奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

世界的に名著の「アンネの日記」を読みたいが目が?・・(^_-)-☆

2024-06-12 16:09:49 | 日記
こんにちは‥(^_-)-☆

今日の奈良は、もう30℃夏日で蒸し暑いですね?・・(^_-)-☆
今日はもう9時過ぎに夏日になって最高気温は30℃近くになりましたね?・・
エアコンを使うかも?・・(^_-)-☆
マリア猫は昨夜に家に閉じ込め、朝方まで、部屋に閉じ込めていましたが、5時過ぎにトイレに行って、ドアを開けたままにするとマリア猫はもう外に?・・(^_-)-☆
それ以降やる遅くまで帰りませんでした?・・(^_-)-☆
昨日の阪神戦は?
オリックスが6連勝。
オリックスは5回裏、頓宮の適時打で先制する。
その後は、6回に西川が適時打を放つと、8回には太田と西川の連続適時打が飛び出し、リードを広げた。
投げては、先発・曽谷が6回無失点の好投で今季4勝目。
敗れた阪神は、15三振を喫するなど打線が精彩を欠いた。
もう2連勝は諦めいつもの阪神と思って応援をします。
今日は日記の日なんですね・・(^_-)-☆
1942年(昭和17年)のこの日、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランク(Anne Frank)によって『アンネの日記』が書き始められた。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りを逃れて、オランダ・アムステルダムの隠れ家に8人で身を隠した。
日記は隠れ家に入る少し前の、この日6月12日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。
日記は1942年6月12日から1944年8月1日までの約2年間が記録されている。
1944年8月4日、アンネら8人は密告によりドイツ秘密警察に捕まり、隠れ家から連れ出され、ポーランドのアウシュビッツに送られた。
そして、アンネは1945年3月にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で15歳の若さで発疹チフスにより死亡したとされている。
逮捕された8人の中で戦後を迎えることができたのは、父のオットー・フランク(Otto Frank)のみであった。
アンネの死後、父オットーの尽力によって日記は出版された。
この日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部を超える世界的ベストセラーになった。
よく読むエッセイや日記は?
アンネの日記はそんな悲しい日記だったんですね?・・
本名だけは知っていますが内容は知りませんでした?・・
目が良ければ一度読みたい本ですね?・・
今のロシアの戦争を見ると、プーチン大統領によって子供が殺されはしないが、悲しい運命を背負わされていると思います・・
私も何度も日記に挑戦しましたが、3ヶ月も続かずに止めていますね?・
だけど、ブログだけは、ほとんど続けているので、これを本にすれば日記になるかも?・・
この頃は目が悪くなって、新聞以外は読まなくなりましたね?・・
あなたは日記帳持ってる?
日記帳は若い頃はよく買いましたが、今はもうブログだけが日々の行動記録に?・・
なぜブログが続くのに日記が書けないのかは分かりませんが?・・(^_-)-☆
もしかすると日記だと分からない字が出ると書けないからかも?・・(^_-)-☆
だけど、ブログは、文章を打ち込むと字が出てきますよね。
だから続くのかも?・
今朝の血圧は、125-63、脈拍は60、血糖値は、134でした。
体温は36.5℃でした。
昨日の散歩数は、10236歩でした。
今日はお天気が良いので、布団を干しました。
布団を干す日は外に出かけません。
雨が降って、布団が濡れるともうその布団は使えないからです。
今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆
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