は国民年金と厚生年金を合わせて月額3万7500円。同等の条件で、オランダでは約10万円も年金保険料を納める必要がある。

さらに3つ目、日本で言う2階部分、厚生年金に当たる職域年金のカバーする範囲が大きいことも、オランダの年金制度を特徴づけている。

「オランダでは1階部分に相当する公的年金だけでも、最大で年に1万5459ユーロ(185万円)を受け取ることができます。

これだけでも相当手厚いのですが、自営業者も含め、労働者の95%が職域年金に加入しているため、年金制度の持続性が十分に担保されているのです」(前出・北野氏)

オランダでは年金保険料だけでなく、日本の消費税に当たる付加価値税も21%となっており、国民の負担感は大きい。その代わりに、長く、安定して、高い年金を誰もがもらえる仕組みができあがっているのだ。

オランダの年金制度の基本理念について、北野氏が語る。

「日本とオランダでは年金に対する国と企業、個人の役割分担の意識が違います。オランダは国と企業が主体となり多くの負担をするかわり、労働者にもある程度の負担と長期の勤続をしてもらい、老後の準備をするという考え方が浸透している。

2階部分にほぼすべての労働者が強制的(自動的)に加入していることからも、これが理解できます」

ページ末の表は、日本とオランダの年金制度の違いについて主な点をまとめたものだ。オランダは1年でも保険料を納めれば年金を受給でき、最低10年間は保険料を納めなくてはいけない日本と比べて受給資格が緩い。

受給開始年齢をみてみると日本は65歳からとなっているが、オランダは66歳から。

オランダでは平均寿命の延びに合わせ年金の受給開始年齢を上げる政策がとられており、2021年には67歳から受給開始になる予定だ。ただ、受給開始が遅くても、金額は日本の2倍近くと高額である。

日本に比べて高齢化の進行が緩やかなことも、年金制度の安定につながっている。

不安か、負担か

日本ではオランダ並みの手厚い年金制度を実現させることができないのだろうか。

「日本の場合、年金制度に対するビジョンが定まっていないことが安定性を欠く要因の一つ」と語るのは、社会保険労務士の北村庄吾氏だ。

「日本の年金制度には、はっきりとした目的がなかった。年金だけで老後を賄うための制度なのか、自助努力を前提とした、最低限の保障制度なのかすら定まっていません。

この議論をしないまま、場当たり的な改正を続けてきてしまったことが、年金制度の危機を招いていると言えるでしょう」

老後の安心のためには、日本もオランダのようにそれなりの負担を受け入れざるを得ないのか。

ファイナンシャルプランナーの深野康彦氏はこう語る。

「日本では、年金制度は強制とはいうものの、各種の免除制度があり、実態は緩いと言える。そのためオランダのようにほぼ強制的に労働者を厚生年金に加入させることができれば老後の安心感は強まります。

負担は増えますが、国民年金の支払期間の上限を40年から45年、50年と延ばしていくことができれば、かなり年金財政に余裕が出てくるはずです」

年金破綻という不安を抱えたまま、今の制度を維持するのか。それともオランダのように、負担が増しても将来の安心感を得るのか。日本ではもっと議論が必要なのかもしれない。

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子どもを訪ねて有罪に

子どもを訪ねて有罪に…在日豪州人サッカー記者が逮捕。問われるべき日本の重大な人権問題

「片親誘拐」と書かれたTシャツを着て

 日本を拠点に活動するオーストラリア人のフットボールジャーナリスト、スコット・マッキンタイア氏のことを知る者は少ないだろう。彼は自分の子どもに会おうとした行動を咎められ逮捕されたうえ、45日間の勾留の末、先ごろ裁判で有罪判決を下された。なぜそのような事態に至ったのだろうか。キーワードは「片親誘拐」。スポーツ界にとどまらず、スコットが身を以て問いかけるのは日本社会が黙認、そして放置してきた重大な人権問題だ。(取材・文:植松久隆【オーストラリア】)

1月16日、某英字紙のウェブニュースに上がった一枚の写真に心を揺さぶられた。
「こんな彼の姿を見ても、何も行動しないままでいいのか…」
 そんな自問が浮かび、消えなかった。

 当稿でこれから語る事件の発生を知ってから約1ヶ月、ようやく今「自分のやれることで彼の力になろう」と意を決して、この原稿の筆を起こすことができた。

 その写真に写った男は、誰の目にも明らかなくらいに憔悴している。いくら暖冬とは言えども、真冬の日本には似つかわしくないカーキ色のロングTシャツ。その胸には「片親誘拐」と手書きで書かれている。その表情には、ただやつれているだけではない、内に秘めた闘志と諦めない強い意志が強い眼光と併せて、しっかりと見て取れる。

ところで、この記事をここまで読み進めた読者のどれだけが、この写真の人物にどんな災禍が降り掛かったかを知っているのだろうか……その答えは、残念ながら極々わずかに留まる。

 というのも、この写真の人物に関わる記事が、日本の日本語メディアで活字になるのは、おそらく、今読み進めているこの記事が初めてで、日本のメインストリームのメディアは一切関心を示さずスルーしているからだ。

 男の名は、スコット・マッキンタイア。46歳のオーストラリア人で、フリーランスのジャーナリストを生業としている。その専門はフットボールで、本国や英字メディア業界ではアジアのフットボール通としてとみに知られた存在だ。

 母国・豪州の準国営放送『SBS』勤務時には、同国で長く愛されるフットボール情報番組『ザ・ワールド・ゲーム』に出演していたので、それで彼を知る豪州滞在経験者も多少はいるだろうか。ちなみに、筆者と彼は、かつて同じ豪州をベースにしていた同業者として良く知る仲だ。

突然の逮捕。そして45日間におよんだ勾留

 そんなスコットにまつわる予期せぬニュースが飛び込んできたのは、昨年12月19日。英字紙『ガーディアン』の日本特派員ジャスティン・マッカーリーによる記事だった。そこには、スコットが2015年から活動のベースとしていた東京で11月28日に逮捕され、およそ3週間が経ってもまだ勾留されているという衝撃の事実が綴ってあった。

 その罪状は「住居侵入罪」、いわゆる不法侵入。昨年5月、日本人の妻が突然どこかへと連れ去って以来、行方が分からない2人の子どもたちの所在を確認するために、都内に住む義理の両親のマンションの共用スペースに入ったことを咎められたものだ。

 本来であれば、逮捕すらしないような状況で通報を受けた警察が具体的に動いたのは、不可解なことに実際のマンション“訪問”から、およそ1ヶ月後。スコットは、突然自宅にやってきた警察に逮捕拘引された。

 この経緯を踏まえても、この逮捕には作為的なものを感じずにはいられない。仮に、同じ状況が日本人男性によって引き起こされたとして、その日本人男性は1ヶ月後に突然、拘引されたりするだろうか。さらには、後述するような長きに渡る勾留を強いられるだろうか。

 筆者は、スコットの今回の事件がどうしても他人事には思えなかった。それはニュースになった当の本人をよく知っているからという“同情心”だけでは決してない。筆者とスコットには、共通点が多くある。まずは、同い年。そして、共に日豪ハーフの2人の子どもの父親で、フットボールを愛し、上述したようにフットボールをメインに執筆する書き手としての同業のよしみもある。

 スコットに起きたことは、立場を変えれば筆者にだって起こりうる。関係がうまくいかなくなった国際結婚のカップル間で大きな問題になる、いわゆる「片親による子どもの連れ去り」は、どの国際結婚カップルにとっても決して「対岸の火事」たり得ない。筆者の知る範囲でも、離婚・別居後の子どもの養育をめぐって鋭く対立する破綻した国際結婚カップル、そこからエスカレートしての連れ去りというケースは決して少なくない。

国際社会から非難を浴びる日本のロジック

 国際結婚カップルの破綻後の子どもの庇護養育に関する問題は、過去最高ともいわれる日豪関係で捕鯨問題と共に数少ない対立項として存在する。日豪両国の子どもの連れ去りに関しての法的な解釈の違いをここで詳述する必要はないが、現実問題として、日本はハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)締結国ながら、日本人の親(そのほとんどが母親が日本人というケース)による「連れ去り」が後を絶たないという現実を直視しなければならない。

 そういった日本人の親の国内での連れ去りが犯罪とならないのには、からくりがある。日本でも「国内で子である未成年者を略取、誘拐」すれば犯罪(刑法224条)なのだが、「母親が子を連れて実家に帰る、どこかへ逃げる」といったケースが犯罪にならないのは、普通はその行為が暴力を用いて連れ去る「略取」にも、嘘や甘言を用いて連れ去る「誘拐」にも該当しないからというロジックがある。

それがゆえに、日本はハーグ条約の締結国でありながら、実際的には条約の不履行が横行しているとの批判を、連れ去られた側の親の出身国を中心とした各国から浴び続けている。そして今回のスコットのケースも、まさにその最新事例の1つということになる。

 今回のケースで、スコットの妻子は突然、姿を消した。夫婦間での婚姻関係のあり方に関わる話し合いは始まっていたとは言えど、彼の立場からすれば、突然の失踪だけに妻が子どもを「誘拐」したという認識になる。

 これに関しては、妻側の主張が聞こえてこないのでバランスを欠くと言われる可能性はある。ただ、姿を消してからは、妻の携帯電話、メールなどの連絡先はすべて変えられ、妻からの連絡もすべて代理人である弁護士を通じてに限られるところに、妻の意志が透けて見える。

日本は真の意味で「近代的国家」なのか?

 2015年に日本に居を移してからのスコットは、本業以上に2人の子どもの養育に力を入れていたと共通の知人づてに聞いていた。そんな彼が子どもを心から愛していることに疑いの余地はない。それでも、1月15日の公判では、「禁錮6ヶ月、執行猶予3年」の執行猶予付きの有罪判決が下された。連れ去られた我が子の行方を知りたかっただけのスコットは「犯罪者」になってしまった。

 執行猶予がついてようやく自由の身になれたものの、実に45日間にも渡った勾留期間でスコットが心身ともに受けた大きなダメージは測り知れない。まずは、その回復こそが先決だ。しかも、彼は勾留期間中に家族で住んでいた住居の退去を余儀なくされて、住むところもなく、今は、支援者である友人の家で居候の身。収入の道も断たれ、今後の子どもたちを取り戻すための活動の資金も友人たちが立ち上げたファンド・レイジングや豪州の家族頼みとならざるを得ない。その前途は決して楽観できるものではない。

それでも、スコットは諦めない。そのシャツの胸に書かれていた「片親誘拐」の文字に彼の不退転の決意が透けて見える。8ヶ月以上会うことも許されない子どもたちの居場所を突き止めて、何とか自分の元に取り戻すという強い気持ち。そして、自分だけではなく同じ苦しみを持つ多くの人々のために決して諦めないという強い意志、さらには、どこかでその写真を見るであろう妻への牽制の意味も込められているのかも知れない。

 近しい友人で、豪州から支援を続ける同じフットボール・ジャーナリストのポール・ウィリアムスは、スコットのこれからの動きの展望を以下のように語ってくれた。

「今回の問題は、もうスコット個人の問題というレベルでは収まらない。というのも、世界では何千人もの親たちが同じような状況下に置かれていて、そのこと自体がとても心を裂かれるようなことなのに、近代的国家であるはずの日本では、そういう事実がまったく反映されていない。(中略)スコットは、まずは自分の生活を取り戻しつつ、引き続き子どもたちを取り戻すために闘い続けると同時に、多くの親たちがその子どもと再び一緒になれるように働きかけていくだろう。そして、私や彼の世界中の友人の全ては彼のその闘いを心からサポートしていくことになる」

「時間的空白」を埋め、幸せを取り戻すために

 今回、この記事を書くにあたって、スコット本人にメールで報告するとすぐに丁寧な返事が戻ってきた。
 私信ではあるが、一部をここで公開しよう。

「タカ、温かいメッセージをありがとう。日本語で、どんなものでも書いてもらいたい。というのも、多くの一般の日本人はこの問題(筆者注:片親による子どもの連れ去り)についてまったく知らないし、それを知ったときにはショックを受けるはず。だから、日本に(この件に関しての)どんな関心でも惹き起こすことは、僕らの子どもたちすべてにとって歓迎すべきことなんだ。(中略)まずは、住むところを見つけて、しっかりと落ち着かなきゃだけど、なんとかすぐにそれらの心配が片付くように願っている。そうしたら、またゆっくり話そう」

 この原稿を書いている間に、スコットのツイッター・アカウントを久々に覗いてみた。これまでは日本をはじめとしたアジアのフットボールネタが頻繁に更新されていたアカウントの最後の更新は、2019年11月24日。彼の突然の逮捕のわずか4日前だ。

 その後、45日間も勾留されていたので、当然ながら、その間のツイッターの更新はない。この時間的空白が彼の苦難が続いていることを示す1つの指標となるのかも知れない。彼が、ツイッターでまた愛するフットボールのことを気楽につぶやけるような日は訪れるのだろうか……。

 スコット自身の名誉回復と、父親としての権利回復への長い闘いは始まったばかりだ。彼は、その闘いの有り様を、フットボールに替わる彼自身のほとばしるジャーナリズムの情熱の対象として、書き記していくことでアピールしていくのだろうか。なるべく近い将来、彼が求めるものを手に入れたその時、誇らしげなツイートがまた投稿されると信じて待つことにしよう。


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