上野動物園のシャンシャンとやらが中国に返還される
という話。
「これが見納めですよ」と抽籤で2.000名が選ばれて
最後の観覧は僅か1分間だったようだ。
・・・ パンダ好きじゃないが、詳しいでしょ ・・・
詳しいのはニュースで散々見せられたからだ。
そして、(莫迦も極まるとこういう風になる)と背筋が寒く
なったから、記憶に留まるのであろう。
白黒が織りなす滑稽模様が魅力に見えてしまうパンダ。
でも、私が真似したら口中がざくざくに切れる竹をばり
ばりと喰らう熊に過ぎない。
動物園勤務の職員が苦労して育てたのなら、パンダの
生育過程やその後の行動に涙する場面があっても驚か
ないし、気持ちも理解できるが、単なる客が中国に戻る
パンダに涙するのは薄気味悪いだけ。
同様に薄気味悪いのはTV局で、尺の取り過ぎは異様
だし、子供に感想を聞くよりも大の大人の女性にばかり
焦点を絞るように話を聞いていることだ。
(大人の女性が泣いているのが絵になる)と決め込んで
いるように思えるのが何とも薄気味悪い。
他に報道すべきは山のようにあるのに国民の白痴化を
進めるつもりなのか、又は、報道側が既に白痴化してる
のか、甚だ不思議な現象なのである。
彼女らがどういう神経なのかと調べてみたら「推し」なる
言葉が何人にも見られた。
「誰にでも推しはあるでしょ。パンダ推しが居ても少しも
不思議ではない」という見解である。
それを知って、(な~るほどねぇ。推し・・・ねぇ)と感心し、
その「病的推し行動」を鼻で嗤い、心配もしてやるのだ。
推しであろうが何であろうが、彼女らはかなり幼稚であり、
病的とまで感ぜられてしまう。
(何故わたしは今泣けるのか)とは絶対に考えない。
むしろ(泣いてる私は素敵)と思っているのではないか。
だから、カメラを向けられて(やったぁ、主人公)と思って
いるのではなかろうか。
実に不気味な人たちである。
もちろん、私のように思う人たちの眼差しなどは敵対視
され、軽蔑の対象にしか見られないのだろう(笑)。
パンダと言えば黒柳徹子君が頭に浮かぶ。
彼女も(約束事とは言え、何も還らなくとも)と思っている
だろうが、決して泣きはしない・・・と想像する。
「涙すべき対象はこの世に沢山存在している」と彼女は
よく知っているからである・・・と想像する。
何不自由のないパンダに涙する大人は実に愚かだ。
愛の行き先を間違えているからである。
人の子に涙せよ、と思えてならない。
【写真】
那覇市内のスーパーの募金箱。
本土の募金箱よりも多いような小銭が・・・。
鞄の中のカメラを取り出したい衝動に駆られたのだ。