空と風と、月と、星。

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「僕は選挙に行きません」と言う押井守監督…「ご都合主義の『戦後民主主義』は怪しい」と。

2015-06-28 17:30:00 | 社会
こんにちは。お久しぶりです。


先日(6月4日)、公職選挙法改正案が可決され、選挙権が20歳から18歳へ引き下げられました。

『来夏の参院選から適用され、18、19歳の約240万人が有権者となる見通し』(ネットニュースより)
ということですが、・・・


6月14日山梨日日新聞の書評欄【著者の肖像】で、映画監督の押井守さんの自著「世界の半分を怒らせる」についてのインタビュー記事が載っていて、押井監督は、気になることを言っていました。

以下、抜粋して転載。ここから。==============

 メルマガの連載コラム「時事砲弾」を2年分まとめた新著では、中国の反日デモや環太平洋連携協定(TPP)、靖国参拝などの問題で持論を展開。中でも強調したのは、論理的思考より気分や空気の影響力が強い日本の言論空間のゆがみだ。
 「震災後の『反原発』『脱原発』『卒原発』のように空虚な言葉ばかりが踊り、なぜ原発がこんなにあるのか、廃炉は現実的なのかといった根本的問題を一から順番に考えようとする言説がほとんど目立たない。真実の追究より目先の平穏に価値が置かれている」

 日本の戦後は、本質を直視せず、語るべきことを語らない70年だったとも指摘。なぜ戦争を始め、どんな正義を信じ、過ちを犯したのか。明治以来の近代の総括につながる思いを棚上げし、天皇も戦犯も特攻隊員も被爆者も同じ「悲惨な戦争の被害者」と位置付けた結果、日本人は歴史から遊離し、原理原則のない戦後が生まれたと説く。
 「そんなご都合主義の『戦後民主主義』も、戦争まみれの核大国がよこした『平和憲法』も相当に怪しい。まして理念も政策もそっちのけで人気取りに終始する今の政治は、民主主義でも何でもない。だから僕は選挙に行きません。イカサマな民主主義に手を貸すくらいなら、好き勝手を言っていた方が社会に貢献できる」

・・・
「やっぱり最後に頼れるのはフィクションなのかな。『戦争になるぞ!』と言論で警告するより『戦争だ!』と映画で脅かしたい。・・・


===============引用ここまで。


押井監督の言うことには、一理あるというか、頷ける部分もあるんですよね・・。
私はちょっと押井さんとは違うかもしれませんが、日本は(日清日露も入れた)戦前戦中戦後を「空気」で乗り切ってきたのではないか・・・という風に思うところがあります。
そう思う理由は、一番は、太平洋戦争終結後の日本人の態度の変わり様です。
昭和天皇は軍部に利用されていたとはいえ、太平洋戦争の象徴みたいな部分があり(戦争に巻き込まれ死ぬ瞬間は大事な人の名前でしょうが(と私は想像するが)「天皇陛下万歳」と言って死んだ人も多い、という話や、学校の火事から「御真影」を守ろうとして殉職した教員の話などを聞き)、
戦後各地を回ったとしても石を投げられてもしょうがない存在だと思うのですが、人々は「神から人間になった天皇」を親しみを込めてなのか、日の丸の小旗を振って出迎えました。
(ただ、心の中では、昭和天皇を心底許せないという人はいたでしょうが)
しかし今書いていて思いましたが、「変わり様」(変わった)のではなく、変わっていない、のですよね。天皇を自分たちより偉い存在として「ハハーッ」とひれ伏すことを、そんなに簡単に止めることはできないということです。

私が小学校3年だった1979年は昭和天皇が亡くなる10年前でした。物心ついた私は、テレビなどを見ていて、「天皇は天皇だから偉い人なのだ」と思い、そんなことは考えませんでした。
小学校5,6年の頃の担任の先生が「治安維持法は恐ろしい法律だった」ということを話してくれました。
すでに私が学童・学生の時代、学校の歴史の授業では受験勉強が中心になり、「肝心な」ことは教えられませんでした。教科書には載っていないけれどテストに出題されるかもしれないという数学の問題を解く方が大事になっていたのです。


話を押井守監督に戻します。

そんなご都合主義の『戦後民主主義』も、戦争まみれの核大国がよこした『平和憲法』も相当に怪しい。まして理念も政策もそっちのけで人気取りに終始する今の政治は、民主主義でも何でもない。だから僕は選挙に行きません。

分かるのですが・・・

ちなみに私は、押井守監督の作品では「攻殻機動隊」が好きで、テレビシリーズも映画も、繰り返し見ました。(私は見たことがないのですが、押井さんは【うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984年)】の監督もしているそうです)

「だから僕は選挙に行きません。」
って、言い切ってしまっていいのかな?押井さん、影響力大きいのに・・。
と、そこがやや、気になりました。

しかし、押井監督の「僕は選挙に行かない」というのに同意する自分がいるのは、直近の衆院選挙(アベノミクス選挙)で私は、「自分が選挙に行かなくてもいいんじゃないか・・」と思ってしまったためです。
正直に言うと私は、流されて選挙に行ったと言えます。
流されて選挙に行かなかった、の逆です。
私の夫は、「選挙の投票に行かないヤツは、政治に文句を言う権利は無い」と言い切る人ですが、そういう話をしていて、「確かにそうだな」・・と思うのですが、それも違う気がする。
しかし、行かないということはできない・・・以前も
私も選挙をボイコットしたかった (2014/12/20)というブログ記事で自分の考えを表明しましたが、選挙へは義務感で行き、投票した感じです。

話が迷走して申し訳ないです。

私は押井守監督の「だから僕は選挙に行きません。」を、ことさらに批判したいのではなく、
「60歳を超えた大人(押井さん)が選挙に行かない理由を、18歳の人が理解できるだろうか?」ということが気になるのです。
追記。
それは、押井さんだけでなく私にも言えます。
次回の国政選挙でもしも私が棄権したら。
18歳になり、選挙権を得た人に(選挙権の無いもっと年下の人からも)、「なぜ選挙に行かなかったのですか」
と聞かれたら、どう答えるのか。



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