■法華経迹門の正宗分は
二乗をもって正と為し
菩薩凡夫をもって傍と為す
再往之を勘うれば
(再び繰り返し考えれば)
凡夫、正像末をもって正と為す
正像末の中でも
末法の始をもって正が中の正と為す
問う
その証如何
答う
法師品にいわく
「此の経は如来の現在すら
怨嫉多し、いわんや滅度の後をや」
宝塔品にいわく
「法をして【久住】せしむ
来れる所の化仏当に此の意を知るべし」
迹門かくの如し
■本門をもってこれを論ずれば
一向に末法の初をもって
正機と為す
いわゆる
一住の是を見る時は
久種をもって下種と為し
迹門を熟と為して
本門に至って妙に登らしむ
再び住之を見れば
迹門には似ず
本門は序分・正分・流通ともに
末法の始りをもって
詮(究極)と為す
在世の本門と末法の始は
一同に純円なり
但し
彼は脱
これは種
彼は一品二半
これは但、題目の五字なり
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