蔵書目録

明治・大正・昭和:楽器・音譜目録、来日音楽家、音楽教育家、来日舞踊家、軍内対立、医学教育、清国留学生、林彪、北京之春 

『軍閥重臣閥の大逆不逞』 維新同志会同人 (1935.7)

2013年07月09日 | 皇道派
 表紙には、右上に四角で囲まれた「極秘」、中央に「軍閥重臣閥の大逆不逞」、左下に「(代謄写)」とある。発禁処分は、昭和十年 〔一九三五年〕 八月二十二日。活版、19センチ、8頁。

 軍閥重臣閥の大逆不逞

   天皇機関説を実行し皇軍を撹乱し維新を阻止し国家壟断国体破壊を強行せんとする逆謀=天人共に許さざる七・一五統帥権干犯事情=国民総蹶起の秋!!

 一、七・一五の経過

   一、暦日経過 〔下は、その一部〕

 六月十六日、林陸相永田軍務局長等満鮮旅行より帰京。
  新京にて南司令官京城にて宇垣総督と懇談したるは周知の通りである。
 七月八日、宇垣総督入京
 七月十日、午前八時半宇垣総督陸相訪問、十時半より陸相真崎教育総監と人事協議、陸相は突如総監の辞職を迫った。『真崎総監の勇退は軍内の輿論である』と、総督の論駁に対し陸相は苦し紛れに『これは総長宮殿下の要求である』これは実は南大将と永田軍務局長の策謀であって南は自分に火中の栗を拾はせやうとしてゐる。満州から帰ってからこの策謀で激しくなった』と弁解し総監は同意せず且永田少将等に関する参考資料準備の余裕を得た旨を述べて別れた。
 七月十一日、陸相は総長宮殿下の御召なりとて総監を招致し直に三長官会議を開かんとしたが総監は準備整はざる故を以て延期した。
 七月十二日、午前八時総監は陸相と会見し二人熟議して大体成案を得た上改めて会議を開くことの至当なる所以を力説した。陸相は別に次官次長人事局長等を召集して対策を練り、午後一時三長官会議開催を決した。席上総監は
 1統制々々と言ふも如何なる原理によるや、単に当局に盲従せよと言ふ意味の統制は真の統制に非ず、国体原理に基く軍人精神の確立によって統制するを要す。
 2輿論と言ひ軍の総意と言ふは何事ぞ、輿論により事を決し総意の名に於て事をなすは軍内に下剋上の風を作り統帥の本義に背き建軍の本旨を破壊するものなり。
 3教育総監は、大元帥陛下に直隷する親補職にして大御心により自ら処決すべきもの、軍隊教育と言ふ重大統帥事項を輔翼する重職にあるものが輿論云々に依って辞める理由なし。
 4今次の異動方針については部外よりの干渉あり、統帥権に対する此の容喙に膝を屈することは辱職にして且つ将来に重大なる禍根を残すものなり、一真崎の進退問題に非ず。
 5三長官協議の上決定すべきものを陸相単独決定の例を開かば延いて参謀総長の地位も動揺し軍の人事は全く政党政治の如く紊乱し私兵化せん。この為に親裁を経たる業務規程あり陸相の態度は統帥権の干犯を惹起する恐れあり。
 6所謂十一月事件は陸軍省を中心とする陰謀偽詐と言はれ永田少将がその中心人物なること明瞭にして、三月事件亦永田が有力なる関係者なり(永田自筆の計画文書提示)最近は新官僚と通謀して各種の政治策動を為しつゝある統制撹乱の中心たる永田を先づ処断するに非ざれば他の一切の人事は価値なし、況や今次の人事の原案が永田中心にて作られつゝあるに於てをや。
等々陸相を論難し、陸相は終ひに答ふること能はず決裂状態を以てをや。
 七月十五日、午後一時第二次三長官会議開会、総監は統帥大権中特に重大なる教育大権の輔弼者としての重要性人事に関する親裁規定等を切論したが、総長宮殿下の御威光を頼む陸相は之れに服せず、決裂して三時半散会
 陸相は既定の策戦で直に山陰地方出張中の渡邊大将に招電を発し三時四十分自動車を駆つて当日行幸遊ばされたばかりの葉山御用邸に参内し眞崎罷免渡邊後任を奏請して七時帰京した。渡邊大将は同夜濱田発

   一、宣伝機関の操縦 〔下は、その一部〕

 1六月二十日頃全国の書店停車場売店等一斉に『軍部の系派動向』と称する小冊子が発売された。宇垣、南、小磯、建川、植田一派を礼讃し林を支持鞭撻し永田、東條等をその中心部として論じ荒木、真崎、秦、柳川等を徹底的に非難した。
  某新聞班員等が永田等の内意を受けてした仕事と言はれ、今次異動の準備宣伝だと見られて居る。

 二、七・一五は統帥権干犯
      皇軍私兵化である
 

  〔省略〕

 三、背後に潜むものー戦慄すべき
           皇国壟断の大陰謀団


  〔省略〕

 嗚呼、目あるものは見よ、耳あるものは聞け。
 天皇機関説の大逆思想を抱藏し実行して上は皇権稜威を侵犯して憚らず、下は万民を残虐してぞの窮乏を顧みず、内は皇軍を撹乱し、外は国家を外侮に晒らし、維新の機運を根底より覆滅し国家を破壊の深淵に投じても明党私閥の獣心を遂げんとする戦慄すべき大陰謀が着々と進行して居るのである。
 陸軍教育総監の更迭は一真崎大将排斥ではなく反動革命の一露頭に外ならない。皇国の非常時は外患に非ず、社会不安にも非ず、此の閥族のユダヤ的陰謀の進行そのものである。皇国々民の総蹶起すべき秋は到来した。
慎んで進路を誤るなからんこと、毫末の懈怠躊躇なからんことを祈るものである。 

 昭和十年 〔一九三五年〕 七月二十五日 維新同志会同人

この『軍閥重臣閥の大逆不逞』は、翌十一年 〔一九三六年〕 二月二十五日発行の「大眼目」第四号増刊にも転載された。

 なお、『昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調』の「二、真崎教育総監更迭事件ニ関スルモノ」に、次の記載がある。

  番号 題名 納本又ハ届出ノ有無 発行責任者ノ住所氏名記載ノ有無 印刷形式 内容ノ概略

  6、軍閥重臣閥ノ大逆不逞 ナシ 維新同志会同人 活版

   陸軍部内ノ異動ノ経緯ニ付揣摩臆測シテ暴露的記述ヲ為シ尚参謀総長ノ宮ニ累ヲ及シ奉ル如キ言辞ヲ弄シ国民的総蹶起ニヨル大衆的行動ヲ煽動シタルモノ
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「永田伏誅ノ眞相」 (1935.8)

2013年07月07日 | 皇道派
   

  陸海軍青年将校ニ檄ス

  永田事件以来頻々トシテ吾人ノ耳朶ヲ撃ツモノハ「遁ゲ出シタ人ガアツタソウデスネ」「憲兵隊長ハ腰ヲ抜シタトイフデハナイカ」「軍人モ近頃ハ余リ町人ト違ハナイ」等々ノ不快ナル嘲笑ナリ「永田伏誅ノ眞相」ナル一文ヲ接手シテ軍人腰抜抬頭ノ由来ヲ知リ痛嘆慷慨禁ズル能ハズ 偶々千葉市内○○○ニ相会セル有志十七名徹宵悲憤痛論自戒自奮ヲ誓ヒタリト雖モ皇国皇軍ノ為メ尚意ヲ安ンズル能ハズ 僭越ヲ顧ミズ敢テ陸海全軍青年将校諸賢ニ檄シテ憂憤ヲ漏シ奮起ヲ冀望ス

  一、永田伏誅ノ眞相(全文 八月十九日入手)

 時は昭和十年八月十二日午前九時稍々過ぎ勲章を帯び軍刀を佩いて陸軍省に現れた相澤三郎中佐は先ず調査部長、山下少将と整備局長。山岡部長の許に行き慇懃に臺灣赴任の挨拶を述べた。
  整備局長室を辞する時、居合せた給仕に永田局長の在室を問ふた処給仕は小走して直ぐ帰つて来て『居られます』と復命する、中佐は莞爾として悠々迫らぬ歩調を以て軍務局長室に向かつた。(以下左図 〔上の写真〕 に就いて剣光一閃永田伏誅の顛末を説明する。)  

 (1) 整備局長室から軍務局長室へと向つた相澤中佐は此の附近で抜刀して局長室へ進入した。
     一説には局長室へ入つた後左手の帽子掛に軍帽を掛けてから抜刀したとも云ふ。

 (2) 相澤中佐は室内に這ると三名を圧倒する精悍な勢を以て永田に迫り椅子から立上つた永田の両肩を見事袈裟掛に斬つた。

 〔以下、「説明」(3)から(7)は省略〕

 以上の様な阿修羅の如き奮起は一瞬の間に終つたのである。相澤中佐は刀を型の如く納めて悠々と室を出て更に一二の先輩に転任の挨拶を述べ同期生某中佐と一会議室で快談した。此の前後神色自若として少しも平常と異なる所がなかつたと云ふ。相澤中佐は其後医務室を探し求め看護婦に左手の繃帯をさせ「とらんく」を片手に悠々表門まで来た。恐るゝ附いて来る憲兵が「中佐殿あちらへ参りませう」と云ふや「ヂャア行かふ」と軽く云ひ自動車で憲兵隊に行つたのである。

  一、士風振起ヲ要ス

 桜田門外落花ノ晨大老井伊ハ憂々ノ剣戟ノ中輿中ニ留リテ自若タリシニ非ズヤ 大久保甲東ハ刺客島田一郎ニ左腕ヲ斬リ落サルルヤ大喝一聲シテ島田ヲ辟易逡巡セシメ 犬養首相ハ拳銃ヲ擬セル闖入者ヲ制止シテ対談セルニ非ズヤ
 然ルニ何事ゾ永田ノ醜状陋態子女走卒ニモ劣レルハ 然モ兇徒奉行ニ迫ルヤ與力ハ遁走シ目明シハ腰ヲ抜カス態ノ銀幕、舞台ノ悲喜劇其儘ナル山田、新見ノ醜ハ殆ンド聞クニ堪ヘザルモノアリ 嗚呼、昌平久シクシテ士風ノ頽廃弛緩茲ニ至レルカ
 而シテ何ンノ奇怪事ゾヤ鯉口三寸ヲ寛ゲ得ザリンヌ懦夫ニ叙位叙勲ハ奏薦セラレ或ハ自決退官ノ引責ヲ厚顔免カレントシテ「体力及バズ」ト弁明是レ努メ又「事件当時在室セズ」トノ事実歪曲隠蔽ヘト百方奔走シツヽアリ、 此ノ二重ノ皇軍威信失墜事ヲ坐視放任シテ縦断的、横断的連繋ヲ禁ジ怪文書ヲ厳重取締ル等ヲ以テ抜本塞源ノ粛軍ヲ庶幾シ得ルヤ
 諸賢ヲ、吾人ハ利己主義ノ権化ナル青瓢譚式中央部幕僚ト其ノ二、三ニ操縦駆使セラルヽ張子将軍トニヨツテ軍ノ統一、士気ノ振作ヲ期待シ得ベカラズ 相澤中佐ノ神的一挙ハ正ニ是レ昭和武士道ノ開闢ナリ 吾人青年将校ハ宜シク此ノ風ヲ学ビ昭和ノ薩長土肥的下級青年武士トシテ旗本八万騎ノ浮薄軽佻ヲ猛撃一蹴シ、武士道精神ノ高揚ニ努力スルヲ要ス

  一、巷説妄信乎、非。
    維新ノ烽火也


 陸軍当局ハ曩ニ盲旅行ト称シテ水郷潮来ニ新聞記者團ヲ伴ヒテー当時新聞班ハ記者一人当リ五百圓ヲ準備携行シ中四百圓ハ金一封トシテ贈與セリト云フー眞崎、荒木等ノ純正将軍ニ統制撹乱者ノ悪名ヲ以テ筆誅ヲ加ヘシムルニ成功シ今ヤ往年草刈海軍少佐ヲ狂死トシテ葬リ去リタル故智ニ学ンデ相澤中佐ヲ巷説妄信ノ徒トシテ抹殺セントシツヽアリ 当局ー恐クハ数名乃至数十名ノ幕僚群ーノ迷妄救フベカラザルハ素ヨリ多言ヲ要セザルベシ
 相澤中佐ノ超凡的行動ニ驚駭シテ狂ト呼ビ愚ト目スル者ハ中佐ガ剣禅一如ノ修練ヲ其ノ純一無難ノ天性ニ加ヘテ神人一体ノ高キ精神界ニ在ルヲ理解シ能ハザル自己ノ蒙昧愚劣ニ自ラ恥ヅベシ
 相澤中佐ノ一挙ハ實ニ天命ヲ體シ神意ニ即シテ昭和維新ノ烽火ヲ挙ゲシモノ 是レヲ部内派閥闘争ノ刃傷的結末ト見ルハ無明癡鈍宛モ現下部内ノ諸動向ヲ以テ往年軍閥時代ノ藩閥的相剋視スルト同一轍ノ愚ナリ

 〔中略〕

 天皇機関説的思想、 行歳ヲ以テ  皇威ヲ凌犯シ万民ヲ残賊スルコト茲ニ年アリ国運民命將ニ窮マラントシテ神剣一閃維新ノ烽火挙ル永田ノ剄血ヲ祭庭ニ灑イデ天神地祗ノ降霊照覧ノ下皇民蹶起ノ秋ハ到ル
 烽火一炬 嗚呼待望ノ機ハ来レリ 慎ミテ憂国慨世ノ義魂ニ訴ヘ奮起ヲ望ムモノナリ


   昭和十年 〔一九三五年〕 八月二十一日暁天ヲ拝シテ黙禱
                            在千葉陸軍青年将校有志
                            在舘山海軍青年将校有志


 なお、『昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調』の「三、永田軍務局長事件ニ関スルモノ」には、次の記載がある。

  番号 題名 納本又ハ届出ノ有無 発行責任者ノ住所氏名記載ノ有無 印刷形式 内容ノ概略

  4、永田伏誅ノ真相    ナシ ナシ                      謄写

   永田事件ノ現場並ニ犯行ヲ揣摩臆測シテ記述シ更ニ犯人ヲ賞恤セルモノ

  7、陸海軍青年将校ニ檄ス ナシ 在千葉陸軍青年将校有志 在舘山海軍青年将校有志 活版 〔38.6センチ、活版両面刷り一枚〕

   第四号「永田伏誅ノ眞相」ノ全文ヲ掲載シ更ニ「士風振起ヲ要ス」「巷説妄信乎非維新ノ烽火也」ノ二項ニ付軍ノ統制ヲ撹乱スルガ如キ言語ヲ弄シ一部軍人ニ対シ直接行動ヲ煽動セルモノ

 また、『秘 昭和十年中に於ける 出版警察概観』 内務省警保局 には、さらに発行月日「八、二一」〔八月二十一日〕、禁止月日「八、二七」〔八月二十七日〕の記載がある。
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『諫抗議録』 (1935.6)

2012年10月01日 | 皇道派
 一、青年将校ヲ中心トシタル国家改造運動ノ概要 
    「昭和二年九月頃ヨリ同七年迄ノ経過ニシテ軍部ノ調査ニ関ハルモノ」

  一、天剣党事件概要
  二、三月事件概要
  三、四月兵火事件ノ概要
  四、十月事件ノ概要

 ニ、軍部ノ暗流ヲ暴露シテ正義派ノ大英断ヲ促ス
    「軍部ノ粛清意見ヲ荒木陸相ニ進言セルモノ」

 三、檄
    「荒木、眞崎、秦三将ヲ排撃シ宇垣大将ヲ推賞セルモノ」

 四、全国ノ憂国青年将校及政治家ニ檄ス
    「荒木、眞崎、秦、三将排撃論」

 五、無題
    「宇垣大将、大川周明、小磯中将ノ陰謀ヲ排撃セルモノ」

 六、斬奸状
    「牧野内府、齊藤首相、伊澤多喜男等ニ対スルモノ」

 七.日本国民ニ檄ス
    「五、一五事件当時ノ檄文」

 八、我等ガ敬愛スル第四拾四期諸兄ノ胸底ニ訴フ
    「五、一五事件ニ参加セル第四拾四期士官候補生ノ行為ヲ讃美シ先輩将校中ニモ彼等ニ追随セントスル決意アルヲ示セルモノ」

 九、先輩各位ニ青年将校ノ哀情ヲ訴フ
    「第八ト同趣意ノモノ」

 十、五、一五事件ノ眞義ヲ解明シ軍民一致皇道維新断行ニ奮起セヨ
    「略第八、第九ノ趣意ニ似タルモノ」

 十一、五、一五事件ニ対スル我等ノ覚悟  一青年将校
     「前項同断」

 十二、目標ヲ定メテ
     「目標ヲ三井、清浦、安達ノ三者ニ定メテ先ヅ之ヲ打倒スベキ陸海軍青年将校等ニ教唆セルモノ」

 十三、時局認識ニ就テ
     「昭和八年三月師団長会議ノ際陸軍首脳部ノ宣明セルモノ」

 十四、歩兵第一連隊幹部候補生教育ノ状況 
           教官陸軍歩兵中尉 栗原安秀
    「過激不穏ノ字句多シ」

  一、既成概念打破
    金力ニ依リ単ニ形式的ノ肩章ヲ與ヘラレルモノガ幹候(一年志願兵)デアルガ如クニ一般ニ解釈セラレテ居ツタ是ノ概念ヲ一掃スルベク特ニ激烈ナ訓練ヲ施シ流石将校教育ノ実際ハ苦闘ノモノデアル事ヲ的確ニ認識セシム
  二、過度ノ訓練
    本年ハ特ニ思想的ノ混乱ニヨリ近キ将来ニ事変アルヤモ知レズ各自ニ於テモ此ノ時ニ堂々善処出来得ル丈ケノ自信力ヲ此ノ訓練中ニ於テ養成スル
  三、思想的ニモ最モ尖鋭ナル教育ヲ施ス
    天皇陛下ヲ中心トスル国家社会主義ノ建設
    錦旗革命ノ必要
    対満政策ノ誤謬
    現在満州ニ於ケル政治的指導者ノ実質ハ極度ノ腐敗デアル当地ニ於テ第一線ニアル同志ヨリ此ノ真相ガ頻々ト到来スル依テ吾々ハ是ノ改革ヲ必要トスル
    大官連ノ堕落
    齋藤首相ノ不敬
    牧野其他ノ高位者ノ良心ノ磨滅
    天皇陛下ノ御年ノ御若イヲ寧ロ利用シテ居ル現在ノ高位高官連ノ大半ハ売国奴ニモ等シキ行為ヲ為シテ恥ズル所ヲ知ラヌ
    議会ノ不浄
    若シ現在ノ儘議会政治ガ続行セラレルモノデアレバ世界一トモ誇ル議事堂ハ全ク無意味ノ存在デアル須ラク各階級ヲ通ジテ真ニ国家ヲ憂フル青年ノ舞台トスルナラバ議事堂ノ存在ハ必要デアルガ
    然ラザレバ破壊シテ了ヘ
    暗殺ハ最高ノ道徳デアル
    プロレタリヤ意識
    今日ノ老人ブルジヨア政治デハ全ク無益ノモノデアル必ズ青年ニ依ル溌溂タル指導者ヲ確得スベシ同志ハ結成シテ居ル而シテ此ノ指導者ヲ得ル最近ノ道ハ軍部ノ力ニヨル一ニ青年将校ノ気魄ニ待ツノミ。     
    
 十五、陸軍首脳部対立干係
     「荒木派対宇垣派、中立派ノ主タルモノヲ列記ス」

 十六、敢テ陸軍士官ニ告グ
     「五、一五事件ニ関シ激励セルモノ」

 十七、国家改造ハ北ノ国家改造案ニ依拠スルニ非ザレバ
           ××〔統帥〕権ト雖モ之ヲ奉ゼズヽヽ」ト

 噫之何タル兇暴無漸ノ言ゾ之ヲ読メル皇軍将校何故匕首ヲカザシテ彼ガ腐腸ニ加ヘザリシカ。吾人ノ以ツテ遺憾トスル処デアル。
 戦友被告諸氏ハ今日ノ吾人等ノ如ク渠ノ醜悪面ヲ認識シナカツタサレバ西田ノ術中ニ陥ツテ渠ヲ真正無二ノ憂国ノ志士ト信ジ其ノ商売ノ犠牲トナツタ貴重ナ人物ハ尠少デハナイ。吾人ハ渠等如キニ操ラレテ五度此ノ聖戦ヲ金銭ニ代ヘシムルノ寛容ヲ捨ネバナラヌ。陸軍士官ヨ、公等ノ身辺ヲ顧ミヨ。ソコニ人格神ノ如キ赤誠鉄火ノ如キ志士ヲ幾人カ発見スルデアロウ。然ルヲ何ヲ苦シンデカ這個売国奴ヲ棟首ト仰ギテ公等ノ赤血ヲ無為ニ犲狼ノ渇ニ供フルノ必要アラン。渠ガ呈示スル所ノ改造案内書トハ渠自身之ガ達成ヲ欲セヌ所ノ露艦引揚助成会趣意書ト同断ダ。
 渠ハ改造断ノ意思ヲ持タス。唯其ノ過程ニ於ケル一時期ヲ狙フモノダ。吾人ハ渠ヲ現代ノ暗黒政治時代ノ生メル寄生虫ト断ズル。吾人ハ現状ヲ座視スルニ忍ビズシテ茲ニ陸軍士官諸氏ノ深省ヲ要求スル。皇国ノ興廃ハ一ツニ陸海軍志士ノ双肩ニカヽツテヰル。希クバ皇国恢弘準備工作ノ第一歩トシテ渠ガ毛生セル肝腑ヲ白日ニ摘羅シテ之ヲ清算シ更メテ緊親ナル提携ノ下ニ光輝アル大聖戦ヲ断行センコトヲ。
 謹而檄ス

  月 日   横鎮 世鎮 呉鎮  有志

 各位

 十八、無題
     「荒木中将ヲ古賀中尉ノ指導者ナリトシテ攻撃セルモノ」  

 本資料は、『二・二六事件研究資料Ⅲ』にある「題名:諫抗議録  体裁:美濃紙百枚 謄写版印刷 発送月日:一〇・六 〔昭和十年六月;一九三五年〕 文書ニ記載セラレアル記名:ナシ 摘要:「青年将校ヲ中心トシタル国家改造運動ノ概要」外既発ノ此種檄文十七種ヲ蒐録セルモノ」である。謄写版刷、24.1センチ、和綴じ、目次3枚・本文86枚。
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『国家革新運動に於ける二大潮流』 (1935.1)

2012年09月30日 | 皇道派
 国家革新運動に於ける二大潮流

 ・フアツシヨ派と国体原理派

 問 現下日本に於ける革新運動は如何なる潮流をなしてゐますか。
 答 大別すれば二大潮流がありませう。其の一つは所謂フアツシヨ派で他の一つは国体原理派です。
 問 其の所謂フアツシヨ派と>国体原理派とは何処が違ひますか。
   又軍部内にも二つの流れが在るとのことですがその通りですか。

 ・軍部内は何うか

 答 二大潮流に就いての差異は後から申上げますが、先づ軍部々々と云ふ声ですが、軍部と雖も現実社会の一部門である以上一般社会に於ける各種の動向を反映することも又当然でせう。

 ・両派の差異点如何

 問 それは兎に角として前に話された二大潮流の差異点を説明して頂きたい。

 ・改革意識の出発点は何う異るか

 答 先づ改革意識の出発点より話しませう。
   フアツシヨ派の人々は単に現実政治経済社会等の機構の矛盾欠陥に対する認識より之が改革へと出発する。
   国体原理派の人々は現実の政治、経済、社会等機構百般即ち国家社会全機構の欠陥矛盾は実に国体原理の歪曲より来たるものと認識する事より之が国体原理性革新へと出発するのです。

 ・変革部門決定上の差異

 問 では変革部門決定上の差異はありませんか。
 答 いや、大いにあります。
   先づフアツシヨ派の人々は経済第一主義より目的としての統制経済の樹立を以て主眼となし他の諸部門に至つては経済部門さへ立ち直れば自ら附随的に立ち直ると云ふ風に説いてゐます。
   国体原理派の人々に在つては経済部門固より重要なりとはしてゐますが、内外百般の歪曲されたる機構を根本的に変換すること、換言すれば我が日本の特異性たる国体原理の高調発揮に依る政治、経済、社会、思想、教育等百般の機構の歪曲面に根本的変革を主張してゐるやうです。そして経済部門に於ても国体原理の本質を発揮すれば必然に十全理想的なる経済形態が生れるものとしてゐます。結果としての統制経済が是です。

 ・日本の特異性の認識

 問 我が国家社会の特異性と云ふ事を言はれましたが、それではフアツシヨ派と国体原理派とはそれを各々どう云ふ風に説いてゐますか。
 答 フアツシヨ派に於ては『建国の本義に基づき』等を云つてはゐるもの、頗る物足らぬものがあります。随つて欧米の寄合所帯国家我が一大家族体国家との特異点の認識がはつきりしてゐません。
   国体原理派に於ては、先づ我が民族の生成発展の特異性を強調してゐます。

 ・我が特異性の第一

 問 それはどう云ふ風に説かれてゐますか。
 答 先づ我民族は同胤一裔の敷島民族を核心として軌範的に生成発展し来たつた民族であると説くのです。そして皇国日本は此の民族の固有せる民族意識と信仰とを以て護持し経営し発展し拡充し来たれる『一大家族体国家』であつてかの欧米のそれの如き『寄合世帯国家』とは似ても似つかぬ優秀なるものと認めてゐます。

 ・国体原理とは如何 〔下の問と答は、前の箇所に新しく紙が貼られて次の文がある〕

 問 国体原理とは一言にして言へば同う云ふことですか。
 答 我が国は此の『一大家族体』の大父に在します所の 上御一人=全体たる 陛下と、全体たる 陛下に含まるゝ部分としての赤字にして臣民たる下万民との一元的構成する所の国柄であります。一元の位置に基く御統治者としての、家族体皇国日本の全体たる 天皇は 皇祖皇宗に対する御まつろひ(随順)の大御心を以て其儘万民をみそなはせらるゝので祭即政、祭政一本であります。又万民は全体たる 陛下に含まるゝ其の部分として全体たる 陛下に只管まつろひ(随順)協翼し奉るのであります。かくて全体は部分を、部分は全体を相互牽引求心して以て『君民体を一にす』る、是れ我が万邦無比の皇国体の精華でありまして天壤と
倶に無窮であります而して斯の天壊無窮の国体は全体=(上御一人)の絶対部分=(下万民)の平等=(上=全体、絶対なるが故に、=部分が平等である)の根本義の上に立ちて彌々明徴充実さるゝのであります。此の根本義即ち『上御一人=全体の絶対と下万民=部分の平等』これこそ千古不磨の我が『国体原理』であります。

 ・現機構の反国体原理性とは

 問 然らば現機構の歪曲されてゐると云ふのは、
 答 今云つた国体原理の上から見て例へば政党財閥の如きは下万民の平等を蹂躙してゐる、(陛下の赤子は自殺のみ可能である)是れ即ち上の絶対を冐し奉つてゐるのであります、最大兇逆です。即ち政党組閣制度、個人搾取資本制経済が国体原理に反すると云ふのです、現在の矛盾欠陥万悪盡く此の国体原理の歪曲の結果であるとなすのです。
   即ち九千万各々其の処を得て皇運を扶翼し此の国体を充実し世界に対し指導的地位を確立すべき使命国日本であるに拘らず内外盡く難局に在ると云ふのは要するに国体原理にもとる現在の歪曲覇道機構の結果であるとなすのです。

 ・国民生活苦を何う見る

 問 両派の国民生活苦に対する見方は同う異つてゐますか。
 答 フアツシヨ派の人々は単に経済機構に矛盾があり欠陥があるから国民生活苦がある、即ち資本主義経済から統制経済に移行すれば国民生活苦は救はれるとなすのです。(金融資本高度制覇としての統制経済)〔※この()の箇所は、貼り紙〕
   国体原理派
   陛下の赤子が一人として其の処を得ず飢寒にさらされると云ふことはまことにあるべからざることである。「天下億兆于一人も其の処を得ざるは朕の罪」とまで仰せらるゝ大御心に対し奉て真に申訳がない、然らば何故に此状態農山漁村中小商工業者の生活苦が生れたかと云ふにそれは我が一大家族体皇道日本に本来在るべからざる外来の覇道経済機構を移入したからである、つまり明治維新の不徹底なりし結果で換言すれば国体原理に背反する機構を移植したからである、故に国民生活苦を救ふには一我が一大家族体皇道日本の国体原理性経済機構の本来の姿に復しなければならぬ、国体原理性経済機構の確立さるゝ暁には一人半人の飢民も在り得ない。と説くのです。

 ・国防観の差異は

 問 両派の国防観の差異は何処にありますか。
 答 両派とも現国防を以てしては不十分となす点は同じですが国防強化の為には政治、経済、思想、教育、宗教等の国家的一元的運営をなすべきで特に経済機構を変革すべきであると説いてゐます、世上所謂国防の鬼面を以て変革を強行せんとする国家社会主義者こそフアツシヨであると云ふのも無理からぬ処です。国体原理派にあつては国防の不充分は要するに国家全面が非国体原理性に歪曲され覇道の支配下に在るから不完全である、之を強化完備せんとすれば其の一大家族体の優秀本質の発揮即ち国体原理性復を必須とする、平易に云へば忠孝一本の特異性を十分発揮し得る如くせねばならぬ其の結果として政治も経済も教育も思想も外交も宗教も文芸等も万般のこと皆国体原理性に自ら一元的に運営せざるを得ない、是れ真の国防強化であると認めてゐます。

 ・国防完備と国民生活苦との関係

 問 国防と国民生活苦とに対する両派の見方は同う異ひますか。
 答 フアツシヨ派に於ては国防の完備と国民生活苦とを二元的に考へてゐる、其れは其の日常の運動に於ける実践を見れば明瞭に分る。百歩を譲るとしても国防の完備の為めには銃後の国民生活苦も捨てゝは置けぬ位の程度でせう。国体原理派に於ては国防の不全も国民生活苦も共に其の根因となす。国防の完備と国民生活苦の救済とは一にして二ならず、表より見れば国防の完備であり裏より見れば国民生活苦の救済である、即ち現在の覇道歪曲の日本を其の本来の一大家族体皇道日本の国体原理性本質に復固すれば国防も自ら完備せざるを得ないし国民生活苦も自ら救済せられざるを得ないと認めるのです。換言すれば国防の完備を期するには国民生活苦を徹底的に救済せねばならぬ、国民生活苦を徹底的に救済せんが為には対内外に亘る国体原理性根本改革を必至せざるを得ない、故に生活苦大衆に其の苦吟のドン底より国防の充実完備を絶叫せよと主張するのです。
 問 成る程フアツシヨ派の単なる矛盾欠陥の認識では不十分であることが分りました、で次には両派の政権に対する態度は同うですか。

 ・政権に対する態度は何う異るか

 答 フアツシヨ派の人々は目的としての政権獲得を企図し一党独裁の形態を所期してゐます、国民大衆運動を叫んではゐますが是は作戦上の方便であつて即ち政権獲得独裁樹立の為大衆を方便に供してゐると云ふ訳です。此点がかの五・一五事件に於ける三上海軍中尉等により強烈に攻撃された事です。国体原理派に在りては目的としての政権獲得を極度に排し結果としての御親任垂下により 御親裁奉行に事欠かぬ様準備してゐるのです。一党独裁も排します、要は九千万大和して尊王協翼の本心の上に 御親政を扶翼し奉るに在りとなすのです。

 ・倫理観の差異は如何

 問 倫理観の差異は何うです。
 答 フアツシヨ派に於ては何うしても俺が俺等がの意識が強烈とならざるを得ない、兎も角政権を獲らねば変革は出来ぬと考へてゐる。
   国体原理派は尊皇絶対、皇運扶翼を根本とする故に俺が俺等がの意識を極度に忌みます、政策の如きも尊皇絶対皇運扶翼の倫理性を以て貫通せるものでなくてはならぬと主張し、楠公、和気公の心根を以て勇往邁進すべきであると強調してゐます。

 ・対議会観の差異は

 問 両派の対議会観は同う異りますか。
 答 フアツシヨ派は固より独裁を主とする故議会はいらぬ然し方便として之を必要とし傀儡的に認めやうと云ふのです、例へば伊太利、独逸、ロシヤに於けるが如くに、
   国体原理派は議会を必ずなくてはならぬものと認めてゐます、が然し現在の如き欧米流の議会至上の覇道形態を忌み真の神集ひ神議り的議会の設立を絶対必要と認めてゐます。

 ・政党財閥に対する態度

 問 政党財閥に対する態度は
 答 フアツシヨ派の打倒政党、打倒財閥は要するに政権奪取の為に唱へてゐるに過ぎぬ、随つて政権さへ呉れるなら政党とも財閥とも妥協して行かう、つまり公武合体的の意図があります。
   国体原理派に於ては覇道機構即ち反国体原理機構の所産としての政党財閥に対しては之が徹底的反省解消を以て皇運扶翼即ち国体原理性皇道日本の建設に貢献する様要請するのです、而して覇道悪としての政党、財閥とは決して妥協はしません、一大家族体国家の本質に於て考へて御覧なさい、党派や財閥は存在すべからざるものではありませんか。

 ・フアツシヨは民主暴力革命の第一階梯か

 問 フアツシヨには下剋上の傾向がある、フアツシヨ政権の次は共産党独裁政権の出現だと云ふ人がありますがその点は何うですか。
 答 経済第一大衆動員方便本位ですから勢ひ下からの要求となり請願運動となり、下剋上的素質を帯びて来ます、一度公武合体的政権即ちケレンスキー政権を樹立すれば必ずその裡にひそむ民主的要求が活動を開始し此の政権を更に低次の民主的傾向に引きずり込む其処に所謂ボルシエビキ的政権が出現する、つまりロシヤ赤色革命の家庭を辿る可能性があるのです、ボル政権となればロシヤに見るが如く下剋上の極点にして又上剋下的独裁の極点を現はすことは御承知の通りです、国体原理派に於ては君臣即親子君民一体の一大家族体としての運動ですから下剋上もなく上剋下もあり得ないのです。

 ・対大衆工作の差異

 問 国民大衆に対する両派の工作上の特長は如何、つまり我々国民をどう見てゐるかです。
 答 フアツシヨ派の人々は大衆の経済的不満、生活苦に乗じ之を煽動し各種の方法にて之を動員し以て政権獲得へと進軍します、つまり大衆国民は政権獲得の方便であり数字であると見てゐるのです。
   然し国体原理派に在りては大衆に対し
   陛下の赤子として皇民として尊皇絶対皇運扶翼を強調し現在の矛盾及生活苦は反国体原理性機構より来る所以を認識せしめ以て真の国体原理性一大家族体日本の建設により各々生活苦を脱し只管皇運扶翼に邁進すべきことを主張します。
   前者が大衆を方便とするに反し後者は飽く迄赤子として皇民としての動きを要望してゐます。

 ・改造団体の具体的分野は

 問 大体理解できました、では現在の改造団体の具体的分野は何うですか、どれがフアツシヨでどれが国体原理派ですか、左翼がフアツシヨで右翼が国体原理派ですか。
 答 右翼とか左翼とか、そんなことは真の変革過程に於ては全く問題になりません、内外の情勢が彌々切迫するに伴ひ強力政権を奪取して俺が俺等がの団体で変革をやつてのけやうなどゝ云ふ不心得な人達は勢ひ右翼であらうと左翼であらうと皆フアツシヨ派に固まります、つまり我が歴史上で言へば新田勢の如きが是れで、真に湊川の死戦の覚悟のない人、即ち威勢のよい方勝ちさうな方、権力のある方に付いてゐれば転んでも只にはならぬ、あはよくば何にでもありつけると、まあ斯う云つた人達がフアツシヨ派に入るのです。然しフアツシヨ新田勢の背後にはボルシエビキ足利が狼の如く待ち設けてゐることには新田勢は気がつかない、国体原理体得の不十分なる人程憐れむべきものはありません、その人達が憐れな丈ですめばいゝが此の皇国日本がボルシエビキ足利の兇逆で蹂躙されたることになつてはそれこそ大変です。フアツシヨ派は新田勢としてボルシエビキの足利勢の進軍への手引きとなり、露払ひの奴となるから十分国民は警戒してゐなくてはなりません。

 ・軍部にはフアツシヨ派はないか

 問 五・一五事件の海軍側の最高理論指導者と云はれる三上卓中尉は十月事件は陸軍の幕僚フアツシヨの妄動陰謀と云ふ意味のことを痛撃して国体の尊厳を説いたと聞いてゐますが、今の軍部内にはフアツシヨ派がまだ残つてはゐませんか。
 答 又軍部のことですか貴方はどうも軍部を気に病みますね。
 問 然し軍部と云ふ強力なる存在を背景として若し軍部内のフアツシヨ派と民間のフアツシヨ派とが強行突破をしたとしたら我国体は破壊せられ遂には足利の共産党が此の金甌無欠の日本を蹂躙するではありませんか。
 答 御尤もな御心配です然し前にも申した様に軍部それ自体は変革の主体たり得ない本質の上に置かれてゐます、故に若し仮に軍部内に所謂フアツシヨ分子があるとすればそれは必ず民間のフアツシヨ団体を傀儡となし或は前衛として策動してゐる筈です、要は国民の自覚如何にあります、国民が若し国体原理への眼を閉ぢてフアツシヨの吹きなす笛に躍つたとすれば其の時こそ貴方の心痛せらるゝ皇国日本の最大兇悪時機が来るえせう。
   然しはつきりすべき事は我々国民としてはお互ひに軍部を信ずべきではありませんか、将校も兵士も真つ黒になつて教練や航海に没頭滅脚してゐるあの軍部を信頼しやうではありませんか、若し我々国民に仮に知るべからざる処に一部不心得なるフアツシヨ分子がゐたとしても
   陛下の皇軍ではありませんか、将校皆がフアツシヨになる訳でもありますまい。
 問 然し我が歴史を見れば天下の軍隊が挙げて足利尊氏に味方したではありませんか百人中九十八人迄『両頭』人種です、筒井順慶です、故に自分自分等の利害関係から足利勢に味方しますよ。
 答 左様、その歴史こそ頼山陽が所謂『当時梟賊鴟張を擅にして七道風を望んで豺狼をたすく』と血を以て述べた処です。
 然し足利ありたるが故に、否足利に味方したる天下の軍勢ありたるが故にかの大楠公があるえはありませんか、そして
 明治陛下の御製『湊川懐古』に
  あだなみをふせぎし人はみなと川
  神となりてぞ世を守るらむ
 と仰せられてゐます、千歳の下極天皇基を護り奉つてゐるではありませんか。何よりも大切なのは貴方自身が大楠公湊川死の覚悟を持つことなのですぞ!!

 ・湊川死線の覚悟

 問 愚問を重ねました、恥かしくなりました……
   大楠公死線の覚悟のないものは敵でも味方でも御免を蒙むるとどなたかが云はれたさうですが……はつきり分りました、『両党を共に裁断すれば一劍天に倚りて寒し
 答 尊いことです、尊いことです

 〔図一枚〕 軍部及民間のファツシヨ的動向

  
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『相澤中佐の片影』 (1936.2)

2012年09月01日 | 皇道派
 表紙には、「相澤中佐の片影」とある。奥付には、「昭和十一年二月八日印刷 昭和十一年 〔一九三六年〕 二月十日発行 定價金拾銭 編輯兼発行者 尾榮太郎 発行所 國際探訪通信社出版部」などとある。20センチ、写真・述懐1頁、目次1頁・本文72頁。
 本書は、「相澤中佐の人格並犯行を賞恤」として、二月十三日に発禁処分となった(『増補版昭和書籍雑誌発禁年表 中』による)。

 

 目次

 一、中佐の略歴  〔下は、その一部〕

 五、六歳の頃中佐は父君に従つて、郡山市(当時町)郊外の一小庵寺に起居して居た。其頃父君は旧藩の先輩同輩で維新の際に死んだ人々の故事を仔細に調査し、其の埋れた孤忠を留め彰すべく、全く独力で附近の遺跡に石碑を建てられたと言ふ。常々中佐に語つて言はれた。
 「わしは仙台の藩士で、御維新の時には小義に捕はれて官軍に抗し申訳ないことをした。お前はどうか何時迄も 天皇陛下に忠義を尽し、此の父の代りをも勤めて呉れ。これがわしの遺言じや」と。

 二、中佐の片影 
 三、中佐最近の書信 
 四、雑録

 なお、「相澤中佐の片影‥‥翠谷山人」が、『核心』一二月合併号(第三巻 第一号 昭和十一年二月一日印刷 昭和十一年二月一日発行 発行所 直心道場内 核心社)にある。
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『弁駁書』・『獄中手記』 (1937.5-6)

2011年10月09日 | 皇道派
 表紙には、「弁駁書 陸軍衛戍刑務所にて 磯部浅一」とあり、赤インクによる「極秘 12年〔昭和十二年:一九三七年〕 五月 神田局消印」との書き込みがある。謄写版、14枚。
 内容は、下の通り。

 一. 北、西田両氏の思想 〔下は、その最初の部分〕

   法務官(新井法務官が七月十一日安田優君に云ったのです)「北、西田は二月事件に直接の関係はないのだが軍は既定の方針に従って両人を殺してしまふのだ」と云ふことを申しました。
 
 二.北、西田両氏の功績
 
 三.北、西田両氏と青年将校との関係
 
 四.尊皇討奸事件(二、二六)北、西田両氏の関係
 
  (1)青年将校蹶起の動因 
  (2)二月蹶起直前北、西田両氏と青年将校 
  (3)奉勅命令と北、西田氏の関係
 
 五.大臣告示、戒厳命令と北、西田氏
 
 六.結言
 
 附記 〔下は、その一部〕

  軍部が北、西田両氏を死刑にする理由は実にわけのわからぬものです。一.北、西田が青年将校を煽動したと云ふのです。煽動したのは北、西田でなく三月事件、十月事件であります。


 

 表紙には、「獄中手記 於東京陸軍衛戍刑務所 磯部浅一」とあり、赤インクによる「極秘 12年〔昭和十二年:一九三七年〕 六月二十一日附 三田局消印アル封書ニテ秋田市○○家(宛名)匿名ニテ送リ(不明)ル」との書き込みがある。謄写版、18枚〔二種類の文書の合冊か?〕

 下は、その冒頭及び内容の一部。

  朝夜の愛国者の方々御願ひ申上げます 

  維新の敵軍閥を倒して下さい 

  既成軍部は軍閥以外の何物でもありません 

  寺内も杉山も川島も荒木も其の他一切の軍人は

  悉く軍閥の家の徒です 

  どうぞ彼等を根こそぎに倒して真の維新を実現さ

  して下さい 何処迄もやります

  一部の法務官は北西田の立場は最もすべき立場だと言つて少からぬ同情をさえしていたのです 然るに両氏に死刑を求刑する様な事になつたのは軍の幕僚共が権力のかげにかくれてどさくさまぎれに殺してしまへと云つて横車を押してゐるからです。或る法務官は私に北西田が事件に直接の関係のない事は明らかだが軍は既X〔一字読めず〕の方針にしたがつて殺すのだと云ふ意をもらしました

  私は此の数ヶ月北、西田両氏を初め、多くの同志の事を思って毎夜苦しんでいます。北、西田の両氏さへ助かれば少しなりとも笑って死ねるのです。どうぞ々頼みます。頼みます。一言付記しておきます事は真崎を不起訴にする様に運動している御連中がたくさんいる様ですが私は此れに対して非常に反感をもちます。

  吾々が国賊ならば当然に真崎と川島とその周囲の人は国賊である筈です。彼等が法の制裁を受けないならば吾人も当然に法の制裁を受けない筈です。

  陸軍の親玉から貰った命令に依って動作したのに命令を受けた人が殺されたり、全く命令や告示の圏外にあった人が死刑を求刑されるのです。此んなトンチンカンなベラボウな話はありません。

     
    歎願

  謹シミテ
  ○○○○○〔赤字の書入れ (湯浅内大臣)〕閣下ニ歎願シ奉リマス

               北輝次郎
               西田税  両人は
  昭和十一年二月二十七日事件ニ関シテハ絶対ニ間接的ナ関係ハ無イノデアリマス 然ルニ陸軍現首脳部ハ故意ノ曲解ヲ以テ両人ヲ死刑ニセントシテオリマス〔以下省略〕

                恐惶謹言 磯部浅一

 一一、大臣告示に付いて。大臣告示の宮中に於て出来た時の状況は大体先般大澤先生の所へ出しておいた書物の中にある通りです、
 二た通りあるのですが「諸子の行動は国体の真姿顕現にあるものと認む」と云ふのが第一案です、所が奴等は色々にゴマカスために大臣告示は三つ出てゐると云ふことを云ひ出してゐるのです、用心々々、最後に申ますことは真崎が不起訴になると北、西田のためには頗る不利です、
川島が告発され起訴されたら両氏が無罪になるところまで事件が発展すると云ふことです、私は信じています、どうぞ両先生の事を頼みます、

 

 箱の表には、「昭和十一年二月二十六日事件 磯部浅一 獄中手記 行動記録並日記」とあり、また「資料提供 平石光久 日本国憂会 謹複製 佐々木陸友 限定貮百貮拾六部 皇紀貮千六百参拾貮年 〔一九七二年〕 貮月貮拾六日」とある。和紙45枚。
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『大眼目』  (1935.11-1936.2)

2011年09月21日 | 皇道派
 ○ 大眼目 第一号 (毎月1回発行) 昭和十年 〔一九三五年〕 十一月二十三日発行 発禁:十一月二十四日

            編輯発行兼印刷人 福井幸 印刷所 実業之世界社 印刷部 発行所 大眼目発行所

  ・国体明徴とは何ぞや 〔下は、その最初の部分〕

   国体明徴とは何ぞや。
   神詔を体して此の日本国を肇建し給へる神武国祖の御理想ー而して明治天皇によりて最も明白にされたるー即ち、君民一体、 一君万民、 八紘一字の謂である。
   日本国民の営む所の思想的生活、政治的生活、経済的生活、全生活は之れを大本とし之れを理想とすべく、而して日本国の制度方針は此の国民の此の生活に相応はしき所のものでなければならぬ。
   総じて日本的生活ー日本の一切は此の御理想即ち国体を生活することである。    
   
  ・対外策と国家改造 英露を敵とすべき第二大戦の秋 到来ー国家改造は焦眉の急だ
  ・国債増発積極予算の編成を要求する 当局の詭弁欺瞞を看破して 国家財政の実力に起て

  ・相沢中佐の公判について
  ・粛軍の本義 相沢中佐蹶起の真因
  ・第三軍縮会議を決裂せよ
  ・国体明徴に関する国民当面の要望
  ・順逆不二の法門 〔下は、その最初の部分〕

   維新革命とは、天皇政治が代官政治に堕落するに到るや新たなる天皇政治を再建せんとする国民的運動なり。

           

 ○ 第二号 昭和十年十二月二十五日 発行 発禁:昭和十年十二月二十四日   

   革命とは未顕現真実を現前の一大事実となす事なり。恰も地震によりて地下層の金鉱を地上に揺り出す如し。
   経に曰く大地震裂して地湧の菩薩出現すと。大地震裂と過ぐる世界大戦の如き来りつゝある世界革命の如き是れなり。地湧の菩薩とは地下層に埋るゝ救主の群と云ふ事則ち草沢の英雄、下層階級の義傑偉人の義なり。

  ・相沢中佐の公判に就いて 
  ・公判を機に全維新 戦線の前進統一へ
  ・維新史より見たる永田事件
  ・順逆不二の法門
  ・予算編成に暴露せる 軍部の非維新性
  
  ・維新途上の国家在世は 如何なる方針をとるか 国家の全富力を抵当とする公債の 大増発大予算の編成を要求せよ
  ・維新的経済組織の大眼目
  ・私有財産制の否認に非ずして その合理的制限の制度化にあり
  ・当面の対外問題
  ・戦闘的同志の道

 ○ 第三号増刊 昭和十一年〔一九三六年〕一月十七日 発行納本  発禁:昭和十一年一月十六日      
 
  ・渡辺教育総監に呈する公開状 〔下は、その最初の部分〕

   教育総監閣下。
   天皇機関説が国体の反逆の不逞思想であり、其の信奉者が逆臣国賊であること、従つて是れは断じて芟除せざるべからざるものであることは、今更此処に申述べるまでもない。
   一木喜徳郎、美濃部達吉、金森徳次郎氏等が、彼等を庇護し支持する同質の勢力系統等と共に挙国的弾劾を受けて居ることは固より其の所である。
   然るに近時「陸軍に潜む天皇機関説信奉者を芟除すべし」「渡辺教育総監こそ這個の不逞漢なり」の聲日を逐うて激化。実に閣下その人が彼の一木、美濃部、金森氏等に亞いてーー否、教育総監たり陸軍大将なるが故に却て彼等よりも遥かに重大に関心され弾劾されるに至つたとは、何事であるか。

 ○ 第四号増刊 昭和十一年二月二十五日 発行 7面 発禁:昭和十一年二月二十三日   
 
  ・〔相澤中佐の写真〕
  ・相沢中佐公判記録

   相沢中佐公判の内容は、我れ人ともに今日最も知らんことを欲し又知るを要する所である。茲に其の第一回乃至第四回の公判記録を送る。本記録は速記ではないが、速記に最も近き苦心の結果であることを断言する。        編輯同人識

    「公判第一日(一月二十八日)」
    「公判第二日(一月三十日)」
    「公判第三日(二月一日)」
    「公判第四日(二月四日)」)
  ・参考(秘)教育総監更迭事情要点 七月十六日 村中孝次
  ・極秘 軍閥重臣閥の大逆不逞 昭和十年七月二十五日 維新同志会同人

 『二・二六事件ー研究資料Ⅲ』に、次の記述がある。

   印刷物大眼目ヲ二十四日夜約五百部受領シ日夕点呼ノ際週番士官ニ六、七部宛分配ス其ノ際ニ於ケル山口大尉ノ言左ノ如シ①中隊長ニ見セ然ル後下士官、兵ニ分配スヘシ②単ニ(分配スヘシ)③幹部ニ見セ次テ兵ニ分配スヘシ④単ニ(兵ニマテ分配スヘシ)

 なお、この「大眼目」について、『右翼思想犯罪事件の綜合的研究』には、次の記述がある。

 更に直心道場は皇道派民間団体の牙城として西田税の指導下に雑誌「核心」「皇魂」及新聞紙「大眼目」等を総動員して相澤公判の好転、維新運動の推進のため宣伝煽動に努めつゝあつたが、就中「大眼目」は西田税、村中孝次、磯部浅一、渋川善助、杉田省吾、福井幸等を同人として、宛然怪文書と異なる所なき筆致を以て「重臣ブロック政党財閥官僚軍閥等の不当存在の芟除」を力説し、「革命の先駆的同志は異端者不逞の徒等のデマ中傷に顧慮する所なく不退転の意気を以て維新革命に邁進すべき」ことを煽動し、之は軍内外に広汎に頒布する等暗流の策源地たるの観を呈して居つた。
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「全国民・全軍将士刮目して視よ!!」 (1936.2)

2011年09月17日 | 皇道派
 「核心号外」とあり、奥付には、「昭和十一年 〔一九三六年〕二月三日発行 直心道場内 発行所 核心社」などともある。両面刷り1枚、23センチ。発禁処分:二月二日。

 全国民・全軍将士刮目して見よ!! 

     相沢事件公判劈頭 満井中佐の重大提言

  皇軍未曾有の不祥事と陸軍当局より宣伝せられ全国民、全軍の注視の的たりし、永田軍務局長斬殺事件被告相澤三郎中佐の第一回公判は、去る一月二十八日午前十時より、東京赤坂第一師団軍法会議法廷に於いて開始された。新聞紙所報の如く、開廷劈頭、特別弁護人満井中佐より重大なる提言を致します。

 第一 本件予審調書並公訴状を見るに本事件の被告が果して何人なるや極めて曖昧不明瞭である。抑々皇軍の本質上将校がその公人たるの資格に於て為したる行為と、私的個人としての為せる行為とは厳然として之を区別して取扱はれるべきものである。
〔以下省略〕

 第二 本事件の原因動機たるや、元老重臣、財閥、政党、官僚等軍部以外の不純なる支配勢力によりて皇軍本然の統帥が撹乱左右せられ、遂に統帥権の干犯をも惹起するに至りたるため、皇軍を此の危機より救出擁護すべく已むを得ざるに出でたるものである。
〔以下省略〕

 第三 本件の公訴に於ては被告のなしたる行為に関し誠に重大なる疑惑を有する。
〔以下省略〕

 (以上)

 誠に重大至極の提言である。然るに判士杉原法務官は、そのまゝ公判を続行すべきことを判士長に内申したるものの如く、判士長佐藤少将は、直ちに公判の続行を宣し、検察官島田法務官をして公訴事実の説明を開始せしめたのである。依つて満井中佐は再度起立し、『極めて重大なる事柄なるにより更に判士各位一同にて慎重審議せらるべき』旨を提言した。判士長は漸く『検察官の公訴事実の説明後、休憩中に審議すべき』を告げて検察官をして公訴事実の説明を続行せしめた。二十分の休憩後意外にも判士長は『公判を続行する』と宣したのであつた。
〔以下省略〕

 教育総監更迭に際する統帥権干犯嫌疑の要点

一、「省部関係業務担任規定」は統帥権の確立保全のために、大正二年八月勅定を経たるものであり、明に軍令がある。
 註。軍令ニ関スル件(明治四十年九月十二日軍令第一号)
  第一條 陸海軍ノ統帥ニ関シ勅定ヲ経タル規定ハ之ヲ軍令トス
〔以下省略〕



 雑誌『核心』

 ○ 第二巻 第十一号   昭和十年 〔一九三五年〕 十一月一日発行。22.1センチ、68頁。発禁:十一月五日。
 
   下は、内容の一部である。

 ・国体明徴と粛軍徹底への要望‥‥高山益人
 ・物心両面の一大整理‥‥東山達〔歩五末松太平〕
 ・対支政策と北支問題‥‥杉田省吾〔独守六後藤四郎〕
 ・一青年将校の言‥‥木村晃〔歩二五片岡俊郎〕

 ※上の〔〕内の人名は、「陸軍一部将校ノ動静概況」其十三(『二・二六事件研究資料Ⅲ』所収)のある情報による。村中孝次が投稿者に迷惑をかけないことを条件として投稿させたものであるという。

 ○ 第三巻 第一号 一二月合併号  昭和十一年 〔一九三六年〕 二月一日発行。22.1センチ、68頁。発禁:同日。

   顧問には、頭山満・内田良平等4人、核心社同人には、大森一声・渋川善助・杉山省吾等18人の名が見える。
 
 下は、「巻頭言」の一部。

 皇国の運命の懸れる年と言はれたる昭和十一年は、外は海軍々縮会議の決裂、対支問題、内は議会の解散、相沢中佐の公判を以てその幕を切って落とされ、新春早くも前途に孕まれたる危機の容易ならざるものを予想せしめる

 下は、その内容の一部。

 ・維新決定への妙機‥‥大森一声
 ・内外情勢と相沢中佐公判の維新的意義‥‥武内一鷹
 ・時局寸観‥‥竜落子
 ・相沢中佐の片影‥‥翠谷山人 〔33-41頁まで9頁〕
   一.辱知一後輩の所感
   二.後輩令弟の手紙
   三.後輩令兄の手紙
   四.辱知一青年の手紙
   五.今泉看護婦の手紙
   六.在福山一老人の手紙

雑誌『皇魂』

 ○ 第二巻第九号(通巻十六号)(臨時増刊)  昭和十年 〔一九三五年〕 八月五日発行 70頁。

  一、一体『むすび』への契機‥‥巻頭
  二、創刊一周年に際し維新運動に於ける本誌の新たなる使命を宣明す
  三、後藤内閣の具備すべき資質
  四、皇国政治の原理に関する一考察、
  五、天皇親政の体様と維新原則綱領問題
  六、『国体明徴』問題の発展と軍部の動向、
  七、山崎慶大教授の「天皇機関説の憲法学的批判」を読む
  八、所謂『七・一六異変』教育総監更迭と三長官制
  九、国体明徴、
  十、神国。神軍。神将。神兵。
  十一、対ソ連問題管見
  十二、共匪と対ソ問題
  十三、維新先覚者の心構、
  十四、皇魂現役二将校の免官と林陸相の所謂軍の統制
 
  附録の「軍首脳部一般の政治的態度と皇魂軍人の任務」は、中村義明が昭和九年六月に特志の方に贈呈した非売小冊子『軍首脳部の政治的態度と中堅少壮軍人の任務』に若干の補訂を加えたものであるという。

 ○ 第二巻第十五号(通巻二十二号) 昭和十年〔一九三五年〕十二月二十日発行 40頁。

  一、唯。寸断
  二、問題の北守南攻論
  三、みこと、いともかしこし。-将校の本務
  四、皇国精神の十全徹底発揮に直進せよ!
  五、所謂「国防」の真意義
  六、御統帥のXXX相沢三郎中佐
  七、故梅鉢藤田両君を偲
  八、時事短評

  上の「御統帥のXXX相沢三郎中佐」は、「北満第一線に在る皇軍将校有志の署名になる一文を転載せるもの」である。

 ○ 第三巻第二号(通巻二十三号)【臨時増刊】 昭和十一年〔一九三六年〕一月二十三日発行 発禁:二十五日 20頁。

  一、人の和‥‥巻頭
  二、相沢中佐の最も憂慮せる事
  三、相沢中佐を打診するもの
  四、相沢中佐の公判と注意すべき政治的策動
  五、相沢中佐の公判は斯く指導するを要す
  六、後藤内相に呈す、七、一木ー岡田ー若槻三氏の対議会観

  また、裏表紙の裏にある「相沢中佐の減刑運動に対する新日本国民同盟の態度の本質」には、「ロボット山科敏の名を以て刊行せる某々氏等の筆に成る「軍門派閥の抗争」をデマつた「皇軍一体論」並びにその続編「怪文書清算論」なる怪書のそれと同一のものであり、」などとある。
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『粛軍ニ関スル意見書』 (1935.7)

2011年08月17日 | 皇道派
 表紙には、「昭和十年 〔一九三五年〕 七月十一日 (以印刷代筆写) 粛軍ニ関スル意見書 写 陸軍歩兵大尉 村中孝次 陸軍一等主計 磯部淺一」とある。発禁処分は、昭和十年八月十六日。活版、22.2センチ、110頁。

 肅軍ニ関スル意見 〔下は、その一部〕

実ニ皇軍最近ノ乱脈ハ所謂三月事件、十月事件ナル逆臣行動ヲ欺瞞隠蔽セルヲ動因トシテ軍内外ノ撹乱其極ニ達セリ 然モ其ノ思想ニ於テ其ノ行動ニ於テ一点ノ看過斟酌ヲ許スヘカラサル大逆不逞ノモノナリシ世間周知ノ事実ニシテ附録第五 「○○少佐ノ手記」 ニヨリテ其ノ大体ヲ察シ得ヘシ 而シテ 上ハ時ノ陸軍大臣ヲ首班トシ中央部幕僚群ヲ網羅セル此ノ二大陰謀事件ヲ皇軍ノ維新保持ニ籍口シテ掩覆不問ニ附スルハ其ノ事自体、 上軍御親率ノ 至尊ヲ欺瞞シ奉ル大不忠ニシテ建軍五十年未曾有ノ此ノ二大不祥事件ヲ公正厳肅ニ処置スルコトヲ敢テセサリシハ実ニ大権ノ無視、「天機関説」 ノ現実ト謂フヘク断シテ臣下ノ道股肱ノ分ヲ踏ミ行ヘルモノニ非ス 軍内撹乱ノ因ハ正ニ三月、十月ノ両事件ニアリ而シテ両大逆事件ノ陰蔽糊塗ハ亦実ニ今日伏魔殿視サルゝ軍不統制ノ果ヲ結ヘルモノト謂ハサルヘカラス 之レヲ剔抉処断シ以テ懲罰ノ適正ヲ期スルハ軍粛清ノ為メ採ルヘキ第一ノ策ナリト信ス
爾余ノ些事ハ是レヲ省略ス
 作冬以来問題トナリシ所謂十一月廿日事件ニ対スル措置ニ至ツテハ最モ公正ヲ欠クモノト云ハサルヘカラス最近ニ於ケル訓示、諭告ハ総テヲ青年将校ノ妄動ニ帰スト雖モ統制破壊ノ本源ハ実に自ラ別個ニ存在セリ
 以下十一月事件ニ関シ歪曲セラレ陰蔽セラレアル経緯ヲ明カニシ以テ御高鑑ニ資セントス
別紙添附セル左記附録ニ就キ真相御究明ヲ冀望ス
 一、附録第一 陸軍大臣及第一師団軍法会議長官宛上申書
 二、附録第二 片倉少佐、辻大尉ニ関スル告訴状中告訴理由
 三、附録第三 片倉少佐、辻大尉ニ対スル告訴追加(以上村中大尉)
 四、附録第四 告訴状竝陳述要旨(磯部主計)
以上ヲ以テ事件推移ノ真相梗概ヲ明カニシ得ヘシ 実ニ十一月廿日事件ニ関スル限リ軍司法権ノ運用ニ於テ懲罰ノ適用ニ於テ共ニ公明適正ヲ欠キ将又公的地位ヲ擁シテ擅権自恣ノ策謀妄動スルモノアリ軍内撹乱ノ本源ハ実ニ中央部内軍当局者ノ間ニ伏在スルモノト断言スルモ敢テ過言ニアラサルヲ信ス
切言ス 皇軍現下ノ紛乱ハ三月事件、十月事件ノ剔抉処断ト両事件ノ思想行動ヲ今ニ改悛自悔スルコトナクシテ陰謀ヲ是レ事トスル徒ノ艾除トヲ断行スルニ非スンハ遂ニ底止収拾スル所ヲ知ラサルヘシ

 (附録第一) 上申書 陸軍歩兵大尉 村中孝次
 (附録第三) 片倉少佐 辻大尉 ニ対スル告訴状中告訴理由 昭和十年二月七日獄中ヨリ呈出 同 二月十九日受理 村中大尉
 (附録第三) 昭和十年四月二十四日 片倉少佐 辻大尉 ニ対スル告訴追加 村中大尉
 (附録第四) 告訴状及陳述要旨 磯部主計
 (附録第五」 昭和七年一月 ○○少佐手記 所謂十月事件ニ関スル手記

 また、『昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調』の「一、真崎教育総監事件ニ関スルモノ」に、次の記載がある。

  番号 題名 納本又ハ届出ノ有無 発行責任者ノ住所氏名記載ノ有無 印刷形式 内容ノ概略

  23、粛軍ニ関スル意見書 ナシ ナシ 村中孝次 磯部浅一 パンフレット 活版

   所謂軍部内発生ノ三月事件十月事件並ニ十一月事件ノ内容ナルモノヲ暴露的ニ記述シ全般的ニ軍部内ニ派閥ノ存在アリテ対立抗争セルコトヲ捏造的ニ詳述セルモノ
 
 なお、この怪文書について、『二・二六事件研究資料Ⅲ』に、「七月二十三日頃更に前記意見書ヲ二千五百部活版印刷ノ上全国同志宛郵送ス」とある。
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