奥州初老カメラ小僧

趣味のカメラ・音楽、身辺に起る出来事等、好き勝手・気ままに綴るブログ。閲覧はご自由に。でも、無断引用は御遠慮下さい。

カラヤンのマタイ受難曲 NO.1

2013-02-25 13:26:16 | 音楽


パソコン横のカレンダーを見ると、今年の復活祭(イースター)は3月31日。

「孟母三遷」の教えではないが、拙宅前にカトリック教会があり、幼少の頃、春先になると、信者さんから、復活祭の引き出物(?)の色つきのゆで卵をよく貰った記憶がある。

ところで、復活祭近くなると、決まって聴きたい曲がある。J.S.バッハの『マタイ受難曲』である。

そして、生まれて初めて、マタイ受難曲・全曲のレコードを買ったのが、カラヤン指揮のもので、1973年の秋の事だった。

当時、レコード会社は、今と違って、景気がよかったらしく、発売元のレコード会社は、レコード雑誌のみならず、レコード店・店頭でも、添付写真にあように広告チラシを作り、「カラヤンのマタイ・リヒターのメサイア」と大々的に宣伝をしていた。

当時から、マタイ受難曲の定番と言えば、カールリヒター指揮のアルヒーフ盤(1958年録音)であったが、リヒター盤は、大学のクラブの先輩から借りる事も出来たし、価格はリヒター盤は輸入盤で9200円・カラヤン盤は国内盤で8000円という事もあり、カラヤン盤を購入した。(参考:当時、日本専売公社の煙草=ハイライトの価格は80円だった。)

現在のような古楽ブーム以前に、古楽好きの「変わり者」呼ばわりされていた、同じクラブの仲間の一人は、N.アーノンクール指揮のテルデック盤(1970年?録音)を聴いていた。

その後、数種類のマタイ受難曲を聴くようになり、カラヤン盤を選択した事は失敗とは言わないまでも、それに近いものであったように思え、よい勉強をしたと現在では思っている。

さて、カラヤン盤マタイの評価は当時どうだったのか?

手元に、《創刊30周年記念「レコード芸術」コメント付き推薦盤全記録(下)第31巻第7号付録1982》という冊子がある。この冊子の115頁にはカラヤン盤マタイの1か月後に発売された、リヒターのメサイアの記載はあるものの、カラヤン盤マタイに関しては記載がない。

(不確かな記憶で申し訳ないが、カラヤン盤マタイは【準】推薦だったような気がする。)

しかし、他方では、「音楽現代 推薦 レーベル別・レコード・カタログ」(1976・1月号付録)67頁には、カラヤン盤マタイの記載があり、また、吉田秀和著「LP300選」(新潮文庫 1981 巻末レコード表 NO.83には「カラヤン指揮の日本盤がよかった」という記載があった。

次回以降は、私の視点ならぬ、『聴点』から、カラヤン盤マタイについて論じたい。

オマケ:故人の過去の言動・論説に、現在コメントするのは、フェアーではないが(=故人ゆえに反論できない)、当時のレコード業界の風潮を知る一助として、レコード評論家・音楽評論家のライナーノートを引用したい。

カラヤン教の伝道師(故K.K.氏)によるカラヤン盤マタイのレコード解説書の巻頭言からの引用。

「このカラヤンの『マタイ』には、あのエッチングの線のするどさはない(引用者註:1958録音のリヒター盤『マタイ』の事か?)。しかし、墨をたっぷりしみこませた毛筆によった書のゆたかさと確実さがある。・・・中略・・・たぐいまれな演奏本能をそなえているカラヤンは、・・・ここで過剰な表現がいささかも有効ではありえないことを知っていて、ある種の劇的瞬間にしたところで、きわめて暗示的に示すにとどまっている。これだけ周到に考えた演奏となれば、聴者もできるだけ鋭敏にして、その暗示するところを感じとらねばなるまい。」

引用文後半を読むと、私は、大東亜戦争の頃の、「体に軍服を合わせるのではなく、軍服に体を合わせろ!」という名言=迷言を思い浮かべてしまう。





秋に聴きたい音楽 NO.1 (Ⅲ)

2012-09-27 18:03:29 | インポート
ブラームスのピアノ協奏曲第2番第2楽章の特徴を、吉田秀和著「世界のピアニスト」(新潮文庫 1983 64~69頁)から引用してみよう。

「ブラームスの『ピアノ協奏曲』の極点の一つは、第2楽章スケルツォのトリオにあり・・・ラルガメンテという表情記号が指定されています。・・・ラルガメンテは幅広くひくことを要求こそすれ、おそくして楽想をひきずるのを求めはしない。しかも、ヴァイオリンの奏する三拍子の旋律はレガートでなく、乾燥したベン・マルカート。旋律はけっして上品なものではなく、むしろ娯楽場の騒々しい呑気なふしであって、センチメンタルになってはいけないのです。・・・初めの楽段が一段落すると、独奏ピアノがはいってきます。そこには、ソット・ヴォーチェ、低音で、しかも両手のオクターブのユニゾンで全音符がレガートに動きまわる。これは、この難曲の中でも格別に至難の箇所(です)。・・・(主要部の副主題に関して言えば)・・・この副主題はのち(377小節以下)スケルツォ主要部が反復されるときにも出てきますが、そのときは、ピアノは分散和音を奏し、そのうえを二本のホルンが旋律をうけもちます。いかにもブラームスらしい楽器法です。・・・(この箇所)につづく歌は、ブラームスのピアノ書法の中にどのくらいショパンの影響があるかの一つの例として意味深い箇所なのですが、それはすでにピアニストたちの注目をひいてきたことでしょう。ルービンスタインも、それから、日本では不当に低く評価されているようですが、・・・クラウディオ・アラウのようなピアニスト(引用者注:1969年アラウがハイティンクと録音したものは、ドイツレコード賞を獲得しているにも拘らず評価が低いのはその例?)も、それをまるで聴き手に『ショパンがでますよ』と目くばせでもしているような具合にひいて、僕たちを微笑ます。(以下略)」

吉田秀和氏は、引用した箇所に続き、バックハウスの演奏の素晴らしさを語るのだが、それは今回の私の趣旨ではないので、省略します。興味ある方は是非続きをお読み下さい。

この第2楽章があるおかげで、第3楽章冒頭のチェロの滋味ある旋律に心の平安を感じる方もおられるのではないでしょうか。

さて、ルービンシュタインの1958年録音のブラームスピアノ協奏曲第2番である。

その前に伴奏者について記して置きたい。

指揮者は、ヨーゼフ・クリップス。オケは、RCAビクター交響楽団。

このオケは録音の為に編成された覆面オケ。いろいろ調べてみたが実態は不明。

指揮者クリップスは晩年にはモーツァルトの交響曲の演奏では定評があったが、「彼の資質は完全にウィーンのローカリティに根差していて、強力に自己を打ち出すのではなく・・・」(レコード芸術第25巻第8号付録 1976 28頁)と評されている。しかし、このCDで聴く限り、協奏曲の伴奏指揮者としては並外れたポテンシャルを持っていたのかも知れない。

さて、ルービンシュタインは、1887年生まれなので、録音当時は71歳。

しかし、CDで演奏を聴いてみると、これが71歳の老人かと思われる程、若々しいのである。コンサートと違い、レコーディングは最初から最後まで通して演奏される事はなく、途中休憩を挟み、ベストテイクを求めて何度も録音が繰り返されるだろうが、それにしても録音で聴く限り、パワフルでエネルギッシュなのである。だけど、「私はヴィルトーゾよ!凄いでしょう!」とこれ見よがしのところがなく、また、ベトベトしたくどさながなく、実にサラッと演奏しているのである。

CDジャケットを見ると、1958年4月4日ニューヨーク・マンハッタンセンターで録音されたとある。という事はたった1日だけで録音完了。たった1日だけで、こんな録音を軽々とやってしまう、その素晴らしさには、唯々驚嘆するばかりである。
(それとも、当時は、「観客の抜き」の通常コンサートと同じような雰囲気で録音していたのだろうか?)

この演奏を、いかにもアメリカ的で、どこか大衆受けを狙ったミュージカルショー的な要素があると評する方もいるだろう。

しかし、私は、この演奏を聴いて心にイメージするのは、ナチス・ドイツに祖国を追われたポーランドの飛行兵達が、バトル・オブ・ブリテンの時、多国籍軍として参戦し、イギリスのスピットファイヤー・ハリケーンという戦闘機に乗り、孤軍奮闘しながら、ナチス・ドイツの編隊を組んだ戦闘機・爆撃機の大群に向って、行くシーンである。しかし、ルービンシュタインは祖国の為に戦うのではなく、時代の風潮に流されず、また、悲哀とか言った先入感とも無縁で、自分の信じる音楽の神に従って戦っているように思えてしまう。

それにしても、この演奏を聴いていると、一見病弱なそうに見える風貌とは違い、若々しい男としての健康な「色気」を発散させながら、ピアノに向い、ひたむきに演奏する姿を、ついつい想像してしまうのである。

コーヒーブレーク:ピアノの音だけを比較してみると、ルービンシュタインとバックハウスがそれぞれ使用したピアノメーカーが違っているのではないかと思う。録音された年も録音したレコード会社も異なるので、想像でのモノ言いで恐縮なのだが、我が家の「オンボロ」再生装置(1975年前後のT社製R/L独立のパワーアンプ構成の一般家庭用アンプ+M社製20cmウーハー使用の2ウエイ・バスレフ型SP)で聴いてみても、明らかに違う。多分、ルービンシュタインはスタンウェイで、バックハウスはベーゼンドルファーではないかと思う。この文脈で言えば、ルービンシュタインの方が現代的でバックハウスの方がブラームスが生きた時代というか北ドイツ風の音に近い、と言えそうである。(余談:「ベーゼンドルファーの音」をレコード・CD等で聴いてみたい方は、リヒテルのバッハ作曲の平均律【RCA盤】を是非お聞き下さい。)

最後に、吉田秀和著「世界のピアニスト」から、ルービンシュタインの演奏に関する記述を引用して・・・。

「ルービンスタインは、あらかじめ用意された下心のある情緒というようなものとはほとんど無縁である。彼はむしろ、音楽はその種の情緒を突破して、生命のリズムに忠実に従うことによって、その充実感を獲得する道をゆくものだと告げているのだし、それが、私たちに幸福感を満喫させ、私たちのの気づかないうちに微笑みを誘いだす。」(前掲書 399~400頁)

「ルービンスタインの偉大さは、完全な職人芸に終始しているように見えながら、きくものの心に彼だけしか与えられないものを残してゆく点にある。そうしてかれは、それを、ごく自然に音楽からひきだし、私たちに惜し気もなくふりわけてくれる。」(前掲書401頁)

「私はルービンスタインが何をひいても完全な演奏するなどと主張しない。あれこれの作曲家の作品について、不満がある人はそれなりに正しいのであろう。だが、私は、彼の演奏に、《音楽》をきく。そうして、そこには悲哀のあとはほとんどないのに気づく。」(前掲書 410頁)




秋に聴きたい音楽 NO.1(Ⅱ)

2012-09-26 20:44:03 | インポート
ルービンシュタインのブラームスピアノ協奏曲第2番について語る前に、レコード・CDに聴くバックハウスの演奏について述べたい。

手元にある資料によると、バックハウスは同曲を3回録音している。
1.K.ベーム&ドレスデン国立O.との共演(SP・録音年不明)
2.K.シューリヒト&ウィーンフィルとの共演(モノ録音・1952年)
3.K.ベーム&ウィーンフィルとの共演(ステレオ録音・1967年)
(私は、2はレコードで、3はレコード・CDで所有)

上記3番目が、ONTOMOMOOK「21世紀の名曲名盤・1」(2002年)によれば、ポリーニ&アバド(1995年ライブ録音)に次いで、第2位にランクされている。そのコメントを少し引用してみよう(前掲書136頁)

「・・・歴史的な録音としていまなお高い評価を獲得し続けて名盤。・・・中略・・・風格無比のブラームスである。・・・中略・・・精神性の高い巨匠的演奏・・・」

しかし、このコメントや類似のコメントに接すると、首を傾げてしまう。

精神性が頗る高いのは認めるが、演奏そのものはどうなのか?

1975年頃、FM雑誌で、邦人女流ピアニストが、この演奏を「ヨタッタ演奏」と評した記事を読んだからである。確かに、録音された年=1967年、バックハウスは83歳の高齢で、演奏上の「老いの衰え」は隠せなかっただろう。

私は、残念ながら、この曲の総譜(スコア)は所有していない。スコアを見ながら、このバックハウスの演奏を聴いてみれば、おそらく、この女流ピアニストの言わんとする事は確認できるだろうと思う。

(序にいえば、クラッシクレコード評論家という人種のうち、果たして、何人がスコアを参照しながら、演奏に関してコメントを書いているのか、気になる事が度々ある。)

しかし、その女流ピアニストは、演奏としては欠陥があるかもしれないが、それを補って余りあるものがあるともコメントしていた。まさにそこにあるのは、バックハウスの高い精神性に他ならない。

譬えは少しズレるかもしれないが、ある高名な落語家が寄席の高座で、「まくら」を言った途端、老齢の為か、居眠りをしてしまい、観客から「そのまま寝かしてやれ」と声が掛ったそうである。

バックハウスの1967年の録音に何か所かミスタッチ等があっても、レコード・CDという再生音で聴く者にとっては、それを演奏家の「味わい」として理解するだけでなく、只管に演奏する姿を想像しながら聴く事によって、巨匠の素晴らしさを直観的に感じ取っているのではないか、と思う。

おまけ:わたしは、上記2&3以外に、バックハウスのブラームスピアノ協奏曲第2番のCDを1枚持っている。CDジャケットには、ピアノ:W.バックハウス 指揮:K.クラウス ウィーンフィル ムジックフェラインザール 1953 と記載されている。しかし、CD本体の表面には、指揮はG.ロジェストヴェンスキーと記載。何処かに、「バッタモン」の香りが漂う。CD本体表面は単なる誤記であるとすれば、このCDは2つの面で「掘り出し物」と言えそうである。

1つは、スタジオ録音ではないバックハウスのライブを追体験できる事。
2つは、1954年メキシコ演奏旅行中に死亡したK.クラウスの伴奏指揮者としての演奏に触れる事できる事。尚、クラウスの最後の演奏会の曲目にはブラームスのピアノ協奏曲第2番が含まれていたそうである。





秋に聴きたい音楽 NO.1

2012-09-26 00:48:25 | インポート
秋になると、決まって聴きたくなる曲がいくつかある。

その一つに、ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番変ロ長調」(1881)、特に第2楽章、がある。ブラームス、48歳の時の作曲である。

ブラームスという作曲家は、その風貌からは想像し難いのだが、意外にロマンティックな旋律を書くようだ。彼の曲が映画音楽に使用されている事を知れば、首肯出来よう。

例えば、イングリットバーグマン主演の映画「さよならをもう一度」(1961)には交響曲第3番の第3楽章が、また、ジャンヌモロー主演の映画「恋人たち」(1958)には弦楽六重奏曲第1番の第2楽章が使われている。

余談:CONCERTOは、現在では協奏曲と訳されているが、字面だけを見れば「(協)力して演(奏)する」ような、漢字だけに、感じを持ってしまう。しかし、他の漢字にした方がピッタリくる事もあるように思う事がある。例えば、狂騒・競争・競走・強壮・狂想、等。

さて、ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、協奏曲には珍しく4楽章構成で、第2楽章はスケルツォ風で、交響曲の楽章構成に近い。その特徴は、素人の私が云々するよりは、下記の引用文を読んで欲しい。

「おそらくブラームスは、ピアノの演奏技法と効果だけを重視して内容的には乏しい協奏曲の氾濫に強く反発し、ウィーン古典派の音楽、とりわけベートーヴェンの精神を想起させるため、協奏曲の交響曲化を図ったのであろう。それを裏書きするのは独奏ピアノの奏法の書法である。この曲はピアノ協奏曲中の難曲の一つに数えられているが、ピアノはオーケストラに対抗する楽器ではなく、どちらかと言えばオーケストラに溶けこんで発言する楽器になっている」(レコード芸術第29巻第12号付録 レコ芸音楽史講座 ロマン派の音楽=下(1)49頁 1980)

「・・・民族的(ハンガリー風)要素ときわめて陽気な(イタリア風)楽想が支配的である。民謡ふうの素朴な旋律と舞踏の自由なリズム、独奏の技巧的フレーズと交響的変奏技法など、一見すると互いに相容れないものが見事なバランスをとって併存している・・・」(三宅幸夫著「ブラームス」 新潮文庫 1986 135頁)

上記の引用文から考えるに、ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、交響曲のような構成だが、協力して演奏する、まさに協奏曲の中の協奏曲と言えるだろう。

では、私の好みで恐縮だが、どの演奏家のレコード・CDで聴くのがベストか?

答を先に言ってしまうと、ピアノ:A.ルービンシュタイン+J.クリプス指揮RCAビクター交響楽団(1958)である。

ルービンシュタインは、4度、同曲を録音している(1.コーツ:ロンドンSO.〔1929〕 2.ミンシュ:ボストンSO. 3.クリプス:RCASO. 4.オーマンディ:フィラデルフィア)。

手元に、ONTOMOMUOOK 「21世紀の名曲名盤 1」(2002)という雑誌がある。この雑誌で同曲を調べて見ると、ルービンシュタインの文字はなく、バックハウス・ポリー二・ゼルキン・ギレリス・アシュケナージ・リヒテル等のピアニストの名前が列挙されている。

1998年発行のONTOMOMOOK 「クラッシク名盤大全 協奏曲篇」も同様で、

1985年発行のレコード芸術・別冊「クラシック・レコードブックVOL.3協奏曲篇」では、ルービンシュタインに関しては4番目のオーマンディとの共演の記載があるもの、推薦盤には至っておらず、クリプス盤は本邦未発売と注記されているだけである。

更に、1988年発行のレコード芸術・別冊「クラシック・レコード・ブック VOL.2 器楽奏者篇」で、ルービンシュタインの項目を見ても、ブラームスのピアノ協奏曲第1番に関する記述があるものの、第2番に関する記載は載っていない。

日本では、レコード評論家なる、私のような下々の人間とは違う、「高貴」な人種によって、ルービンシュタインはどうしても「ショパン弾き」としては20世紀最大のピアニストという先入観で見られてしまうようである。

では、何故、1958年録音のブラームスピアノ協奏曲第2番を、私が推薦するのか?

その理由に関しては次回に・・・。







オペラと私(1)

2012-08-26 19:08:29 | インポート
中学生の頃は、捻た「マセ」ガキだった。当時、流行のGSや歌謡曲ではなく、洋楽を、ジャンルを問わず、レコードは高価で購入出来ない為、専ら、AM・FMを問わず、ラジオで聴いていた。

その中には、コンチネンタルタンゴも含まれていた。アルフレッドハウゼの「碧空」が好きだったが、「ヴィオレッタに捧げしバラ」や「真珠採りのタンゴ」等も聴いていた。後の2曲は、ヴェルディの「椿姫」、ビゼーの「真珠採り」のパロディである事は、当時は知らなかった。

卒業単位は3年次に全部取得していたので、大学4年では、自分の趣味にプラスになるような講義を聴講。その講義の一つに、NHKFM放送でお馴染みのM教授の西洋音楽史(一般教育課程の自由科目)があった。
その年の講義内容は、バロック期から古典派までのオペラだった。オペラには殆ど興味がなかったが、オペラも関心があった受難曲もルーツは同じと知っていたので、取り敢えず受講した。しかし、オペラは、私のような異国の下々の人間が聴くものではないと思った。

他方、その講義の雑談で、M教授はワグナーのオペラにも言及しており、ワグナーはいずれ通らなければならない関門のように思えた。

その9年後、諸事情があり、東京から故郷=仙台に戻る事になった。丁度、音楽の記録媒体がレコードからCDに移行する頃で、東京土産に、気になるレコードをなるべく多く購入しようと思い、よく秋葉原の石丸電気に出掛けた。声楽曲(宗教音楽)中心にレコードを購入したが、その中には、ワグナーの後期オペラも含まれており、雑誌「レコード芸術」やその別冊を参考に下記のレコードを購入する事にした。

トリスタンとイゾルデ:フルトヴェングラー&フィルハーモニア(1952)
ニーベルングの指環:ショルティ&ウィーンフィル
ニュウルンベルグのマイスタージンガー:カラヤン&ドレスデン国立歌劇場(1970)
パルジファル:クナッパツブッシュ&バイロイト祝祭劇場(1962)

しかし、『頭で理解しよう』と思いながら聴いていた為、部分的には心が動かされる部分はあったものの、全体的には殆ど感動というものがなかったように記憶している。

さて、その12年後、NHKのBSでシェール主演の「月の輝く夜に」(1987)という映画が放映され、ビデオに録画して鑑賞した。
(蛇足ながら、私のシェールに抱いてイメージは、1966~67頃「サニー」というポピュラー曲をソニー&シェールというデュオで歌っており、デュオ解散後セクシーな女優になったくらいであった。)

この映画の劇中に、シェール扮する主人公=ロレッタが、ニコラスケージ扮する婚約者の弟=ロニーと一緒にメトロポリタン劇場にプッチーニ作曲のオペラ「ボエーム」を見に行くというシーンがあった。
(この映画は、ロレッタがロニーに会いに行く場面辺りから、通奏低音のように「ボエーム」のメロディが登場する。)

この映画を見て、それなりに感動したのか、翌日には、「ボエーム」のCDを買いに行く事に。

購入したのは、廉価盤として発売されて間もない、レナータテバルディ・カルロベルゴンツィ・チェーザレシエピ等の重量路線の歌手を揃えた、トゥリオセラフィン指揮のCD2枚組の国内プレスもので、価格は2600円で対訳は付属していなかった。(序に言うと前記映画で挿入された演奏と、図らずも同じ!)

この事をキッカケとして、以後しばらくの間、オペラのCDを集めることになるが、国内プレスの廉価盤には対訳が付属しておらず、同じ2600円でも外国プレスのものは対訳(英・独・仏)が付属しており、多少英語が理解できるので、外国プレスのCDを専ら購入するようになった。

手元に、ontomo mook 「オペラのすべて2001」(音楽の友社2001)という雑誌があるが、掲載されているオペラ作品の84%以上をカバーするまでになり、他方、例えば「椿姫」のような、お気に入りのオペラでは25種類以上のCDを収集するようになった。学生時代にM教授のオペラ史を聴いていた頃と比べると豹変に近いかも知れない。或いは、オペラには麻薬のような効果があり、その快感に溺れたのかも。(続く)