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伊勢神宮は神聖天皇主権大日本帝国政府による国家神道樹立とともに作り変えられた

2025-01-24 22:23:17 | 皇室

 伊勢神宮は、元々伊勢の地方神を祀った神社で、その祭神は、後の外宮の祭神となった土着の農業神であった。大和朝廷の伊勢への進出とともに、5世紀頃から、大王の祖先神を、在来の神社とあわせて祀る事になり、伊勢の内外の両宮が成立した。朝廷は、天照大神を鎮座させるとともに、在来の土地神を優遇して外宮に祀ったのである。内宮の天照大神と、その御饌神であった外宮のトヨウケノオオミカミを同格で祀ったのである。

 平安時代中期には、神道と陰陽道との習合も進み、伊勢神宮の神明造の正殿(社殿)も、内宮を陰外宮を陽とする陰陽道の影響を受け、それぞれ堅魚木が10本と9本、千木の切端が水平と垂直、風穴が3個と2個と定型化された。

 1871(明治4)年、神聖天皇主権大日本帝国政府により、伊勢神宮は国家神道の本宗として、内宮を主体に作り変え、「神宮」と称するようにした。1874(明治7)年には、『神宮祭式』19巻が成立させ、1914(大正3)年1月には、神宮祭祀(大祭、中祭、小祭)令を勅令で公布し、祭祀制度を確立させた。

 神宮祭祀は、伊勢神宮の伝統を一定の範囲で生かしながら、さらに宮中祭祀(皇室神道)に見合った大祭、中祭を付け加えたものである。

 ちなみに大祭は、祈年祭、神御衣祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭、遷宮祭、臨時奉幣祭。中祭は、日別朝夕大御饌祭、歳旦祭、元始祭、紀元節祭、風日祈祭、天長節祭、明治節祭など。小祭は摂社末社関係の祭祀。

(2020年3月26日投稿)

 

 

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