湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

言葉の通路

2015-12-24 02:28:01 | 
メリークリスマス
 
↑先月、チャティキルトサークルの展覧会@文化プラザで撮らせてもらったクリスマスコーナー。
サークル名の「チャティ」は、針を動かしながらおしゃべりするイメージから来ているようです。
私たちも忘年会ホームパーティーでは楽しくおしゃべりしましたよ。毎月の合評会は時間いっぱい議事と合評で、無駄な話はほとんどしませんから、珍しいことです。逆にマジな議題を振るのを忘れたけど、たまにはただ姦しくチャットするのもいいですね。

コミュニケーションという言葉を用いて論じられる領域では、大前提として、人の意思は伝わらないより伝わるほうがよい、しかもより速く、広く伝わるほうがよいという善意の考え方があると思われるが、私は人間というものにもう少し別の暗闇があることのほうを大切に思っているので、コミュニケーションというピカピカした言葉になじめない。コミュニケーションは訳せば「伝達」とか「通信」という意味だが、人間の気持ちというものはそんなに簡単に伝わるものではないという、われわれが体験的に知っている事実は、なかなか大切な問題を示しているのではないだろうか。最も相手に伝えたい気持ちは、最も言葉にしにくい微妙な複合体なので、大事なことほど簡単に伝わりにくいものだということが一般に言える。さらにこれを押して言えば、そんなに簡単に人に気持ちを伝えようとしないほうがいいとさえ言えるのではないか。人間であるという条件に対しては忠実な生き方だという気がする。そこから生じる悲しみや憤りを含めて、そういう気がする。
ある思いを簡単に伝えるということは、能率という観点からすれば無条件によしとされることであろうが、人間は能率のみによって生きるわけではない。能率の奴隷として生きる事が人間の幸福である訳ではない。人と人との間をつなぐ最も重要な通路に言葉というものがあって、それが「コミュニケーション」をも生むものだが、言葉にはよくわからない部分があっていいのだ、というのが私の考え方である。言葉の通路には薄暗がりがあちらこちらにあるほうがいいのだ。なぜなら、人間というものは、そんな薄っぺらなものではないと思うからである。

(大岡信「詩の時代としての戦後」より)


そしてまた、孤独で濃厚な言葉の通路の薄暗がりへ。この振幅が大事。
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