湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

湘南雑筆「冬至」

2016-12-21 10:07:26 | 文学
蘆花記念公園内蘆花散歩道に掲示されている「冬至」。
この自然スケッチ文は明治のロングセラー「自然と人生」の中の「湘南雑筆」に収められています。「国民新聞」連載時は「写生帖」などというタイトルで掲載されていました。

明治時代にこのあたりの村落で暮らしていた人々の交わす声も、さり気なく書き込まれています。
季節や時間の流れに伴って入れ代わり立ち代わる事象という意味では、人も自然の一部。他にも人々の営みを描くことでより生き生きとした内容になっている自然スケッチがあり、同じ作者のベストセラー「不如帰」とは違う自然主義文学的味わいがあります。
徳富蘆花が初めて逗子を訪れたのは明治25年(1892年)24歳の時、柳屋で新婚生活を始めたのは明治30年(1897年)でした。
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ポエトリーバトらず

2016-12-20 18:24:16 | 
 東逗子 蓮沼橋
2007年に京都大学から始まった本の紹介コミュニケーションゲームビブリオバトル。児童生徒から大人までが、さまざまな所でやってますよね。
書評プレゼンの形を活かしながら平和にやろうということで、かまくら駅前蔵書室ではビブリオバトらずという催しも開かれている模様。
それで思いついちゃったんです。ポエトリーバトらず。本1冊の紹介より詩1篇の紹介の方が、より気軽にできるでしょ?
1篇好きな詩を紹介すればいいんです。どんなポイントをアピールすればいいかは事前に学べます。来年逗子市内某所でやろうと思ってます。
この詩のここがいいんだよ!と訴えたい候補者がいたら、名乗り出てくださいね。
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価値批判の超越

2016-12-19 12:51:02 | 

俗な価値観や中途半端な悩みから詩を作ろうとすると頓挫もしくは失敗します。凡庸な観念に終始して飛躍や跳躍ができないからです。
西脇順三郎「詩学」から引用します。
ポエジイはすべての価値批判を超越しているから人間の脳髄をよろこばせる。それというのは人間の苦悩の最大な原因は価値批判があるからである。栄誉と富、恥辱と貧乏とか、美と醜、善と悪、真と虚といったものはみな価値批判の結果としての心理である。
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場所の詩パート5

2016-12-18 00:26:54 | オリジナル
共通テーマ「場所」でTが書いた詩を投稿します。

エボリューション

山間(やまあい)の校舎に夕陽はあたらなかった
壁にはヤモリがはりつき
裏山には蛇が生息していた

圧倒的な新緑の中で
なめらかに伸びていた少女の
閉じてはいても豊かだった日々は
煌めきだけを残して逝ってしまった
星の夢さえも孕むことのできる内臓のありかを自覚した時
少女は自分を知った

逢魔が時のだれもいない校庭で
風を巻きつけ一人走ってきた少年を
少女は抱きとめた
彼の鼓動が頬に触れ
彼の息が少女の肩にかかった

抱き合うだけで優しくなれることを
最初に知ったのは中学校
木々がむせかえるような夕暮れだった
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イルミで俳句

2016-12-17 09:05:32 | 
12月15日に見たプレバト!!俳句の才能査定のお題は「丸の内のイルミネーション」でした。
才能アリで1位を獲得した千原ジュニアの作品は 残業中窓下の聖樹灯が消える 消灯を詠むとは目の付け所が秀逸!
丸の内からの連想で発想の壁を超えたところが評価されました。人のリアルな生活が見えてきますね。
夏井先生の添削は、詠嘆の切れ字一文字 残業や窓下の聖樹灯が消える
マスクして目は微笑みの二人づれ この特待生・三遊亭円楽作品は、中七の表情の描写が甘いということで現状維持。
夏井先生の添削は マスクの目ほほえみ合える二人かな 確かに中七が劇的によくなってますね。

東逗子ふれあい広場で点灯中のイルミネーション。今日・明日の2日間15:00~20:00に光のクリスマスというイベントが開催されるそうです。
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演歌かシャンソンか

2016-12-16 09:26:00 | 

12月の定例合評会で下記の作品について話し合ったことを投稿します。
こぼれる

こぼれたミルクは歌わない主義です
と手紙に書いた
こぼしてしまったコトバはしかたがない
背の高い神が
私にかがみこんでささやいた

生者に恥ずかしいことなどない
ミルクもコトバも
はじめからそんな運命だった
怖がることなどない

シャンソン歌手がジャズ歌手が
男女の血のナミダをこぼし続ける
  あんたがわたしを恋してる
  おまえがおれを恋してる
正しい母の正しいお粥のような
ウソをこぼし続ける
ときにはこぼれたウソが
日記のなかへはいりこむ


:作者の弁 :評者の弁
「背の高い神」というのは、男性のことです。
単純に神様のことだと思って読んでました。ということは、2連目は男の人の台詞なのか~。主人公の言葉だと思ってました。
 男性に語りかけられたことを象徴しているのだったら、2連目全体の頭が字下げされている方が解釈しやすいと思います。
そうですね。3連目の歌詞を象徴している部分が字下げになっているものね。
確かにそうね。この歌詞を象徴している2行は、男女の関係はアイラブユーではなくユーラブミーだという意味。
 その手前の1行が通俗的過ぎたかもしれません。演歌をイメージして書いたから。
え~、演歌? 全体を洋物イメージで読んでたんだけど。「こぼれたミルク」は英語の諺の一部でしょ? 
違います。
「お粥」はオートミールじゃ……
ないわよ。ご飯からじゃなく生米から作る日本の正しいお粥。
出だしをcry over spilt milkだと思っちゃったし全体にクールで客観的な内容だったから演歌も米の粥も浮かんでこなかったよ~。
完全に誤読だね。
読み手の持っているものによって書き手の意図と違ってもいいんじゃない?
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場所の詩パート4

2016-12-15 00:50:40 | オリジナル
共通テーマ「場所」でTが書いた詩を投稿します。
 冬の桜並木(ハイランド)
 いつかの何処か

小さかったある日
父と二人 遠くの街へ行った
春霞の中 桜の街があり
人びとは陽炎のようにうすく歩いていた
何をしに行ったのか
今となっては知るすべはないが
あの日父は黙り込んでいた
私の手を強く握ってはいたが
何かをたずねても うわの空で
一日中一緒にいたのに ひどく遠かった
私は仕方なく 白っぽい空を見上げたり
行きかう人々眺めたり
流れる水の香りをかいだりしていた

誰かに会った という記憶は欠落しているが
あの日 父は誰かに別れを告げに行ったのではなかったか
固い決意が鈍らないように
私を連れて行ったのではないか
六十年が経って思うのだ

四十半ばの男として私の隣を歩いていた父
いくつかの電車を乗り継ぎ行ったあの街は何処だったのか
分からないまま
切り取られて不思議な絵として
あの日が私の中に張りついている
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イヤポエ

2016-12-14 03:07:16 | 

昨日は12月の合評会パート2で、Aの詩8編を取り上げました。半数の4編は、少し前に亡くなった肉親との確執からの解放をテーマにした作品でした。それらについて話し合ったことを投稿します。
:作者の弁 :評者の弁
最も作者らしい言葉選びや言い回しでエネルギーを感じたのは「与奪」。
「子宮の焼失」はタイトルが具体的すぎて嫌な感じ。内容の過剰なリアリズムも怖すぎます。
焼かれた子宮の灰がお骨と一緒にちりとりに集められ骨壷の中に落ちていく描写が特にリアルで、冒涜的にすら感じます。
 詩で読みたいとは思わない内容ですね。
読後感の悪いイヤミスならぬイヤポエを目指して書いたので、開き直っている訳ではなく、皆さんの感想は狙い通りです。
 他の作品は具体性が足りていないと思ったので、亡くなった母親の子宮にスポットを当てたんです。
自分にもある臓器だけど、子宮についてそんなに意識したことはありませんでした。
「エポック」は客観性があるし、少しコミカルでもあると感じました。
「得る」も、もっとコミカルに書いた方が効果的。
 出だしの「わたしは失ったのではない/わたしを得たのだ」はうまいと思うけれど、最終連で冷静さを失っています。
今の時点でこれ以上滑稽味や冷静さを出すのは難しいです。
もうちょっと寝かせてからの方が、より引いた感覚で書けるでしょうね。
体験や記憶が生々しいうちに書き留めておこうと思って急いで作りました。
 現時点ではそれぞれをこれ以上長く綴ることは、苦しくてできませんでした。
 このテーマには、もう少し時が経ってから改めてじっくりと取り組んでみます。
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合評会のルール

2016-12-13 00:00:23 | 
 神武寺参道
12月8日と9日の投稿で、湘南文芸合評会のメリットについて整理しました。その中で明言はしていませんが、講師(チューター)が存在せず、メンバーが相互にきちんと批評し合う形式でやっていることがお分かりになったと思います。
今回は会の活動ルールについて書きます。2014年にたった3人で発足してから現在までの間に、幹部メンバーがベストな運営方法を模索しながら話し合って決めてきた現行ルールです。

基本は各自毎月創作すること、みんなで合評すること
定例合評会は逗子市民交流センター1階市民活動スペースで月1回、原則第1(月)14:00~17:00に開催。時間切れで取り上げられなかった作品については、臨時合評会で合評します。定例及び臨時合評会の日時は、定例合評会で最終的に決定し、当ブログで告知します。
合評会で次のテーマを1~2個決めます。テーマに沿った詩ができたら、次の定例合評会の3日前までに、Aにメールか郵便で送付、または交流センター1階にある会のレターケースに入れてください。作品数は1編以上何編でも可。テーマに沿うのが難しい場合は自由題で提出。作品が提出できなかった月の定例合評会には参加できません。3カ月連続して提出がなかった場合は自動的に退会となります。

責任ある批評と復習をするため、全作品を事前筆写
ブログ掲載作品全てを、各自書き写して合評会に持参してください。筆写の意義については12月9日の投稿を参照。突発的事情でできなかった場合に限り、ブログからコピー&ペースト&プリントしたものを持参しても可とします。当日隣の人に見せてもらう、スマホ・タブレットから見るなどの行為は、書き込み&持ち帰り&復習ができないため禁止。そのような形での参加になった人は正規の参加者ではなく見学者として扱います。見学者は適切な感想以外の発言を控えてください。
ブログにアクセスできない一般メンバーには、合評対象作品コピーを渡すのでコピー代実費を都度支払ってください。随時、会レターケースに入れるので極力事前に読み込んで参加してください。

入会金と会費はないけれど、若干の資金は必要
市民交流センターの無料スペースを利用することとフラットな組織づくりで、会場費や講師料を発生させずに運営しています。とはいっても若干の印刷代コピー代がかかっています。それを賄うために年数回資金集めのフリーマーケットを開催しています。物品提供、フライヤー作成・配布、店番など、会員は可能な範囲で協力してください。
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場所の詩パート3

2016-12-12 00:41:49 | オリジナル
共通テーマ「場所」でAが書いた詩を投稿します。

落ち着く時間

ようやく落ち着いた
場ではなく時のことだ
場所に関しては疑っている
さまよいつづけて迷子になって
たどりついたのがここなのか
ここで死にたいのか、たくないのか
ようやく落ち着くことができた時間に
結論のない自問を試みる

深夜電力で機械が食器を洗っている
私の電力が思い出を洗っている

洗い出して並べると
殺伐としていると言われる
乾き切っていると言われる
そうだよと答える
私はここで既に
死んでいるのかもしれない
とても落ち着いて
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