2015年12月8日付「辺見庸ブログ」より、抜粋、転載。ここから。=============
ぼくは共産党と北村肇君を、いまはっきりと侮辱し罵倒している。クソッタレ!そう、ぼくじしんの「痴鈍」をあざ笑うように。ぼくはいま、あまり元気がないんだ。北村君、あんたはどうかね。ぼくはね、デモのあとでデモ参加者がみんなして国会や首相官邸近くの道路を掃除するという身ぶりそぶりのおそるべき(滑稽をとおりこした)頽廃(たいはい)にかんし、道路掃除いいじゃないか立派じゃないのというコビトにたいし、なぜとんでもない頽廃かじゅうぶんに説く気力もないのだよ。ただただバカらしいのだ。〈ファシズムはファシズムと反ファシズムによって構成される〉という(ブレヒトも言ったといわれる)真理を論証する意欲も、もうない。ニッポン共産党が着た服の裏地は、どうやら天皇制ファシズムであるらしい、というじじつに光をあてる情熱ももうねえよ。気力も情熱もなくなると、ひとは炎天下または寒天下のウンコ、無思考のクソになる。すべてはニッポン共産党様によってますますよくなるとどうじに、ますますもって悪くなっている、とつぶやくエネルギーももう残っていない。北村肇君、立派な名前だね。でもさ、こういっちゃあなんだが、あんたもおれもヌッポンコクのただのウンコなんだよ。this pointとは、じつはそれなんだよ、ウ★ン★コさ。主敵はアベである以上に、それだ。とぐろを巻いたウ★ン★コさ。昨日、キャスと病院、胃カメラ、CT。けふ犬洗い。(2015/12/08)
==================ここまで(下線は私による)。
今年9月19日に、安全保障関連法案が参院本会議で可決されましたが、その直前の首相官邸前での安保反対デモ後に、デモ後の道路のごみを片付けようという動きがありました。画像がツイッターでも流れてきました。
ネットで調べてみると(「安保反対デモ ゴミ拾い」で検索)、「SEALDs」の人たちが自主的にゴミ拾いをしたようですが・・・
上の辺見庸ブログの、『道路掃除いいじゃないか立派じゃないのというコビト』・・コビトさんは掃除を立派だと言ったのかもしれないですが、私も最初、ツイッターで一番最初に目にした時は、コビトさんとほぼ同じ感想だったのです。「ふーん、今じゃあ、デモの後でもゴミ拾いするんだ」、くらいのものです。
しかし、辺見さんの8日のブログを見て(その前の日記でも言及していたと思う)、
ゴミ拾いのことを指摘するのはさすが辺見庸、・・と思いました。
ちょっと話は変わりますが、今年は(今年から、なのかな)、ハロウィンが例年よりもテレビやネットで取り上げられていたような気がします。何より目に付いたのは、各お店の飾り付けです。何でもかんでもハロウィン、ハロウィンハロウィンハロウィン、という感じでした。
10月31日には、渋谷のスクランブル交差点に繰り出す若者たちを、各テレビ局が追っていました。
ハロウィンの次の日、テレビ画面を通してではありますが、私が見入ったのは、道路に捨てられたゴミが多かったことです。東京都がハロウィン風の可愛いゴミ袋を用意した成果もあってか、それなりに片付いている場所は片付いているものの、ゴミが散乱している場所もありました。
私はここで、ゴミが散乱しているのを「けしからん!」と言いたいのではありません。テレビでぼんやりとしか見ていなかったのですが、
「ああ、旅の恥はかき捨て、っていうくらいだからそんなに全員が全員、きっちりゴミ持って帰るわけじゃないよねー」と、そのくらいに見ていました。
それに、例えばサッカーの試合等のサポーター(観客)がゴミ拾いをするのを見ていて、悪い気持ちはしないけれど、ハロウィンの宴(うたげ)の後の、ゴミが散乱した街もまた、人間の生理的な部分が出ているのも悪くはないね、日本人だって羽目を外すことだってあるさ、と、路上のゴミを見て思いました。
話を、首相官邸前安保反対デモの後のゴミ拾いに戻しますが、・・・
(ちなみに、私のツイログ(http://twilog.org/upishi1970c)を見ると私は、当時はゴミのことをツイートしていませんでした。)
反原連関係者やSEALDs主催の安保反対デモは、デモを警護する警察(本来、ここら辺がすでにおかしいのですが)に対し、非常に協力的なわけです。
で、反原連関係ではない人がビラ配りなどをしようとすると、それを妨害したり、信じられないことに、その場に居る警官に「ビラ配りやめさせてください」などと言っている。
待て、目的は、安保法制関連法を成立させないことなのではないか?と思ったのですが。
不当逮捕に対しても、逮捕される方が悪いと言わんばかり。
ゴミ拾いは、これらを象徴するものかのようです。
辺見さんは「クソッタレ!」とブログに書きましたが、要するに、ゴミ拾いは「尻拭い」(その字の如く)・・・もちろん警察の、国家の、・・なんじゃないか、と思ってしまったのです。
ゴミ拾いといっても、デモに行った個人個人が「ゴミを落としたらすぐ拾う」とか、気がついたら拾って持って帰って処分する、とかではなく、上意下達で「ゴミを拾って帰ってください」というのだったら、それは抵抗あるなぁと思うのです。
やっぱり、(反原連やSEALDs主催のデモは)お行儀よく尻拭いまでして、それはなんとも、警察に気に入られたのではないでしょうか。
「クソッタレ!」と辺見庸が言ったのはそういうことだったのではないか。そんなことを思いました。
「辺見庸 どうかしてる」で検索してきた人がいました。
いつまでも、「しんぶん赤旗ドタキャン事件」のことを延々と書いているから?
いえ、でも、小さなことは大事だと思います。
その折々にゆうこさんのブログやツイッターにたどり着いては、
他人のことばでないしっかりとじぶんの力で考えられたその文章に、
ほかの辺見さんを語るどんなものにも増して共感とともに読んでいます。
体調のすぐれないなか講演会に行かれたとのこと。
またツイッターではなかなか感想が書けないとも。
そのようななかプレッシャーをかけることにならなければいいのですが、
ゆうこさんが辺見さんの講演から感じたこと、考えたことを、
いつになってもどんなことでもいいからブログでお聞かせ願えればとおもい、
こちらにコメントしました。
今後もともに辺見さんを読んでいきましょう。
そして「個」をもってじぶんの考えを持っていきましょう。
またコメントしに来てしまいました。
ふと、この記事を読んでいて、思い出したことがあります。
大昔の学生運動では、破壊行為が普通だったようで、
ときに、大学生たちが、アスファルトを剥がし、
機動隊に投げていたそうです。
その掃除や修理を、荒らされた町で働いていた、
私の中卒の知人は、本来の仕事の合間に、
する羽目になって、嫌だったそうです。
しかも、考えてもみれば、道路の補修は、
中卒の彼の税金からで、大学生に対して、
非常に腹が立ったそうです。
さらに、ちょっと昔の話になりますが、
文化人たちが呼びかけ、環境を守ろう!
という運動が盛んになり始めた時がありました。
しかし、そのデモに参加した知り合いが言うには、
終わると、その場所は、花は踏まれ、ゴミだらけで、
これこそ環境破壊じゃないか!と幻滅したと。
ほんの昔、私も、反対運動家たちに、占拠したり、
デモすると同時に、掃除したり、花を植えたりはどうか、
と提案したことがありました。
しかし、辺見氏と同じ考えなのでしょう、凄いバカにされました。
ついでに言うと、逮捕される事に、箔がつくと思う人、
逮捕されたことを誇らしげに自慢する人がいましたが、
普通の一般社会の倫理(人のモノを盗むな、壊すな等)として、
悪いことも、正当化するようなところがあり、
人として、まったく尊敬できませんでした。
そういうことも含め、私は、デモされる町の住民、
利用者にとって、デモが怖いもので、その後、ゴミだらけだったら、
正しい主張でも、賛同してもらえないと思っております。
とりあえず、主張し、ただ暴れる目的だけなら仕方がありませんが、
もし、本気で、デモで世の中を変えようと思うなら、
主張以上に、人間性が必要になってくると思っております。
町の景観が、デモのあとの方がキレイだったりとか、
思想関係なく、人に対する、いたわりがあったりとか、
そういう行動が、無関心の人、考えの違う人の心に
訴えると思うのです。
そういう意味で、よくは知らないのですが、
シールズや他の運動団体は、多くの人の心を
掴んでいたのかもしれません。
純粋な反対と捉えれば、辺見氏の批判はわからなくはないです。
それなりに知識人、インテリ層にもウケるのでしょうが、
ただ、本気で、人を動かし、まさに世の中を変えようとする
人達にすれば、辺見氏は、屁理屈屋さんに見えるのでは?
それこそ、共産党のみならず、団体の、世の中の仕組みを知らない、
下っぱには魅力的に見えても、主張の実現を模索する、
幹部にしたら、話をするレベルではないと思われてしまって
いるのではないか?
もちろん、個人の意見としては尊重しますが、
結局、辺見氏は、何をどうしたいのか?
どういう世の中であってほしいのか?
ただの批評家の言うことに、
いちいち批判する私も何が言いたいのか
わからなくなってしまいましたが、
ゆうこさま、のんびりブログをやってください。
返信が遅れてしまい、申し訳ないです。
『他人のことばでないしっかりとじぶんの力で考えられたその文章に、
ほかの辺見さんを語るどんなものにも増して共感とともに読んでいます。』
そう言っていただくのは、とてもうれしいことです。
自分はおかしいのではないか・・・
と思ったりすることもあるのですが、
「引っかかる」ことを、こんな小さな場ではあるのですが
表現したい・・そんな風に思います。
コメントから元気をもらいました。
ありがとうございます!
辺見庸さんは官邸前デモのことを初めてブログに書いた時に、「自分が狂っているのかと思った。自分の友人はくるっているととらえる人もいた」と講演会で話していました。私は、面白いなと感じたのですが・・
『しかし、辺見氏と同じ考えなのでしょう、凄いバカにされました。』
辺見さんが人をバカにする人なのかどうなのか・・
ちょっと、そこまでは分からないです。
『辺見氏は、屁理屈屋さんに見えるのでは?』
「私は理屈っぽい文章を書いたりする人間ですが」と自分のことを辺見さんが書いているのをどこかで見たことがあります。そういう自分がいやなんだとも言っていたような気がします。
『結局、辺見氏は、何をどうしたいのか?
どういう世の中であってほしいのか?』
それを辺見さんに問うのはナンセンス、ななような気もします。
辺見さんがそのようなことを書いているのは(そんなに著書を読んだわけではありませんが)、
見たことはありません。
『ただの批評家の言うことに、』
辺見さんを「ただの批評家」とみる人も居ることでしょう。
私は、辺見さんを表現者だと思っています。「生首」という詩集も読みましたが、よかったです。(ちなみに、中原中也賞に選ばれましたが、本人はそのことには興味がないようです)
辺見庸とデモについては、書きたいことがあるのですが、管理人が体調不良気味なので返信であまり書けずにいてt申し訳ないです。
ところで、偏見要さんは以前にもコメントしてくださいましたね。偏見、という名前、やはりナイス!です^^
講演会でデモのことを話したのですが、自分で自嘲気味に「辺見じゃなく偏見・・・」(と私は頭の中で変換)と言っていました。
返信が少し遅れてしまいました。
コメントをいただくと、励みになります。偏見要さん、ありがとうございます!
「赤旗ドタキャン事件」これは私は小さいこと
やとは、まるで思てません。
私も昔は編集者の端くれでした。
これは土下座モンですわ。説明責任ありあり
ですわ。無礼モン!ですよ~マジで。
ちゅーことで、私10年以上も定期購読してた
「週刊金曜日」やめたりました!
ええ、ネチネチした嫌味投稿とともに…。
きっと、他にも色々あったんでしょうねぇ。
2015年の最終号で北村君、編集後記という
目に触れにくいところで、見苦しい言い訳文章
書いたはりましたわ。
自分ら誠意尽くしたよ~でも~赤旗さんが~
こない言いはって~自分ら別に赤旗さんにモノ
言われんわけちゃうから~って調子ですかね。
いやいや、あんた~子供でもわかるような嘘
つかれて納得したフリしてるやん。
ちゅーか、あんた赤旗さんに相当ナメられては
るの気付かんか?
何か弱み握られてんちゃうん?
あ~ひょっとして毎週定期的に相当な部数買う
てもうてたりして?と邪推してしまうほどでした。
あ~すんません。
また長々と…うわぁ~日付変わってますやん!
エエ加減寝ますわ。
じゃあ、また寄らせてもらいます…って二度と
来んといて~あんた、話ムダに長いわ!って。
失礼致しました♪
>「赤旗ドタキャン事件」これは私は小さいこと
やとは、まるで思てません。
そうですか。私以外にもそう思っている人がいて、なんだか救われる思いです。小さいことじゃないですよね・・。週刊金曜日が辺見さんにしたことは、傲慢政治家と同じではないのか?と私は感じました。
>ちゅーことで、私10年以上も定期購読してた
「週刊金曜日」やめたりました!
そうだったのですね・・。私が週刊金曜日を知ったのはかなり前で、山梨県内の雑誌で、ある編集者が週刊金曜日を紹介していたのですが、「とんがった雑誌」という表現をしていました。その後、「買ってはいけない」で有名になったのかな。ちなみに私は若いころにひどいアトピー性皮膚炎に悩み、船瀬俊介氏の『それでも化粧したいあなたに』という本で石鹸メーカーを知り、そこからアトピーは快方に向かったので週刊金曜日を全否定はしませんが、それにしても、今回の辺見庸への言い草はひどいものだと思いました。
>2015年の最終号で北村君、編集後記という
目に触れにくいところで、見苦しい言い訳文章
書いたはりましたわ。
自分ら誠意尽くしたよ~でも~赤旗さんが~
こない言いはって~自分ら別に赤旗さんにモノ
言われんわけちゃうから~って調子ですかね。
そういうことですよね・・。
辺見庸ブログは、ある程度の期間記事を載せたら削除するという方法で運営しているので、これは重要と思った、2015年12月4日(金)の辺見庸ブログをコピーしてとっておきました。コメント欄ではありますが、とりあえずここに載せておきますね。
(「辺見庸ブログ 私事片々 2015年12月4日付記事より、一部転載『』部分)
『午後、ドタキャン事件と週刊金曜日、そして拙著『1★9★3★7』(イクミナ)をめぐり、大きな動きがあった。わたしは、事件の経緯と週刊金曜日の基本的立場を同誌の記事として読者に公表し、赤旗紙および日本共産党に抗議すべきであると主張してきた。これにたいし、金曜日の北村社長は本日、辺見庸の主張は「100パーセントわかるが……」(笑止!)と述べるいっぽうで、しかしながら、同誌での事件経過説明も共産党への抗議もできない、と言明した。その背景として、北村氏はまことにわが耳をうたがわざるをえない、まったく承服しがたい珍妙無類の〝理由〟をあげた。金曜日の読者の多数が日本共産党員であるため、公表も抗議もできない――というのだ!これはなんというバカげたロジックだろう!?以上のことがらについて、わたしは『1★9★3★7』のすべての読者、当ブログの愛読者たち、および全国各書店にたいし、近日中に詳しく説明する責任と義務があると感じている。『1★9★3★7』の運命は、わたしの予感のとおり、これから大きく変わるだろう。そもそも『1★9★3★7』は遠い血煙のなかからついに生まれた本である。読者は知っている。1頁1頁に血糊がついている一冊なのだ。これを、「市民運動」に名をかりた、そのじつ、ファシスト以下、スターリニスト以下のインチキどもにまかせておくわけにはいかない。』