シャンソン歌手

シャンソンの好きな方 ようこそ !

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲子 生きる事シャンソンと共に

2015年03月17日 01時07分22秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲子 生きる事シャンソンと共に


生きる事は 食べる事だーぁ

ますます 健康オタクですが

それは 我が祖母 母が DNA的なのか 痩せて古木の様に
枯れて小さくなっていった晩年を見ても
私の体質は そのようになるのだわと
感じて
必死に 太ろうとしていますが
無理みたいなのです。

ならば
運動して 筋肉を 真面目に丁寧に育て
効率よく 計算して 
貧相にならないように 栄養補給をしなくては・・・

多佳子さんとも よく相談して
鶏肉を 大量野菜と煮込んだ スープを
毎日 欠かさず 飲んで
タンパク質補給。

カリフラワー一個 玉ねぎ二個 ジャガイモ四個
キャベツ半分 人参二本 鶏もも肉
鍋一杯に作ると
五日間 毎日 味を変えて 飲み続けることになります。
さしずめ 野菜ジュースの代わりです。

本日はニラまで入れて 最終回。
美味しいけれど あー 
明日は 初回スープ作成日です。

夏は 冷えた野菜でも良いけれど
まだ 寒いから・・・
でも 明日は気温が高くなる予報だわねぇ。

サンドイッチとか スパゲッティーとか お蕎麦とか
ステーキ 餃子 豚カツ なんでも 好きなのに
何故か 一般的な 白米 お味噌汁 刺身あるいは焼き魚
の パターンが苦手なので
理想的な 日本人妻には なれないわー

朝から 焼き魚定食プラス ステーキ好きな男性と 
結婚していて 離婚したのですが
あー 忍耐の食生活でした。

あー 一度目の結婚相手は 玄米菜食 だったー
あーあーあー

もう 二度と結婚は嫌だわ。
食生活が合わない。
無理だわ。忍耐の限界でも 女は耐えなければ
相手の色に染まらなくっちゃー
という時代の親に育った私ではありますけれど

やはり もう 晩年は自由に 好きなものを
自分の体の事を考え 健康オタクして
筋肉鍛えて 関節回りも鍛えて 元気に生きたいと
切望するわー
今が 人生で一番 幸せなのかもしれません。

神様ありがとうございます。
昔みたいに
ハードル越えしながら 
作詞作曲など 出来なくなっても良いわよー

作り笑顔でない
満面の微笑みが 溢れる私が 私は好きだから
自由を こよなく愛して へらへら 
趣味人で
好きなことし尽くして 
人生シャンソンを 学び続けよーっと。

あっ ジャズも練習しなくっちゃー
赤いハイビスカス の蕾が 膨らみました。
私の し あ わ せ 満開。






シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲子 シャンソン作詞作曲

2015年03月17日 00時30分54秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂 玲子 シャンソン作詞作曲


日本語ですけれど
作詞作曲して 人生の詩シャンソンを
自分で作り始めたのは 1999年からで
数年間 の間に 十数曲作品造りをしました。

あの頃
人生が 重くて辛くて苦しくて
参ったー と いう時期で

父の他界が1995年ですから 
会社的にも1999年 2000年・・・・2008年
ずーっと 下り坂

長坂さんの 坂道は ただただ 下り坂なのかしらん??
と 思い
2005年頃は 
プライベート生活も いやはや 参ったー

日本の失われた20年  の まっただ中
経済が下り坂 銀行貸し渋りと 貸し剥がし時代の
会社社長で責任 全う。
プライベート的には 
離婚に到れるまでの間は 誰に言わず
過酷な忍耐生活。我慢 我慢 耐えるしかない
平和に 別れよう・・・と 決めて四年間
あの手この手

戦わずに 争わずに 円満離婚できたとき 
空が突き抜けたように
感じたものです。

人生は 想定外なことが起こるものなのだと
誰にも皆 幸福と試練は やってくるのだわー
と ハードル越えばかりしていて
毎夜 睡眠薬の数が増え続け

寝れない 寝ないで動き続けたい
でも 寝れば 全て 忘れて明日になる。
寝れば 忘れられる。明日が来れば 又ハードル超えよー

そんな時 作詞作曲という手段が救いでしたよ。
心を 詩に託して・・・曲に託して・・・

お台場のマンションに住んでいる時
廊下に 深夜 音を出さないでくださいと 張り紙してあり
その
迷惑人は
睡眠薬飲んでも 深夜起きだして ピアノ弾きながら
作曲している
という 奇行を した私のことでした。

今現在は 心身が平和になったので
作詞作曲する気持ちに 全然なれなくなっちゃいました。

幸せだと 作詞作曲する すがる気持ちが沸かないものですね。
創作というのは そういう行為なのかもしれません。
芸術は 人間の魂に 神通力が 宿る宇宙ですから・・・

でも あの時代
参ったなーとは 何度も思いましたけれど
ハードルも 結構 はーはー息切れして超えてきたけれど
私は けっして不幸では無かったし
強がって 笑っていましたよ。

音楽が私を明るく元気にしてくれていたし
救ってくれていました。

「さくら」という ボサノバの曲と「シャンソニエ」は
亡き母から
あなたの作詞作曲の歌って 皆暗くて悲しい曲ばかりね
楽しいのも 作ってみたら?

と リサイタルで 「パリに一人」「ブリュッセルの雨」「生きる事」
を 歌っていたら そういわれたので
頑張って 明るい曲を作詞作曲しました。

昨日 そろそろ 桜の季節なので 「さくら」を歌いましたら
今朝 ブラボーパパが 大量の桜の枝を
市場 から 届けて下さったので
玄関の外に ばばばばーん と 活けました。

桜は
夜空に白くて ロマンティック・・・先ほど 写真を撮ってみました。