パソコン横のカレンダーを見ると、今年の復活祭(イースター)は3月31日。
「孟母三遷」の教えではないが、拙宅前にカトリック教会があり、幼少の頃、春先になると、信者さんから、復活祭の引き出物(?)の色つきのゆで卵をよく貰った記憶がある。
ところで、復活祭近くなると、決まって聴きたい曲がある。J.S.バッハの『マタイ受難曲』である。
そして、生まれて初めて、マタイ受難曲・全曲のレコードを買ったのが、カラヤン指揮のもので、1973年の秋の事だった。
当時、レコード会社は、今と違って、景気がよかったらしく、発売元のレコード会社は、レコード雑誌のみならず、レコード店・店頭でも、添付写真にあように広告チラシを作り、「カラヤンのマタイ・リヒターのメサイア」と大々的に宣伝をしていた。
当時から、マタイ受難曲の定番と言えば、カールリヒター指揮のアルヒーフ盤(1958年録音)であったが、リヒター盤は、大学のクラブの先輩から借りる事も出来たし、価格はリヒター盤は輸入盤で9200円・カラヤン盤は国内盤で8000円という事もあり、カラヤン盤を購入した。(参考:当時、日本専売公社の煙草=ハイライトの価格は80円だった。)
現在のような古楽ブーム以前に、古楽好きの「変わり者」呼ばわりされていた、同じクラブの仲間の一人は、N.アーノンクール指揮のテルデック盤(1970年?録音)を聴いていた。
その後、数種類のマタイ受難曲を聴くようになり、カラヤン盤を選択した事は失敗とは言わないまでも、それに近いものであったように思え、よい勉強をしたと現在では思っている。
さて、カラヤン盤マタイの評価は当時どうだったのか?
手元に、《創刊30周年記念「レコード芸術」コメント付き推薦盤全記録(下)第31巻第7号付録1982》という冊子がある。この冊子の115頁にはカラヤン盤マタイの1か月後に発売された、リヒターのメサイアの記載はあるものの、カラヤン盤マタイに関しては記載がない。
(不確かな記憶で申し訳ないが、カラヤン盤マタイは【準】推薦だったような気がする。)
しかし、他方では、「音楽現代 推薦 レーベル別・レコード・カタログ」(1976・1月号付録)67頁には、カラヤン盤マタイの記載があり、また、吉田秀和著「LP300選」(新潮文庫 1981 巻末レコード表 NO.83には「カラヤン指揮の日本盤がよかった」という記載があった。
次回以降は、私の視点ならぬ、『聴点』から、カラヤン盤マタイについて論じたい。
オマケ:故人の過去の言動・論説に、現在コメントするのは、フェアーではないが(=故人ゆえに反論できない)、当時のレコード業界の風潮を知る一助として、レコード評論家・音楽評論家のライナーノートを引用したい。
カラヤン教の伝道師(故K.K.氏)によるカラヤン盤マタイのレコード解説書の巻頭言からの引用。
「このカラヤンの『マタイ』には、あのエッチングの線のするどさはない(引用者註:1958録音のリヒター盤『マタイ』の事か?)。しかし、墨をたっぷりしみこませた毛筆によった書のゆたかさと確実さがある。・・・中略・・・たぐいまれな演奏本能をそなえているカラヤンは、・・・ここで過剰な表現がいささかも有効ではありえないことを知っていて、ある種の劇的瞬間にしたところで、きわめて暗示的に示すにとどまっている。これだけ周到に考えた演奏となれば、聴者もできるだけ鋭敏にして、その暗示するところを感じとらねばなるまい。」
引用文後半を読むと、私は、大東亜戦争の頃の、「体に軍服を合わせるのではなく、軍服に体を合わせろ!」という名言=迷言を思い浮かべてしまう。