ここ数日、春一番が、あるいは春二番が吹いたとかのニュースが聞かれるようになった。
人の気分は、たぶんにその季節に影響される。
寒い冬は鬱になりやすいし、春風が吹くと人の気分もウキウキしてくる。
逆に、人の気分の表現をするのに、この季節の特徴を比喩にすることが多いくらいだ。
幸せな気分を表現するのに春のようだと言ったり、辛いことがあったら厳冬期とか表現したり。
ところで、
今年1月11日の寒の入りに母を亡くした私は、まさに季節と気分が合致してしまって、
悲しさも、まさに「寒の入り」であった。
かてて加えて風邪まで引いてしまって、しかも、この風邪がしつこかった。
治ったかと思ったら、また厳しい寒さによって咳がぶり返してということの繰り返しだった。
母を失った悲しみが風邪を長引かせていたような気がするし、
それより一年で一番寒い時期だったことが、その悲しみに影響していたような気もする。
それじゃ気候のいいときに亡くなったほうがよかったかと聞かれれば、
「否」と応えるかもしれない。
今冬の寒さがあったから、母を失った悲しみを十分味わいつくしたような気がしているから。
が、さしもの鬱気分も、春一番、二番の声を聴くと和らいでくるのも現金なものだと思う。
今回の母の納骨は、それほど悲しくなかった。
なぜなら、高知滞在中は暖かくて、冬服が重いくらいだったから。
やはり春一番の吹く季節が気分に影響を与えたのだろう。
*
・母死にて四十九日は来たりけり寒を抜け出し春一番に
・亡くなりし寒の入りより納骨の春一番の吹くまでの間
・母の死を悲しむ寒の期は終はり今春風の一番が吹く
・人の死を悲観すれども春風の吹けば吹き飛ぶ悲観なるべし
*
昨夜は、母のお世話になっていたケアマネージャーさんからお悔みのメールをいただいた。
私も、四十九日が終わればご挨拶のメールをさせていただこうと思っていたので、
すぐに返信させていただいた。
本来なら、こちらから出向いてお礼を言わないといけないのだが、
遠方なので、なかなかそれができない。
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