蔵書目録

明治・大正・昭和:楽器・音譜目録、来日音楽家、音楽教育家、来日舞踊家、軍内対立、医学教育、清国留学生、林彪、北京之春 

「私立日本医学校要覧」(1905)

2017年03月01日 | 医学校
 私立日本医学校要覧

 〇本校の創立
 本校は明治三十七年七月の創立に係り、一般医学を修むる者に便益を與へ文部省医術開業試験を受くるものヽ素養を造くるが為めに必要なる各学科を教授するを目的として創立せられたるものなり。
 〇本校の将来   本校は現在に於ては創立日浅く、加之特に邦家多事の際に設立されたるが故に、未だ完全なる設備を有するに到らずと雖も、熱心校務の進張を謀りつヽあるが故に漸次整頓を来すべし、而して一定の準備完成するに到れば医術開業試験の存否に関せず、文部省認可の医学専門学校組織となすべく而して猶ほ別課及び予科を設け医学教育上の遺算なきを期すべし。
 〇本校の事業   本校現在の事業としては、医学前期学科後期学科の教授を為しつヽあり、生徒の修学年期は四ヶ年なりと雖も、一学年間に於て前期後期の各科を並に教授するが故に修学者にして勤勉怠らづんば、一箇年にして前期若くは後期の各科を修了することを得べし、教授は学説講義の外、臨床講義及び理化学実験、組織解剖等の実習、標本図譜の供覧、病理組織、病理解剖、外科手術、産科模型、顕微鏡検査等の実地演習を行ひ生徒をして勉めて実験に就き研究するの方法を執らしむるものとす。
 本学科の外、附属として更に毎日午前七時前後より臨床講習会を設く、本会は一般医家の臨床的知見の修養を目的とするものにして、会員組織とす、本校卒業者並に開業医家の研究に便益を供せんが為めに、有名なる各科専門の諸大家を聘し、斬新機警なる学説実験等を紹介するものとす、毎週出席講演講師の氏名は毎週土曜日に定めて掲示するが故に、繁劇なる医家及び近府県の医家と雖も、随意希望の講筵に参列し、日新の智識を領し、時勢に後れずして患者臨床上の智見を博くすることを得べし。
 〇本校の風紀   本校は従来医学生徒通有の悪習弊風を除去し、勉めて生徒の風紀を矯正し品格の修養を図り、本校卒業者にして他日社会に立つも、紳士として愧ぢざるの品位を保たしめんことを旨とせり、本校内に於ては喫咽飲酒を厳禁し、摂生を守り応接言語等慎重ならしめんことを要とせり、故に一たび本校に於て放校処分を為したるものは如何なる事由ありと雖も、再び本校に入学することを許さゞるものとす。
 〇本校の位置   本校は東京市神田区淡路町二丁目にあり、地勢十五区の中心点にありて、電車鉄道の線路交叉部四通八達の要衝に位するが故に交通最も便なり、下谷、本郷、深川、神田、京橋、日本橋、芝、赤坂、麻布、麹町、小石川、牛込、四谷、浅草、本所等の諸区には直接電車の通達せるあり、僅に金五銭を投ずれば校門前よりして直ちに前記各区に往来することを得べし、而かも後は駿河台の青丘を負ひ、前は神田川の碧流に臨み、蔚葱たる聖堂の杜蔭に対して自ら閑雅の境を成し実に趣味実益並び備はれる好位置にあり。

 明治三十八年九月    
          東京市神田区淡路町二丁目
            私立日本医学校教務課
                 電話本局三千二百九十二番

〔上の文章の電話番号以外の太字部分は、元は●または◎が字の横にある個所である。〕

 私立日本医学校学則概要 〔下は、その一部抜粋〕

    第壹章 総則

 第一條 本校ハ医学ヲ教授シ医師ヲ養成スルヲ以テ本旨トス
 第二條 修学年限ハ四箇年トシ前二年ニ前期学科ヲ教授シ後二年ニ後期学科ヲ教授ス

    第貮章 職員   
    第参章 学科課程
    第四章 学年、学期、休業

 第五條 学年ハ四月十日ニ始マリ翌年三月三十一日ニ終ル
 第六條 一学年ヲ二学期ト為ス
    第一学期 四月十日ヨリ八月三十日ニ至ル
    第二学期 九月十日ヨリ三月三十一日ニ至ル
 第七條 休日ハ左ノ如シ
    大祭日、祝日、日曜日、本校記念日
    夏期休業 七月二十一日ヨリ九月十日迄
    冬期休業 十二月廿六日ヨリ翌年一月十日迄

    第五章 試験及進級
    第六章 入学、在学、退学

 第十四條 入学ハ毎学年ノ始メトス 
   但シ欠員ヲ生ズルトキハ臨時入学ヲ許スコトアルベシ
 第十五條 入学ヲ許スベキ者ハ年齢十七年以上身体壮健品行方正ニシテ高等小学校又ハ中学校若シクハ高等女学校第二年級ヲ卒業セル者又ハ本校ニ於テ之ト同等以上ノ学力アリト認メタル者
 第十七條 入学ノ許可ヲ得タル者ハ入学料金四円ヲ納ムベシ

    第七章 授業料

 第二十二條 一学期ノ授業料ヲ金十八円ト定メ毎月金参円宛分納ナスコトヲ得

    第八章 帽制

 第二十六條 生徒ハ入学許可ノ日ヨリ二十日以内ニ本校制定ノ帽ヲ調製シ常ニ着用スベシ
       制式ハ黒絨製大黒帽頭頂四角形トス但シ和服着用ノ者ハ必ズ袴ヲ着ス可シ

    第九章 奨励

 第二十七條 生徒中品行方正学力優等ナリト認メタル者ハ之ヲ特待生トナシ相等期間其授業料ノ一部又ハ全部ヲ免除スルコトアルベシ

    第十章 懲戒

 第三十條 本校ニハ寄宿舎ヲ設ケズ

    附則  生徒心得


 明治三十八年十月     東京市神田区淡路町二丁目
                  私立日本医学校

    私立日本医学校教師氏名  (明治四十二年五月現在)

 
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「東京医学専門学校済生学舎規則」 (1898.2)

2013年11月02日 | 医学校
 東京医学専門学校済生学舎規則

  第一章 学則

 第一條 本校ノ趣旨ハ学業ノ速成ヲ要スルニアルヲ以テ医学ノ要領ヲ教授シ期スルニ三年ヲ以テス其学科左ノ如シ

  一 第一期 物理学 無機化学 解剖学
  一 第二期 物理学 有機化学 解剖学 生理学
  一 第三期 物理学 組織学 〔以上前期学科〕
  一 第四期 外科通論 病理通論 診断学 薬物学 外科各論 病理各論
  一 第五期 外科各論 幷臨床講義 病理各論 幷臨床講義 眼科学 幷臨床講義
  一 第六期 婦人科 産科 衛生学 〔以上後期学科〕
    以上六期即チ三年ヲ学科年限トス其ノ学期課程左ノ如シ
   一 物理学 一週六時 第一期生
   一 物理学 一週六時 第二期生
   一 無機化学 一週六時 第一期生
   一 有機化学 一週六時 第二期生
   一 解剖学及実地演習 一週六時 第一期生
   一 解剖学及実地演習 一週六時 第二期生
   一 生理学 一週六時 第二期生
   一 生理学 一週六時 第三期生
   一 組織学 一週三時 第三期生
   一 外科通論 一週六時 第三期生
   一 病理通論 一週六時 第三期生
   一 薬物学 一週六時 第四期生
   一 診断学及実地演習 一週六時 第四期生
   一 外科各論及臨床講義 一週六時 第四期生
   一 外科各論及臨床講義並手術 一週六時 第五期生
   一 病理各論及臨床講義 一週六時 第四期生
   一 病理各論及臨床講義 一週六時 第五期生
   一 眼科学及臨床講義竝手術 一週六時 第五期生
   一 婦人科 一週三時 第六期生
   一 衛生学 一週三時 第六期生
   一 産科学 一週三時 第六期生

 第二條 毎学期ノ終リ医学理科試験ヒ卒業試験ヲ施行シ卒業証書ヲ與フル事
 第三條 毎年十月ヨリ三月ニ至ル六ヶ月間ヲ冬学期ト定メ四月ヨリ九月ニ至ル六ヶ月間ヲ夏学期ト定ム

  第二章 校則

 第四條 入学ヲ請フ者ハ東京府下ニ住居シ一家計ヲ立ル者ヲ引受トナシ左ノ雛形ニ準シ入学證書ヲ差出ス可シ但シ入学試験ハ志願ニ非ラサレハ別ニ挙行セス

 第五條 授業料ハ前月二十五日ヨリ同三十日マデニ納ムベシ
     但シ新規入学ノ節ハ入門ノ時直ニ束修及授業料並講堂費相納メ在学證領収スヘキ事
    束修 金四圓
     但シ束修ヲ納メテ後チ即時退学スルモ其束修ハ返却セス
    授業料並講堂費一ケ月金貮圓
     但シ二十日後ニ入学又ハ出席スルモ全額ノ授業料ヲ納ムヘキ事
 第六條 本舎ノ生徒タル間ハ総テ舎長及ヒ幹事ノ指揮ニ従フヘシ猥リニ党ヲ組ミ人ヲ煽動シ又ハ他人ノ妨碍ヲ為ス者ハ直チニ退学セシムヘキ事
 第七條 休日ハ大祭日祝日及ヒ日曜日ノ事
 第八條 事故アリテ退学スルカ若クハ来学セサルトキハ其保證人ヨリ欠席届或ハ退学願ニ在学証ヲ添エ当人在学ノ月末マテニ差出タスヘシ若シ願ヒ届ケ等遅延シ越月一日ニ至レハ疾病又ハ何等ノ事故ニ関セス其月ノ月謝並ニ講堂費ヲ即納セシムヘキ事
 第九條 正規ノ届ニ由リ一時欠席セシ者(第十二條ノ規定以内ニ於テ)再ヒ出席セント欲スルモノハ先ツ保證人ノ出席届書ニ授業料ヲ添ヘ差出シ在学証申受クヘキ事
     但シ在学証所持セサルモノハ入場スルヲ許サス故ニ不時其有無調査スルニヨリ登校ノ節ハ常ニ携帯スヘシ
 第十條 在学証ヲ紛失又ハ破損セシモノハ保證人ノ届書ニ手数料トシテ金二十銭ヲ添ヘ更ニ在学証申受クヘキ事
 第十一條 証人転居スルトキハ更ニ其代員ヲ立ツヘキ事
      但シ其證書々式ハ入学證書雛形(第四條)ニ準シ認ム可シ
 第十二條 満一ヶ年以上欠席シタル者ハ再入学ヲスルニ非サレバ出席ヲ許サヽル者トス

  卒業試験規則

 第一條 試験ヲ別テ理科試験及医科試験ノ二トス
 第二條 理科試験ハ前期生之ヲ受ケ医科試験ハ後期生之ヲ受クルモノトス
 第三條 試験ハ三月及九月ノ両度之ヲ執行ス
 第四條 試験志願者ハ当時出席スルモノニ限ル
     但シ欠席者ト雖モ其月出席スルトキハ試験ヲ受クルコトヲ得
  〔中略〕
 第七條 理科試験及医科試験ノ答案ハ筆記トス
 第八條 臨床実験ハ一定時間受験者ニ患者ヲ診察セシメ試験委員ノ問ニ口答セシムルモノトス
 第九條 試験志願者疾病或ハ事故ニ依リ試験当日出席シ難キ時ハ其旨幹事ニ届出ツヘシ
 第十條 試験場内ニ於テハ万事係員ノ指揮ニ従フヘシ
     但シ不正ノ所行アルトキハ退場セシムルコトアルヘシ
 第十一條 試験委員長ハ校長ニシテ試験委員ハ各講師トス
 第十二條 試験問題ハ試験委員長各試験委員協議ノ上之ヲ撰定スルモノトス
 第十三條 試験成績ハ各試験委員之ヲ評定ス其規則左ノ如シ
      第一項 一問題及一科目ノ最高点ヲ百点トス実地試験ノ点数又之ニ同シ
      第二項 全平均点六十点ヲ以テ及第点トシ百点ヲ以テ最高点トス
      第三項 一問題得点ノ有無ニ関セス一科目平均点四十五点以上ノ得点アリテ他ヨリ補給スルヲ得ル場合ニハ及第ノ資格ヲ有スルモノトス
 第十四條 試験ヲ経テ及第シタルモノニハ左ノ卒業証書ヲ授与ス

  顕微鏡用法病理組織実地演習化学及顕微鏡的診査法医化学黴菌学実地演習規則

  外科機械用法死体的外科手術演習理学的診断演習眼底検査法耳鼻咽喉鏡用法電気用法繃帯式産科機械用法産科模型演習など実地演習規則

  済生学舎校友会規則

   目的
 第一條 本会ハ済生学舎旧在校諸君ト交誼ヲ温メ日進医学ノ景色況ヲ互ニ報告スルモノトス
   名称、位置
 第二條 本会ハ済生学舎校友会ト称シ事務所ヲ済生学舎内ニ置ク
   規則
 第三條 本会ハ旧済生学舎在校者ニシテ医術開業免状ヲ所有スル者ヲ以テ会員トス
 第四條 入会志願者ハ原籍、現住所及開業免状下附年月ヲ詳記シ事務所ニ通知スルモノトス
 第五條 会員ニシテ日進医学研究ノ為メ再ヒ出校スル場合ニハ学舎規則第十二條ニ関係無キモノトス
     参照 第十二條 満一ヶ年以上欠席シタル者ハ再入学ヲスルニ非サレバ出席ヲ許サヽル者トス
 第六條 本会ハ毎月一回在東京会員ト相会シ日進医学ノ景況ヲ報告シ且ツ医学演説会及討論会ヲ開クモノトス
 第七條 本会ノ演説討論及会員諸君ノ報告ハ済生学舎医事新報ヲ以テ報告スルモノトス
 第八條 本会及会員ハ日進医学研究上互ニ便利ヲ與フルノ義務アルモノト
 第九條 本会々員ハ凡テ会費ヲ要セス   

   東京本郷区湯島四丁目八番地
     東京医学専門学校
 明治三十一年二月 済生学舎 
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『仙台医学専門学校在学記念帖』 (1911.6)

2013年07月31日 | 医学校
 

 仙台医学専門学校在学記念帖  明治四十四年

 ・山形医学博士題辞
 ・ヒッポクラテス
 ・宮城病院正門 同本館
 ・旧宮城病院、仙台医学専門学校正門、同裏門
 ・校旗、校歌、優勝旗
 ・宮城病院長 医学博士 内田守一先生、学校長 医学博士 山形仲芸先生
 ・国岡助教授、小高教授、古川教授 図書室、講堂
 ・竹田清十郎氏、菅原兼治郎氏、千石元三郎氏 学校長室 大石敬太夫氏、田総助次郎氏、宮崎栄蔵氏 庶務会計室、庶務室外景
 ・藤野教授 〔下の写真〕、解剖復習室、敷波教授 解剖標本室階上、同階下

  

 ・藤野教授室、敷波教授室 解剖実習室、組織実習室
 ・病理解剖室、東教授 東教授室、病理解剖標本室
 ・細菌学実習室、柿沢教授 柿沢教授室、第三及第四実習室
 ・生理実験室、石川講師 第六号教室、第六号教室 細菌学実習室 外景
 ・外科大手術室外景、婦人科大手術室外景 旧病院東講義室外景、(西講義室)第二第三第四 西講義室
 ・婦人科大手術室、栗原教授 婦人科診察室
 ・玉造教授、内科予診室、小塚教授 内科診察室(玉造教授)、内科診察室(小塚教授)
 ・内科研究室、小児科診察室 吸入電気 マッサージ室、入院室
 ・内科クリニック(小塚教授)
 ・外科診察室、外科手術準備室 大関助教授、外科手入室
 ・外科クリニック
 ・内科外科クリニック、全身浴室 西第一臨床講義室、砂浴室
 ・電気浴室、加藤教授 神経内科診察室、神経内科予診室
 ・神経内科クリニック (加藤教授)
 ・皮膚科診察室、遠山教授 皮膚科手術室、皮膚科研究室
 ・眼科診察室、小玉教授 眼科手術室、眼科研究室
 ・院長室、佐野教授 会議室、模範薬局
 ・気鑵室、乾燥室 消毒室、病院廊下
 ・永井潜先生、大沼良三先生、中川愛咲先生、鬼頭英先生、佐藤熊之助先生 故田代秋太郎先生、故島柳二先生、故柏村貞一先生、三好愛吉先生、福士政一先生

 〔以下学生写真〕

 ・医学科第四年級一団
 ・大運動会光景 四年級応援隊
 ・仙台市全景 〔下の写真〕

  

 ・同級生原籍姓名録(其一)(いろは順)
 ・同級生原籍姓名録(其二)(いろは順)

 ・仙台医学専門学校医学科教授官氏名緑 〔下の写真〕

  

 ・奥付 〔明治四十四年六月三十日 非売品 仙台医学専門学校内 明治四十四年度医学科第四年級調製
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「五十周年記念」 東京帝国大学医学部病理学教室 (1937.4)

2012年11月16日 | 医学校
 東京帝国大学 医学部病理学教室 
 五十周年記念     昭和十二年 〔一九三七年〕 四月二日

 〔絵葉書〕

      

 ・故三浦守治先生、故山極勝三郎先生 〔上左から1枚目〕
 ・旧病理学教室、現病理学教室、新病理学教室(医学部第二号館)〔2枚目〕
 ・現在及び新築の病理学教室を望む 昭和十一年十月 呉健氏筆 〔3枚目〕
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『東京慈恵会医院医学専門学校 記念帖』 (1909)

2012年02月24日 | 医学校
 表紙には、「SOUVENIR ALBUM TOKYO CHARITY HOSPITAL MEDICAL COLLEGE 1909」とあり、内表紙には、「東京慈恵会医院医学専門学校 記念帖 明治四拾二年 〔一九〇九年〕」とある。縦27.5センチ・横44.0センチ。

 書の写真 2枚

 ・高木兼寛、鈴木孝之助

 教員などの写真 50枚〔ただし、名前は一部不鮮明のものは推測〕

  


  海軍々医総監医学博士男爵 高木兼寛、海軍々医総監医学博士子爵 實吉安純

  >

  〔上段左から〕エム アール シーエス エル エスシービー 瀬脇壽雄、ドクトル メヂチーネ 松山陽太郎、海軍々医総監 山本景行、エム アール シーエス エル エスシービー 高木喜寛
  〔下段左から〕医学博士 片山國嘉、医学士 三田定則、医学博士 横手千代之助、医学士 吉松駒造

  

  〔上段左から〕医学士 笹川三男三、ドクトル 佐藤敏夫、医学博士 金杉英五郎、医学博士 山極勝三郎
  〔下段左から〕医学得業士 仁藤隆作、医学博士 呉秀三、医学博士 三宅鉱一、医学士 森田正馬

  

  〔上段左から〕ドクトル メヂチーネ 樋口繁次、医学士 森棟賢隆、医学士 ドクトル 日高昴、エル エス シービー ヒューズ 
  〔下段左から〕海軍々医総監医学博士 本多忠夫、エム アール シーエス エル エスシービー 高木兼二、海軍々医少監 隈川基、花岡三

  

  〔上段左から〕堅村虎長、ドクトル メヂチーネ 廣田京右衛門、海軍々医総監医学博士 石黒宇宙治、海軍々医総監医学博士 鈴木孝之助 
  〔下段左から〕秦佐八郎、入倉榮、定沼曹六、須藤憲三

  

  〔上段左から〕医学士 永井潜、医学博士 新井春次郎、森田齋次、薬学士 藤本理
  〔下段左から〕薬学士 有賀孝治、ドクトル 川瀬元九郎、宮森麻太郎、エドワード ハリス

  

  〔上段左から〕医学博士 今〔コメントにより訂正〕、大内青●、神林周道、海軍々医大監 石川詢
  〔下段左から〕指宿彦八、坪和地季養、富永徳蔵、鈴木榮吉

 学校施設、授業風景など 36枚

 ・正門
 ・解剖模型陳列室、図書閲覧室、図書倉庫
 ・標本室の一部 3枚、解剖実習室
 ・化学実験室、●●会之員、生理学事件室、動物室
 ・理化学実験室、病理組織実習、組織学実験室、病理学標本室
 ・内科教室〔瀬脇壽雄の講義〕
 ・外来患者診察室
 ・眼科外来診療、中庭、当直医員、内科外来診療
 ・病室の一部
 ・外科臨床講義〔ヒューズの講義〕
 ・X光線室、外科外来診療室、〔外科手術室の一部〕、外科手術室、消毒乾燥室
 ・外科臨床講義 
 ・解剖祭〔下の写真〕、増上寺山門

  

 ・第二十五回卒業證書授與式、宮下賞牌、中井賞牌、記念品

 卒業生の写真 84枚 〔故人1名を含む84名〕

 その他 8枚  

 ・陸上撰手、秋季陸上大運動会、蹴球部撰手〔下の写真、中央は高木喜寛〕、松元稲穂

  
 
 ・〔鎌倉大仏〕、帝国大学法医学教室〔の建物〕、東京市巣鴨病院〔の正門:写真中の門札は東京府巣鴨病院〕、〔本堂?〕
 
 記念帖の編纂に就いて 〔編纂する三人の写真:省略〕

  四年が間雨の日風の日同じ学び舎に集ひ、徳高き師の教を受け、憂き時も楽しき時も共に睦び親しみしも一度業成りて後●四方に散りて再び面をあはす折とてもいと少かるべし。されば今年吾が級の諸士まさに業を卒へ、己が●●其務むる所に赴かんとするに当り、此思出ある学び舎のさま、慈しき師の俤、さては学友の姿をあつめて一の画帖となし、之れを記念として恩師に贈り、各自互ひに頒ちて、朝な夕な之を操り繙けば、このなつかしき四年をしのぶすべとなり、又永く母校の恩を忘るヽ事なかる可しとて、其編纂の任を余等三人に托されぬ。されども此わざもとより我が校始めての事なれば材料の収緝又撮影、製版等に就ても困難一方ならず、又折角写したる原版の廃棄せるもいと多くして、之に失ひたる費額亦少からざりき。さて帖成りて後之れを見ればあまりに粗雑にして意に満たぬ所も多し、思ふに明年の諸士は之を範として大に資する所あるべし、されど帖中配列順序の乱雑なるは全く余等事に当りし者の責任なり、諸士願はくは之を恕し給へ

 編纂委員
   信岡粂太郎 
   岡田縄平
   関川康民

 撮影 酒井覚醉
 印刷 東洋写真製版所

 

 『偉人の俤(おもかげ)』には、上の銅像写真〔部分〕や、次の説明文・偉人伝などがある。 

 高木兼寛銅像

 〔所在地〕  東京市麻布区鳥居坂町男爵高木喜寛邸内
 〔建設年月〕 大正元年六月九日
 〔原型作者〕 藤光岳
 〔建設者〕  門人一同
 〔銘記〕
   海軍軍医総監従三位勲二等医学博士男爵高木兼寛先生学博徳崇明治四十三年十二月門人故旧胥謀玆鋳此像巨志景仰

 高木兼寛

    一

 明治十五、十六年頃の医学社会に「日本橋南は独逸風吹かず」といふ一種の合言葉が流行してゐた。これは学制改革の結果帝大及び陸軍は独逸医学を祖述するに対し、海軍だけは英国医術を宗とする規則であつたことゝ日本橋南の病院、医師は主として英国流を宗としたものであつたからで、日本橋を境界線として南方の英国医学界の為めに万丈の気を吐いたゐたのは東京慈恵院の高木兼寛男であつた。
 男は日向國東諸郡穆佐村の人、嘉永二年の出生で幼名を藤四郎と云ひ兼寛はその後改名した大成の名である。十三歳の頃疾くも医を以て志を立てんと父喜助に意中を語つた。父も喜んで応諾を與へたが、本当に医者修行したのは十八歳の時鹿児島へ遊学して石神良策に師事した時に始まる。明治元年即ち戊辰の役に鹿児島藩の医師となつて東北征伐軍に加はつたが、その時、監察其他軍事の要職に在る者は総て薩藩であるに比し、医事方面は他藩の力を籍る有様を見て、男は熟々藩の力及ばないものは学問技術であると感悟した。そして医術を以て薩藩の軍事上の精力に拮抗して遣らうと決心したのである。
 この決心が後年我が海軍々医の権威者たらしめ、男爵たらしめたのである。

    二

 明治八年二十七歳の時多年の宿望である英国留学を決行した。倫敦のセント・トーマス病院医学校に入学したのである。淹留五年、学成つて帰朝したのは十三年の十一月で直ちに海軍中医監に任じ東京海軍病院長を命ぜられた。十五年には明治大帝に拝謁して軍艦内の脚気病予防法に関し伏奏する処があつた。男が脚気病予病に麦飯を力説し、これを励行せしめたのは、斯界に特記すべき事績で男の功労を此の一事を以てしても十分記録に価するのである。即ち二十一年五月には医学博士の学位を授与せられた。
 超へて明治二十四年芝区愛宕町に東京病院を創設した。そして其の年の九月成医学校を東京慈恵医院医学校と改称した。尚ほ此の年特記すべきは京都で遭難した露国皇太子の診察に宮内大臣の命を帯びて急遽上洛親しく診療に従事したことである。三十六年には学校を専門学校に改称拡充せしめ時代の要求に応じたのであるが、其の年の三月男爵を授けられた。三十九年五十八歳の時米国コロンビア大学の招聘に応じ、日露戦役軍事衛生に関する講話をなすべく渡米し帰途欧洲各国を歴巡して先進医術の視察を遂げ帰朝した。
 又、慈恵病院を建設して専ら施療を行ひ兼ねて医学生を教育し、我が国に英国流の医術を専ら普及せしめた。大正四年十一月、大正天皇御即位の大典に際し多年の功労を嘉せられ勲一等に叙し瑞宝章を賜はつた。超へて大正九年三月二十一日七十二歳の老齢を保つて祝痾の為め溘焉として薨じた。
 男が七十年の生涯に於て特に功績積の頌表すべきものは海軍々医衛生を確立せしめた一事で、其の間海軍々医総監となり、東京海軍病院長、医務局学舎長、医学本部長、衛生部長、海軍中央衛生会議々長等の栄職に就き陸軍々医に対する石黒忠悳子の功積と宛ら相匹敵するかの観があるのである。
 尚ほ精力絶倫なる男は東京市会議員となつて市政に貢献する処あり、又貴族院議員に勅選せられるなど、男の名は我が海軍史上に炳乎として数頁の功績に輝くものであらう。
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