蔵書目録

明治・大正・昭和:楽器・音譜目録、来日音楽家、音楽教育家、来日舞踊家、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

歌劇 「胡蝶の舞」 帝国劇場 (1911.10)

2013年10月04日 | 三浦環
表紙には、「十月狂言 絵本筋書 帝国劇場」とあり、「明治四十四年 〔一九一一年〕 十月一日発行」とある。22.2センチ。

 

 〔写真:上の右から、「小林延子、花岡蝶子、東日出子、音羽かね子、小原小春」。上から二段目の右から、「村瀬蔦子、月岡静枝、水野早苗」。下から二段目の右から、「福原花子、橘富美子、松本愛子、木村重子、泉亀代子、宇治龍子。」

 謹啓 各位倍御清穆奉賀候陳者当劇場事夙に時代の要求に鑑み附属技芸学校なるものを越し専ら女優の養成に相勉め既に第一期十一名は昨年秋期を以て業を卒へ当劇場開場後は殆ど興行毎に出場御高覧を忝ふべし居候処今回第二期十四名も所定の課程を卒へ候につき第一期卒業生同様今後は当劇場専属女優として出勤為致候間同様御贔屓御引立奉願上候在校中履修の課程の重なるものは新旧演劇を初め和洋踏舞及音曲等一般俳優に必要なる課目に候へども各人天與の才能により自ら其得意とする処を異にせる様被存候此等は今後の舞台に於て末永く御叱正御高庇を垂れ賜はん事を併せて奉希上候 敬具
 十月吉日  帝国劇場

    佐藤紅作
 第一新派劇『姊と妹』二幕
    近松門左衛門原作
    岡本綺堂脚色
 第二時代劇『世継曾我』壹幕
    松居松葉作歌
    エツチ、ウヱルクマイステル作曲
 第三歌劇『胡蝶の舞』
    駿河町人作
 第四喜劇『結婚反対俱楽部』一幕
 第五西洋舞踏ムーンライトドリーム
    右田寅彦作
 第六所作事『鎌倉武士』一幕
         振附 藤間勘右衛門

 第三

 一 雄蝶    藤間房子
 一 雌蝶    音羽かね子
 一 兒蝶    田中勝代
 一 同     佐藤千枝子
 一 同     白井壽美代
 一 同     泉亀亀代子
 一 同     花岡蝶子
 一 同     小原小春
 一 同     月岡静枝
 一 同     村瀬蔦子
 一 同     宇治龍子
 一 同     橘富美子
 一 同     松本愛子
 一 同     福原花子
 一 同     小林延子
 一 同     東日出子
 一 同     木村重子
 一 同     水野早苗
 一 春の女神  柴田環

      

 松居松葉作歌
 エツチ、ウエルクマイステル作曲

 第三歌劇 『胡蝶の舞』

  オーケストラにていと静かなる夜の曲を奏する事数分やがて鳶 とび 色の幕徐 おもむろ に上ると舞台は夜気深く鎖 とざ し唯空なる暁 あけ の明星のみ来可き曙 あかつき の色を示す既にして神々しき音楽と共に舞台の中央に一道の白光を放つて白衣の女神現はる女神は『白羊宮を出でし日の神、金牛 こんぎう 赫奕 かくやく 之を迎へぬ、影暗き冬は雪解けて、世はいまし我が占領 もの なり、蝶よゝなど我に来らぬ』と歌ひつゝ姿いつしか消失 きえう すれば此 この 声に驚き二つの蝶は思はず夢覚め雄蝶『夢の裡 うち に、春を通ひて、目覚むれば、世は春なり』雌蝶『貴 う としや、春の女神、光と平和を、我等に與ふ、いざ此君の為にうからやからを、集めて、其榮を讃へん』と眠れる兒蝶を呼起せば急促なる音楽に伴 つ れて幾十の蝶兒 ちょうじ の群紅黄紫白様々なる冀 つばさ を附け八方より現はれ旋律に伴れ踊り舞ひ女神の榮を壽 ことば ぎ一部は上手に一部は下手に踊り去る雄蝶雌蝶は之を見送り雄蝶『我等もかつては、彼等が如くに、活気に充ち、生命に満てり』雌蝶『雙 ふたつ の翼も、わなゝく計 ばか り、若き心、裡に燃えたり』雄蝶『あゝ楽しかりし思ひ出よ』雌蝶『若き血は我に返りぬ』合唱『諸共 もろとも に、昔の春に遊ばん』と互ひに若き心になりて華やかなる音楽に伴れ楽しげに舞ひ狂ふ須臾 しばらく にして風雨驀然 ばくぜん として殺到し歓楽の夢忽 たちま ち破れ雙蝶終に卒倒し舞台は一旦暗く後又元の明るさに返り満目の紅は青葉となり先に女神の立ち居たる所には女神とエンゼルの如き姿したる雄蝶雌蝶は三位一体の如く立つ兒蝶 こちょう 所々より入り来り父母の変れる姿を驚き見相 みあひ 擁して叫ぶ女神之を諭 さと し『若き蝶よ汝が父母は我伴 ともなひ て永久 とこしえ の園花絶えぬ里に赴く、嵐吹く此世にはものゝ命皆定めあり、汝 なれ も亦一年 ひととせ の後我伴ひて永久の国に行かん、其時の到らん迄父と母との後を忍びて自然の美をば飽かず楽しめ、若き蝶よさらば』雄蝶『我が子等さらば』兒蝶一同『さらば、さらば、父よ母よ、春の女神よ』兒蝶の群雙の翼を張り別 わかれ を惜しみ女神と雄蝶と雌蝶とは赫灼 かくしゃく たる光明の裡に次第に昇天して去る幕。

 〔下の写真は、「帝国劇場 (胡蝶の舞)」とある絵葉書のもの〕

 

 この『絵本筋書』の見返しには、次の広告がある。

 歌劇 胡蝶の舞 歌詞

         一部金五銭

  今回帝国劇場に演ずる歌劇 オペラ は我邦に破天荒の試みなり、天来の美声珠を転がす柴田環女史中心となり帝国劇場独得の新女優に依りて唱舞さる歌詞は松居松葉先生の作にして艶麗の辞句新陳楽しく交替して旺盛なる青春の気今や天地に横溢するの情を賦す近来の傑作なり歌の意を詳らかにして舞台の楽声と演舞とに対せらるれば其味は一層に深からん一本を召させ給へ御帰宅の後には長く御観劇の好記念たらん。

 また、同四十四年十月十五日発行の『グラヒツク』 第三巻 第二十一号に、「帝国劇場のオペラ処女演と女優劇 Opera and Drama at the Imperial Theatre、Oct.1-25」があり、帝劇十月興行が写真と共に紹介されている。

 少からぬ資本を擁して建築は東洋第一と称せられ、実業界嘖々 さくさく の名のある敏腕家が経営の任に当るといふも、情実纏綿 てんめん 特殊の社会を形造れる劇界に、名優凋落の今日、成効如何あらんかと世人より危ぶまれたる帝国劇場も、旧慣を打破して専ら観覧者の便を計り、時代の帰向 きかう に鑑みて出し物の選択配合に苦心し経営宜しきを得たる為め初興行以来常に成効しつゝあるは誠に喜ばしき事なり、十月興行は日本に初めてといふオペラの呼び物ある上世話、時代、喜劇、所作と品数沢山の献立てに女優の使ひ分け皆な夫 そ れ旨味ありて、下戸も舌鼓を打ち、初晩以来非常の景気とは大に芽出度し、オペラは所謂女演なり環女史の独唱は何時 いつも ながら振へり、批評家は忌憚なく充分の注文を出 いだ すべし、演者は之を体して大 おほい に研鑽すべし、吾人は其等の結果今後よりも稍 や や複雑なる趣あるオペラの開演せられん日を待つなり。

 写真は、「雌蝶 音羽兼子、春の女神 柴田環女史、雄蝶 藤間房子」3枚と「歌劇 「胡蝶の舞」Opera “Butterfly Dance”1枚である。

 なお、下の写真は、大正三年 〔一九一四年〕 一月一日発行の 『淑女画報』 第三巻 第壹號 の口絵にあるもの。

     カフエー茶話のヒロイン

 

 〔上の右半分〕 帝劇技芸員。上、田中勝代。二段右、河村菊枝。同左、東日出子。中央、初瀬浪子。四段右、鈴木徳子。同左、佐藤濱子。下、音羽かね子。

 〔上の左半分〕 帝劇技芸員。上、藤間房子。二段右、水野早苗。同左、小林延子。中央、森律子。四段右、小原小春。同左、村田かく子。下、宇治龍子。

  

 上左:帝国劇場座付女優 (田中勝代) 上右:帝国劇場座付女優 (森律子)

 上の2枚は、いずれも銀座上方屋製の絵葉書のものである。
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歌劇 「熊野」 帝国劇場 (1912.2)

2012年01月23日 | 三浦環
 歌劇「熊野」は、明治四十五年 〔一九一二年〕 二月の帝国劇場で、第三の演目として行われた。「明治四十五年 〔一九一二年〕 二月二日 午後四時開演 帝国劇場」「入場料 特等 二圓 一等 一圓七十銭 二等 一圓 三等 六十銭 四等 三十銭」。

  

 〔上の写真:中上は「柴田環」、中下は「清水金太郎」、右上から時計回りに「服部曙光、不二正容、小島洋々、菅雪郎、柏木敏、南部國彦、倭良一、石井林郎」〕

 厳寒の候益々御機嫌●被●入候段奉賀候陳バ当劇場事昨夏来新たに歌劇を起し又過般ハ伊太利の名手ザルコリー氏を登場せしめ候得共そは外国の歌劇を其侭演ぜしに過ぎずして未だ我国の真歌劇と謂ふべからず国粋、国情に適したる歌劇こそ肝要なれど今回ハ更に歩を進め謡曲熊野を歌劇となして上場せしめ我国プリマドンナの定評ある柴田環女史を熊野に少壮声楽家中随一の称ある清水金太郎氏を宗盛に当らしめ其他劇中の人員●は●て養成中の男女子歌劇部員並に女優等を出場参加せしめ此機会を以て上記八名の男子歌劇部員を新たに御紹介申上げ新規の試み定めて●との●批評 ●● 何れも我邦歌劇界の急先鋒たらん事を期し ●● 何卒成功の城に達す様御愛顧 ●● を給はん事を希望 ●● 敬具
 二月末日 帝国劇場

     右田寅彦作 
 第一 旧劇『塩原高尾』三幕
     佐藤紅緑新作 
 第二 新派劇『日の出』二幕
     杉谷代水作歌
 第三 歌劇『熊野』  一幕
     沙翁原作 松居松葉訳 
 第四 喜劇『陽気な女房』二幕
     半井桃水新作 
 第五 浄瑠璃『梅松竹』三場 

     杉谷代水作歌 
 第三 歌劇『熊野 ゆや』一幕
                六波羅宗盛館 
                清水寺観桜

     

       杉谷代水作歌 歌劇『熊野』 Japanese Opera “yuya.”    
 〔左の写真〕 清水寺観櫻 右、平宗盛〔清水金太郎〕 左、熊野〔柴田環〕 〔右の写真〕 六波羅宗盛館 右、平宗盛 左、熊野
  ※ 明治四十五年三月一日発行の 『グラヒック』 第四巻 第四号 より

  平宗盛  清水金太郎 
  太刀持  松本銀杏 
  従者   石井林郎 同 服部曙光 同 柏木敏 同 南部國彦 同 倭良一 同 不二正容 同 小島洋々 
    同   菅雪郎 
  侍女   花岡蝶子 同 音羽かね子 同 小原小春 同 宇治龍子 同 福原花子 同 東日出子 同 橘冨美子 
    同   松本愛子 同 木村重子 同 大和田園子 同 川窪津溜 同 河合磯代 同 中山歌子 同 澤美千代 
    同   夢野千草 
  朝顔   上山浦路 
  熊野   柴田環

 帝国劇場管絃楽部員       楽長 竹内平吉

 第一 ヴアイオリン 荻田十八三 同 小松三樹三 同 山崎榮次郎 
 第二 ヴアイオリン 吉田盛孝  同 小田越男
 ヴイオラ      栗本義精  同 粋川藤喜知
 ツエロ       小林武彦  同 内藤常吉
 バス        内藤彦太郎
 フルート      横山國太郎
 オーボエ      八尾五郎
 クラリネツト    横須賀薫三
 トロンペツト    吉田民雄
 ホルン       中村權三
 トロンボーン    荒木茂次郎
 ドラム       渡邊金治  

    杉谷代水作歌 
 第三 歌劇 熊野 ゆや 一幕

 オーケストラにて陰鬱なる前楽 プレリユード を奏する事暫時 しばらく 幕徐 しづか に上 あが る
    (上)
 合唱  「夢の間をしき春なれど、ゝ、
      憂きには堪へぬ眺めかな、」
 ゆや唱 「ふるさとの
      老木 おいぎ の柞 はゝそ 風をいたみ、
      しづ心なき物おもひ、
      都の花に引きとめられ、
      こゝろ空なら我身かな。」
        (朝顔、侍女 こしもと 登場)
 侍女・白「のうゝ池田の宿 しゆく より朝顔が参つて候 さふらふ
 ゆや、白「なに朝顔が参りしとや
 朝顔、白「そういふお聲は熊野様か
 ゆや、白「おゝ朝顔か。あら珍らしや、近うゝ、さて母人 はゝびと の御 おん いたはり何と御入あるぞ
 朝顔、白「はや、頼み少 すくな う御入候。これに御文 ふみ の候、御覧候へ。」
 ゆや、白「悲しやな、げに頼み少 すくな う御入りなり……
  (母の文)ゆや白『すぎし二月 きさらぎ の頃申しゝ如く、何とやらんこの春は、年ふりまさる老木の枝 えだ 、今年ばかりの青葉をだに、待ちもやせじと心弱き涙にむせぶばかりになん。さるべくはよき様に申し、しばしの御暇 いとま 賜はりて、命のうちに見えおはせ。かへすゞも見参 まゐ らせたくこそ。
 ゆや 唱「老いぬればさらぬ別れのありといへば、
      ……
 朝顔、唱「さらぬ別れのありといへば、」
  (ふみ)ゆや 朝顔 合唱
     「いよゝ見まほしき君かな、その歌をだ
      に朝夕に、口吟 くちずさ みゝ、」
 ゆや 唱「あら悲しや何とせん、
      この上は朝顔をも連れて参り、
      今一度御暇を申して見ん。」
        (平宗盛、侍女、登場)
 宗盛 唱「いかに熊野、常にかはりしあわゝしさ
      何としつるぞ。」
 ゆや 唱「老母のいたはり殊の外に候とて、この朝
      顔が参りて候、今はかやうに候へば、
      御暇を賜はりて、東國 あづま へ下り候べし。」
 宗盛 唱「老母のいたはりはさる事なれども、この
      春ばかりの花見の友、いかでか見すて給
      すべき。」
 〔以下省略〕
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『蝶々夫人』 歌舞伎座 (1936.6)

2011年09月28日 | 三浦環
 表紙には、「MADAM BUTTERFLY 蝶々夫人 三浦環 発行所 東京連合婦人会」とある。25.7センチ、24頁。
 この「蝶々夫人」は、昭和十一年 〔一九三六年〕 六月、歌舞伎座で行われた。

 MADAM BUTTERFLY 上演 1936 〔昭和十一年〕 6月27 28 毎夕7時半 マチネー28日午後一時半。

    登場歌手

  蝶々夫人                ソプラノ  三浦環
  アメリカ海軍士官ピンカートン     テナー   永田絃次郎
  (マチネー出演)                   渡邊光
  長崎駐在米国領事シヤープレス   バリトン  下八川圭祐
  僧侶(蝶々夫人の伯父)       バリトン  山本春雄
  高官                   バリトン  横田孝
  五郎(口入業者)           テナー   毛利幸尚
  ピンカートン夫人ケイト        ソプラノ  百崎さの子
  蝶々さんの子供                   クロキ節子
  蝶々夫人の小間使鈴木        ソプラノ  南部たかね
  
   合唱                   三浦環合唱団
   管絃楽                  中央交響楽団
   指揮                   篠原正雄

   背景製作                 長谷川源次郎
   舞台装置                 内山惣十郎
   衣裳製作                 三越衣裳部
   小道具製作                藤浪與兵衛
   演出                   伊庭孝

     主催 東京連合婦人会

 「蝶々夫人」梗概 -全二幕三場-
 
 三浦環女史を語る 

  世界一の蝶々夫人  放送局報導部主事      頼母木眞六
  虎の門時代の環さん 日銀副総裁清水賢一郎氏夫人 清水信子
  三浦さんも本望   ジャパンタイムス社長      芦田均
  心服する唯一人   逓相夫人             頼母木こま子

 私がこれまでにきいた歌手のなかで、三浦環さんの聲ほど私の耳をよろこばせてくれるものはありません。全く素晴らしい聲です。もちろん私の狭い内地での経験ですが、外人の歌手をきいても、感心したのは、かつて来朝されたオランダの駐日公使夫人ラウドンさんだけでした。
 そしてこのラウドンさんに、三浦さんがならはれたといふのも、不思議な因縁だと思つて居ります。今度その三浦さんの有名な歌劇「蝶々夫人」が見られる事になつたので、いまからその日を心まちにしてゐる次第です。
   
  先見の明                          杉浦ちか子

 私はずつと昔、音楽学校と虎の門の女学館をかけもちで、声楽の教授をしてゐたものですから、当時女学館の生徒であつた三浦さんをお教へして居りましたが、そのころから非常に美しい声の持主でした。
 それから数十年たつた今日でも、その時分と同じ美しい声をもつてゐらっしゃるのは只驚くばかりです。三浦さんの声の美しさは天賦のものだと考へる他ありません。
 最初三浦さんに音楽学校入学をおすゝめしたのは私でしたが、今から考へると確に先見の明があつたと心秘かに誇らしく思つてゐる次第です。
 三浦さんは声も美しい方でしたが、声のやうに姿もこころも美しい方でした。学校の成績も優等で、音楽学校では特待生、社会に出ては楽壇のナンバーワンになられたのも偶然ではない気がします。

 泣ける「お蝶夫人」                     吉本明光
 私と蝶々夫人                        三浦環

海外生活二十年の間には、私は「蝶々夫人 マダムバタフライ」のオペラを二千回上演致しました。一年平均やく百回といふわけです。
 欧米ではプツチーニの「蝶々夫人」は吾が國の忠臣蔵のやうに繰り返しゝ上演されて、上演の都度観衆の涙をさそつてゐるオペラです。
 マダム・バタフライの初演は、一九〇五年で、この時には作曲者のプッチーニの指導で、スカラ座でストルキオが歌ひました。
 この第一回の上演はさんゞの不成功で、プツチーニの妹は卒倒するし、ストルキオは泣きだすといふさわぎ、その結果はプッチーニの生存中は決してスカラ座ではこの作を上演させないといふ、大変なことになつて了ひました。
 このストルキオと、アメリカのゼラリンフアラーとが蝶々夫人の歌手としては有名です。私の蝶々夫人もプツチーニから、今までに沢山の蝶々夫人をみたが、三浦環の蝶々夫人こそ理想的だと非常に喜んで貰ひました。私はプツチーニのこの言葉をきいて以来、今日にいたるまで、まだ一度も他の人の蝶々夫人をみたことがありません。
 見る必要もないし、また他人のをみて自分の独自性を損なひたくないからです。
 亡くなつたカルーゾー、ベニヤミのジリー、フランスの国立劇場のラヒツト、スペインのイポロトラザロなどのピンカートンに、歌つた事もありますが私は何時でも背が低いので、相役の胸の辺までしかありません。それに外国人にまけてはならない、と思ふものですから、ほんとに一生懸命で、一ころは毎幕のはじめに玉子を二つづつ食べたものです。
 だもんで大抵のピンカートン歌手は、私とでは長くつゞきませんでした。
 今度はかねての念願が達して、日本では始めて私の蝶々夫人のオペラをお見にかけることが出来るやうになりました。
 嬉しいと同時に何だかこはいやうな気がします。世界一のテナーとして有名なカルーゾーすら、祖国でのデビユーは散々失敗で、爾来彼は其祖国の舞台に立つことをこのまなかつたといはれて居ります。
 バタフライは、日本を景背とするだけに、演出に対する批判も各方面からなされるでせうし、その他いろゝな意味で私には処女演出のやうな緊張と努力で致して居ます。
 外国では、用ひる衣裳にしても、大道具小道具にしても、日本そのまゝとはゆかず、キモノにしても模様が左前についてゐるので、左前にきる他ありません。
 足袋と下駄をはかせたら、一時間とたゝないうちに抗議が出て、駄目だつた事があります。
 そのやうにオペラの内容の理解にしても、外人には蝶々さんの自殺の心理や、日本婦人の貞操観などは、充分にのみこめないで、蝶々さんの自殺を、何か嫉妬のための自殺のやうに考へてゐる者も多いのであります。
 外国で上演する蝶々夫人は、万事このやうに不備な所があり、これはまた外国で上演する以上止むを得ない制約でもありました。
 それが今度は蝶々さんの舞台である日本でするのですから、これらの不満や不自然さを出来るかぎり取りのぞいて、真個にこれが真実の蝶々夫人ですといふ演出の標準をうちたてるつもりで一生懸命になつて居ります。

 主催者の立場から 東京連合婦人会を代表して    吉岡弥生

 歌舞伎座を借り切つて、三回に渉る興行は当会としても、今回が始めての大仕事です。最初この話があつた時、第一に問題になつたのは、何分大した費用のかゝる仕事だからといふ事でした。勿論当会で主催する以上は募金運動と関連しなくてはならないのに、萬一赤字でも出しては大変といふ危惧の念は誰しも同じ様に抱いたのでした。
 けれども申すまでもなく、三浦夫人の「蝶々夫人」は他に比類なき世界的のものです。あれほど海外でもてはやされ、世界の大舞台で二千回も上演されてゐるといふのに、祖国日本で一度も上演されないのは我々女性の立場からしても如何にも残念な事で、むしろおはづかしい事だし、環夫人としても肩身狭い事でせうから、一つ冒険的にやつて見やうぢあありませんか、といふのが、この催の出発点でした。
 ところが一度この計画が発表されますと、待つてゐたとおつしやつて御後援下さる方も思ひの外に多く、廣田首相夫人よりも花輪を賜るとの仰せ、有田外相御夫妻も出来る丈都合して行きませうとの仰せその他外交団、各方面の知名人士等より多大の御後援頂いて、誠に力強く感じてゐる次第です。
 又上演に必要なる小屋、オーケストラ、衣裳、宣伝等については、松竹社長、松坂屋、三越、白木屋その他各方面の多大の御支援を頂き、おかげ様で万事好都合に運びました。只々感謝の外はありません。
 どうか環夫人のこの日本に於ける初舞台がよりよき芸術であるやうに、より華かなものである様に、その上沢山の純益をあげて社会事業団体に寄附出来ます様ににとひたすら念じてゐる次第です。
 
 写真 〔19葉〕

          

 ・三浦夫人の近影 〔上左から1枚目〕
 ・永田絃次郎氏
 ・-渡邊光氏-
 ・上 伊庭孝、中 下八川圭祐氏、山本春雄氏
 ・上 篠原正雄氏、中 毛利幸尚氏、下 横田孝氏
 ・三浦夫人の扮する蝶々さん色々 〔三葉〕 〔2、3、4枚目〕
 ・クロキ節子嬢、百崎さの子嬢、南部たかね氏
 ・虎の門女学館時代を語る同級会、東京連合婦人会幹部との顔合せ
 ・千九百二十一年平和記念日にニューヨーク、マヂソンスクエアにて日本を代表して「君が代」を歌う環女史後方に立てるは石井大使、ウイルソン氏外各大公使館付武官 〔5枚目〕
 ・ダルモンテ夫人から贈られたチチを抱いて日本に帰る環夫人

 演出者の言葉                        伊庭孝
 特筆すべき歴史的演出 環夫人の蝶々夫人      牛山充
 蝶々夫人の解剖                      塩入亀輔
 三浦環女史の半生 -世界的歌手の絢爛たる過去-

  三浦環女史は、芝で生れ、鞆繪小学校を卒業すると、日本一のモダーン女学校として有名な虎の門の女学館に学んだ。
  その頃既に女史の声楽家としての素質は萌芽をあらはし、音楽学校教授で同校に教鞭をとつてゐた杉浦ちか子女史を驚嘆せしめ、音楽学校入りをすゝめられた。
  上野の音楽学校に入学してからは、特待生で通した。
  「自転車の麗人」として評判されたのはこのころの事、自転車といへば近ごろの自動車運転ぐらゐに尖端的なスポーツであつたので、通学の途中、悪戯者の男学生たちにからかはれた事も一再ではなかつた。
  もとの社会教育局長関谷龍吉氏なども悪戯組の一人、毎朝四、五人づれで女史の通学を神田橋にまちうけては、大手をひろげてとほせんぼした一人だつた。
  三浦女史は音楽学校に在学中、既に時の 皇后陛下の御前で独唱する光栄に浴した。
  卒業すると直ちに母校の助教授として残つた。当時女史の指導をうけた生徒に山田耕筰、鈴木乃婦子などがある。
  〔以下省略〕
  
 出演者の略歴
 楽壇の?
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歌劇 「釋迦」 帝国劇場  (1912.6)

2011年08月14日 | 三浦環
 歌劇「釋迦」は、明治四十五年 〔一九一二年〕 六月の帝国劇場で、第三の演目として行われた。

     ピヨルソン原作
     小山内薫譯
 第一 現代劇『新夫婦』 二幕
     近松門左衛門原作
     岡本綺堂脚色
 第二 世話劇『萬年草』 ニ幕
 第三 歌劇『釋迦』
     太郎冠者新作
 第四 喜劇『出来ない相談』 ニ幕
 第五 新作所作事『風俗名所合』 三場

 第三

   迦毘羅城庭園の夜
   仏陀迦耶
   迦毘羅城庭園の朝

 一 耶輸陀羅  柴田環
 一 羅睺羅   松本銀杏
 一 提婆達多  清水金太郎
 一 釋迦    柏木敏
 一 浄阪王   南部國彦
 一 烏陀夷   菅雪郎
 一 車匿    不二正容
 一 浄阪王侍臣 石井林郎
 一 同     坂東鶴丸
 一 同     服部曙光
 一 同     倭良一
 一 同     澤村國十郎
 一 同     澤村宗右衛門
 一 釋迦の弟子 伊藤聴光
 一 同     松本麗重
 一 同     小島洋々
 一 同     澤村澤右衛門
 一 同     澤村澤次
 一 舞  姫  大和田國子
 一 同     上山浦路
 一 同     川窪津溜
 一 同     河合磯代
 一 同     筧こま子
 一 同     中山歌子
 一 同     澤美千代
 一 同     夢野千草

 帝国劇場洋楽部員

 第一 ヴアイオリン 吉本孝三  同 山崎榮二郎 同 小松三樹三 同 荻田十八三
 第二 ヴアイオリン 遠藤和一  同 吉田盛孝  同 三浦行敏
 ヴイオラ      蛯子正純  同 粋川藤喜知
 セロ        小林武彦  同 中村權三  同 内藤常吉
 ダブルベース    荒木茂次郎 同 内藤彦太郎
 フリユート     横山國太郎
 オーボエ      八尾五郎
 クラリネツト    横須賀薫三 同 奥山貞一
 ホルン       松戸重雄
 トロンペット    小田越男  同 吉田民雄
 トロンボーン    木村仙吾
 ドラム       渡邊金治     
  
 第三 歌劇   釋迦

   役割 浄阪王 (低音 ベース)
       羅睺羅 (中音 アルト)
       提婆達多(次低音 バリトン)
       烏陀夷 (次低音)
       耶輸陀羅(高音 ソプラノ)
       車匿  (次低音)
       其他は凡て合唱

 序楽 オプアテユーブ

 静なる月夜を形容する主題 テーム は緩漫流暢なる絃楽四部に初まりフリユード、クラリネツト、ホルン、オーボーエ、順次に加はりて遂に全管絃楽 フルオーケストラ となり、大空の彼方僅に微点の黒雲生ずると見るや雲は次第々々に群り来り遂には磨ける如き月影も はれて果ては恰も人の運命もかくやと気遣はるゝも暫し管絃楽はもとの滑なる弦楽四部に返り何時しか黒雲も飛び去り拭ふが如き気分にて幕徐に上る。
 こゝは天竺 薩位国迦毘羅城の庭園の一部右手には、五色の紋様ある大理石もてたゝめる楼あり遥にヒマラヤ山を望み、ロヒス河は近く城外を流る、釋迦の妻耶輸陀羅夫人その子羅睺羅と相対して月下に語る。

  時 紀元前五百年代
  処 印度迦毘羅城
 人物
釈迦、浄阪王(釈迦の父)羅睺羅(釈迦の子)提婆達多(釈迦の従妹)烏陀夷(浄阪王の侍臣)魔王の聲、耶輸陀羅(釈迦の夫人)車匿(釈迦の馭者)欲妃(魔王の女)悦波(同上)快観(同上)見従(同上)舞姫大勢、浄阪王の侍臣大勢、釈迦の弟子数人

   羅睺羅
母君!母君
   耶輸陀羅
夜は深し
はや臥床(ふしど)に入(い)れ
   羅睺羅
さるにても母上は
何故(など)床の上に直寝(ひたね)せらるゝ。
乞食の為ならん如く。
   耶輸陀羅
父君は今かくなすと聞く
乞食の如く身を苦めて。
……さ、夜は深し、
はや寝ねよ。
   羅
父君は迦毘羅しろし召す王の身ぞ、
など乞食の如く身を苦しむる
   耶
新らしき王国を打建 うちた て給はんとて、
   羅
さらば父上はその国の王になり給ふか。
   耶
父上の打建て給ふ王国は、
真理の王国ぞ、
心の王国よ、魂の王国よ。
……はや眠れ、時は遅し。
翌日 あす また父君の物語せん。
   羅
さらば母上よ!
翌日はひねもす父上の話し聞かん。
   耶
よき子よ早う寝よ。
   耶輸陀羅、羅睺羅を伴ひて楼の裏に入る
   夜気陰々たる気分管弦楽 オーケストラ にてあらはれ遠
   く響く玉笛の音はクラリネットの独奏と
   なる。
ヒマラヤの山に雪は消ゆとも
ロヒニの河に水は涸 か るとも
君をしたふわがこゝろ
とことはに消えじ、涸れじ!   
   〔以下省略〕

 なお、この『絵本筋書』には、次の記載もある。
 
 管絃楽 オーケストラ 幕間演奏曲目

 一、グロース、ヴイーンワルツ    ヨセフ、ベイヤー作
    ワルツハ三拍子ノ舞踏曲ナリ
 一、クシコスの郵便脚夫(ガロツプ) ネツケ作
    ガロツプ二拍子ノ舞踏曲ナリ
    茲ニ演ズルガロツプハ『クシコス』ニ於テ郵便物ヲ馬車ニ積ミテ配達ニ行ク有様ヲ現シタルモノナリ
 一、セライルノ序楽         モザート作
    序楽トハ歌劇ノ幕間ニ奏スル楽ナリ
    茲ニ演ズルハ楽聖モザートノ作レル歌劇「セライル」ノ幕間ニ用フルモノナリ

 マチネー筋書
  (第三の筋書は本興行の第四に同じ)

  第一 時代劇 『偽紫 にせむらさき 田舎源氏』 一幕
  第二 時代劇 『嫗 こもち 山媼 やまうば』  一幕
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「三浦環女史大音楽会曲目」 帝国劇場 (1922.6)

2011年07月14日 | 三浦環
 表紙には、蝶々夫人の写真があり、「三浦環女史大音楽会曲目 帝国劇場」、「大正十一年 〔一九二二年〕 六月 九日(金) 十日(土) 十一日(日) 毎日一時間開演」などとある。また、「IMPERIAL THEATRE TOKYO、 Managing Director : Mr. K .Yamamoto GALA CONCERT BY Mme. Tamaki Miura A.〔Aldo〕 Farnchetti (at the piano)」ともある。裏表紙には、「御入場料 ・特等 金 十五円 ・一等 金 十円 ・二等 金七円 ・三等 金 三円 ・四等 金 一円五十銭」などとある。二つ折、20.3センチ。
 これは、大正十一年(一九二二年)六月九日のプログラムである。

 演奏曲目(六月九日)

 一、合唱、郊宴の歌‥‥ズーダーマン作曲   
      合唱ー東洋音楽学校生徒
      指揮ーアルド・フランケッチ氏
 二、歌劇 「ラ・ボエーム」  
     私の名はミミです‥‥プッチニ作曲
 三、 イ、白い月‥‥デフォース作曲 
     ロ、小夜曲‥‥ストラウス作曲 
     ハ、子守歌‥‥シューベルト作曲
 四、 イ、歌劇 「フィガロの結婚」 『嬉し悲しと感ずるは』‥‥モツアルト作曲 
     ロ、薔薇よ語れ、彼女に、(環女史に捧げられし歌)‥‥フランケッチ作曲

  休憩

 五、合唱、流浪の民‥シューマン作曲    
    合唱ー東洋音楽学校生徒 
     指揮ーアルド・フランケッチ氏
 六、歌劇 「アイリス」  ある日、お寺にて‥‥マスカニー作曲
 七、 イ、マザー、マクリー(愛蘭土民謡)‥‥エルコット ボール 合作  
     ロ、ミネトンカの河畔‥‥カドマン作曲 
     ハ、子守歌(環女史に捧げられし歌)‥‥スコット夫人作曲
 八、 イ、桜、桜、(琴歌) 
      ロ、きんにやもにや(九州ひな歌) 
    ハ、くるかくるか(長唄)
 九、歌劇 「マダム・バタフーライ」   
     晴れた日の海路はるかよ‥‥プッチニ作曲

  (綺麗な曲目が厶います)

 

 表紙には、「三浦環女史告別大音楽会曲目 大正十一年七月 八日(土曜日) 九日(日曜日) 午後零時三十分 帝国劇場に於て 主催 読売新聞社」とある。23.1センチ、三つ折れ。

   独唱曲目
         独唱 三浦環女史
         伴奏 アルド・フランケッチ氏

 一、歌劇「道化師」ネツダの唄ふ『彼の眼は燃えたりき』 … レオンカバロ作曲
 二、汝の碧き眼を開け                   … マスネー作曲
 三、セレナーデ(小夜歌)                 … リヒアルド・ストラウス作曲
 四、(イ)五月なりき                    … フランケツチ作曲
   (ロ)薔薇よ語れ、彼女に               … フランケツチ作曲
   (ハ)パチ・パチヨ                   … フランケツチ作曲
                 休憩
 五、アベ・マリア(聖母讃歌)               … グーノオ作曲
 六、二種の伊太利ナポリ民謡
   (イ)オ・ソレ・ミオ(私の太陽)            … デイ・カプア作曲
   (ロ)サンタ・ルチア(水上行歌)           … 作者不明
 七、二種の日本曲調の歌
   (イ)来るか来るか(長唄より)            …
   (ロ)きんにや・もにや(九州雛歌より)        …
 八、歌劇「蝶々夫人」夫人の唄ふ『晴れた日の海路遥かよ』… プツチニ作曲
 
 九、特に、三浦環女史へ贈られたる歌(山田耕作氏の伴奏にて独唱)
   文学士 中内蝶二氏作歌
    「日本の胡蝶」                    … 山田耕作氏作曲

           □明日は曲目全部取替演奏
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「和洋 独唱」 帝国劇場 (1911.7)

2011年04月06日 | 三浦環
 表紙には、「帝国劇場 七月狂言 絵本筋書」とあり、「明治四十四年 〔一九一一年〕 七月一日発行」とある。22センチ。

 第五 和洋 独唱
       柴田環

  泰西音楽の普及を計る目的を以て当演劇中に特に声楽を加へ我が楽界夙(つと)に鶯(うぐひす)の名のある柴田環女史の出場を乞ひ連夜和洋の歌謡一曲を演ずることとせり

 

 なお、他の演目は次のとおりである。

        第一   水滸伝雪挑闘    一幕
 太郎冠者作  第二悲劇 心の声       二幕
        第三   イタリヤン、ダンス
                 ゼ、ローズ
 江見水蔭原作 第四   画師実は間者    一幕
 太郎冠者作  第六 喜劇 三太郎      一幕
        第七   ケーキウオーク
        第八   隈取安宅松     一幕
 右田寅彦作  第九 所作事 夕涼鴨川風

     

 〔上左: 大正二年 〔一九一三年〕 八月一日発行の『婦人画報』 第八十五号 の口絵とその説明である。〕

  声楽家環女史

  南洋より帰朝して三浦医学士と結婚の式を挙げた声楽の名家柴田環女史。

  Mrs. Tamaki Shibata , a vocalist , who got marrited to Mr. Miura , Igakushi , soon atter she returned from the South Seas.

 〔上右: 大正三年 〔一九一四年〕 一月一日発行の『淑女画報』 第三巻 第一号 の口絵とその説明である。〕 

  問題の人々(三)

  医学士三浦政太郎氏夫人の環女史と云へば誰れ知らぬものもない声楽家で、屡ゝやかましい問題の種となつた方です。其後しばらく三浦医学士と共にシンガポールの護謨園で新家庭をお作りになつてゐましたが、先頃帰朝して今では貞淑な三浦夫人として納つてゐらつしゃいます。然し機会があれば欧米に渡つて天稟の才を磨き世界の楽界に名を上げやうとの野心をもつてゐらつしゃると云ふ事です。
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